5-4 第一層の魔物
ユルピルパ迷宮第一層は,緩やかな傾斜となって地下に向かう.
もともと人間の城があったところに蟲の魔獣が住み着き,彼らの巣窟と化してしまったのだという.
蟲の体液で固められ,異形の造形物と化した砂岩のところどころに石組とレンガが露出している.
さらに,植物の根が天井から垂れさがり,不気味さを演出していた.
「ルーミラ!」
グリシャムは杖の先に灯りをともした.
コーセイとアイエルも灯りをともす.
勇者三人組の中では一番コーセイがゲームをやり込んでいるらしい.少しレベルが高いので,簡単な魔法なら使う事ができた.
シノノメはと言うと,迷子になった子供のようにグリシャムに手をひかれトボトボとついて来ている.
のそり,と土の柱の陰で何かが動いた.
「出た!」
「チックだ!」
「大きいマダニだな!」
ころりと太ったユータは昆虫に詳しいようだ.
ずんぐりとした楕円形の体はサッカーボールくらいで,脚は8本ある.小さいスライムより少し強いくらいだが,人に食らいつくと離れずに血を吸う性質がある.
土の柱をもぞもぞと登って,冒険者を狙っていた.
「えーい!」
カズマは大きく飛び込み,伝説の宝刀――トツカノツルギを振りおろす.
一撃で仕留めた.チックはきらきらした結晶に変わり,小さな赤い魔石が床に落ちる.
「おー,凄い! この,シノノメさんの剣!」
カズマはシノノメに笑顔で手を振った.
宝剣の本来の持ち主であるシノノメの方は,青ざめた顔でグリシャムの手を握っていた.
「今度は僕もやってみたいな!」
「俺も!」
コーセイとユータがカズマとハイタッチした.
「あ,こら,あまり大きな声は出さない方が……」
アイエルが忠告したが,遅かった.
前方の暗がりの中に赤い眼がたくさん並んでいる.
一匹……二匹……
ゆっくり赤い眼は近づいてきて,次々光の中にそのシルエットと顔を浮かび上がらせた.
キラーアントだ.
カチカチと顎を噛みあわせ,音を立てている.
いわゆる蟻型モンスターである.体の大きさはカズマくらいで,体は黒い甲皮に覆われている.
「第一層名物,キラーアントか.顎の攻撃にだけ気をつけろ」
セキシュウの指示が飛ぶ.
先頭の一匹目が歩く速度を上げ,カズマに向かってきた.
顎の攻撃をかろうじて回避し,剣を振りまわした.
「がむしゃらにやっても無駄だ.急所が無理なら,良く見て,まず前足か触覚をつぶせ」
と,言っている間に五匹,六匹と数で襲ってきた.
「わっ!」
ユータが地面から飛び出した木の根に躓いて転んだ.キラーアントが容赦なく襲ってくる.
「危ない!」
頑強な顎が柔らかい肉に食い込もうとする瞬間,アイエルの弾弓がキラーアントの眉間を打ち抜いた.あっという間に魔石の結晶になって消える.
「眉間を狙うのよ!」
「よーし!」
コーセイが眼鏡を押し上げ,名剣フツノミタマを振り上げた.
すかさず蟻の顎が腹を狙うが,グリシャムの魔法のシャボン玉に守られて体には届かない.
代わりにちょうど頭が剣の軌道に入る形になったので,コーセイはそのまま剣を振り降ろし,キラーアントを仕留めた.
「いいぞ!」
セキシュウは全く無駄がない.ほとんど体を動かさず,わずかに体幹を捻ったり片足を引くだけである.
最小限の動きで顎の攻撃をかわしては眉間を杖の先で打ち抜き,倒してゆく.師匠と言うだけあり,その動きはシノノメのそれと似ていた.
「ほら,シノノメさん,大丈夫でしょう?」
グリシャムは手を繋いでいるシノノメに訊いた.
「いやだ,あんなウジャウジャやだ.」
シノノメは子供のようにいやいやをした.
‘大したことはないが,数が多い.魔法を使ってくれ’
グリシャムのメッセンジャーが立ちあがり,セキシュウからのメッセージがピンクのウインドウになって宙に浮かぶ.
「了解しました,ちょっとシノノメさん離れて」
グリシャムは杖をバトンのように二回回し,地面を叩いた.
「森と木の精霊,ドリュアスの助けを賜わらん事を.パルテ・ノッシス!」
叩いた場所から緑色の植物の蔓が発生して,キラーアント達に向かって伸びて行く.蔓はあっという間に大きく長く成長し,数十匹からなるキラーアントの軍団を縛り上げた.
「任せて!」
アイエルが鞄から赤い弾を取り出し,間髪入れずに射出した.
「火榴弾,サラマンドラ!」
弾は空中で炎のトカゲに姿を変えると,植物の蔓ごとキラーアントを焼き尽くした.
あとには光る魔石の結晶が大量に床に転がっていた.
「いやー,なかなか良いコンビネーションだね」
何もしていないシノノメが,グリシャムの背中に隠れて講評した.
「だが,女王蟻を倒さないと解決しない.近づいて来ている.注意しろ!」
セキシュウが言うや否や,身長2メートルはある巨大な蟻が姿を現した.自分の子供であるキラーアントを殺されて怒っている.
「うわあ!」
少年達は思わず声を上げた.
「いいか,こちらに注意を向けておくから,足を狙え.できれば腹の下に潜り込め.蟻酸を吐くから気をつけろ!」
言うや否やセキシュウは戦闘態勢に入った.
杖で蟻の眉間を正確に突く.嫌がって頭を振る動きを逃さず,集中的に急所だけを狙っている.
三人の少年は各々分散して,足に斬りつけた.ユータの一撃が後ろ足の一部を斬り飛ばす.
「うわっ!」
女王蟻が口から蟻酸を吹いた.黄色い刺激臭のする液体が,逃げそこなったカズマの足を焼く.足は風船で守られていない.
「あちちち!」
「魔法防壁展開,回復!」
グリシャムが支援する.
もう一度蔓草による拘束呪文が使えるようになるまで時間が必要だ.
アイエルは鉄球を選び,ピンポイントで女王蟻の触覚と目を狙った.
‘シノノメ,お前も何かしろ! 今日一日でこの迷宮をクリアしなきゃならないんだぞ!’
セキシュウのメッセージがシノノメのメッセンジャーに届いた.
「そんなこと言ったって,足が六本もあるし……」
‘主婦は家の周りの蟻の巣を退治するぞ’
「あんなにでっかくないもん.本当のアリさんは小っちゃいのに頑張ってるんだから,主婦は退治なんてしないもん!」
‘虫の料理もあるだろ!’
「あんなゲテモノ料理,私作らないから」
‘全く! いいかげんにしろ!’
女王蟻が体を反転させ,カズマを襲う.力が弱い者から確実に倒して行く意図なのだろう.
セキシュウは杖を頭部に向かって投げ,女王蟻を牽制した.
女王蟻が再びセキシュウを狙って上体を起こし,鎌首をもたげる.
両の鋭い顎を開き,黄色い蟻酸を吐きつける.
「危ない!」
グリシャムとアイエルが叫ぶ.
しかし,セキシュウはそのまま‘液体’をかわし,するりと懐に入りこんだ.
「連環式!」
一息で三十連発.
鍛え上げられた鋼鉄の連撃が,昆虫最大の急所である胸神経節に叩き込まれる.
中国南派拳法の必殺技の一つだ.
巨大な昆虫の体が砕け散り,こぶし大の青い魔法石の結晶が転がり落ちた.
「ふう……」
セキシュウが息を整える.
「すげーっ!」
勇者三人組の歓声が上がる.
「どうだ,武術家も良いだろう」
「うん,でもやっぱり勇者がいい!」
「そうか……」
少年たちのつれない返事にも優しいセキシュウだった.
グリシャムは全員に回復呪文をかけて回る.
小さな傷はすぐに消えるが,意外と深かったのが蟻酸にやられて火傷したカズマの足だった.皮の靴は完全に溶けてしまって裸足になっている.
「ちょっと完全回復は無理ね」
グリシャムがHPの戻り具合を見ながら言う.
「これを使ったらいいよ」
シノノメはアイテム,‘翼の生えたヘルメスのサンダル’を渡した.
「わっ! また伝説のアイテム! これ,履いたら飛べるやつでしょ! 何このアンバランス? レベル15なのに……」
「姉ちゃん,俺たちもうレベル上がったよ!」
「え?」
慌ててアイエルはステイタスをチェックした.
カズマ20
コーセイ40
ユータ30
「げっ! 何じゃこりゃ! こんなことが真面目なプレーヤーにばれたら,チートのブーイングの大合唱だわ」
「レベルが上がって敏捷性も増したみたい.じゃあ,これも使ってみよう」
シノノメはこれまた伝説の武具,アキレスの鎧,ヒヒイロカネの鎧,ネメウスの毛皮を出した.
「あんまり私,鎧は集めてないからなあ」
「いやいや,シノノメさん,アキレスの鎧なら私が欲しいよ」
カズマが早速アキレスの鎧を着込んでいるのを,アイエルは恨めしそうに横目で眺めた.
「うわ! すごい! 今までの鎧より動きやすいかも」
カズマは靴と鎧を着け,その場で軽くジャンプした.その場飛びで,自分の身長の高さ――百五十センチを優に超えている.
「ヒヒイロカネってこんなに綺麗で軽いんですね,すごいや」
三人の中では一番生意気気味のコーセイも感動している.
「このライオンの毛皮,何?」
ユータはネメウスの毛皮を被っている.太ったライオンの着ぐるみの様だ.
「英雄ヘラクレスが持っていたという,あらゆる武器を通さない毛皮ですね」
グリシャムが解説する.
「おお,これで無双だ!」
三人は装備がグレードアップして大はしゃぎである.アイエルの言う通り,他のプレーヤーが見れば完全にチート行為であろう.
「こら,シノノメ.子供たちを強くするのは良いが,このままではお前のレベルが上がらないじゃないか」
セキシュウが叱った.
「大体,こんなペースじゃ一日でクリアできないぞ」
「え!? 一日でクリア?」
この言葉にはアイエルが驚いた.
「シノノメにはどうしてもそうしなければならない理由があるんだ」
「できるだけ早く,っていうのは聞いていましたが,それは……」
想像を絶する速さだ.
常軌を逸していると言ってもいい.
子供がいるということは,VRMMOマシンーーナーブ・スティミュレータの連続アクセス時間は四時間以下である.それ以上の接続は法律により一時間以上の休憩が必要だ.
今日は土曜日.昼過ぎに開始したから,五時か六時にはダンジョン二十五層の大半をクリアしていなければならない.
少年たちは顔を見合わせた.
「すげえ! だから,シノノメさんは第一階層では力を温存していたんだ!」
「でも,一日でクリアしたら僕たちも伝説級だぞ!」
「真の勇者ってやつだな!」
「シノノメさん,俺たちもできるだけお手伝いしますから,頑張ってください!」
カズマは目をキラキラさせながら応援した.
「次の第二層なんて,シノノメさんなら楽勝ですよ!」
「頑張ります!」
コーセイとユータも満面の笑顔で応援する.
「ははは,はい」
アホ毛を直す心の余裕もなく頷いているシノノメを見て,セキシュウは必死で笑いをこらえていた.
さて、次は第二階層――怪物蜘蛛の魔窟である.
あと少し5章にお付き合いください.
今回はシノノメが大活躍でありません,悪しからず.