26-13 死の世界の蠢動
壮絶な閃光は,シノノメの視界を真っ白に変えた.
ドン.
そして,ほんの瞬きほどしてから,途轍もない爆音と振動が体を揺さぶった.
空水母の身体越しだが,耳がしびれて何も聞こえなくなった.
空水母の飛ぶスピードが異常に加速――したのではない.爆風に吹き飛ばされている.
ゼリー状の身体が緩衝材になってくれているらしいが,ゾウほどもあった巨体がみるみる縮んでいく.
超高熱だった.
魔法生物でなければ,あっという間に蒸発する様な熱が襲っているのだ.
それでも空水母は律儀に主人の命令を守り,体を保持し続けていた.
全く何も聞こえなくないので,まるで辺りの出来事が無声映画のように思える.
原爆がピカドンって呼ばれていたって,本当なんだ…….
そんなことが頭をよぎる.
脳がしびれたようになっている.
……ダメだ,意識を保たなくっちゃ.
体の周りのゼリーが熱を帯び始めた.フィーリアがいなくなった今,空水母が消失するのも時間の問題だ.
「ステイタス」
そう呟く自分の声が聞こえない.
四角いウインドウが視界の隅に立ち上がった.
HPが徐々に少なくなっている.
自分の身体を何かが通り抜けるような気がするごとに,ゲージの帯が短くなっていくのだ.
思い当たった.
これはおそらく,放射線障害を表しているのではないだろうか.
実際には放射線には――レントゲンもその一種だが――感覚があるはずも無いし,それによる体のダメージがすぐに見えるわけではない.
仮想現実ゲームであるマグナスフィアのシステムが,プレーヤーへのダメージ,HPの減少として表現することにしたのかもしれない.
「ひゃあっ!」
がくん,と衝撃で体が揺れた.
斜め上から,急激に上に引っ張り上げられる.ゼリーの外は粉塵が霧のように覆っていて何も見えないが,今度はどんどん空水母ごと高空へと運ばれていく.
上に上がって広がる……そういうことね.
シノノメはキノコ雲――原爆雲の形を思い出した.
恐らく今,きのこの茎の部分にいるのだ.上へ上へと,傘の広がる方に向かって上昇しているのに違いない.
辺り一面灰色だが,時折細かい破片のような物がきらきら光ってぶつかる.
メムの建築物に使われていた,ガラス片かもしれない.魔法生物に包まれていなければ,体はズタズタになっているだろう.
体中にガラスの欠片を生やした子供…….
昔,原爆資料館で見た体験映像の,その中に放り込まれたようだ.
悪夢.
人間が生み出した悪魔の兵器.それに相違ない.
灰色の雲の中を,空水母は必死に飛んでいた.すでに主人であるフィーリアは,跡形も無く蒸発しているはずだ.本来は空に漂う様な飛び方をする生き物なので,律儀に主人の命令を守っているのだろう.
体をしぼませながら泳いだ空水母は,やがて厚い爆雲の層を抜けた.
眼下に巨大な禍禍しい黒い雲の塊が見える.
爆風と上昇気流に運ばれ,千メートル以上の高さに到達しているようだ.
黒い雲の中に雷光が閃いて見えた.
いつの間にか夜は開けようとしていた.
東の空からぼんやりと照らされる暁の光で,ブリューベルク――いや,ブリューベルクだったものが見えて来た.
「何てこと……」
シノノメは息を呑んだ.
おもちゃの様な街並みは消えていた.周辺の山は山肌を削り取られ,豊かな緑は跡形もない.
葉を失った針葉樹に似た黒焦げの樹木が虚しく並んでいるのが見える.
荒れ果てた大地はずっとミラヌスの方へと広がっていた.
まるで巨大な――完全にスケール外の巨人が踏みならしたようだ.ところどころ高熱でガラス質になった平坦な地面が続いている.
「ひどい……」
街も家も道も,何も痕跡が無い.
木も無い.
小川は蒸発してただ土色の溝になっている.
美しいウェスティニア共和国の主都と衛星都市は,面影すら無かった.
見える範囲に動くものは何も見えなかった.
まさに,クマリが言っていた死の大地だ.
「あっ」
体がふわりと揺れて,落ちるのを感じた.
空水母が,ついに力尽きたのだ.
ゆっくりと高度を落とし始めた.もはや空を飛ぶのではなく,重力にわずかに抵抗して落下しているだけだ.
徐々に加速する.
遊園地でも,落下系のアトラクションは苦手だ.
背筋が凍った.だが,目を瞑ろうとする前に,大地に蠢く異様な気配を感じた.
爆心地の方だ.
「あれ……あれは!?」
爆心地――メムの学院のあった方向に,何か動くものがある.
クレーターのように抉られた地面を突き破り,うねうねと鎌首をもたげるそれは,銀色の巨大な蛇――いや,管虫だった.
電車ほどの大きさがある.地下鉄――というよりも,地下鉄の通るトンネルそのものが地中から這い出して来た様だ.
大きさの規模こそ違うが,シノノメには見覚えがあった.
アスタファイオスとサバタイオスが操っていた――いや,今となってはどちらが主でどちらが従なのか分からないが――不気味な管状の生き物に似ている.
胴の部分はまるで機械で出来た蛇なのだが,先端には目が無く,三つの弁状に開く口を持っている.
夫の持っていた本で恐る恐る見た,寄生虫の頭部にそっくりだった.
確か,ウロ何とか……って,呼んでたっけ.
銀蛇は,高熱にもがいているのかと思ったが,そうではなかった.地中から何匹も,後から後から次々と体を現わし,不気味な口吻を広げている.
核爆弾の攻撃に耐えられるの?
……地面に隠れてたっていうこと?
口の中から粘液にまみれた何かを吐き出している.
気持ち悪い…….
だが,あまりに異様な出来事に,目を逸らすことが出来なかった.落下の速度も忘れ,シノノメは注視していた.
吐き出されたものは,異様にごつごつと四角く,黒光りするものだ.
うねる地下鉄のパイプからコンテナが飛び出して来たように見える.
吐き出された塊は,黒い四本の脚を出して,ギシギシと動き始めた.
ユーラネシアに似つかわしくない,異質さを一目で感じる.
生き物らしくないのだ.
機械だ!
シノノメは直感した.
もしかして……あれ,エア・シューターとか,ハイパー・ループみたいなものなの?
“機械仕掛けの魔法”マギカ・エクスマキナは,どこからか機械大陸アメリアの文物を取り寄せていた.それによって,数々の兵器を組み立て,現実世界と同じような社会インフラを作り出していた.
海上貿易でも空路でもなく,機械部品を大量に運び込んでいたが,その方法はずっと謎だったのだ.
確か,リュージとココナは“秘密だ”と言っていた.
あの環形動物の様な,蛇のような生き物がずっと,地下を通ってアメリアに繋がっているとしたら?
夫の病院で見たことがある.
エア・シューターとは,長細い円筒形のペットボトルの様なカプセルに,書類や血液検査の検体を入れて,空気圧で他の部署に送る仕掛けだ.
合衆国には,それを大きくしたような“ハイパー・ループ”というものがあるという.
人間が乗れればリニアや新幹線以上の高速移動ができるらしいが,コストと安全性の問題で今は貨物しか送れない,というニュースをテレビで見たことがあった.
銀蛇は,管状になった体を使って,色々な機械を運んでいるのかもしれない.
半分機械で半分生き物なんだ……そうか,向こう側の世界――アメリアに本体があって繋がってるから,地面を通して動けるんだ.
魔素の影響もなく…….
単体の純粋な機械は,幻想世界では自由に活動できない.
今見えている巨大な管や,アスタファイオスたちが操っていた大蛇のような大きさの管は,すべて末端――触覚や触手の先ということになるのではないか.
ぞっとした.
海の向こうに,想像を絶するほど大きな環形動物の主――塊がとぐろを巻いているとしたら.しかも,地下を通り,海の下をくぐって幻想大陸に不気味な腕を伸ばしている.
そこまで考えたところで,シノノメは身体ががくんと大きく揺れるのを感じた.
自分の目の前にあった透明の皮膜が消えている.
「あっ!」
シノノメが銀蛇に気をとられているうちに,空水母の高度はどんどん低くなっていた.
ゼリー状の身体もそれに伴って薄くなっていたが,ついにそれが消えたのだ.
途端に熱気を帯びた風が体を叩く.
思わず両腕で顔をかばった.
こうなると自由落下で落ちて行くだけだ.パラシュートなしのスカイダイビングである.
「ラブ!」
一応呼んでみたが,無駄だった.召喚獣を呼び出すだけの力は,もう残っていない.
薄目を開けてみると,地面がみるみる迫って来るのが分かる.
核兵器で焼けただれた地面の上に叩きつけられる衝撃を予想して,シノノメは身を凍らせた.
それを避けるには……ログアウトすればいいけれど…….
だが,ログアウトすればあの空虚な“偽物の家”が待っている.
いつもの雲といつもの空が見える窓と,陽だまりのソファ.
……折角ここまで進んで来たのに.
後戻りすることになりはしないのか.それは嫌だった.
この仮想世界で,本当に目を覚まして……あの人の胸の中に帰ると決めたのに.
あの人の声のする場所に.
本当の温もりの中に.
だが,このまま地面に激突すれば――否応なくゲームオーバー・ログアウトが待っている.
もう,受け入れるしかないの?
シノノメはしっかりと目をつむり,歯を食いしばった.
だが,次の瞬間,自分を受け止める逞しい腕の力を感じた.
……せんせい?
轟轟と空が鳴る中,雄々しい羽ばたきが聞こえる.
ゆっくり目を開けると,自分の顔を覗き込むエルフの顔があった.
「クルマルトさん! どうして!?」
「あれほど逃げろと言ったのに,ですか?」
クルマルトは,自分の身体に積もった塵を払いながら,笑った.
「愛する人の危機を座して見過ごすことなど,できましょうか」
「でも……」
シノノメを助けるために,爆風の中,天馬で駆け付けたに違いない.
クルマルトの肩にも,頭にも,優雅な金髪にも,細かい白い粉塵が降り積もっている.
放射能に汚染された,死の灰だ.
「さあ,帰りましょう.魔法院は無事です」
クルマルトは注意しながら,シノノメを鞍の上に降ろした.
落ちないように,天馬の首に両手を回すと,腕の中にぬくもりを感じる.
柔らかな毛が頬に触れる.
それは抱き枕のようで心地よく,疲れ果てたシノノメを眠りに誘った.
気持ちいい…….
シノノメは,そっと意識を手放した.




