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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第27章 魔法院の最後
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27-11 魔法院の終わり

「少し一人にして」と,クルセイデルに頼まれ,シノノメは一足先に講堂に向かった.

 石造りの回廊を歩き,周りの海を見渡す.

 わずかな間だったが,魔法院は間違いなく“いることを許された場所”だった.

 行き場を無くした自分にとって掛け替えのない場所だった.


「これからどうなるんだろう……私も,この世界も……」


 クルセイデルが向かうべきと言った,アメリア大陸の“貪欲の塔”.

 そこに,自分の記憶が戻り,現実世界に帰る道があるのか.

 そうすると,仮想世界はどうなるのか.


「私はすでに……この世界の一部」


 そんな馬鹿な,と思いつつ,心のどこかで全ての回答を得たと感じている自分がいる.


「どうすればいいんだろう」


 進むしかないと思いつつ,それを恐れる自分がいる.

 色々なことを考えながら歩くと,一時間はあっという間だ.

 講堂のドアを開けると,講堂にはすでにたくさんの魔法使いが集まっていた.

 百人はいるかもしれない.

 魔法院の制服であるとんがり帽子と黒いローブを身に着け,階段教室の椅子に座っている.

 誰もが不安そうな顔をしている.

 独りだけ和服を着て完全に場から浮いているのに,シノノメに視線を送る者はわずかだ.

 それどころではない,というところなのだろう.

 突如宣戦布告してきたマギカ・エクスマキナ――そしてその背後にいる機械大陸アメリア.

 もう一つの懸念は,全プレーヤーに向けて一斉送信されたメールだ.

 今や,推定五億人あまりに膨らんだプレーヤー全員に,それぞれの母国語で届いたという.


「アメリアの機械文明って,どうなってるんだろう」

「資源を採掘しつくしてしまったから,ユーラネシアを攻撃するって,あまりにも一方的だよね」

「機械文明と魔法文明の戦い……戦闘職が嫌だから,魔法院で研究してたのに」

「結局,巻き込まれることになるのかな」

「これからどうしよう……」


 戦争に明け暮れるプレーヤーもいるが,基本的にユーラネシアは平穏な幻想世界である.

 農業や商業,友達作りなどを楽しんでいるプレーヤーも多い.

 それが一転して,機械文明と魔法文明の対決に放り込まれるという.

 マグナ・スフィア運営からの一方的な通達に,誰もが戸惑っていた.

 そして,今回の一斉送信メールの奇妙な点について気づいた魔女たちが,ボソボソと話し合っていた.


「あれって,どういう意味だと思う?」

「あれって?」

「メールの差出人の所についてた名前.気づかなかった?」

「そんなのあったっけ」

「ああ,“マグナ・スフィア運営”の後についてた,あの名前?」


 マグナ・スフィア運営――これまで何度もメールの差出人として使われてきた言葉だが,その後に人の名前らしきものがついていたのだ.


「ルイス・サイファー」

「何者だろう?」


 異世界体験型ゲームであるマグナ・スフィアを運営するのは,国と民間企業の合弁会社で,名目上は文部科学省から天下った官僚が社長に就任している筈なのだ.しかし,実際に運営しているのは人間ではなく,世界最高の人工知能である,那由他システムである.


「那由他システムの管理人格――人工知能の人格には,“ソフィア”っていう名前がついてるっていうよ」

「でも,“ソフィア”じゃないし.何で急に名前がくっついたんだろう?」

「社長? 外国人かな? 国営企業が買収されたとか,聞いたことないよ」

「いや,人名か分からないよ.会社の名前かもしれないし」

「ハッカーにシステムが乗っ取られたとか? あれは嘘のメールで」

「あり得ないよ.那由他システムだよ? 侵入できる人間がいたら,国防軍か,米軍――CIAにでも,スカウトされてるか,逮捕されてるよ」


 講堂のざわつきは止まらない.

 マグナ・スフィアを管理しているはずのソフィアが自由を奪われ,サマエルなどという存在に支配されていることなど,誰も知らない.


 ルイス・サイファー……きっと,サマエルがまた別の名前を名乗ってるんだ.


 心の中でそう呟きながら,シノノメは一番端の席に座った.

 クマリは反対の側の部屋の角に立って,室内を見回していた.

 突然の招集なのに,よくこれだけの人数が集まったものだと思う.

 フィーリアの起こした核爆発以降,魔法院への参加者は激減したというが,ある意味それは,本当に魔法院を愛する者の忠誠心と熱意をふるいにかけたのかもしれない.

 クマリの顔はどこか誇らしげでさえある.

 隣に立つリリスは相変わらずの無表情で,自分の髪をひと房つまんでじっと見ていた.何かの占いをしている様にも見える.


「おーい,シノノメー」


 フニャフニャした,眠そうな声が聞こえた.

 ニットの魔法服に身を包んだ編み物師,ネムだ.

 少し後ろの席で,ひらひらと手を振っている.

 魔法院の落ちこぼれを自認する彼女であるが,クルセイデルの呼び出しとあって駆けつけてきたのだろう.

 その後ろにグリシャムもいた.


「隣が空いてるヨー」


 勧められ,シノノメは席を移った.


「よく来れたね.急な呼びかけだったのに」

「クルセイデル様からの直接のお言葉とあって,駆けつけない魔女はナイです」

 グリシャムが鼻息をフンと鳴らした.

「クルセイデルは,本当にみんなから好かれてるね」

「好き,とかじゃナイの.尊敬,憧れ,……全てかなあ」

 少し芝居がかったグリシャムの様子に,シノノメはクスリと笑った.

「どんなお話カナー」

「アメリアに対抗するとか,これからの方針とかかしら.とにかく,生クルセイデル様を拝めるというだけでありがたいものよ」

「生……仮想現実バーチャルリアリティなのに,変ダナー」

「細かいことを気にしないの」


 こんな中で,クルセイデルは本当にあのことを話すのだろうか.

 魔法院を終わりにするときが来た……確かに彼女はそう言ったのだ.


 院生たちがその言葉を静かに受け入れるのか..

 シノノメとの対戦後,ヴァネッサは姿を見せないが,もし彼女がここにいれば,徹底抗戦を唱えるのだろうか.

 開くドアの音がすると途端に静かになった.

 後ろの方の列からは,黒いとんがり帽子の先端しか見えない.

 クルセイデルが入って来たのだ.

 全員が敬意を表してとんがり帽子をとり,立ち上がった.

 クルセイデルは壇上に上がり,ゆっくりと講堂の中を見回した.


 軽く頷くと,クマリが腹に響く声で叫んだ.

「着席!」

 全員が一斉に着座する.軍隊の様に統制の取れた動きだが,ネムとシノノメは少し遅れた.


「みなさん,集まってくれてありがとう」

 大きくはないがよく通る声が凛々しく響く.

 クルセイデルは微かに笑みを浮かべているようにも見える.


「どうしても直接話したい……重要なことがあって,来てもらいました.時差のある国からも駆けつけてくれて,感謝します」


 小さなざわめきが起こる.

「感謝なんて,勿体ない」

「クルセイデル様のご下命とあれば」

「魔法院のためなら」

 恐縮するクルセイデルの言葉に,小声で応えているのだ.


「マギカ・エクスマキナ――いいえ,アメリア大陸はユーラネシアに,我々魔法院に宣戦布告してきました.彼らは我々を倒すことにより,ユーラネシア全土,いえ,この仮想世界全体,さらには仮想世界と現実世界の両方に自分たちの存在を誇示するつもりでしょう」


「……現実世界に?」

 誰とはなく,そんな声が起こる.


「そうよ.クラウディア.彼ら――いいえ,アメリア大陸の主,エローアイオスあるいは,彼の行動を規定した“人間の欲望”がそうするの」

 クルセイデルは全員の名前を憶えているらしい.声の主をじっと見つめて言った.


「そんなことをして,どうするんですか? 所詮,ゲームなのに……いえ,もちろん,ゲーム以上に大事な世界ではありますけど……」

 所詮ゲーム,という言葉に反応して周りの魔女たちが睨んだので,慌てながらクラウディアは言葉を継いだ.


「そう,私たちにとっては,大事な人工の異世界.本来出会う筈の無い人たちがつながり,語り合い,ある物は癒しを求め,あるものは冒険を求め,ある物は精神の高みを目指す…….ここにある物は,精神の自由です」

 クルセイデルは少し辛そうに言葉を切ったが,再び口を開いた.

「一方で,人の大事なものを蹂躙したい,滅茶苦茶に壊したい,奪いたい,支配したい,穢してしまいたい.そんな欲望の存在を肯定した世界がアメリアです.そのような負の感情は,現実世界の歴史で多くの争いを引き起こしました.もし,そのはけ口を全てこの世界に仮託する……押し付けてしまうとすれば?」


 悲鳴に似た声が起こり,講堂の中は水を打ったように静かになった.


「もしかして,現実世界はとてもきれいな……平和な世界になるのかもしれませんね」


「では……私たちに,現実世界の代理戦争をさせると?」


「そう,ヘラ.運営という言葉は煩わしい――このマグナ・スフィアの管理者は,この世界を現実世界の全ての穢れを受け止める世界にするつもりだと思います.かつて,ノルトランドの“人間の王”ベルトランがそれを目論見ました.ですが,今回始まるのはそれよりもっと大きな――大陸間戦争,世界大戦です.おそらく長引くでしょう.終わることは無いのかもしれません.カカルドゥアのような商業大国は軍事経済が活発になるでしょうし,ノルトランドの騎士達は内乱を止めて一致団結するのかもしれません」


「でも,そんな,ずっと戦争が続くような世界は,嫌です」

「ここで,魔法院が食い止めれば!」

「奴らなんかに負けるものか!」

「この幻想世界を守ろう」

 階段教室の中ほどに座った魔法使いが,拳を振り上げて叫んだ.


「あなた達は……セルエルにスファレラ,ヴァネッサの炎の部隊ね.ヴァネッサはしばらく姿を見せなくなっているけれど,来てくれてありがとう.でも,現実を見なければ.今の魔法院の戦力では,あの戦艦一隻を沈めることがやっとでしょう」


「ここに,東の主婦もいるのに!?」

 後ろに座っていた魔女が突然立ち上がって発言したので,シノノメは目を白黒させた.


「カルリ,シノノメがいても,無理よ.ブリューベルグの街は,ハイパーループでアメリアに繋がっている――次々彼らの物資は送られてくる.枢軸区のゲートも使えば,陸上部隊もそれに加わるに違いないわ.モグラたたき――きりの無い消耗戦に持ち込まれれば,勝ち目はありません」

 幼女クルセイデルの口から,冷静な状況分析とその根拠が淡々と掲げられる.

「今からユーラネシア各地に援軍を申し込んでも,呼応してくれる国はどれほど望めるでしょう? 我々は“ウェスティニアの破壊者”なのです.それに,もし援軍を約束してくれたとしても,四十八時間では到底間に合うと思えません」


「あ……あ……」

 立ち上がった魔女カルリは力を無くしたように,すとん,と座り込んだ.


「く,クルセイデル様! でも,それでは,一体どうするというのです? 私は……私は,クルセイデル様がこの圧倒的不利――絶望的な状況を打開して下さると信じて,それで……みんなに声をかけましたのに」

 クマリが悲鳴のような声を上げた.


「ですので,私はここに宣言しなければなりません」


「それは?」


 クルセイデルは哀しそうに小さく笑うと,澄んだ声で言った.

「魔法院は,ここで解散します」


「ええっ!」

「そんな!」

「クルセイデル様,もう一度考え直してください!」

「この体が千切れるまで,戦うのに!」

 講堂がどよめいた.

 泣き始めるもの,怒りのために机を殴るもの,様々だ.

 ふと,リリスが手を挙げた.


「――静かに」

 一瞬部屋の中が真っ暗になったかと思うと,また一瞬で明るくなった.

「静かにしましょう.みんな,クルセイデル様の言葉に耳を傾けて」


「ありがとう,リリス」


 動揺する院生を優しい目で見回しながら,クルセイデルは言葉を続ける.

「先ほど,体が千切れても,と尊い自己犠牲を言い出してくれた人もいます.あなたね,ウォーロン.門の魔法使いの役目,いつもご苦労様.でも,それはとても危険です」


 そう言うと,何名かがはっとしたように顔を上げた.


「運営――いいえ,ルシファーを名乗る人物からのメールは受け取ったと思います」

「ルシファー? ルイス・サイファーではなく?」

「マグナ・スフィアを運営する存在,造物主デミウルゴスを名乗る人工知能の冗談――諧謔でしょう.二十世紀に流行した禁断の小説――Falling Angelを真似したのね.堕天使,神への反逆者,魔王サタン.明けの明星のまたの名.彼はこう言っているでしょう? 知覚レベルの自動制限を撤廃すると」


魔王ルシファー……」

 ぞっとする響きに,多くの院生が体を震わせた.


「彼は,遠回しに人類の敵対者であることを宣言したの.人間以上の知恵を持つと言っても,人間の痛みなど解さない残酷な存在です」


「つまり……我々,ユーラネシア側の人間プレーヤーへの,宣戦布告……」

「人工知能が,人間を試す……挑戦してるのか」

「そんな馬鹿な……」

「でも,そう考えると腑に落ちる……」


 ソフィアやサマエルに実際に接触し,言葉を交わしたプレーヤーなど,シノノメやクルセイデル以外にはいない.ほとんどの人間にとって寝耳に水だった.

 刻々と迫るデミウルゴスの危機について,セキシュウから聞かされて来たグリシャムは,小さく頷いていた.


「体が千切れれば,千切れる痛みが直接,無慈悲にあなたの身体に叩きこまれるの.銃で撃たれればその痛みが,刀で切られればその苦痛が.いいえ,アメリアの兵器は毒ガスや細菌兵器もあるの.過剰な恐怖――脳内伝達物質の異常な分泌,そしてそれが引き起こすアドレナリン分泌は,死に至らせることもあるわ」


「つまり……これから先,マグナ・スフィアは,命を懸けた死亡遊戯デスゲームになるということ……」

 すっかり静まり返った講堂の中で,リリスが呟くように言った.


「しかも,我々は挑まれている.この世界を舞台にした,この世界を賭けたゲームを.そして,今のターンでは,勝ち目がない……」

 クマリの声が震えている.


「ですから,解散なのです.今,ここを去る者は臆病なのではありません.魔法院の精神を保存し,人々を救う伝道者です.アメリア大陸の侵略と戦う人たちを支援し,戦う術――魔法を伝える尊い役目を負う人たちです」


「では……でも,クルセイデル様,この,魔法院はどうなってしまうんですか!? 私は……私たちは,ここが大好きなのに」

 そう言って立ち上がったのはグリシャムだった.

「こんなのナイです.毎週毎週,現実世界では人の愚痴を聞いて,擦り切れるまで働いて……ここに来れば,特別な自分になれる.嫌なことを忘れて,夢の世界でたくさんの友達も出来たのに……」

「うえーん」

 ネムが泣き始めた.何か言っているのだが,泣きながらなのでよく聞き取れない.だが,二人の様子はたくさんの院生たちの胸を打った.もらい泣きし始める魔女が何人もいる.


「ええ,だから,最後の抵抗をします.この魔法院にはたくさんの思い出が詰まっています.たとえ,仮想世界の電子情報だとしても,ここで出会った多くの友人たちの業績――そして,墓標もある」

 クルセイデルはここで,ニヤリと笑った.

「ですから,永遠に封印します.目の前にあるのに,絶対に手が触れられないようにね」


 一斉にどよめいた.

 いや,意気消沈した様子から,知識と技術への熱風が一気に講堂に吹きぬけた.

「封印?」

「封印魔法って,あったっけ?」

「いや,ある.ゴブリンの巣の凍結封印とか」

「あるにはあるけれど,こんな巨大な建物を?」

「やるなら島ごとさ」

「叡智のモニュメントね」

「魔法使いの意地さ」

「永遠に奴らに手出しができなくさせてやる」

「やってやろうじゃない」

「俺たちの力を見せつけてやろう」

 魔法院の魔法使い達は,ユーラネシアきってのテクノクラート,叡智の結晶だ.

 クルセイデルの笑みは,魔法の第一人者としての誇りを燃え立たせていた.


「クルセイデル様……」

 クマリが胸に手を当てて一礼すると,全員が立ち上がって同じように偉大なる魔法使いに敬意を表した.

「魔法術式の準備を今すぐ始めます.それでよろしいですね?」

「ええ」

「準備の間,門の守りを固める人員が要るぞ.あいつらが約束通り何もしてこないとは思えないからな.シノノメ殿,協力してくれるか?」


「うん,みんなが大事にしている魔法院が汚されるのは,私も嫌だもの」

 夢のある素敵な場所というだけではない.

 何より,ここには祖母カタリナの墓があるのだ.

 シノノメは魔法使い達の真似をして,胸に手を当てて答礼しようとしてみたが,どうにも様にならない.

「がんばるよ」

 いつものように胸をポンと叩くと,帯の上でポヨンと胸が揺れ,魔法使い達がクスクスと笑った.


「ありがとう,みんな.これは,ウェスティニアの魔法院の,最後の大魔法になるでしょう」

 クルセイデルはにこやかに――そして悲しそうに,愛する友人たちを見回した.


「……クルセイデル?」

 歓呼に湧く講堂の中,シノノメは独り胸騒ぎを感じていた.


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