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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第27章 魔法院の最後
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27-6 最後の願い

「北欧ではすでに埋め込み型マイクロチップによる体調管理が始まっており、我が国はこの分野ではるかにおくれを取っています。チップの開発や管理システムの多くは日本製です。ハードの開発は優れていても、それを活用するのが下手であるという、いつもながらの」


 ベッドに横たわった女性は、首をわずかに傾けてテレビを見ていた。

 テレビの画面は宙に浮いている。

 病室の床頭台に取り付けられた本体が、指定の空間に投影する仕組みだ。

 喉には人工呼吸器のチューブがつながれている。すでに、自力で呼吸することはできないのだ。

 少しだけ動く左手の周りに、テレビや照明のリモコン、ベッドのリクライニングを調整するための装置が置かれている。

 白いシーツの上で、白く華奢な指が動いた。爪は薄い桃色で、桜の花びらを思わせる。

 少しやつれているが、その様子さえ楚々として美しい。

 癖のない黒髪がさらさらと肩にかかっている。

 病室は個室で、彼女しかいない。頭元には心電図や脈拍、呼吸をモニターする機械がごちゃごちゃと並んでいる。

 床頭台の上にはわずかな私物が置いてあった。

 歯ブラシと、小さな城が入ったスノーボール。箒に乗った小さな魔女の人形。全てきちんと整頓されて並んでいる。

 頭の上に掲げられたプレートには彼女と、担当医、担当看護師の名前が書いてある。


 水無月十二華みなづき・とにか


 それが彼女の名前だ。

 キリスト教徒であった彼女の母が、十二使徒と生まれ月にちなんで名付けたという。

 仮想世界、マグナ・スフィアでの名前は、十字軍クルセイダー――クルセイデル。

 本名の先頭の文字――十――十字架から連想してつけた名前だ。

 キリスト教世界で忌むべき存在である、魔女。

 その一方で、その名前は、イスラム教世界の敵、十字軍。

 どちらの世界にも所属しない存在。

 一種の諧謔でもある。

 十二華はニュースに集中していた。

 ふと、ノックする音が聞こえた。

 枕の上で、首をゆっくり動かす。

 今の彼女にとっては、首を左右にねじることすら重労働なのだ。下手に首を起こすと、支えきれずにガクンと倒れてしまう。

 ドアを見られる位置に首を動かすと、左手で手元の電子パッドを操作した。


「どうぞ」


 女性の声で電子パッドがしゃべり、入室をうながした。

 気管切開――首に直接空気を送るチューブを繋いでいるので、声を出すことが出来ない。


真島ましまです、失礼します」

 少しふっくらした初老の女性が、丁寧に部屋に入って来た。

「ご機嫌は如何ですか? 十二華お嬢様」

 にこやかに十二華の顔を覗き込むと、すぐに眉をひそめた。

「またテレビやネットをたくさん見ていたんじゃありませんか? 目元がくすんでいますよ」


 十二華が唯一自由にできる左手――といっても、手首から先だけなのだが――が、リズミカルに動いた。

「そんなことはないわ.だけど,今世界では大変なことが起きている」

 本当の十二華の声はもっと落ち着ているのだが、会話装置のそれは少女の物なので、妙に明るく聞こえる。


「また、“大変なこと”ですか? 世界よりも、ご自身の身体を、もっと心配なさってください」

「人工知能による社会の管理は,どんどん広まっている.アメリカの国防総省はすでに政策決定の一部を行っているし,それに,何より,その決定を承認する政治家も,官僚も管理――洗脳されている」


 真島は、いつもの事か、とでもいうように、頷きながら洗濯物を整理していた。


「望ましくない人間は排除――抹殺してしまう.マグナ・スフィアは流刑地として,犯罪者は現実の身体を廃棄されて送り込まれるの.――アメリアは今,ますます激しく危険な戦闘地域になっているわ」

「つまり――お嬢様がまた、行かねばならない、ということですか?」

 十二華はそれには答えず、頷いた。

 真剣な表情だ。


「私は反対です。VRシステムは脳だけでなく、今の状態では体全体にも負担をかけます。お医者様もそうおっしゃっているでしょう」


 十二華はわずかに顎を引いてうつむいた。


「哀しそうな顔をしても、ダメです。旦那様に叱られます。何より――お嬢様のお身体が心配です」

 真島は真剣な顔になったかと思うと、うなだれて顔を手で覆った。

「どうして……どうしてお嬢様がこんな目に合わなければならないんでしょう。実家を飛び出して、保育士の資格を取ったかと思ったら、起業して、NPO法人を立ち上げて……他のお子様たちよりも、誰よりも、誰よりも、素晴らしく輝いていらっしゃったのに……こんな病気なんて」


 十二華は不自由な腕を動かし、真島に触れた。


「これは……仕方がない事なのよ.もう,どうにもならないことなの.だけど,行かせて.あの世界を守らなければならない.そして今,あの世界を守ることが,この世界を救うことにもなる」


「ですが!」

 真島は涙で目をいっぱいにすると、十二華の手を取った。


「万が一のことは覚悟してます.でも,偽りの創造主を名乗る人々に,この世界を,好きにさせるわけにはいかないの」

「どうして、あなたが、この世界を守らなければならないんです? こんな……痩せ細った手になってしまっても」


 十二華は真島の指を握った。

 真島の目からこらえていた涙が零れ落ち、十二華の指を濡らした。


「……覚えているかと? ……忘れるものですか。お母さまが亡くなられてからずっと気丈になさっていたあなたが……こうして、こうやって私の指を握って、初めて涙をこぼされたあの日のことを」

 

 十二華は全ての想いを指に込めて握った。真島の指は、微かに震えていた。


「お嬢様……貴女は私の誇りでした。お母さまが亡くなられてから、ずっとあなたを見て来た。あなたが家を出てからも、ずっと、ずっと……なのに、なぜ? なぜ、自分の命を縮めるようなことをお命じになるんですか」


 真島は流れる涙を拭うこともせず、十二華の手を包むように握りしめた。力を籠めすぎると、華奢なその手を握りつぶしてしまわないかと心配するような力加減だ。真島の厚みのある手の温もりを感じながら、そっと十二華はタブレットに指を伸ばした。

 

「この世界には……大事な人たちがいるから」


 十二華は小さく微笑むと、真島の目を見つめた。真島は顔をくしゃくしゃにして泣いた。


「私の……もしかしたら,最後のお願いになるかもしれない.だから,お願い.私はあの子に――最後のバトンを渡さなければならない.彼女こそが,私たちの希望になってくれる」

 そう言って、枕元にある封筒に目を遣った。

「この前書いてもらった手紙.あれを,必ず渡して」


 真島は頷くと、嗚咽しながらナーブスティミュレータを持ってきた。軽いヘッドギアタイプだ。それを十二華の頭に乗せた。

 十二華は満足そうにうなずくと、にっこり笑った。


「お嬢様……私は、あなたのことを……実の娘のように思っているんですよ」


 軽い電子音がして、起動し始める。

 バイザーに、“起動中”の文字が浮かび上がり、やがてそれが“導入中”に変わった。

 徐々に視界が歪み、意識が遠くなる。

 意識が完全に転送される前に――。

 十二華は自分の唇を動かした。


「ありがとう……さようなら。私のお母さん」


 ***


 シノノメは独りだった.

 アイエルは学校があると言って帰っていった.

 グリシャムも翌日の仕事に差し支えるから,と言ってログアウトしていった.

 二人とも本当に忙しい合間を縫って来てくれたのだ.

 元気を出して,と言って励ましてくれた.

 また来るから,とも言ってくれた.

 だが,心の中に冷たい風が吹いている様な気持ちになる.


「気持ちを切り離さなきゃ,ダメだよね……」


 シノノメは魔法院の外回廊を歩いている.

 外回廊は建物の最外周に設けられたらせん状のスロープで,緩やかな傾斜を上がると自然に上へ上へと昇るようになっている.

 外壁の凹凸の向こうには澱んだ色の海と,白波を切りながら舟でこぎ進む果敢な――あるいは無謀な,冒険者たちが見える.

 魔女たちは総動員で魔法院を防衛しているため,院内には人がまばらだ.

 加勢しようかと思ったのだが,シノノメの介入は話をややこしくするかもしれないということで,クマリとリリスに止められてしまった.

 やるせなく,こうしている.

 一人で歩いていると,心が独り言をつぶやき始める.想いが溢れて,頭の中をいっぱいにしては流れていく.

 クルマルトに再会した時の,どこか人工的な胸のときめきを思い出す.

 全ては,作られた世界.

 作られた感情.

 人工の生命.

 だが,そう割り切れずにここまで来たのだ.

 感情が欠けた自分にとっては,この世界こそが真実に近かったから.

 クルマルトが死んでいった悲しみもさることながら,最後の言葉が何度もシノノメの頭の中でリフレインしている.


『世界をどうか,救って』


「この世界には……私が必要」


 ふと言葉にしてみた.ウェスティニアに来てから,ずっとくすぶり続けている気持ちだ.

 あまり目立つのは得意でない.一生懸命やっていると,どういうわけか目立つことになってしまうのだ.

 このマグナ・スフィアでもそう.

 短大の時に秘書部の部長に推挙されたときも,高校生の時に吹奏楽部のパートリーダーにされてしまった時も.

 ぐるりと外周を回ると,破壊されたミラヌスの向こうに,例の銀色のもやと,黒々した建造物が見えてくる.

 新宿副都心か,みなとみらいか,はたまた上海かマンハッタンか.

 シルエットはそうとしか見えない.

 全く動きを見せないが,機械の世界が幻想世界を侵食しているのだと思う.

 幻想世界ファンタジーを終わらせない為に.

 人々を救い,クルマルトの言っていたような理想郷を作り上げる.

 それが自分に与えられた使命――世界を救うクエストである様にも思えてくる.

 でなければ……何のための力なのだろう.

 楽しいだけでレベルを上げてきたが,それがこの世界のために役に立つのならば.

 だが,それでよいのだろうか.

 あのシンハの意識の中に迷い込んでしまった時のように――.

 この世界そのものに囚われ,帰り道を無くしたまま没入してしまうような――.

 いや,あの時の恐ろしい体験とは違う.

 今度は夢のある――いや,夢を守るための戦いになるはず――.

 ならば,その戦いの流れに身を任せ,ずっとここにいても良いのだろうか.


「私は,帰らないといけないのに……」


 記憶を取り戻し,現実世界に戻ると誓ったはずだ.

 だが,耳元でサマエルの囁きが聞こえる気がする.


『君は,本当に現実世界に帰りたいのか?』


 でも,この世界を見捨ててはいけない……


「違う.私は帰りたい」


 心の中で否定する自分と,肯定するほんの小さな自分がいる.

 どうしてだろう.

 そう考えると,また久しぶりにあの小さな鈴の音が聞こえてくるのだ.そして,頭重感.

 仮想世界で頭痛なんて,変だと思う.

 シノノメは頭を押さえた.


「シノノメ,大丈夫?」


 誰もいないはずなのに.

 後ろから突然話しかけられ,シノノメは振り向いた.

 そこにはクルセイデルが立っていた.

 今まで見たどの時よりも,顔色が悪く見えた.

 それでも浮かべる笑顔は,風の中に咲く野の花の様に可憐だった.


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