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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第28章 機械大陸アメリア編 序章 Across the Ocean
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28-8 I Don’t Want To Miss A Thing

 巨大な貝の潜水艦,バハムートは北の冷たい海中を進んでいる.

 目指すはアメリア大陸の海岸線だ.

 現実世界で言えばカナダの北東部――ニューファンドランド付近を目指し,南下していく航路をとるらしい.

 操舵室の前の方には聴力自慢のオルヴァスが座り,その少し後ろで怪力のブレイトンが舵を握っている.

 二人とも何も話さないので,とても静かだった.

 操舵室の天井から磨き上げた貝殻を通して海の中が見える.

 時々キラキラ光る銀色の物は,魚の群れだ.

 ぼんやりと蛍光を放っているのは水母くらげの一種だろう.

 まるでプラネタリウムの様だ.

 シノノメは隅のソファに腰かけて天井を見上げている.

 自分の船室よりもこの光景が気に入ったのだ.

 シノノメが来るとオルヴァスは少し迷惑そうな顔をしていたが,大人しくしていると安心したのか,伝声管に耳をつけて目を瞑っている.

 ネムがいないで一人でいると,気が滅入る.

 料理はもう作り終わって,夕食は食べてしまった.

 それにしても不思議だった.


 祖母直伝のキッシュロレーヌだったのに,ほんのひとつまみの塩加減でさらにあんなに美味しくなるなんて.

 塩一つまみと,ほんの少しの胡椒を加えるように言ったのは男爵バロンだ.

 現実世界の仕事は,もしかして本職の料理人シェフなのかと尋ねたが,いつもの様に豪快に笑って誤魔化された.

 ユグレヒト曰く,男爵バロンは付与術師――他のプレーヤーにスキルを付加する,特殊な魔法使いなのだという.

 本当に正体不明の人物だ.


 だが――ほっとした.

 みんなシノノメの呼びかけに応えて来てくれた.


 それだけは,男爵バロンの言葉に従って良かったと思う.

 危険な戦いだというのに,予想以上にたくさんの仲間が来てくれたのだ.

 しかも,アイテムボックスの中に入っている,魔法の壺――PPPはネーミングセンスが無さすぎだと思ったので,“アラジン”に変えたが――を作動させれば,たちまち駆けつけてくれることになっている.

 RPGゲームのテントみたいな物だ.

 ユグレヒトは作戦を説明してくれた.

 アイエルやグリシャム,ランスロットと一緒に出発して,建物の中に入ったところで聖堂騎士団や不二才組――切り込み部隊が突入ログインし,シノノメのために道を作る.

 その後,セキシュウ,ユグレヒト,ヴァルナが合流し,最上階まで短時間で駆け抜ける.

 本当は一緒に――特にセキシュウには来てほしかったのだが,現実世界で何か用事があるのだという.

 仕事かと聞くと,微妙な顔をしていた.


「現実世界でもサマエルをぶっ叩く必要があるんだよ.福島にメガソーラーと一体化した由旬ゆじゅんシステムっていうスパコンが出来たんだけどな……アップグレードする気か……」

 ヴァルナがいつになく真面目な顔でブツブツ呟いていたが,よく分からなかった.

 ただ,セキシュウとユグレヒトもそれに関係した用事がある様だった.


「安心しなさい.こちらの用事が済んだら駆けつける」

 セキシュウが優しく笑ったので,頷いて見せた.


「あたしは本当に仕事なの.ゴメン,でも半ドンで済ませたらすぐに駆け付けるからさ」

 不安が消えたわけではないが,アーシュラもそう言ってくれた.

 みんな信頼する仲間なのだ.

 大船に乗った気には――今巨大船に乗っているので変な気がする――なれないが,信じることにした.


 船が新棺都ニュー・アーク沖合に着くのが,四日後.

 現実世界では土曜日の朝で,そこから三連休なのだそうだ.

 決戦が始まる.

 ユーラネシア義勇軍となったシノノメの仲間たちが,一斉参加して短時間で欲望の塔を攻略する.

 想像すると鼓動が速くなるが,みんなが助けてくれると思うと背中が温かくなる.


 そう言えば.


 シノノメはふと思い出した.

 ユグレヒトによると,欲望の塔――タワー・オブ・グリードの頂点に行くには,足りないものが三つあるということだ.

 しかし結局,最後の一つについては聞けずじまいだった.


 何とかなる,いやきっと必ず――とは言っていたけれど.


 作戦指揮には,レラが参加してくれるらしい.

 レラとユグレヒトの口論はなかなか面白かった.


「戦力分散の話ですね.ジャガンナートと……ニャハールは理解していると思いますよ」

「しかし,相手にするのはこの世界の中のもう一つの世界.そう考えると,我々は圧倒的な寡兵ですね」

「戦力を集中させたいが,相手の戦力は分散させなければならない」

「国境付近の国に経済攻撃と情報戦を仕掛ける――いや,もう始まっているようです」

「機械人が必要なのは少量の魔石と生体材料でしょう?」

「機械人にとってもう一つ,水は絶対に必要な栄養素です.彼らは水を買い占めて値段を吊り上げるそうです.あと,人身御供にされるような低所得のNPCをこっそり大量に難民として亡命させるとか」

「なるほど……アメリア,メムと友好関係を結んだ小国家の経済基盤を壊すつもり……カカルドゥアの経済基盤があってこそね」


 ぽかんと口を開けているシノノメの気持ちを悟ったのか,アイエルが話しかけてきた.


「なんかユグレヒトが二人いるみたいだね」

「ぐんしーず」

「何それ?」

「軍師が二人だから,ぐんしーず……変なことしてると,叱られそう」

「そこはシノノメ,臥竜鳳雛がりょうほうすうと言ってあげなさい」


 セキシュウがコホンと咳払いして言ったが,レラは帽子のつばを上げて軽く一礼した.


「お褒め頂いていると思って宜しいでしょうか? ですがセキシュウ殿,諸葛孔明も龐統ほうとうもあまり私は評価していません」


 それまで仲良く討議していたと思っていたのに,ユグレヒトの声が少しだけ上ずった.


「え? そこは浪漫でしょう」

「孔明は国内政治に向いた文官で,龐統もそうでしょう? 二人とも結局劉備のわがままに付き合わされて犠牲になりました」


 ユグレヒトは懐から白羽扇を取り出し,握りしめた.当然このアイテムは,諸葛孔明をイメージした物なのだ.


「奇門遁甲八陣の術とか,魔法を使う軍師だし」

「三国志演義の記述に踊らされすぎです.八門遁甲など,実態が分からないのに.所詮物語は物語」


 レラは涼しい流し目でユグレヒトを見た.


「連射できる石弓の発明とか,木牛流馬もくぎゅうりゅうめとかも発明したし」

「木牛? 一輪車の猫車でしょう? 大体嘘が多いわ.火薬発明前の時代なのに,南蛮征伐の時には火薬が出てくるし.挙句の果てには肉饅頭まで発明したことになってるのよ? せいぜい孔明灯くらいでしょう」

「ぐぬっ!」

「こうめいとうって何?」

「スカイランタンです.シノノメ.見たことありませんか? 台湾で願い事を書いて空に放つ,小さな熱気球.あれは諸葛孔明が発明したという伝説があるのです」

「へーっ.孔明さんって,ロマンチストだったのね」

「ああっ……」


 みんなクスクス笑っていた.

 あのままアメリアに行ってしまえたら良かったのに…….

 そんなことを考えているうちに,シノノメはいつの間にか眠っていた.


 ***


 ふと気づくと,海の中は一層暗くなっていた.


 あれからどのくらい経ったのだろう.


 シノノメが体を起こすと,薄掛けが肩から流れて落ちた.


「目が覚めたか」



 ソファの傍らから,男の声がする.


「バロン?」


 ぼんやりと光る貝殻と計器類で,男爵バロンの顔はシルエットになっていた.

 表情は分からない.

 眠ってしまったシノノメのそばに椅子を運び,そこに座っていたようだ.


「どうしたの?」

「……寝顔を見ていた」

「え?」


 妙に落ち着いた声だったのでシノノメは驚いた.


「冗談でしょ?」

「ああ,冗談だ……ブレイトンと操船の交代に来た」

「なんだ」


 見れば,ブレイトンもオルヴァスもいなくなっている.

 薄暗い操舵室にはシノノメとバロンの二人きりになっていた.

 燐光を帯びた魚が,窓の外を通る.


「きれい……深海魚?」

「ああ,現在の深度は三百メートル.今はこいつ……バハムートが自分でアメリアに向かって泳いでいる」

「夜の水族館に来たみたい」

「……水族館?」

「ずっと小さい頃に行ったっけ……」

「……そうか」


 バロンは椅子から立ち上がると,操舵室の前方に歩いて計器を確認し始めた.

 自動運転の様なもので,特別な操作は要らないように見える.


「現実世界でも深夜だ.それにしても,仮想世界で眠るっていうのは珍しいな」

「ネムもそうだけどね」


 背を向けたままのバロンを見ながら,シノノメはふと気づいた.


「そう言えば……バロンはログアウトしないの? バートポルトや……アドルファさんや,みんなも……」


 VRゲームであるマグナ・スフィアには,限界参加時間がある.脳疲労や神経損傷を予防するためだ.成人なら八時間が限界で,休養を義務付けられている.

 シノノメも以前はログアウトして,現実世界の自宅に帰ったつもりになっていた.

 だが,航海が始まってから,彼らを見ないことがない.船内にいつでもいて,探せばどこかで見つかる.

 バロンはゆっくりと振り向いた.窓を背にしているので,全身が黒い影になる.


「俺たちには必要がない.眠ることも……ログアウトすることも」

「え……?」


 一瞬意味が分からなかったが,それが意味することをすぐに悟った.


「あなた達は……電子情報人間ホモ・オプティマス……?」


 現実世界に肉体の無い,仮想世界の電子情報だけの人格.

 カカルドゥアの五聖賢.

 ソファの上に座ったまま,思わずシノノメは身体を固くした.

 ホモ・オプティマス――至高の人間とは,五聖賢が自らをそう呼んだ名前だ.

 ジャガンナートは改心したものの,それぞれが生前の欲望や願望を強烈に具現化した危険な存在だった.

 そして今,機械大陸アメリアの先兵を務めるマギカ・エクスマキナも,移住者――肉体を捨て,仮想世界に転生した人間たちだ.


「何故……?」

「質問の意味は,何故魔法院に移住者がいるのかということか? 何故移住者が機械大陸アメリアでなく,お前の味方をするかということか? それとも,何故この世界に移住したかということか?」


「それは……」


 聞きたいことはその全てだ.

 だが,男爵バロンは腕を組むと,ただ黙ってシノノメを見ていた.


「クルセイデルもお前と同じ目をしていたよ」

「クルセイデルも……?」

「まっすぐな……暗い闇の向こうの光を見続ける眼だ」

「私の目は,お祖母ちゃんの目……」

「そうか」


 男爵バロンは小さくため息をつくと,右手を小さく挙げた.


「今は……眠る時間だ」


 隙を突かれた.

 シノノメはそう思った.

 途轍もなく瞼が重くなる.

 これが,付与術師の魔法…….

 それとも,体――脳に溜まった疲労のせいなのか.

 起きていられない.

 だがそれは,いつかのヤルダバオートの術のような,気絶させられる様なものでは無い.

 温かい闇が自分をくるんでいるようだ.


「おやすみ」


 ……唯.


 そんな筈はないのに.

 最後に本名を呼ばれたような気がした.

 だが,心地よい眠りの中に沈み込みたい欲求に耐えられない.

 そばでバロンが自分を見つめている.

 遠ざかる闇の向こうにそんな気配を感じながら,シノノメはゆっくり意識を手放した.


 ***


「唯」


 口に出してみるが、何の返事も無い。

 ベッドの中の唯は小さな寝息を立てて眠っている。

 ずっと変わらない。

 仮想世界の彼女もまた眠っている。

 黒江は妻の頭にそっと手を触れた。

 茶色を帯びた艶やかな髪の毛を撫でると、長い睫毛が小さく揺れた。

 笑みを浮かべているようでもある。

 彼女を見ていると、いつの間にか病院の消灯時間をずっと過ぎてしまう。

 わずかな瞼の動きも、唇から漏れる吐息も見逃したくないのだ。


「君の友達が力を貸してくれるよ」


 先ほどまで塚原セキシュウ逸見グリシャム璃子アイエルが病室に来ていた。

 シノノメに同行して、欲望の塔の頂点に向かう。

 マグナ・スフィア史上最大の決戦を始める。

 真剣な目で自分と唯を見ていた。

 仮想世界でシノノメと繋がった友人たちが献身的に力を貸してくれる。

 クルセイデルによると、欲望の塔の頂点にこそ唯が現実世界に帰る手立てがあるという。

 電脳世界の主、ソフィアは言った。

 そこにシノノメが到達することは、善き仮想世界“ユーラネシア”が悪しき仮想世界“アメリア”を打倒することを意味するのだと。

 唯の友人たち――プレーヤー達はこう言う。

 この戦いは現実世界の命運をも決めるのだと。

 ユーラネシア側が負ければ、人類のほとんどは仮想世界に移住させられ、人工知能の管理社会になるという。


 どうでも良かった。


 ――たった一人でずっと戦ってきた。


 唯が目を覚ましてくれれば、世界などどうなっても構わない。

 唯がいない世界など何の意味があるのだろう。

 ただ目を覚ましてくれれば。

 もう一度言葉を交わせれば。


「あと少し……」


 いずれにせよ、もうすぐ最後の戦いが始まる。

 自分の役割は――塚原に言われなくとも、すでに分かっている。

 全てはこの時のためにあったのだ。

 一つの世界を破壊しようとも。

 二つの世界を終わらせようとも。

 長い旅の終わり。

 その時がやって来る。


「週末は……荒れた天気になる様だよ」


 次第に強くなる風の音を聞きながら、黒江は唯に語りかけた。

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