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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第29章 Change The World
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29-1 Use Your Illusions

 海の中に夜明けの光がようやく届き始めた.

 巨大なムール貝を利用した潜水艦“バハムート”は,特殊な構造をしている.

 二枚の貝殻の中に寄生するように――あるいは真珠の様に船室がぶら下がり,貝の身体の本体と貝殻の間に隙間がある.

 さながら巨大な船倉とでも言えばよいだろうか.

 そこにネムとシノノメはいた.

 小山ほどもある水色の毛糸の塊の前で,ネムがひっくり返っている.

 シノノメは毛糸の山に埋もれてモゾモゾと動いている.


「これが……切り札?」


 鈴のような声が船倉に響いたが,ネムは眠り続けている.

 声の主は風のレラ――失われた魔法院の名代である.

 灰色のとんがり帽子のつばを傾け,毛糸の山を見上げた.

 きっちり編み上げられたそれはところどころ白い部分があった.不定形でよく分からないが,織物としてみたときに多分何かの模様になっているのかもしれない.


 しかしいずれにしろ――ただの編み物の山である.


 外で声がしたので,シノノメは作業の手を止めて網目越しに外を覗いた.

 袋状になった織物の中に入って線を描いていたのだ.


「あ,レラさん.ちょっと待って」


 チャコペンを握ったままシノノメは編み物の山をたぐった.

 なかなか出口を探すのは骨が折れる.一か所だけ開いていて,他の部分は全部袋状になっている.出る方向を間違えればそれこそ編み物の中で迷子になってしまう.

 結構あっちこっちに進みながらようやく外に出た.

 多分レラから見れば水色のお化けがフラフラと動き回るような光景だったに違いない.


「ふう,お待たせ」

「何をしていたんですか?」

「最後の仕上げ.これで魔方陣を描いてたんだよ」

「チャコペンで?」

「だって,布だもの.本当はいつも竹ぼうきで描いてたんだけど,そういうわけにいかないでしょ」


 レラは苦笑した.

 洋裁で使うチャコペンにしろ,竹ぼうきにしろ魔方陣を描く道具ではない.

 まあ,ヴァネッサと戦った時にはマヨネーズとケチャップで描いたというから,シノノメに関しては常識など当てはまらない.百も承知と思いつつも,やはり驚かされる.


「いまだにこれでうまくいくとは思えませんが……」

「大丈夫.ネムはこんな大きなのを作るために,徹夜して頑張ったんだよ」

「……」


 レラは歩み寄ると,編み物の山の感触を確かめるように触れた.


「それより,どうしたの? まだもう少し時間があるでしょ?」


 アメリアの沖百キロまでなら問題なくバハムートは近づける.

 そこまで着くのは大体午前十時ころと聞いている.あと三,四時間先の筈なのだ.


「ああ,ええ……少し気になることがあったので,早めに来たのです.実は,あと何人かの仲間にも声を掛けました.アラジンの壺をアイテムボックスから出しておいてもらえますか?」


 アラジンの壺とは,商人にして錬金術師である猫人,ニャハールが作った移動できるセーブポータルだ.


「うん」


 古代中国の青銅器――饕餮紋とうてつもんに似た,入り組んだ文様の入ったポットをシノノメは取り出すと,床に置いた.

 壺の腹の部分をさすると,白い煙が立ち上がる.

 原理はよく分からないのだが,これが起動の合図でセーブしたプレーヤーに伝わるのだという.


「ふう」


 まず出てきたのはグリシャムとアイエルだった.

 グリシャムはあくびを,アイエルは大きな伸びをしている.現実世界の時間はまだ午前六時前である.


「あ,シノノメさんにレラ様.今日はよろしくお願いします」


 グリシャムは帽子を取ると,魔法院の先輩であるレラにうやうやしく頭を下げた.


「昨日連絡を頂いた時にはびっくりしました」


 アイエルも軽く頭を下げる.


「その他は誰に声をかけたんですか?」

「先遣部隊全員」


 レラがそう言うのに合わせた様に,貝の肌色の身体の向こうから赤いローブの魔女が現れる.


「ふわああああああ.アタシ,滅茶苦茶朝が弱いんだよねぇ」

「ヴァネッサ様?」


 普段のヴァネッサからは想像もつかない姿だった.目をしょぼつかせて背中を丸め,フラフラしながら歩いている.


「ぎゃっ」


 たちまち編み物の山にヒールの踵を取られて前に転んだ.


「あ,何? モフモフで気持ちいいじゃん」


 ヴァネッサはそのまま編み物に顔を埋めて動かなくなった.


「ねぼすけ魔女が二人だ」


 シノノメの率直な感想に,レラがクスリと笑った.

 続いて壺から丸いボールのような影が飛び出し,宙でくるくる回転すると床に降りて片膝をついた.


「にゃん丸参上!」

「わー! かっこいい!」


 忍者装束に身を包んだ猫人忍者,にゃん丸だった.

 なかなか颯爽とした登場だ.シノノメは思わず拍手した.

 アイエルとグリシャムは――特ににゃん丸が見て欲しいアイエルは――若干引き気味の冷めた目でにゃん丸を見ている.


「にゃん丸さん,どうしちゃったの?」

「ちょっとキャラ的に,ナイと思います」

「ちょ……ちょっと,ノリが悪いなあ」


 自分でも格好良く登場できたと思っていたらしい.にゃん丸は少し慌てた.


「にゃん丸さんって,脱力プラス意外とやる系キャラでしょ」

「くたびれた系かな」

「えーっ,アイエルちゃん,そんな目で見てたの?」

「でも,何だか雰囲気が変わったよね.凛々しくなったよ.何かあったの?」

「さすがはシノノメさん! 見てよ,俺のステイタス」


 ステイタスウインドウを立ち上げると,レベル八十――そして職業ジョブは“上忍”とある.


「ほらっ! 今まで中忍だったのに,ついに上忍に!」

「上忍って,なあに?」

「忍者軍団を手足に使う指揮者……」

「管理職みたいなもの?」

「管理職忍者……中間管理職?」

「うわっ! ちょっと,それはないでしょ? 昨日の夜――豁然かつぜんと悟ったんだよ.こう――忍者の奥義にさ」

「奥義?」

「シノノメさんの言葉がきっかけだったんだよ.だからこうやって報告を……」


 にゃん丸が必死に肉球のついた手を振って説明しようとしていたその時,突然船体が揺れた.

 船――貝殻のドームの中に,鐘をついたような轟音が響く.


「うわっ!」

「どうしたんだろう!」

「何事?」


 見上げると,半透明の貝殻の向こうに,激しく泡立つ海水が見える.

 シノノメは操舵室に向かって走り出した.

 グリシャムたちも後を追う.

 真珠で出来た船体のデッキを駆け抜け,真珠貝のドアを押し開けると,男爵バロンことフォン・ミュンヒハウゼンとその部下たちが全員揃っていた.


「どうしたの?」

「静かに!」


 耳自慢のオルヴァスが指を立てて口に当てる.彼はこの潜水艦のソナー係なのだ.

 珍しくバロンが難しい顔をしている.

 操舵室の上には二重構造の二枚の天井――貝殻がある.

 貝殻に向かって何かが激しくぶつかり,爆音が響いた.


「わっ!」

「これは……水雷?」


 一番後ろからついて来たレラが眉を顰めた.

 バロンがちらりとレラを見ると,怪力自慢のブレイトンに指示を出す.


「ブレイトン,深度を上げろ」

「了解.ダウントリム十度」


 ブレイトンは円形の舵をいっぱいに前に倒した.

 船体が斜めになり,徐々に深く――海底へと向かって行く.

 爆発音が徐々に遠のいていくが,ブレイトンは歯を食いしばっていた.


「深度反応型の水雷か」

「水深,ギリギリです」

「水雷って……攻撃を受けてるのか?」


 にゃん丸が尋ねると,ようやく,といった様子でバロンが答えた.


「そうだ」

「そんなのナイ!」

「あと二,三時間後くらいまで大丈夫じゃなかった?」

「そう,アメリアの海岸線まで,まだ距離があるでしょう?」


 シノノメとアイエル,グリシャムは顔を見合わせてまた半透明の天井を見た.

 上方の海中では,まだ爆発が続いている.


「こちらの動きも読まれてたってことか」

「ランスロット!」


 シノノメが振り返ると,操舵室の入り口には青銀色の甲冑に身を包んだ竜騎士ドラグーン,ランスロットがいた.彼も先遣部隊の一人なのだ.


「レラさんの提案で,早めに来てよかった」

「レラさんは予想してたの?」

「予想……ではなく,可能性を考えていたのです.もし,セキシュウ氏やユグレヒト殿が言うように,敵が万能の人工知能なら――いくつかの可能性にかけて準備してもおかしくない.なにせ,機械人の兵士はいくらでもアメリアにいるでしょう?」

「俺はやはりどこかから漏れたんじゃないかと思う」


 険しい顔のランスロットを見て,シノノメは考えこんだ.


「私がイースラントで召喚獣を使ったから?」


 シノノメが心配そうな顔になったのを見て,すかさずアイエルは言った.


「ううん,それはないよ.だって,シノノメさんの動向はそれ……ソフィアがくれた指輪のおかげでサマエルには分からなくなってるはずなんでしょ?」

「でも,ソフィアの力はどんどん弱くなってるみたいだし……」

「どこから漏れたかは重要ではありません.敵の目が現実世界のそこら中にあるのなら,どこからか察知する可能性はゼロではない.それよりも次の事を考えなくては」


 レラが口を開こうとすると,その意を悟ったようにバロンがオルヴァスに指示を出した.


「準備できたらスクリーンに可視化しろ」


 オルヴァスは杖を空中に掲げ,輪を描いた.

 大きな羊皮紙が空中に現れ広がる.

 地図には現実世界のアメリカ大陸西岸にそっくりな海岸線――すなわち,機械大陸アメリアと,赤い光点が映し出された.

 ファンタジーの形式を模した,スクリーンだ.


「現在の我々の位置は新棺都ニュー・アークから約二百五十キロ.北東の方角にいます」

「そして今から敵の位置を映し出します」


 緑色の光が画面にぽつぽつと増え始めた.


「いち,にい……」


 シノノメは数えるのを途中でやめた.あまりにも多かったからだ.


「こんなに?」


 横を見ればアイエルもグリシャムもにゃん丸も,口をぽかんと開けてスクリーンを見ている.レラは目を細めてにらんでいた.


「ざっと六十隻.水陸両用型,水中戦闘型の機械人だけの数です」

「だけ?」

「これに,さらに……」


 オルヴァスが三度杖を振ると,今度は青い光点が現れた.


「海上からと思われる音の発信源です.空中戦闘型――飛行タイプの機械人か,兵器が哨戒してます.おそらく,対潜レーダーを備えた兵器がいるんです」

「全部で何体なの?」

「ざっと,百……」


 オルヴァスが答えると同時に,再び船体が大きく揺れた.

 目覚まし時計の音に似た警報とサイレンが船内に鳴り響いた.


「深度は?」

「バロン,これ以上は無理です!」

「沈んじゃうよ!」

「ゲホゲホ,咳が止まりません!」


 ブレイトンとバートポルトが悲鳴に似た声を上げた.驚異の肺活量を持つグスタフは役に立つところがない.本気で息を吸えば船内の空気を全部吸ってしまうので,必死で息をこらえているのだ.


「浸水しちまう.バロン,上からも攻撃してきたぞ! こっちの進路は補足された!」


 アドルファスが黒眼鏡越しに天井を睨みながら叫んだ.彼の視力は海水を貫き通し,海上を飛ぶ飛行兵器を捉えている.


「対潜ヘリみたいなティルトローターをつけた機械人に,レドームのついた偵察型――畜生,この船一隻に馬鹿みたいな数だぞ!」


 波を立てて切り裂く白い物が船の横をかすめて通っていく.


「水雷に対潜ミサイル,魚雷まで……!」

「慌てるんじゃねえ! この船は俺がいる限り沈まねぇ!」


 だが,水中爆発の振動で船が左右に激しく揺れた.


「きゃあ!」

「私,船が揺れるの苦手なの!」

「シノノメさんに,高いところ以外に苦手なものがあったんだ!」


 全員必死で手すりや壁の突起につかまる.

 気持ち悪くなってきたシノノメはアイエルに支えられた.

 目標に当たらずとも深度と水圧に反応して爆発する兵器が,雨の様に降り注いでくる.

 操舵室のソファや椅子がひっくり返り,バロンのワイングラスはウッドデッキに落ちて粉々になった.

 バハムートの貝殻の向こうは白い泡と爆発でほとんど何も見えない.

 シーソーの様にデッキが傾いた.

 シノノメと手をつないでいたアイエルは,床に倒れて滑っていきそうになった.


「アイエルちゃん,良ければ俺の手をっ! あっ! ランスロットさん……でもいいけど」

「大丈夫かっ!」


 にゃん丸の手よりも一瞬早く,ランスロットがシノノメとアイエルを胸に抱き,壁のパイプをしっかりとつかんだ.

 シノノメとアイエルとグリシャム――三人がすっぽりと抱えられた格好になる


「むぎゅ……」

「おしくらまんじゅうみたい」

「ら,ランスロットさん,ちょっと顔が近い……」


 まともに立っているのは少し不満げな顔のにゃん丸だけだ.

 レラも傾いた床に膝をついて何とかバランスを保っている.


「次,正面から魚雷来る!」

「左斜め上,水雷群! 七つ!」


 “耳”のオルヴァスと“目”のアドルファスが敵の攻撃を回避する進路を伝え,ブレイトンがほとんど無理とも思える操船で船を左右に動かしている.

船体がギシギシと音を立てた.


「一キロ先に敵潜水型兵器! 大型機械魚を改造したものです!」

「これ以上先に行かさない気だ! バロン,深度を下げつつ撤退するか?」

「くそっ! ここまで来て……」


 バロンが両の拳で海図机を殴った.


「作戦は……」

「中止しちゃダメ!」


 叫んだのはシノノメだった.

 ランスロットの腕の中で両手を振り上げている.


「うー,ちょっと気持ち悪いけど……いや,このまま船に乗ってたら気持ち悪いし,計画を早めよう!」

「しかし……」


 バロンが驚くほど真面目に躊躇っている.


「ホントはもっと陸に近づいてからの予定だったけど,もう今やるの!」

「今か? シノノメ,試運転するんじゃなかったのか?」

「ランスロット,そんな暇ないよ! それに,みんな今日のために準備してるんだもの! 今を逃しちゃダメ!」


 レラが傾いた帽子を直しながら体を起こした.


「――確かに.シノノメの言う事は一理あります.このタイミングを逃しては,先に進めない」


 斜めになった床にまっすぐ立ちながら,にゃん丸が腕を組んで唸った.


「俺もわざわざ年休をとって今日に備えたもんな.力を結集するなら,今か」


「だが,あれは……浮上して外殻を展開しなければ使えないぞ」


 バロンは抗議した.普段の彼からは想像もつかないほど真剣な口調だ.


「だから今! 緊急浮上して! 私が船酔いになっちゃう前に!」

「だが,だが,浮上すれば敵の集中攻撃に……」

「バロン!」

「アドルファス?」

「らしくないぜ.シノノメの言う通りにしよう.なに,俺たちがいるさ」


 アドルファスは帽子のつばを押し上げ,意味ありげにバロンに向かって頷いた.

 呼応するようにオルヴァスが,ブレイトンが,バートポルトが,グスタフが微笑する.


「……分かった!」


 バロンは口元にいつもの笑みを浮かべると,怒鳴り上げた.


「急速浮上! アップトリム九十度! 法螺吹き男爵の,一世一代の幻影イリュージョンを見せてやるぜ」 

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