27-9 悪夢の船
銀色の靄の向こうにそびえる,幾何学的な建造物.
その上に,巨大な目玉――金属の塊が浮かんでいる.灰色の空に浮かぶ黒い月のようなそれは,まるで悪夢の中の怪物だ.
金属球は瞬きをするように機械の瞼を動かし,機械の瞳はじっと魔法院の方向に注がれていた.
時折,嫌悪感を催す重低音が空気を震わせる.
鳥の声が消えた.
風が木々を揺らす音も聞こえない.
魔法院を攻撃していたプレーヤー達もその手を止め,遠くの上空に現れた異様な光景に目を奪われていた.
全ての音が消えた中,不気味な振動音だけが時を刻むように響いている.
隣で窓の外を注視するクルセイデルの顔は,すでに紙のように白い.
「クルセイデル?」
シノノメが呼びかけると,はっとした様にクルセイデルは振り向いた.
「始まったわ」
クルセイデルは呟くように,小さな声でそれだけ言った.
合わせるように,黒い球体のあちこちに直線的な亀裂が走った.
亀裂が広がると,そこから銀色の靄――すでに靄ではない.霧か,煙のような濃度の気体が噴出して広がっていく.それは雲のように広がり,巨大建造物の上を越え,不毛になったウェスティニアの上空に広がっていく.
雲は低く薄く広がり,やがて太陽の光を遮ってどんよりとした空になった.
やがて,振動音とは違う別の――異質な音が聞こえ始めた.
それはひどく金属質で,騒々しい.
黒いシルエットになった高層ビル群を背に,もう一つ巨大な物体が地上から浮かび上がった.
近づいて来る.
影は徐々に大きくなり,やがてその何かが分かるようになってきた.
シノノメはアイテム“よく見える望遠鏡”を取り出すと,覗き込んだ.
「……船!?」
三角状になった底面,そして流線型の舷.
ゆっくり回頭して先端を魔法院に向けるその姿は,まぎれもなく船だ.
首都ミラヌスから爆心地まではなだらかな平地で,丘陵地帯が続いている.
森や建物は核爆発によって破壊され,すっかり見渡せてしまうのだが,その平坦な地面にひどく大きな影を伸ばしている.
「……何て大きいの? それに……でも……」
ネイビーブルーに塗装された鋼鉄の船体に,あちこちに飛び出した砲塔.
帆も,帆柱も無い.
現実世界の軍艦をそのまま空に浮かび上がらせた物だ.
浮力を得るためか,船体のあちこちにフィンとプロペラが突き出され,激しく回転している.
ギュルギュル,ヒュンヒュン,という音の正体はそれだった.
「あんな機械が……ユーラネシアの空を飛ぶなんて……」
かつて,軍事国家ノルトランドは空中戦艦を仕立てて素明羅を侵略した.
それは,装甲を施した気球であり,その中には“風の魔素”が詰まっているものだった.
形も葉巻型の気球そのもので,現実世界の艦隊に見立てて運用していた物に過ぎない.
だが,これはどうだろう.幻想世界ユーラネシアでは,魔素の影響で複雑な機械は動かせない――その世界設定,大前提をすべて無視しているように見える.
「……魔素を無くした,不毛の大地だから」
「でも,それだけで?」
ふと見れば,クルセイデルの前――空中に円形の空気の層が出来,それに遠くの風景が映し出されていた.さながら宙に浮かんだ透明な液晶ディスプレイだ.
「空気の屈折率を変えて,レンズにしたの」
「さすが……」
シノノメは望遠鏡を下げると,空中の映像に見入った.
機械の塊――空飛ぶ船,空中軍艦は武骨な姿で悠々と飛んでいる.
煙突なのか排気口なのか,金管楽器に似たパイプがもうもうと銀色の煙を吹出している.
船底は丸身を帯び,潜水艦と旅客機を混ぜ合わせたような形になっているが,それでもこんな形のものが空を飛ぶなど信じられない.
ヘリコプターや飛行機など,およそ空を飛ぶ乗り物からかけ離れた形をしている.以前マギカ・エクスマキナが使っていた,昆虫型の乗り物の方が,説得力があるというものだ.
一種のオーバーテクノロジーだ.
「こんなの,現実世界にもないよ……あ,でも……アニメや,ゲーム,映画には出てくるのかな……」
こんなのはファンタジーじゃない.
そう言い切れない不思議な感覚を覚える.
「これが,アメリアの魔法機械文明よ.魔素を含む特殊な鉱物資源を元に組み立てた,魔法科学文明.正しく進めば,また別の……夢のある世界になったかもしれない」
クルセイデルは目を細め,顔をしかめた.
「何だか,古いオモチャみたい」
「レトロ・フューチャー・デザインね」
「レトロ・フューチャー? それって,新しいの? 古いの?」
「古典SF的……1950年代の雑誌とかで,未来世界の物として考えられたデザインのこと」
「ああ……ソーセージみたいな形のロケットや,アンテナのついたロボット……遊園地の未来世界のやつね」
「そう,万能の科学が未来を切り開き,全人類を幸せにしてくれると信じていた,昔の人々の夢が詰まったデザイン.……現実がそうでなかったことは,今の私たちは知っているけれど」
「まさか,あの軍艦で攻めてくる気!?」
「それ以外にないわ」
「大変だ! みんなに知らせなくっちゃ!」
「あの大きさよ.もうみんな気づいているわ」
その通りだ.窓から普通に見ても,すでに空中軍艦の威容は十分に見える.
それほどに巨大で,しかも,あっという間に魔法院の方まで飛んで来たのだ.魔法の画像ではゆっくり飛んでいるように見えるが,それはむしろこの軍艦が異常に大きいからだろう.
「クルセイデル様!」
ドアを激しくノックする音がする.
「どうぞ」
返事を待つのももどかしい,といった勢いで,ドアが弾かれたように開くと,土の魔法使いクマリが姿を現した.
魔法院の頂点,“五大の魔女”がバラバラになってしまった今,魔法院の実務を取り仕切っているのは彼女だ.
「ああ,おいでになっていて良かった! 大変なことに! あれは,マギカ・エクスマキナなのでしょうか? それとも,アメリアがまさか,ユーラネシアを直接侵略してきたということなのでしょうか!?」
吐き出すように一気に喋った.
「アメリア……と言いたいけれど,正確には分からない.でも,彼らの意図は明らかだわ」
クルセイデルの空気レンズは,軍艦の外壁に配置された機銃と砲塔を映し出している.
「そ,それは……?」
「戦争が始まるの」
そう言ったとたん,一斉に大砲が火を噴いた.
爆音が響き,至近距離で見る花火のような光が窓の外に閃いた.
「うわっ!」
「うひゃっ!」
ひとしきり轟音がして止むと,シノノメとクマリは慌てて窓の外を覗きこんだ.
魔法院は無事だ.島の周囲に強力な防御の結界が張ってある.
ドーム状に覆う魔法障壁は,生半可な攻撃では破れない.
同じように窓から身を乗り出し,外の様子を窺う魔女たちが沢山見えた.
だが,対岸は炎に包まれていた.
核爆発の難を逃れ,わずかに残された森や草木,建物が燃えている.
ミラヌスの郊外も着弾したらしく,大きな黒い煙が上がっていた.
「大変! 救護院は大丈夫かな?」
「枢軸区の中なら,防御結界があるはず」
「NPCとかプレーヤーとか,魔法院側とか反魔法院側とか関係ないんだな……つまり,奴ら……無差別ということか」
クマリが唇を噛み締めて周囲の海を見渡した.
魔法院は現在,ユーラネシア大陸の破壊者として,多くの冒険者に狙われている立場だ.
島の周囲には討伐のための船が浮かび,筏に乗った騎士や魔法使い達が集まっていたのだ.
自分たちを敵視する者達とはいえ,傷つけたくない――.
魔法院側としては,そう思って半ば放置する形で,彼らに取り囲まれるままになっていた.
しかし,空中軍艦の攻撃は無慈悲に彼らを焼き払っていた.
遠浅の海に旗指物や木材が浮かんでいる.飛竜の死骸や,船の残骸もあった.
嵐の後の様に,海面を埋め尽くして波に揺れている.
プレーヤーなので死ねばログアウトして消えてしまうが,そうでなければ累々たる死体の群れが浮かぶ,凄惨な光景になっていたに違いない.
「ひどい……」
「戦争は本来むごいものよ.あの科学技術も,もっと楽しいものを生み出すことに使う道があったはず.でも,彼らは自分の欲望のため,ひたすら戦いに使う方法を追求し,先鋭化していった」
「でも,こんなのないよ.それなら自分たちだけでやっていればいいじゃない」
「彼らの欲望はもう,あのアメリア大陸だけでは収まらないものになってしまったのでしょう.大地を穢し,空を汚し,それでもなお満たされない欲望――現実世界への憤懣と,妬みと怒り.それがついに溢れ,我々の方を向いて来たということなのね」
「それが,アメリアのプレーヤー……アメリアなんだね」
シノノメは嫌悪感で顔を歪ませた.その横顔を複雑な顔でクルセイデルが見つめる.
「移住者たちはそもそも,自己顕示欲と現実への逃避,嫌悪からこちらに来た人間たちだ.クルセイデル様の仰る通り,彼らの負の感情とアメリアを包む黒い欲望が結びついたというわけか……やはり……マギカ・エクスマキナは,アメリアの先兵……先導していたのか……」
「そうね,初めから,すべてこれが狙いだったのでしょう」
空中軍艦はさらに近づき,核爆発が起こった汚染地帯の境界線で止まった.
ヘリコプターの様に空中で静止しているが,砲口は魔法院の方に向けたままだ.
地上からの炎の照り返しを受け,船底がぎらぎらと輝いている.
曇天に浮かぶ,目玉のある黒い月.
地獄の様な炎を下に,武骨な戦艦が空を進む.
「悪夢みたい……」
自分の口から出た言葉に,シノノメは一瞬身を凍らせた.




