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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第29章 Change The World
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29-8 The Point Of No Return

「あそこ! レラさん,穴が見える!」

「小さい! それに,修復されていく!」


 急上昇する白クジラの頭にしがみつくようにしてシノノメは叫んだ.

 白クジラの身体はほとんど垂直に近い.

 さらに,全身がぼんやりと光を帯びている.召喚の限界が近いのだ.

 後ろからは黒騎士の放つ火線が飛ぶ.

 最早振り返る余裕はないが,変わらず戦い続けているに違いない.

 灰色の雲を突き抜け,高く高く.

 藍色がかった空が広がり,空気が冷たく薄くなるのが分かる.

 レラが気流を操作して白クジラの周りの空気を地上付近と同じように維持しているが,冷気で歯がカチカチと鳴る.

 ヴァネッサたち魔女の部隊は誰もいない.

 まだ黒騎士とともに飛行タイプの機械人と戦い続けているのか,全て脱落してしまったのかもわからない.

 シノノメが壁に見つけた穴は排気口か何かで,そこに黒騎士の攻撃が当たった物らしかった.

 歪にへこんだ外壁にぽっかりと――一メートルほどの穴が出来ている。

 ギザギザになった機械部品が外に零れ落ち,めくれ返っている.

 中から空気が噴き出し,ゴミや金属片が空に飛び散っていた.

 気圧の高い内部と連絡している証拠だ.

 だが,欲望の塔に備わった自己修復能――壁を修復しようとするナノマシンのせいで,ごくわずかずつ穴が狭まっているのが分かる.

 機械なのにその様子は,生き物の様だった.

 穴の端を狙って,ランスロットの詠唱銃が火を噴いた.


溶解弾ディザルブ・バレット!」


 穴を囲む壁に着弾し,溶解する.

 魔法弾の溶解効果はアルカリ液に似て機械に食い込み,壁を溶かしていく.周囲がただれ,グズグズとした歪んだ穴になった.


「もう少し!」


 あと少しで白クジラが届く高さだ.

 グリシャムが杖を穴に向けた.


「私だって! 万能樹の杖よ! 絞め殺しのイチジク!」


 バリバリ,と音を立てて木が絡み付く.蔓と根,枝が生い茂り増殖する.穴を狭めようとするナノマシンと木が拮抗し、枝が折れる音がした。


「時間稼ぎくらいには!」


 すかさずアイエルが石弓を放った.


「相手が機械なら! 雷獣シルフェの弾丸!」


 帯電したナノマシンが動きを弱め,穴が小さくなる動きが止まった.


「よしっ! ごめん,最後! タンゴ,お願い! みんな,しっかりつかまって!」


 ドン,という大きな音とともに白クジラが塔に激突した.

 同時に轟々と音を立てる.

 クジラが口で外壁を食べ始めたのだ.

 もともと白クジラ“タンゴ”は掃除用召喚獣だ.絶大な吸引力で敵を丸呑みしてしまう.

 クジラにとってのオキアミの様に,壁を構成する機械をどんどん吸い込み始めた.

 徐々にクジラの身体が塔と垂直になる.

 尾が光り,少しずつ消え始めた.


「時間だ! 行こう!」


 シノノメは走り出した.

 クジラの背中から,黒い塔の壁へ.

 高いところは苦手だが,夢中になると忘れてしまう.

 風が体を揺らすが,ひたすら駆け抜ける.

 後ろを振り返る余裕はないが,助け合いながら仲間がついてきているのが分かる.


「えーい! 黒猫丸!」


 不撓鉱マグナタイトのキッチンナイフはチーズの様に外壁を削ぎ落した.

 マグナ・スフィアの物理法則の“外”にある物質.黒騎士ダークナイトの装甲と同じ材質だ.

 この仮想世界に斬れないものは無い.

 シノノメは必死で手を振った.

 穴を掘る様に,外壁を切りながら走るのだ.

 仲間が作り,広げてくれた隧道トンネルを,奥へ奥へと走りながら切り進む.

 おそらく外壁の厚さは二,三メートルというところだろう.

 いつか経験した感覚に似ている.

 偽物の家の衣装箪笥から,マグナ・スフィアに迷い込んでしまったときの感覚だ.

 あの時から――もう後戻りできないところに進んで――そして,今また.

 ふと切っ先の手ごたえが変わった.

 固い物から急に空を切る感じがある.

 穴が開いた.

 ちょうど腕一本分が通るほどだ.

 向こうはぼんやりと光っている.

 青い光に見えた.


「通った!」

「行け!」

「進め!」

「風牙!」


 レラのプラズマが壁を溶かし,ランスロットの剣が垂れさがる金属の塊を切り飛ばす.


「シノノメさん、少し下がって!」

「爆裂手裏剣!」

「爆裂弾!」


 にゃん丸が爆弾を乱れ打ちし,アイエルの爆発魔法弾が壁を吹き飛ばした.

 ついに,人一人程が通れる穴が開いた.

 シノノメは足に力を籠め,思い切って飛びこんだ.


 ***


「ようし、成功。中に入ったな」


 風谷は電子戦用VR装置を頭からずらし、マグナ・ヴィジョンが映るディスプレイを見ていた。

 マグナ・ヴィジョンは現実世界からマグナ・スフィアの公式報道画像である。

 マグナ・スフィアにおいて注目度の高い場面を選び、テレビ番組の様にネット配信して提供している。

 あるいは、専用のパスワードを入力すれば、自分の関連するイベントを見ることも出来る。

 シノノメの戦いは現在世界中で注目されている。

 風谷はしばらくの間ログアウトして、状況把握することにしたのだ。


「これで後戻りはもうできねえ。それにしても、あの重力加速じゃ、俺がゲームオーバーになっちまう」


 軽く頭を振って苦笑した。

 黒騎士の体の中に収納され、現実世界でいうところのロス・アンジェルスからニューヨークの間を十分程度で移動したのである。

 黒騎士――唯の夫、黒江は風谷の隣で仮想世界に接続されたままだ。

 歯を食いしばっている。

 左の大腿からは出血していた。

 しばらくすればもう一度ログインして、黒騎士と行動を共にする予定だ。


「全てはこの時のためか……」


 唯を覚醒させる方法として、管理者である人工知能“ソフィア”は、もう一度幻想世界でシノノメと出会うことも提示したという。

 だが、その方法は穏やかでもあり、あまりにも時間がかかりすぎる。

 黒江は拒絶し、究極の武装をまとったまま、幻想世界ユーラネシアを彷徨うことを選んだのだ。


 シノノメが“欲望の塔”を登るとき、自分くろえも再び登らなければならない。

 人工知能サマエルの駒として、仮想世界マグナ・スフィアの頂点を決める戦いをするために。

 ならば、彼女が登る障害になる全てを破壊しつくす力を揮おう。

 何者も抗えない、傍若無人な力を保持しておこう。

 体の知覚も要らない。

 言葉も要らない。

 シノノメとは一言も言葉をかわせなくとも――それでも。

 もう一度会うために。

 限りなくゼロに近い可能性を実現させるために。


 シノノメが映っているものの隣のディスプレイには、爆炎で真っ赤に染め上がった新棺都ニュー・アークが映し出されている。

 地獄の業火と爆炎だ。

 その中心には、黒騎士――黒江がいるはずだ。

 風谷は自分のことはなかなかひねた奴――屈折した人間だと自覚している。

 世の中を斜に見るというか。

 だが、柄にもなく、黒江の姿に感動してている自分に気付いた。

 思わず苦笑する。


「ふん。……空が“愛してる”でいっぱいになってるぜ」

「先輩!」


 息を切らせた千々和が声をかけてきた。

 彼女は、病院の低層階にいる防衛軍情報部隊との連絡役だ。

 小柄で童顔なので、制服を着替えれば軍人と思われることはまず無い。看護師の服を借りて、病院の下層階の偵察に行ってきたのだ。

 病院は現在閉鎖されている。豪雨の中次々と陸軍の部隊が集結して、扉をこじ開けようとしている。

 全ては唯――正確に言えば、唯の脳を奪取するためだ。


「おう、看護師ナースのコスプレご苦労さん。なかなか似合うぜ」

「そ、そんなことより、大変です。病院を包囲する部隊がまた増えました」

「何?」

「一階はもう、侵入されそうです。ボンさんたちがブービートラップを仕掛け始めました」

「奴ら、どういう扱いの出動なんだ? 災害派遣か?」

「幕僚長の知らないところで動いているなんて変です。陸軍の部隊が暴走するなんてあり得ません。……誰かが命令を出してる」

「統合幕僚長より上か。まさか……」

「総理だろう」


 塚原が杖を突いて立ち上がった。


「千々和君、シェヘラザード――片瀬は官邸に入ったままなんだな?」

「はい。衛星で監視している者からの報告では、十時間以上出た形跡がありません」

「私が行こう。止めさせる。ヘリは使えるか?」

「はっ!? 塚原さんご本人が行くんですか?」

「どうせ武装したSPか軍人が、厳重に警備しているんだろう。君たち情報部の人間が行っても入れてはもらえまい。こんな時には私の肩書が役に立つ」


 塚原は巨大IT企業の会長であり、経団連の元会長だ。経済諮問会議の重鎮でもある。大概の閣僚や官僚に顔が利く。

 国防軍のトップ――風谷たちの上司である統合幕僚長に至っては、学友である。


「ちょっと会わせてもらおう。堀田――初老の運転手と、杖を突いた病気の老人と、可憐なお嬢さんが行くのに乱暴はできまいよ」


 風谷がゲラゲラと笑った。


「可憐? 塚原セキシュウ、こいつがかよ?」

「ちょっと……! 先輩、反応するのはそこじゃないです!」


 怒る千々和を無視して風谷は考え込んだ。


「しかし、説得にのるかな」

「説得できないなら、無理矢理だ。そこに片瀬がいるのなら、話さねばならん」

「それは?」

「奴が信奉する、人工知能サマエルの真実を知らせるのだ。クルセイデルが推測し、看破した事実を奴に突き付ける」


 風谷の表情が険しくなった。


「さもなけりゃ、全員ここで蜂の巣か」

「死ぬまではいかなくとも、色々な口実をつけて監禁されるかもしれません」

「もう引き返すことはできん。進むしかない」


 国島が悲鳴を上げた。


「ひえーっ」

「急がねばならん。もう一つの方はどうなっている?」


 塚原の運転手兼相談役、堀田が青い顔をして立っていた。


「それが、会長、大変なことになりました」

「何?」

「浜松につながる新幹線が止まりました」

「マジかよ?」


 風谷の声が裏返った。


「堀田さん、事故か?」

「大規模なシステムトラブルってことになっている。東海道線は上下線ともストップ。幹線道路は大渋滞らしい」

「あり得ない……」


 黒騎士が“欲望の塔”の頂点に近づいた時、必ずサマエルが接近してくる。

 その隙を狙って、破壊するプログラムに感染させる作戦だったのだ。

 そのために、浜松に小暮は数日前から泊まり込んでいる。

 浜松には塚原の会社が保有している研究所ラボがあり、ネットから完全に独立したスーパーコンピュータが稼働している。

 小暮と彼の仲間は、それを使って対人工知能用のプログラムを開発していた。

 サマエルはインターネットと防犯カメラを駆使し、あらゆるところで監視していると考えた方が良い。

 注意に注意を重ねて移動し、研究所内は完全独立型スタンドアローンにして、外部から侵入されないようにしていた。

 それでだろう。

 直接的に人間の移動手段を奪う方法をとったのだ。


「十中八九、サマエルの仕業だな。小暮ユグレヒト君はどうしてる?」

「さっき連絡があって、破壊プログラムは完成したらしいんですが、こちらにどうやって届けようかと」


 塚原が唸りながら天を仰いだ。


「ネットで送るわけにはいかん。途中で必ずサマエルに奪取――破壊されてしまう」

「ヘリは?」

「塚原さんを官邸に連れて行くのに一台……もう一台を急には手配できませんよ」


 千々石が肩を落とした。

 風谷は頭を掻きむしる。


「畜生、軍人もこの状態じゃ、どいつが敵でどいつが味方か分からないからな」

「郵便……宅急便……バイク便とかなら? 首都圏近くに来てもらえば……せめて、横浜まで来てもらったら、関内に伏谷さんがいるはずです」

「そんなの、そこまで誰に頼むんだよ」

「輸送機から降下して……いや、飛行機が無理……船は……できるかもしれないけど、誰に行ってもらうか……」


 塚原がぐるりと室内を見回し、嘆息交じりに言った。


「今信頼できるのは……軍でも警察でもなく、この――シノノメの仲間だけだ」

「シノノメの……仲間?」

「どうした? 風谷君?」

「横浜なら何とかなる……俺、もう一度ログインする」

「先輩、どうする気ですか?」

「シノノメ達に直接相談する」

「えーっ?」

「マグナ・スフィアに入れば、あいつらとメッセンジャーで直接話ができるだろ」

「話をして、一体どうするんですか?」

「俺に考えがある。もしかしたらもしかして、で上手くいくかもしれない。それより、お前は早く塚原セキシュウを連れて官邸に急げ」

「えっ! 僕が行くんですか?」

「当り前だろ、他に誰がいるよ」

「ですけど……総理に会いに行くなんて」

「何を怖気づいてるんだよ。俺たちが相手にするのはあくまで、シェヘラザード――片瀬なんだ」

「でも、でも」

「武装は軽装で構わない。どうせボディチェックで持ち込めないからな。最低限身を守る装備で行けばいい」

「そんな」

「お前の仕事は、片瀬と総理にセキシュウを会わせることだ。あとは出たとこ勝負だ」

「こんな大事な役目、僕には……僕一人じゃ無理です」

「馬鹿だな。大丈夫に決まってるだろ」

「なんで……」

「前から言ってるだろ。みくり。お前は俺の、切り札なんだよ」


 千々和の頬が真っ赤に染まった。そして、顔全体に広がると思った瞬間、彼女は両手で頬を叩いた。


「了解しました。大佐」


 携帯端末を取り出し、てきぱきと連絡を取り始めた。


「五分後に屋上ヘリポートに迎えが来ます。堀田さん、塚原さん、宜しくお願いします。では、大佐。私はお二人と一緒に総理官邸に向かいます」


 千々和は風谷に敬礼した。その立ち居振る舞いは完全に毅然とした軍人の物だった。

 風谷が満足そうに笑う。


「頼むぞ、千々和。だけど……ナース服は着替えて行けよ」


 言われた瞬間、再び千々和の頬が真っ赤になった。

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