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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第26章 世界の浸食
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26-8 炎の魔女と迷子の主婦

「白馬の王子様に乗せてもらうのはやめたのかい?」

 ヴァネッサが腰に手を当てて笑う.

 肩口の向こうに,かすかにフィーリアとそれを守る二人の魔女が見える.

 どんどん遠ざかって,豆粒ほどの大きさになっている.町の中心部,おそらくはマギカ・エクスマキナの“学院”を目指しているに違いなかった.

 ブリューベルクの街についた炎――火事に照らされ,空はぼんやりと明るい.


「シノノメ,私も加勢しますよ」

 クルマルトがシノノメの背中越しに声をかけた.

「ううん,ダメ.カーバンクルさんだっけ? その人を連れて,逃げて」

「そんな……」

 ガクルックスなのだが,それを訂正する余裕もない.クルマルトは苦悶の表情を浮かべ,シノノメの背中と傷ついた部下を見比べていた.

「ここまでどうもありがとう.その人に早く手当てを受けさせて」

 シノノメはシュッという小気味良い音を立てながら,裾をからげてたすきをかけていた.細く白い二の腕があらわになる.和服の裾を気にしながら戦える相手ではない.

「ですが……」

「これから私も大きな魔法を使うと思う.だから……巻き添えになっちゃいけないから,行って」

「核爆弾とやらが爆発したらどうするのです!?」

「私は……プレーヤーだから,大丈夫」

「未知の兵器で,例え国人くにびとでも,無事で済むかは分からないのでしょう!?」

「私を信じて!」

 シノノメにしては珍しい,有無を言わさない口調だった.

 険しい表情を向けられ,クルマルトは躊躇しながら頷いた.

「わ……わかりました.どうかご武運を.無事の帰還,お待ちしています」

 クルマルトは天馬の手綱を引いた.

 短い掛け声を放つと,二頭の天馬は連れ立って西へと飛んで行った.


「あらら,弱っちい王子様だね.姫に下がれと言われて行っちまったか.まあ,あんなの相手にしても面白くない.どうせフィーリアの魔法が発動したらお陀仏だし」

 ヴァネッサは顔を少しだけしかめて,吐き捨てるように言った.

「王子様でも,姫でもないよ」

「ふん,それで,あんたの魔法でどうやってあたしを止める気?」

 ヴァネッサは余裕しゃくしゃくの表情で指を鳴らした.長手袋だが,指の部分は無く,真紅の爪が露出している.ぼんやりと蛍光を放つ手袋の神聖文字は書かれたものではなく,太い糸で編み込まれていた.爪にも神聖文字で書かれたネイルアートが施されている.彼女の両腕そのものが魔法の杖の様な物だ.魔力を増幅し,一瞬にして強力な魔法を放つアイテムなのだ.


「どうやっても.そして,フィーリアさんも止めるよ」

「レベル96か.あたしとは10違い.でも,この空の上では条件はあたしの方が有利.どう転ぶか分からない.いいねえ.一度,最大魔力で,一対一であんたとぶつかり合ってみたかったんだ」

 ステイタスウインドウを見ながら,ヴァネッサはうっとりと――酔うように言った.

 ここはあくまでも仮想世界だ.

 実際に命のやり取りをするわけではない.

 確かに,ゲームには違いない.だが,この状況で,何をどう楽しめるというのだろう.


「フィーリアさんの爆弾が爆発したら,二人とも死んじゃうんだよ.普通のクエストで死ぬんじゃない.もしかしたら――目が覚めないくらい脳に傷を受けてしまうかもしれないって,クルセイデルは言ってた」

「いいね.あの爆弾は起動に時間がかかるらしい.それまでがタイムリミット.仮想世界の,危険ぎりぎりの勝負を楽しもうじゃないか」

 歌うように言いながら,ヴァネッサは手を交差させて広げた.

「あっ!」

「まずは派手な奴から! 火炎輪舞ロンド・フレンメ!」

 ヴァネッサの背後から,弾けるように炎が舞った.

 ロケット花火――いや,火のミサイルだ.

 それぞれが独立した湾曲した軌道を描き,四方八方からシノノメを襲う.


「鍋蓋シールド!」

 正面方向の火炎を受け止め,二発をフライパンで叩き落とした.

 空飛び猫はシノノメの意図を受け,複雑な軌道で火炎弾を回避した.その姿は猫らしく,空中を跳ね回るような動きだ.


「はっはっ! 猫に乗ったエプロン姿の主婦と,紅蓮の魔法使いとの勝負か! 面白い! マグナ・ヴィジョンの番組に出ること請け合いだろうね!」

 赤い唇を大きく開け,ヴァネッサは笑った.

「あなたは目立ちたいの!? お好みスラッシュ!」

 お好み焼きのコテが手裏剣の様に飛んで行った.

 ヴァネッサはスケートボードの様に箒をスイングさせ,それを避ける.

「違うよ.そんなつまらないことじゃない」

「じゃあ,何!? 何で戦いたいの?」

「何でかって? そうしたいからさ! 火炎爪ガーラ・ジャーマ!」

 指の先から,四条の炎の爪が伸びる.


「危ない!」

 シノノメは空飛び猫の上で伏せてかわそうとした.

 だが,できない.炎は予想の軌道からさらに細く伸びてくる.

「くっ!」

 フライパンで軌道を曲げたが,炎の先端が腕を軽く焼いた.

「熱っ!」

 間合いが読めない.

 弓矢や槍の相手をするようなつもりで戦っていたが,それよりもはるかに厄介だった.

 炎は曲がって来るし,どこまでも追いかけてくる.

 高速の踏み込みで一気に間合いを詰めたくても,空の上ではそれもできない.

 以前,カカルドゥアで風と炎の魔法使いヴォーダン――あるいは,五聖賢ローゲと戦ったことがある.驚異的な魔法を放つ敵だったが,こちらの方がずっと厳しい相手だ.

ヴォーダンはゲームに不慣れな元政治家だったからだ.

 マグナ・スフィアの勝負を決すると言える,発想力や想像力に欠けていた.

 それとは対照的にヴァネッサは,優秀なゲームプレーヤー――ゲームの達人である.

 それもウェスティニアのクルセイデル麾下で,五指に入る存在だ.

 彼女の炎は変幻自在に放たれ,そのタイミングも形も自由自在だった.

 シノノメの武器である武術と魔法のコンビネーション,数々のアイテムを使わせない戦術を熟知している.

 時間がたっぷりあるのならば,中間距離で魔法をぶつけ合う消耗戦に持ち込むのも一手だろう.96と86のレベル差で,最後はシノノメが勝利するのかもしれない.

 しかし,フィーリアの魔法――核兵器発動までの時間が迫っている.止めようとするシノノメには,時間がない.


「ひゃはは! どこまでも逃げて,あたしのMPが無くなるのを待つかい?」

 シノノメの考えを読んだかのように,ヴァネッサが笑う.

「長距離遠隔戦闘では,圧倒的に火力のあるあたしが有利だ.それともいっそ,近接戦闘に持ち込んでみる?」

 それが極めて難しいのは分かっていての挑発だ.

 言っているそばからシノノメの接近を拒むように,大砲の筒の様に炎が両手から射出された.

 足下の燃える街並みから炎が上がり,煙のにおいが立ち込めている.だが,ヴァネッサの放つ炎はその煙すらも吹き飛ばしていた.

 炎が行き来するたびに,空気の焦げるにおいがする.


「ウォータージェットクリーナー!」

 シノノメはエプロンから高圧水洗浄機を取り出した.銃のような形で,後ろのホースはエプロンの中に繋がっている.

 MPがすぐ下がってしまうので,いつもは使わないアイテムなのだ.

 引き金を引くと,超強力な水鉄砲――あるいは消防車のように水が放たれる.

「おっ!」

 ジュワッと音を立て,ヴァネッサの右手から放たれた火柱が消し飛んだ.だが,体を逸らせ,箒の軌道をくねらせて水をかわす.

 多少振って攻撃を散らしてみたが,やはりかわされてしまう.基本的に直線の軌道なので読まれやすいのだ.


火炎剣セイバー・リ・アーマ!」

 ヴァネッサは両手を組み,頭上で横に振った.

 ブウン,と音を立て,長さ一メートルほどの棒状の炎――剣が手から出現した.

 振るたびに揺れ,うなりを立てる.

「これなら戦いやすいだろ」

 剣を構える姿は,本職の剣士でないがそれなりに様になっている.

 魔法が最も効果的に発現する間合い――約五メートルから,もう少しまでシノノメは近づいた.

 どうすれば勝てるのか.

 左手の指輪を握りしめた.だが,何の反応もない.

 ソフィアから与えられた拒絶の指輪だが,シノノメの意志通り発動するわけではないらしい――というか,シノノメにもその発動条件がよく分からないところがあった.

 悪しき人工知能,サマエルの攻撃,あるいは自分への干渉を拒絶するということは何となくわかる.

 サマエルはゲーム“マグナ・スフィア”の秩序を維持し,“世界観”に合致しない存在を排除する審判者というのが元々の役目だと聞いている.

 幻想ファンタジー世界にもかかわらず,シノノメが巨大冷蔵庫やら洗濯機,はては電気の要らない電子レンジまで出せるのはこれのおかげだ.

 だが,この場面でなぜ力を発揮しないのだろう.

 水素爆弾などという,世界観からすればとんでもなく的外れな物が今爆発しようとしているのだ.


 相手がプレーヤー――ヴァネッサだから?

 それとも,ソフィアはこの世界が壊れてもいいっていうの?


 自分の想像力――創造力を問われているのだろうか.

 さっきのように雲を使う?

 雲を水に変えて――シャワーみたいに雨を降らすとか.


 だが,ヴァネッサは巧みに箒を操って雲に近づかない.

 彼女の発する高熱なら少々の水はお構いなしらしいが,それでも不利になる環境は極力避けている.この辺りもさすがに優秀なゲームプレーヤーならではだった.


 火に水で対処する――そういう常識,想像力を越える空想力が必要だ.

 例えば,カカルドゥアの夜空を万華鏡カレイドスコープに変えたような――.

 でも,あの時の心の温もりは失われて今は無い.


「シンキングタイム? 考えてる暇はないよ.えいっ!」

 ふざけながら剣士を真似るように,ヴァネッサは掛け声をかけた.

 箒ごと切り込んで来る――と思ったら違った.

 頭の上で軽く握った手を一回転させた.

 いきなり炎の刃が伸びた.

 細く長く薄い刃がグルンと回る.


「きゃっ!」

 まるで灯台の光だ.長さ百メートル――孫悟空の如意棒のように伸びた光の刃物は,シノノメの頭のあった場所を通過して一周した.


「惜しい! 討ち取ったりぃ! って,失敗か」

 ヴァネッサはケラケラと笑った.

「何がおかしいの!」

 危うく首がはね飛ばされていたところだ.笑うどころではない.

 だが,ヴァネッサは笑い続けている.

「笑うしかないだろ! 全てを笑い飛ばし,燃やし尽くす.それが出来るからここにいるんだ.現実世界に燃やしたくても燃やせない物があるからさ!」

 ブブン,と音がして,炎の剣は二振りに分離した.

「ちっ!」

 右手に炎の短剣,左手に炎の長剣.

 一見何も問題が無いように見えたが,ヴァネッサは小さく顔をしかめていた.どうやら自分の意図したところと違う結果らしい.


「燃やしたいもの……? 現実世界に?」

 シノノメにとって帰ることのできない場所.

 そこに燃やして失くしてしまいたいものなど,何があるというのか.


「気に入らないね.あんたになんか,どうせわかるもんか」

 ヴァネッサは再び両手を合わせ,剣を一つに戻した.

「どうしてわからないって思うの?」

「そんな風に,能天気だから!」

 ヴァネッサは剣を大きく上段に振りかぶった.

「今!」

 シノノメは空飛び猫のスピードを上げ,突進した.

 振り下ろすと同時に,炎の剣が伸びる.

 あわや,頭に触れる――その瞬間,シノノメは右手を走らせた.

 スパっと炎が切断された.

 空飛び猫の突進に合わせ,進む先の炎を切る.

「そ,そんな馬鹿な!」

 シノノメの右手に握られているのは,黒猫丸――不撓鉱マグナタイトの包丁だった.

「えいっ!」

 シノノメはラブの背中から飛んだ.

 反射的に炎の剣を向けたが,全て黒い包丁に切り落とされてしまう.

 飛びながら炎を切っているのだ.

 千切れた炎が宙ではじけ,消える.

「ちぃ!」

 シノノメが迫って来る.

 ヴァネッサは慌てて箒を操り,後ろに大きく飛び退すさった.

 すれ違うようにしてシノノメは落ちて行く.

 だが,クルリと体を翻した空飛び猫が受け止めた.

「マジか?」

 ヴァネッサの頬を汗が伝った.

 何という度胸だろう.召喚獣に命令を出していたとしても,ここは地上から数百メートルの高さがある.一歩間違えれば地上に激突して死ぬ――ゲームオーバーするのだ.疑似的な死であるとしても,落下の衝撃の事を考えると背筋が凍る.

 ヴァネッサでも箒を手放してこの高さを飛ぶ気にはなれない.

 ――蛮勇.あまりに無謀だ.

 これを勇気と呼ぶのか.

 炎を切るアイテムと,それを可能にする武術の腕も脅威だが,それ以上に,成し遂げるシノノメの強い意志に戦慄した.

「なぜ……ここまでできるの? たかが,ゲームの勝負に?」


 シノノメは空飛び猫に乗り,再びヴァネッサと同じ高さまでのぼって来た.炎の破片が当たったのか,着物は焼け焦げだらけになっていて,からげたたもとの縁にも穴が開いている.


「ふん,もう一歩だったね」

 自分の声が震えている.ヴァネッサはそれを悟られまいと,敢えて強い口調で言った.

「あと何回これを繰り返す気? その間に,フィーリアが全てを吹っ飛ばす」

 そう言いながらヴァネッサは自分の長手袋の調子を気にしていた.気づかれないように,自然に右の掌に触れた.

 どうやら,もう乾いたようだ.

 さっき水にぬれたとき魔力が半減してしまったのだ.

 でも,これならもう大丈夫だ.


「私は……この世界を守る」

 シノノメは息を切らせながら言った.空中での超常的な身体操作は,彼女のHP――体力を削ぎ落していた.

「なんでそんなに入れ込むの?」

「私には……たくさんの物が欠けてた」

「欠けてた? どういうこと?」

「この前まで,それに気づくことすらできなかった」

 ヴァネッサには何のことか分からない.シノノメの言葉は,誰に話しかけている風でも無く,彼女自身に向けられているようにも聞こえた.


 ネットでのシノノメの噂はこうだ.

 子供じみた言い回しをするので,会社や学校で軋轢にさらされていないプレーヤー

 多分,本業も主婦.

 長い時間ゲームに連続で参加しても,仕事に差し支えが無い環境の女性.

 有名になってもキャラクター使用のスポンサー契約を蹴り続けている.調理器具や電化製品など,たくさんスポンサーがつきそうなのに.

 つまりは,経済的にすごく恵まれていて,悠々自適.

 全てはシノノメの真実を知らない者たちの,根拠のない推測に過ぎない.


「今でも一番大事なものが欠けたまま――でも,ここまで来れたのは,この世界のおかげ.カタリナが助けてくれて,セキシュウさんや,グリシャムちゃんや――友達になってくれた人たちがいてくれたから.その人たちが愛している世界を,私は守る」


「ちっ! きれいごとだね.現実世界で全てを破壊できないなら,この世界の敵を破壊しつくす.健康的なストレス解消法.それの何が悪いの?」

「そんなの,違う.間違ってるよ.みんなが大事にしているものを壊すなんて」

「うるさい!」

 ヴァネッサは手元でため込んだ魔力を指先に集中し,複雑な印を組んでいた.

「今では,私の半分,いや,それ以上がこの世界で出来てる」

「お前が何を言いたいか,さっぱり分からない!」

 無性にイライラする.両の掌に力を籠めると,長手袋が熱を帯びた.

「だから,この世界マグナ・スフィアは,壊させない!」

「うるさい! 最大呪文,九頭竜劫火ヒュードラー・イン・フィエルノ!」

 ヴァネッサの背中から,九つの頭を持つ竜の形をした炎が現れた.一つ一つが丸太ほどの太さがある.

 轟轟と音を立てて竜の頭が火を噴く.

 炎で出来たあぎとを開き,炎の牙を剥きだした.

 九つの猛火はとぐろを巻き,身をうねらせながらシノノメを襲った.

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