27-7 世界の秘密
シノノメはクルセイデルに連れられ,魔法院の院長室にやって来た.
魔法院を取り巻く情勢は殺伐としているが,ここは時間が止まったかのように暖かく感じられる.
トコトコとテーブルと椅子が歩いて来る.クルセイデルも執務机ではなく,シノノメと一緒に席に着いた.
クルセイデルの頬が青白い.きっと体調が悪いのではないだろうか.
それでも自分を気にかけてくれる様子に,シノノメは少し恐縮した.
何を喋ればいいのか分からない.テーブルの上に両手を乗せて組み,しばらくそれを眺めていた.
クルセイデルはというと,黙ってそれを見ている――視線を感じる.
カサカサと音を立てて窓のそばに黒猫が歩いて来た.例によってサマエルの化身なのかもしれないが,それは分からない.
柱時計の刻むカチコチという音がやけに大きく聞こえるようになった頃,クルセイデルが口を開いた.
「第一声で聞かれるかと思ったけど,そうではないのね」
「え……?」
シノノメは何のことかわからず,顔を上げた.
「この前,ここに来た時の話」
「あっ……! ああ……」
思い出した.クルセイデルは,現実世界に帰る方法が分かるかもしれない,と言っていたのだ.
「それに思い当たらないほど,悩んでいるのね」
緑色の瞳は,自分の心を見透かしているようだ.シノノメは心臓がドクンと一つ音を立てるのを感じた.
だが,頷かざるを得ない.
「このまま私が一人,現実世界に帰って……それでいいのかと思って」
「どうして?」
「だって,今私がいなくなったら……この世界はどうなってしまうのか,それが心配だもの.魔法院は魔王城にされてしまうし,五大の魔女さんたちは,半分がいなくなっちゃったし」
「すでにウェスティニアは内乱状態だった……早晩そうなっていたかもしれないわ」
「私が……核爆発を止められていれば……こんなことにはならなかったかもしれない.ウェスティニアはきれいな街のままで,大勢の人たち……クルマルトさんだって,あんなに苦しんで死なずに済んだかもしれない」
「……自分を責めないで.でも,あなたは本当に優しいのね」
クルセイデルは哀しそうに,そして少しだけ嬉しそうに微笑んだ.
だが,シノノメは両手を握りしめた.
「爆心地にできた,あの変な建物だってそう.きっと機械の世界――アメリアが,侵略して来てるんだよ.こんなの,こんなの……ファンタジーじゃない.どんどん幻想物語が終わりになってしまうようで,何だか……嫌なの」
「ファンタジーの終わり……」
「そう……でも……そうやって戦っていくと……このままずっと、この世界に飲み込まれてしまうような……帰れなくなってしまうような気もして……それも怖い……けど,このままでは,この世界は……」
「自分無しでは,ユーラネシア――いえ,人工の異世界,マグナ・スフィアは成り立たなくなってしまうのではないか,と?」
突然大きな話になったので,シノノメは一瞬戸惑った.
「え……? あ,いや,そこまでは……」
「いいえ.それは……半分正解」
「えっ!? どういうこと?」
クルセイデルはゆらりと立ち上がると,歩き始めた.歩き姿がどことなく頼りなげだ.
「長い話になるでしょうから……一緒にお茶を準備しましょう」
そう言いながら壁の一角を押すと,書棚が横にスライドして奥の部屋が姿を現した.
これはもとからあった部屋なのか,それとも今作り出したものなのか……そう尋ねようとして,シノノメは止めた.聞くだけ無意味だ.それは多分,どちらも正解なのだ.いつもながらの“創造力”には舌を巻く.
クルセイデルの後について部屋を覗き込むと,四方の壁全てに,天井から足元までびっしりと小引き出しがあった.
緩やかに湾曲する壁に沿って,ずらりと引き出しがある様子は圧巻だ.
「これ,全部クスリ?」
「魔法の薬草を秘蔵する所と言えば,こうじゃなくっちゃ」
クルセイデルが悪戯っぽく笑った.今日会ってから一番の笑顔かもしれない.
「あちらは奇石と危険な薬草……ハーブはこちらね」
全ての引き出しに小さな引手のつまみがあり,中身を解説するラベルが貼ってあった.
ゲームの中らしく一見グニャグニャした魔法の文字だが,よく見ればカタカナとひらがなを混ぜたようなもので何となく読める.
「ミント,レモングラス,カモミール,クミン,ベルガモット,ターメリック……」
眼の高さか,それより少し高いところに,よく知っているハーブや調味料の名前がある.
「フレッシュ・ティーがいいかしら? 開けてみて」
そう言われて引き出しを開けると,乾燥したものではなく,緑の葉が生い茂っている.一体どうなっているのだろう,と考えるだけ野暮なのだ.魔法の引き出しなのだから.
「ええ,ハーブティーの材料になるのは,その辺り.私は背が届かないから,シノノメ,あなたの好みも入れて,取ってくれる?」
クルセイデルは,宙から持ち手のついたバスケットを取り出して渡した.
背の高さの話をすれば,妖精に取りに行かせるか,空を飛んで取れそうなものではある.しかし,こういうのは嫌いではない.
「うん」
思わず口元に笑みが出たのを見て,クルセイデルは言った.
「好きなのね」
「うん,お祖母ちゃん――カタリナって言った方がいいのかな――と一緒に,よくお料理したり,ハーブティーを作ったりしてたから.何だかこういうのって,現実世界でも魔法の薬を作っているみたいでしょう?」
シノノメは楽しそうに引き出しを開けて,いくらかの葉をバスケットに入れていく.
クルセイデルは何故か注意深くその様子を観察している様だったが,あまり気にならなかった.
大体好みのハーブを集め,部屋の中央にあった机の上のティーポットに入れた.
カップはもう温めてある.クルセイデルが左手でポットの縁を叩くと,宙からポットの中に熱湯が注がれた.
ふわりとハーブの香りが部屋いっぱいに漂う.
シノノメはお盆を持って,院長室のテーブルまでポットとカップを運んだ.再び“薬草の部屋”は何事も無かったように閉ざされた.
「すごい……本当に,夢みたいな,魔法そのもののことがこんなにできるんだ……」
「あなたにもできるわ」
クルセイデルは事も無げに言うと,再び席に着いた.好きな話題なのか,むしろ,楽しげですらある.
「そんな……できないよ」
「これこそが,魔法の奥義.全ては心の在り方次第」
「心の在り方?」
「心を自由にすれば,何だってできるわ.では,頂きましょう」
「え,もうちょっと蒸らさないと……そうか,魔法のポットだから大丈夫なんだね」
「そういうこと」
クルセイデルの言葉通り,ハーブティーはちょうどよい加減に仕上がっていた.
ゆっくり口に運んでいると,少し気持ちが落ち着いて来る.
心を自由に…….
クルセイデルと話をしていると,いつも祖母の事を思い出す.
もちろんクルセイデルは祖母よりずっと年下で――姉とでもいうべきなのだろうか.
「それで,さっきの話……半分正解って,どういうこと?」
シノノメはカカルドゥア国民が自分を熱狂的に崇拝していた様子を思い出した.そればかりか,つい先ほど救護院でNPCの人々に救いを求められて,途方に暮れたところだ.
「確かに,カカルドゥアでは,生き神様みたいになっちゃったけど」
「抜け出せない……囚われていくような感覚,ね」
「そう.そんな筈ないのに……目を覚ましてはいけないような……この世界にいなければならないような」
クルセイデルはカップのお茶を飲み干し,意を決したように口を開いた.先ほどの笑みは消え,厳しい表情に変わっている.
「あなたは,ソフィアが選んだ,このマグナ・スフィアという物語の主人公なのよ」
「主人公!? 確かに,そんなことを言う人はいたけれど,ますます分からないよ」
「急速にレベルを上げ,自分たちも舌を巻く発想力のあなたを,この“世界”の救世主として選んだの」
“世界”という言葉にクルセイデルは力を込めた.
「確かに……ソフィア自身に救世主,って言われたけど……勇者? ジョブは主婦なのに?」
「職業はおまけみたいなものね.とにかく,あなたを中心にすべてのクエスト,出来事,展開が広がる様に,彼女は決めた」
「それであちこちで色んなことに巻き込まれるの? ただ一生懸命プレイしていただけだったのに……でも,確かに,こんなチートなアイテムもらったのはそのせいか」
そう言って左の薬指に嵌った指輪を見た.
「拒絶の指輪……だったわね.それは,あなたへの権限移譲」
「権限? これは……サマエルの審査を,拒絶するアイテムで……」
「あなたは……気づいている?」
クルセイデルはそう言いながら,窓辺であくびする黒猫にわずかに視線を送った.
「あなたは,そして私も,すでに世界審査システム――サマエルの干渉を受けていない」
「それは……この指輪があるから」
「そうではなく……このユーラネシア――幻想世界の様々な物……魔法や品々,さらには生き物から出来事まで……が,どうやって審査されているか,気づいている?」
「気づく?」
妙なことを言う,と思った.
人工の異世界マグナ・スフィアには,“サマエルシステム”があるのは誰もが知っている事実だ.
プレーヤー達の想像力を試し,あるいは発想した物を判定したり認可したりして,仮想世界の中で実現させるシステムである.
サマライズ・アンド・エルシデート.
人々の発想を総括し,審査するプログラムの一部で,ソフィアはこれが暴走して“悪しき人工知能サマエル――造物主”になったのだと教えてくれた.
「余計なことを……それを,その秘密を,それ以上話す気か!? クルセイデル!」
窓際にいた猫が,唐突に喋った.いや,吼えた.
いつの間にか毛を逆立て,体を膨らませ,長い牙を剥きだしにして――黒い剣歯虎になって身構えている.背中を弓の様にたわめ,前足はいっぱいに引き伸ばす.
「サマエルは……」
「止めろ!」
黒猫は矢のように跳躍すると,クルセイデルに襲い掛かった.
鋭い鈎爪がとんがり帽子を引き裂こうとする.
「危ない!」
シノノメは咄嗟に黒猫丸を抜き放ち,一閃した.
「ぎゃんっ!」
黒豹は悲鳴のような鳴き声を上げると,バラバラになって消え去った.
「ありがとう.危ないところだった.今の私には,荷が重いから」
本来の力があれば,あのような攻撃など物ともしないのかもしれない.床に転がった帽子を拾い上げ,クルセイデルは埃を払った.
だが,サマエルがこんなにも動揺する秘密とは,何なのか.
「サマエルは……なに?」
「“幻想的かどうか”を審査するために」
クルセイデルは帽子を胸に抱きしめると,険しい顔で言葉を継いだ.
「私たちの脳を使っているのよ.特に,より有力なプレーヤーのそれをね」
「私の……脳?」
「ええ.おそらく,あなたほどの影響力であれば,この幻想世界の四分の一ほどが,あなたによって成り立っている」
「私に……よって?」
「そう.この世界の在り方は,あなたに依存しているの」
窓の向こうから,風を尖塔の先が切り裂く音がする.
シノノメには,サマエルの絶叫のように聞こえた.




