28-4 Book Of Days
白銀の雪原を純白のそりが進む.
陽光の中,ちらちらと細氷が輝いている.
見渡す限り氷の平原だ.
大陸の奥の方に銀色に輝く雪の山脈が見える.
惑星マグナ・スフィアの最北端にある国,イースラントである.
巨大な貝の潜水艦,バハムートは三日月型の湾に接舷し,蜃気楼でカモフラージュしている.
シノノメが集合を呼び掛けた場所は,そこから少し東に移動した迷宮都市“レイキアクービ”なのだ.
氷のダンジョンがある町だが,あまり栄えているとは言い難い.
ダンジョンの周りにはセルキー(アザラシ人)が住んでいて,冒険者相手にのんびりした集落を営んでいる.
サマエルがどこまでシノノメの動向を把握しているのかは分からないが,今までの経験上“拒絶の指輪”がある限り居場所は分かっていないはずだと思う.
アメリア大陸への移動手段であるバハムートを隠し,仲間達との集合を隠すために選んだ場所だ.
フォン・ミュンヒハウゼン――通称,男爵は移動の手段として,この大きな“そり”を仕立ててくれたのだが――それにしても.
「こんなの出鱈目だよ」
何から何まで滅茶苦茶だ,とシノノメは思った.
男爵の部下たちである.
トラックほどもあるこの“そり”は,力自慢の部下ブレイトンが氷河を素手で引き裂いて加工した物である.
カチカチに凍結した氷の塊を殴り,引きちぎり,船のような形に仕立て上げてしまった.
しかも中には氷の座席までできていた.
全部でものの五分もかからなかった.
さらに,この“そり”の動力源は,グスタフの息である.
バハムートの中で咳き込んでいたグスタフは,胸いっぱいに息を吸っては後ろに向かって口をとがらせ,つむじ風を起こしている.
息を吸い込むと胸が風船のように膨らむ.
「いやはや,イースラントの空気は寒くていけません」
そう言いながら髪をなびかせ,後方に向かってジェットエンジンの様に息を吹き出している.
ブレイトンと狙撃手アドルファスはバハムートの見張り――留守番をしている.
「あの二人は寒がりだからね.どこまでも走れるって気持ちが良いのになあ」
自動車並みのスピードで滑る“そり”に,嬉々としてついて来るのは,速力自慢のバートポルトだ.鎖とおもりを足から外し,それこそ子犬の様に走っている.
氷が巻き上げる煙のせいで,足元は目視できない.
「ふにゃー,速いねー」
ネムは素直に感心している.
「がははは,どうだ.俺の部下たちは.すごいだろう」
男爵は,“そり”の中央の席に座り,ふんぞり返っている.
両手に花とばかり左右にネムとシノノメを座らせ,哄笑していた.
先ほどからやたらとシノノメの肩に手を回して来る.
「もう,うっとうしいなあ」
そのたびに払いのけるが,きりがない.
乗ったかと思うとピアノを弾くように指先がトントンと動き始める.
払いのけるだけでは駄目らいしので,体をよじって手を後ろに払い流した.
「あなたはそうやって自慢してばかりで,何もしてないじゃない!」
「そうか?」
バロンは意外,とばかりに目を丸くした.
「そうだよ.ほら,耳の人とか見てみなよ」
シノノメはそりの先端,舟形なので船首の部分に立つエルフの少年を指さした.
「オルヴァスか?」
「そう.一生懸命耳を澄まして,さっきからじっと黙って働いてるよ」
オルヴァスがちらりとシノノメの方を振り向いた.
オルヴァスの耳は尖っていて,ピンと立っている.バロン曰く,アリの足音が聞こえるそうなのだが本当なのだろうか.
彼もまた吊り目の美少年なのだが,不愛想でちっとも話してくれない.
シノノメと視線が合うと,オルヴァスはずり落ちた眼鏡を押し上げた.
「ていうか,オルヴァスはコミュ障だからな」
「そんなことないでしょ.オルバスさん,誰かいるか分かる?」
「俺はオルヴァスなのに……」
ごにょごにょとつぶやきながらオルヴァスは答えた.
「今のところ街を歩くセルキーの足音ばかり.ダンジョンの入り口付近にスノーゴーレムが三匹.ダンジョンの入り口付近には人気がない.いや,今セルキーが一人横切った」
「すごい! そこまでわかるんだ」
シノノメに褒められるとオルヴァスは耳の先まで真っ赤になった.
「ふん.別に大したことじゃない…….雑音が入ると仕事に集中できないから黙っててくれ.バロン,あと一キロで到着です」
「いよいよご対面だな.どのくらい集まってるか」
こともあろうにバロンが決めた集合場所はスノーダンジョンの中だ.
イースラントの何もないところに冒険者が集合しているのは不自然,というわけだ.
確かにそれなら目立たないし,スノーゴーレムごときに後れを取るプレーヤーでは機械人の兵器に太刀打ちできるはずもない.
しかし.
未曾有の戦いが始まろうとしている.
機関銃に剣で.
ミサイルに魔法で.
飛行機に召喚獣で.
粒子ビームに体術で.
未来兵器と幻想兵器――そう言えば聞こえはいいが,中世世界の武力で立ち向かわなければならないのだ.
グリシャムとアイエルはきっと来てくれるに違いない.
最強の武士,セキシュウは来てくれるだろうか.
マンマミーアの団長,ミーアはいるだろうか.
名軍師のユグレヒトはどうだろう.
高飛車だが最速の乗騎を操る弓の使い手,アルタイルが来てくれたら.
風の魔法と剣の使い手,ヴァルナはきっと強力な味方になる.
カカルドゥアで仲間になった人たちはどうだろう.
アーシュラやダーナンはどうしているだろう.
想い出が走馬灯のように巡る.
彼らと育んだ友情を思い出せば,心を熱くする.
再会への期待は心を弾ませる.
だが,同時に怖れている自分もいるのだ.
もし来てくれなかったら.
そして,この戦いで彼らが傷ついてしまったら.
「大丈夫だよ.シノノメ.みんな来てるヨ」
そんな自分の様子に気付いたのか,ネムが声をかける.
「あたしみたいな,何の役に立つのか分からないヘナチョコまでいるんだヨー」
「……ありがとう,ネム」
シノノメは笑って見せたが,それでも肩が震えた.
着物は冷えるので,ムクムクした毛皮のポンチョを羽織っているのだが,体を震わせるのは外からの冷気ではない.
思わず身をすくめたシノノメを,バロンの腕が強引に抱きしめた.
「ハハハハハ,今更心配してもしょうがない.お前はどうしたって,たった一人でも行くって決めてるんだろ? だが,もう一人じゃ済まないぜ.俺たちがついて来ちまってるしよ」
「もう,無神経だなあ! この手,やめてよ!」
シノノメは引きはがそうとしたが,バロンは豪快に笑って頭を撫でた.
「ちょっと! そういうことはしないでよ! 頭をなでていいのは……」
「何だ,彼氏だけってかよ? ちょっとぐらい良いだろ」
「しゃーっ! ふーっ!」
どうもこの男爵という男を相手にしていると調子が狂う.シノノメは構われすぎた猫の様に怒って見せた.
「ほら,そろそろ見えて来たぜ」
振り向くと氷でできた外壁を持つ町――レイキアクービが見えて来た.
陽光の中,シノノメの不安とは裏腹に美しい光を放っていた.