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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第27章 魔法院の最後
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27-4 クルマルトの願い

「ああ,来てくださったのですね.お見苦しいところを……」


 天蓋付きベッドから声がした.

 聞き覚えのある,クルマルトの声だった.シノノメはゆっくり足を進めた.

 グリシャムとアイエル,ネムは扉の前にとどまって,シノノメの背中を見守っている.

 ベッドの枕元に座っていた魔法使いが,ゆっくり席を離れる.医療担当の魔法使い――治癒者ヒーラーだろう.小さく頷くと,彼はシノノメにそばに来るように促した.

 シノノメはベッドのそばに立った.

 寝具の中に埋まるようにして,ハイエルフの青年は横たわっていた.

 華奢な体格の者が多いエルフの中で,武人であるクルマルトは珍しく逞しい体格だった.

 だが,その面影はない.

 落ちくぼんだ目,そして青白い肌の下に血管が透けて見える.

 枕元には積み上げられたリネン類があって,どれも血に汚れていた.


「クルマルトさん……」


 シノノメは何とか声を絞り出した.

 頬はこけ,張りがあった肌は紙のようにカサカサになっている.掛布団から出た腕は骨が浮き出して,あちこちに紫斑――皮膚の下で出血した痕がある.

 クルマルトは頭を動かしてシノノメを見た.

 両の口角を上げ,必死で笑顔を作っているのが分かる.

 枕には抜け落ちた金髪が散って,きらきら光っていた.


「あなたが,無事で,良かった」


 満足そうにクルマルトは言った.

 シノノメが何と言ったらいいか分からずにいると,ゆっくりグリシャムが後ろから近づいて来た.


「クルマルトさん,やはりここを離れられないのですか?」

「ええ,天馬部隊の部下たちが,ここに眠っていますから」

「みんなは……じゃあ……」

「私が最後の一人です.折角シノノメ殿がご忠告してくださったのに,面目ない限りです」

 そう言ったクルマルトはひどく咳き込んで,口元を手巾で押さえた.白い布に血がにじむ.

「ですが,誰しも,決して後悔していないでしょう」

 クルマルトの苦しそうな様子を見て,アイエルが口を開いた.

天馬部隊ペガシオンの人たちが,あちこちで市民を誘導したの.枢軸区に入るか,地下室や丈夫な建物の陰に隠れるようにって」

「爆発の後にやって来る,この毒……放射能については,認識不足でしたが」


 認識不足という問題ではなかった.中世文明の世界で,遺伝子を破壊する電磁波など,理解できるはずないのだ.

 クルマルト達を誰が責められるだろう.


「……シノノメ殿を……助けることが出来た」

 クルマルトはいったんゆっくりと目を閉じ,眩しそうに目を開けた.

「それで,満足です」

「クルマルトさん,これを飲んで」

 シノノメは震える手でポーションをアイテムボックスから取り出した.深緑色の瓶に,血よりも濃い赤い液体が入っていた.

「それ……」

 グリシャムが思わず息を呑む.数あるポーションの中でも最も強力で高価な品だ.最高級のフランスワインを模して作られたもので,一国の宮殿に匹敵する価値があるという.

 だが.

「きっと,きっと,これなら治るよ」

 枕元の机に置いてあったコップを手に取ると,コップの底と机が当たって,小刻みにカタカタという音を立てた.ボタボタと床にこぼしながら,コップに赤い液体を注いだ.

 室内に花の様な芳香が広がる.

「ありがとう」

 クルマルトは枯れ木のようになってしまった右手を持ち上げ,コップを受け取った.

 だが,口に運ぼうとはしなかった.

「シノノメさん,もう……」

「じゃあ,私が飲ませてあげる」

 スプーンですくって飲ませようとすると,クルマルトは苦笑した.

 もう口から物を入れる力も無いのだ.

「グリシャムちゃん……クルマルトさんは……」

「おそらく,現実世界で言えば……放射線障害による白血病……そして,DIC……播種性血管内凝固症候群……血がもう止まらないの」

「ハイエルフだから,人間よりも強い体だから……ここまで」

 生きていられたのは奇跡だった,と言おうとして,アイエルはそこから先が言えなくなった.

 というよりも,体力以上の物を感じる.おそらくクルマルトはシノノメが目を覚ますまで意思の力で生命を保っていたのだ.そう思えてならなかった.


「それよりも,シノノメ,お願いがあります」

「なあに?」

「そばに来て……ここに座って下さい」


 足がフワフワするのは,絨毯の毛足のせいばかりではない……まるで自分の脚が自分の物でないような気がする.ひどくゆっくりしたスピードのように感じながら,シノノメは言われるままにベッドに座った.


「ああ……あなたはやはり美しい.その東洋の服は……あの日一緒に眺めた,秋の……黄金色の木々の様だ」


 落ちくぼんだ目で,紅葉柄の茜色の着物を眺め,それでも爽やかにクルマルトは微笑を浮かべた.


「クルマルトさん……」


 シノノメはそっと手を握った.骨ばってカサカサした手は,かつて天馬の上で自分を抱きとめた腕と同じものとは思えない.


「ずっと夢見ていた」

「何を?」

「こうして,目が覚めた時に……あなたがそばにいてくれる」

「でも,私は……」

「分かっています.私の求婚には,応えて頂けないことは」

「どうして,こんな無茶をしたの? 私たちは……どんなダメージを負っても……死んだって,生き返ることが出来るのに.あなた達とは違うんだよ」

「……あなたが辛そうだったので.あなたは……記憶を失って,この世界から出られずにいると……聞きました.たとえ帰っても,そこは本来のあなたの居場所ではなく……苦痛があるだけなのだと」

 何度も息を継ぎながら,あえぐようにクルマルトは言った.


「でも,でも……そんなのは,少しのことで,私が我慢すれば」

「いいえ,いけません.愛する人に一瞬たりとも,哀しい思いはさせたくないのです」

「愛する人……」

「たとえそれが報われない愛だとしても」

 悲しそうにクルマルトは笑った.

「ごめん……なさい」

「いけません.どうか謝らないでください.これは私の矜持なのです」

「でも……どうして……どうして,こんなにしてまで……」

「男には……例えわが身が砕けようとも……愛する人を守りたいと思う時があるのです」

「愛する人を……守りたい……」

「その想いに殉じた……私は,幸せです.ですから,どうか謝らないで」


 シノノメは何と言ったらいいのか分からなくなった.

 だが,クルマルトの言葉が胸の奥でうずく.

 かつて意識の迷宮で迷い込んだ時に,ユグレヒトに言われた言葉と,それは同じだった.


「ああ……ずっと夢見ていました」

 クルマルトの視線がシノノメを通り過ぎ,焦点を結ばずどこか遠くを見つめている.

「こうして,朝目が覚めると……あなたが私のそばにいて……一緒に手を取りあって,玉座に向かうのです」

「玉座……?」

「そう,全ての種族が,互いにいがみ合うことなく,光に満ちた新しい……理想の国です.ヒトもエルフも,ドワーフすら……差別も貧困も無く,すべての人が,美しい人間の女王……あなたを中心に手を取り合って生きていく……」

 クルマルトの瞳には,その国の姿がありありと映っているかのようだった.

「玉座のそばには私がいて……そして,永遠に幻想の様な美しい世界が続く……やがて,私が死の床を迎えるまで……」


 クルマルトの意識が,徐々に遠くなっていく.自分の手を握る力が弱くなっていくので,シノノメはそれを悟った.


「クルマルトさん!」

「ああ,最後に一つだけ願いがかなったのですね.こうして,あなたに看取られながら……光の世界へ……」

「クルマルトさん! しっかりして!」

 脇に控えていた治癒術者ヒーラーが,慌てて駆け寄ってきたが,小さく首を振った.

「シノノメ……どうかこの世界を……救って……」

「クルマルトさん!」

「どうか……」

 クルマルトの口がわずかに開いた.最後の吐息とともに,彼の貴い魂が抜け去って行く様だった.

「ごめんなさい.私はあなたの気持ちに……応えることが出来なかったけど,でも,あなたの気持ちが……私に,大事なものを思い出させてくれた.でも,でも,私は,何もあなたにしてあげられなくって……」

「シノノメ殿……もう……」


 治癒術者ヒーラーがクルマルトの首に触れ,脈が無いことを確認すると,薄く張り付いている様な瞼をそっと閉じた.


「そんな……!」

 シノノメは,握っていた手を揺り動かした.

 いつの間にか自分が泣いていることに気付いた.

「シノノメさん,もうそのくらいにしてあげよう」

 グリシャムとアイエルが,そっとシノノメの肩に触れる.

「でも,でも」

 シノノメが手を離すと,力なくクルマルトの手がベッドの上に落ちた.それはまるで,シノノメに手を差し出しているようだった.

「クルマルトさん!」

 魂を呼び戻すように――シノノメはもう一度叫んだ.


 ***


 ウェスティニア公会堂の屋根の上に,赤い髪の男が座っていた.

「どうしたの? 泣いているの?」

 話しかけるのは,小柄な長い黒髪の少女だ.

 二人とも,軍服に似た黒い服を着ている.

「いや」

 男はそう言って,指で目を拭った.

 男の耳の穴から長い銀色の根――というより,コードのような物が伸びて,屋根に突き刺さっている.

「情報収集は済んだ?」

「ああ」

 そう言うと,銀色のコードがスルスルと縮んで耳の中に納まった.

 制服の襟元を見ると,男の首元までくすんだ銀色である.ウェットスーツを着た姿に似ているが,それは男の皮膚そのものであるようだった.見れば,手袋と服の裾の間から覗く手首も銀色だ.

「もうすぐ,準備が始まる……そろそろ戻りましょう」

「ああ,そうだな.ココナ」

 男――リュージは身を翻すと,屋根の張り出しの陰に隠してあった機械を取り出した.

 一振りすると折りたたまれたフレームが伸びた.

 それは昆虫や動物に似ても似つかず,サドルとハンドル,そして内燃機関エンジンがついている.モトクロスのバイクとほぼ同じフォルムだ.

 二人はそれにまたがると,宙に身を躍らせた.

 銀色の飛行機械に乗った二人は,音も無く空に浮かび上がると,まっしぐらに銀色のもやの向こう――爆心地の黒い塔へと去って行った.


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