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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第29章 Change The World
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29-4 So Close

多忙のため更新が出来ず、申し訳ありませんでした。

「しっかし,外科医って奴はとんでもねえな」


 風谷は松葉杖を突く黒江くろえを横目で見た。

 黒江は黙って自分の前を移動するストレッチャーを見ながら、肩をぎくしゃくと上下させて歩いている。

 ベッドの上にはゆいが横たわっている。

 押しているのは夏木、先行して前側を歩いているのは千々和だ。

 向かう先にはVRPI(ヴァーチャルリアリティ・サイコ・イメージング)の検査室がある。

 VRPIルームは外部からの電磁場を遮断するために、強力なシールドルームになっている。

 シノノメの本体――唯の脳を狙う者たちが迫ってくる今、病室より安全と考えて部屋を移ることにしたのだ。

 黒江の脚にはきつく包帯が巻かれている。

 銃弾を受けた後だが、まるで気にしている様に見えない。


「先生、本当に足は大丈夫なのか?」

「え……ああ、大丈夫です」


 風谷と千々和、そして彼らの同僚――国家統合情報局の軍人たちが侵入者たちを縛り上げて監禁する中、黒江は淡々と大腿に受けた傷の処置を済ませていた。


「大腿動脈は逸れてます。下降枝の穿通枝を損傷したかもしれませんが……」


 圧迫止血し、自分の傷に救急用の止血用生体スポンジを押し込み、局所麻酔を打って縫合してしまったのだ。

 風谷は苦笑した。


「そういう話じゃねえよ。自分の脚を手術するなんて、漫画の世界だけかと思ってたぜ」

「……誰にも頼めませんし」

「そりゃ、そうだ」


 窓の外を覗けば、病院の敷地に軍事車両が続々と集結している。

 異様な風景だった。

 豪雨の中、迷彩服を着た人間が病院を見上げている。

 一階の出入り口と窓は全て耐火シャッターを閉じている。

 病院の中でテロがあった様な物々しい光景だ。


「時間がねえな……」


 風谷は呟いた。

 ストレッチャーが止まり、夏木が振り返った。

 この病院――精神神経医療センターが誇る治療システム、患者の意識の中に侵入する機械、VRPIが設置された部屋である。


「さあ、着きましたよ。それで、どうするんですか?」

「ご苦労様、美人副師長。そのまま唯さんを検査室の中に入れてくれ」

「分かりました。では軍人さんの女の人……千々和さんでしたっけ。体から金属の物は外して、手伝ってください。中は強力な磁場が発生してるから、クレジットカードやケータイなんてあっという間に使えなくなりますよ」


 夏木は腕時計と聴診器を外し、シールドルームの中にストレッチャーを運び込んだ。ストレッチャーのフレームは特殊な樹脂製で、磁力の影響を受けないようになっているのだ。


「ここの中なら一番安全だろ。じゃあ、俺たちも」


 風谷に促され、黒江は隣のVRPI操作室に入った。

 二つの部屋はアクリルガラスで遮られているだけなので、検査室内の唯が見える。

 千々石と夏木の手で検査用のスライドベッドに移し替えられていた。


「先生、俺たちはこっちだぜ」


 妻から目を離せないでいる黒江に、風谷は声をかけた。

 VRPI操作室の中はすっかり様変わりしていた。

 もともと治療者用の椅子はコード類がごちゃごちゃと繋がれていたが、その配線はさらに増えている。

 モニタの数も増え、トランクの様な筐体が所狭しと置かれ、それぞれがケーブルでつながれている。


「セキシュウ、どうだ?」

「ああ、もう少しだ」


 部屋の隅から杖を突いた塚原が立ち上がった。


「私も元々は技術畑の人間だ。久々に現場を思い出した」


 塚原の隣には作業服を着たスタッフがいて、機械に屈みこんでタブレットを操作している。塚原の会社、アイオーンの社員たちだった。


「みんな、徹夜作業をさせて済まない。おまけに今、この病院は陸の孤島になってしまったようだ。だが、これが終われば家に帰れる。そして、後日祝杯を上げよう」

「会長、それよりも有給休暇とボーナスを約束してあげてください」


 塚原の運転手兼相談役、堀田が笑って言った。


「約束する」


 眼の下に隈を作った技術スタッフが笑った。

 それを見ていた臨床工学士の国島が羨ましそうにぼやく。


「俺も有給休暇が欲しいっス。この病院の理事なら、うちの科長に言って下さいよ」

「おお、国島君。君の知識には大いに助けられた。院長に働きかけてみるよ」

「で、最後の仕上げは?」

「後は預かった黒江先生のナーヴ・スティミュレータとSIMカード、それとVRPI本体を接続するだけっス」


 そう言いながら国島はすでに手を動かしていた。壁一面に並んだモニタが点滅し、低い音を立てはじめる。

 塚原は目を細めてそれを眺めた。


「これで現実世界と連絡を取りながら、仮想世界マグナ・スフィアに介入できる。――自らの眷属、仮想世界最強の戦士が我々の切り札になるとは、奴も思うまい」


 ドン、とどこかで大きな音がした。

 建物が静かに揺れる。


「何だ?」

「先輩、盆子原ぼんこばらさんからです。陸軍の部隊が救急外来の耐火シャッターを爆破しようとしたみたいです」


 耳につけた小型無線機を押さえながら、千々和が報告した。

 爆破と聞き、一同に緊張が走る。


「被害は?」

「今のところありません。ですが、ボンさんによると侵入されるのは時間の問題だろうって。二十式自走砲を運んできてるみたいです」

「民間施設に、馬鹿か。あいつら」


 風谷が吐き捨てるように言った。

 操られている兵士たちにその自覚は無い。自分たちの行動が人工知能サマエルの意図に沿ったものであることなど、夢にも思っていないのだ。


「会長、マグナ・スフィアに対策するだけでは無理です。奴らは恐らくどんどん増員してきます。暴力的手法はエスカレートするでしょう……唯さんを奪取できないとなれば、施設ごと破壊することまで考えかねない」

「そうだな、堀田。分かっている。千々和君、片瀬たちはどうしている?」

「追跡してます。別働班によると、昨夜未明から総理官邸に入ったまま、出てきません」

「シェヘラザード……やはりか。……私が行こう。行かねばならん」


 塚原の目が熱を帯びた。見えぬ敵を睨む猛禽の目になる。


「とにかく急ごうぜ。先生はとっとと椅子に座ってくれ」


 黒江は急かされるようにして椅子に座った。

 VRPI操作室の治療者用シートは、歯科医院の椅子に似ている。

 椅子の上に左足を引き上げるときに痛みが走り、黒江は顔をしかめた。

 包帯には血がにじんでいる。救急器材で止血できる限界を超えているのだ。


「黒江君、その怪我は?」

「銃で撃たれたんだよ」


 黙ったままの黒江に替わって風谷が答えた。

 塚原の後ろにいた技師たちが慌てた。


「体に大きなダメージを受けた状態で、脳負荷をかけるのは危険ですよ!」

「大丈夫です」

「しかも、そんな大怪我で」

「……構いません」


 黒江は何も聞かなかったように、両手首に自分でセンサーのついたベルトを巻いた。


 ブブン。


 ポケットの中の携帯端末が振動する。同時に一斉に全員の携帯端末が着信音を立てた。


「東の主婦シノノメ――アメリアに侵入、宣戦布告!?」


 携帯端末の画面をチェックした国島が叫んだ。


「ニュースラインのトップ記事で号外速報だ!」

「全世界一斉配信だぞ」


 ざわめく周囲とは対照的に、黙々と準備を進めていた黒江の手がふと止まる。


「――何故、唯が?」


 塚原が頷いた。


「黒江君――唯さんは今や、みんなの希望なんだよ。北米の移民は今、合衆国に来ても、特殊な技能が無ければ電子世界に移住するしか選択肢が無い。中国も体制批判者は仮想世界送り、ヨーロッパは何をか言わんやだ」


 塚原の言葉を補足するように堀田が言う。


「誰もが仮想世界の物語――機械世界アメリア幻想世界ユーラネシアを圧倒するという物語に、諦観を感じているのです。そのようになるしかない、というね。日本もまたしかりだ。現実世界で受け入れてもらえない人間たちが、どんどん仮想世界に逃げ込んでいる。だが、逃げ込んだ先――仮想世界もまた現実世界と同じ弱肉強食の摂理に従わざるを得ない」


 風谷が大口を開けて笑った。


「シノノメはな、そんな物、気にしやしない。何であいつがあんなのか分からないけどよ。今の世の中をぶっ壊してくれる何かなんだ」

「……僕は」

「分かってるよ。あんたは本当に、奥さんを取り戻したいだけなんだろ。それでいい。だが、あんたは独りじゃない。俺もついて行く」


 風谷はジュラルミンケースから濃緑色オリーブドラブのヘルメットを取り出し、黒江の椅子にコードを接続した。

 国島が目を丸くした。


「四十七式電装! 電子戦用の軍事VRだ! 実物が見られるなんて感激っス!」

「もう作戦は始まったんだ。 シノノメの側方支援、急ごうぜ」


 風谷の言葉で、目が覚めた様に再び全員が動き始めた。

 国島はあわただしくキーを叩き、いくつかのスイッチをオンにしている。

 エンジニアたちが低い声で塚原に話しているのが聞こえる.


「しかし、会長、彼は怪我をしているし、危険です」

「肉体負荷がかかる所に、脳の過剰負荷がかかると」

「うむ……しかし、彼をおいて他にこれが出来る者はいない……」


 黒江は自分の腕に盛り上がった突起に、注射の針を刺した。

 針の端は大型の点滴バッグに繋がっている。

 夏木が顔をしかめながら点滴につなぐのを手伝った。


「ポート造設までしてるなんて……時々休んでると思ったら,こんなことまでしてたんですね……みんなに黙って」


 ポートとは,皮膚の下に留置するシリコン製のバッグとチューブが一体化した装置だ。薬剤を繰り返し投与するためのもので,装置の先端は、心臓近くの血管につながっている。本来は主に抗がん剤の投与を行うための道具だ。

 元々は首に直接針を刺していたのだが、繰り返し刺すことで皮膚が固くなりすぎ、それも出来なくなったのである。

 体に栄養と水分を強制的に送り込むことにより、長時間連続でマグナ・スフィアにログインし続けることが出来る。

 そのために黒江は自分の身体を“改造”したのだった。


「会長、危ないですよ。いくら何でも。今のマグナ・スフィアでは、体に加わる痛みや衝撃が緩和されない」

「脳内伝達物質の過剰分泌は心停止を招くこともあります」

「……下手すれば彼の命は」


 ……分かっている。


 塚原の部下たちの言葉は聞こえていたが、黒江の手つきに澱みは無かった。

 ヘルメット型の脳投影装置を頭にかぶり、バイザーを下ろすその前に――。

 黒江は体を起こしてアクリル窓越しに妻を見た。

 監視用のモニタを見ると、静かに眠っている様に見える。


 こんなに近くにいるのに……


「いいんです。皆さん」

「いいって……先生、命の危険があるってあの人たちが」

「ありがとう、夏木さん」

 黒江は椅子の上で深く頭を下げた。

「ありがとうございます。国島君、塚原さん、軍の方も、技術者エンジニアの方も」

「黒江君……」

「先生……し」


 死ぬ気ですか、と言いかけて国島は言葉を飲み込んだ。

 全ては妻のため。

 国島はずっと黒江を見てきている。その想いは理解していたが、それを口に出せば実現してしまいそうであまりにも恐ろしかった。

 黒江は静かに体を横たえ、バイザーを下ろして目を閉じた。

 それはまさに彼のアバターの如く――棺に彫刻されたレリーフの騎士を思わせた。

 誰の抗議も忠告も寄せ付けない、硬い意志と覚悟を感じさせる姿だった。


「風谷さん、よろしくお願いいたします」


 風谷は隣の椅子に座り、背もたれに体を沈めた。頭半分が濃緑色の武骨な機械に覆われている。


「おう」

「起動開始。脳波同期。ドパミン濃度良し。電位フリー・ラン検出」


 心なしか、いつもは軽い国島の声が震えているように聞こえる。


「先生……」


 夏木の声がかすれている。


「マグナ・スフィア、ログイン」


 何度も何度も見て来た、流星の様な映像が見える。

 体が無くなり、別の物に繋ぎ替わる不気味な感覚が走る。

 黒江は思った。


 ……これが、本当に、本当の……最期になるかもしれない。


 ***


 再び目を開けたとき,黒江は荒涼とした平地に立っていた.

 自分の体の中で,アクチュエイターが作動する音がする.

 灰が積もった死の大地だ.

 フィーリアの水素爆弾と機械人の戦闘でその姿を変えてしまったウェスティニア共和国である.

 緩やかな丘陵地帯の地形から,かつてここが豊かな森で,小さな魔法使い――クルセイデルと語り合った場所であることを察した.

 遠くに動くものが見える.

 拡大するとそれは半身が戦闘車両になった機械人間だった.

 巡礼者の様に地平線へと続く列を作っている.


「ミラヌスのゲートからやって来た兵器人間だな」


 耳元で声がする.

 首をひねらずに単眼のカメラ・アイをスライドさせて見ると,肩の上に小さな機械人間が乗っている.

 ターバンを巻き,背中に発条ゼンマイがついたブリキの人形の様なアバターだ.

 ミニ“ヴァルナ”とでもいう姿だろうか.


「さあ,行こうぜ.先生――いや,黒騎士」


 視線を戻すと,廃墟となったウェスティニアのかつての首都――壮麗な美の殿堂であった,ミラヌスが見える.


「ハッピーエンドまで,もう少しだ」


 励ます様な,茶化す様なヴァルナの言葉とは裏腹に,黒江は心の中で呟いた.


 ……唯のいない世界に、何の意味があるというのだろう。


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