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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第26章 世界の浸食
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26-4 炎のヴァネッサ

 美里亜みりあは何もかもが面白くない。

 AIが自動的にこなす様な雑務を、自分に押し付ける上司。

 その頭越しな物の言い方も。

 油臭い臭いも。

 ファッションとネットの噂話ばかり気にしている同僚も。

 無能なくせにプライドばかり高い部下も。

 結婚しろとうるさい田舎の両親も。

 近所の隣人が見る目も嫌いだ。

 自分の部屋に居座って、だらだらしている彼氏も。


 昨日、くたくたになって会社から帰ると、その彼氏がヘラヘラ笑って言った。

「俺、異世界転移しようと思うんだ。どう思う?」

 自分の価値を認めてくれるような仕事が見つからない。

 だから心機一転、別の世界に生まれ変わるのだという。

 体を国に譲り渡して、意識を電脳化した人格として、マグナ・スフィア(仮想世界)で生活するという事だ。

「お前はあっちの世界で有名人だろ? だから、いいじゃん」

 上目遣いに笑いながら言った。

 結婚するだけの経済力が無いのを棚に上げ、異世界に行って結ばれるのだと、歯が浮くような台詞を口にした。

 言葉を失った。

 何を言ったらいいのか分からない。

 そんな自分の態度を肯定と受け取ったのか、それからずっと彼氏は喋り続けた。

 曰く、異世界でエンジニアになって、一旗揚げるのだと。

 色々な物を発明して、カカルドゥアやアメリア大陸と貿易をするのだと。

 異世界で資本家になって、ひょっとしたら一国の主にもなれるかもしれない。

 永遠に若いままで、マグナ・スフィアの権力者になる。

 炎の魔女と組めば、大陸統一だって夢じゃない。

 そして最後に、ためらいがちに、異世界で結婚すればいいと言った。

 くだらない。

 現実世界で何もできない奴が――何かに耐えることが出来ない奴が、どこかに生まれ変わったとして何ができるというのだ。

 本心から言えば、そのまま蹴り飛ばしてやりたかった。

 こいつの事が心底嫌いだ。

 煮え切らない優柔不断な態度も。

 曖昧な笑顔も。

 なのに、こんな男が好きな自分も。

 関係を止めることが出来ない自分も。

 外面が良いだけの自分も。

 だから、こう思う。


 ……みんな燃えてしまえ、と。


 ***


「来た! 全員,抜剣せよ!」

 クルマルトの命令で,エルフの精鋭たちは剣を抜いた.


 ヴァネッサたち炎の魔女が作る,凄絶な戦火――それでいて美しい花火の様な光を中心に,巨大なアブを思わせる飛行機械が集まっている.

 飛行機械はずんぐりとした胴体に,振動する半透明な羽根を持っていた.

 ふと,そばを飛んでいた一体が,ぐるりと首をたじろがせるようにして振り返った.

 ブリューベルクの中心へと向かうシノノメ達に気づいたのだ.


 うなりを上げて向きを変え,巨大な複眼に似た風防キャノピーをシノノメ達に向けた.

 魔法院の増援と考えたに違いない.


「ちっ.仲間を止めに来た,などという話が伝わる相手ではないな」

 鈎爪のついた黒い脚を振って天馬の頭を攻撃してきたので,クルマルトは身をかがめながらそれを避けた.当たれば天馬の首ごと騎手は刈り取られてしまうだろう.

 後ろの騎手はかわし切れなかったらしかったが,剣を振って鈎爪の軌道を反らした.NPCとはいえこの身ごなしは,さすがにハイエルフの精鋭部隊の一員だけあった.


 自分たちの領土テリトリーへの新たな侵入者.気づいた飛行機械たちは次々と回頭して,天馬部隊ペガシオンに向かって来た.


「うわー,虫がいっぱい.ぞわっとする」

 シノノメは思わずクルマルトの背中に隠れた.


「無敵のシノノメ殿にも苦手なものがあるのですか?」

 少し笑みを含んだ声だったが,クルマルトは素早く手を動かしていた.納刀したかと思うと,鞍につけていた弓を持ち替え,あっという間に矢をつがえて放った.

 ひょう,と甲高い風を切る音がする.


 あんな大きなものに弓矢なんて通用しない……そう言いかけたシノノメは,そっとクルマルトの視線を追って驚いた.

 オリハルコンの矢尻は,過たず飛行機械の羽根の付け根を貫いていた.しかも,両の羽根に二本ずつ突き刺さっている.一つの音にしか聞こえなかったが,クルマルトは一瞬で四本の矢を放っていたのだ.

 飛行機械はしばらくよろよろとぎこちなく羽ばたいていたが,やがて羽根が付け根から千切れ,真っ逆さまに地上に落ちて行った.

 すでにブリューベルク市街地の辺縁部に入っている.

 移住者たちの防衛網である飛行機械群は,じりじりと押されて――あるいは,ヴァネッサたちに引きずられるように移動しているのだ.

 おもちゃ――あるいは,遊園地の様な街並みに,吸い込まれるように機械昆虫は落下していった.


「すごい!」

「貴女の友人の,アルタイルほどではないかもしれませんが,ハイエルフにとって,弓はたしなみの一つです」

 クルマルトは弓を掲げ,部下に指示を出していた.アーチェリーのスタビライザーを取り付けるように,弓に着剣した.弓から垂直に刃が突き出して,ギラリと光る.近距離に敵が近づいてくれば,剣で相手を切り裂く準備だ.


 花火を中心に群れる黒い雲――そこから何体もが離脱して,天馬部隊ペガシオンに牙を剥く.

 ハイエルフたちは冷静に矢を放ち,確実に飛行機械の急所を狙い撃ちしていた.羽根の付け根や,昆虫の急所である胸神経節である.


「所詮,動物を利用して作った乗り物.急所は同じだ」

 クルマルトはそう言いつつ弓の弦を引き絞る.

 矢は過たず敵を貫いていたが,確実に本数が減っていた.

 プレーヤーの持つマジックアイテム――要はゲーム的な器物とは違って,矢筒に矢が出現したり補充されたりという事はない.


 このままでは無理だ.やがて限界が訪れる.

 密集しているので,同士討ちを恐れて飛び道具は使ってこないが,いくらハイエルフの軍隊が強くても,多勢に無勢である.

 シノノメはクルマルトの肩越しに巨大昆虫――飛行機械の群れを覗いた.

 やはり苦手だ.脚や目が沢山ある所が気持ち悪くてならない.

 しかし,事は一刻を争うのだ.


「防虫剤とか,蚊取り線香が効けばいいのに……それか,ゴオッて,燃やしちゃうかできれば」

 群れる昆虫たちの向こうで,ひときわ大きな火花が上がった.

 それにしてもスプレーの殺虫剤が効きそうには見えない.操縦しているのは人間で,一応機械なのだから.

 だが,一番の問題は自分の魔法との相性だった.

 最も得意とする“グリル・オン”の魔法は,要するにガスレンジ,グリルを任意の場所に発生させる魔法だ.だが,普通の炎の魔法と違うのは,基本的に炎が出る“場所”あるいは“土台”が必要な事だ.

 シノノメには,普通の魔法使いがするように,杖や手から炎を放って相手にぶつけることはできない.

 こんな空の上では,一体ずつ着火しなければならないのだ.

 サイクロン掃除機を模した風の魔法なら,相手を吹き飛ばすことはできる.だが,吹き飛ばすだけでは,また飛んで戻って来るに違いない.しかもこれだけの数である.大きな相手の集団を倒すには,不向きだった.


「困ったな……」

 シノノメはクルセイデルの事を思い出していた.

 彼女は自在に物質を変換し,宙から物を取り出すことが出来る.

 レベル云々という事よりも,確信に近い強力で自由な想像力,空想力が成せる業なのだ.

「もしあれを一気にやっつけるとしたら……」

 自由な空想力.

 そうは言っても,シノノメには料理や掃除の事しか思いつかない.だいたい虫は苦手なので,家でゴキブリが出たときも,全部夫にやっつけてもらっていたのだ.

「新聞紙で叩く……バルサン……フマキラー……箒で履く……泡で固める……虫ころり……」

「あっ」

 クルマルトの声がした.

「ど,どうしたの?」

「私としたことが,外しました.シノノメ,さっきから呟いているのは異世界の呪文ですか?」

 シノノメの言葉がそう聞こえたせいで,気が散ったらしい.

「えー,ううん,何か魔法でババっとやっつけられないかなと思って」

「むう,私なら……燃やしてしまいますがね」

 そう言いながらクルマルトは矢を放っていた.今度は蠅に似た飛行機械の羽根に,見事に命中していた.

「私に魔法が使えれば,それこそ料理してやりますよ」

「料理? 私,虫の料理なんてできないよ」

「ふふ,私も食べませんが,ゴブリンどもは油で揚げたり,丸焼きにしたりして食うと言いますね.奴らが昆虫を素材にしている限り,火に弱いのは間違いないでしょう」

「うえーっ」

 だが,その瞬間,シノノメの頭には明確なイメージが浮かび上がっていた.

 かがり火に飛び込む虫の映像だ.

 ――黒い火皿から立ち上る炎に,鱗粉をまき散らしながら燃やされていく夏の虫たち.

「ちょっと失礼!」


 シノノメはクルマルトの肩につかまると,天馬の鞍の上に立ち上がった.

 目もくらむ高さなのだが,気にしていられない.

 膝に力を籠め,上空を行き交う羽虫たちを睨んだ.

 ピョコンとエルフの背中から顔を出した和服の少女に,一瞬驚いたように大虻に似た機械が動きを止めた.

「鍋蓋じゃなくって,大鍋シールド!」

 両手で円を描くと,空に輝く青い魔方陣が発生した.だが,通常のシールドとは異なりシノノメの頭上に水平に浮かんでいる.

「植物油たっぷり! 中華鍋ウォック,ジュウジュウ!」

 その言葉通り,空に現れた魔方陣は中心部が凹み,パラボラアンテナのような形になった.凹みにはたっぷりと鈍い光を放つ液体が溜まっている.

「グリル・オン!」

 一瞬で燃え盛る炎が発生した.炎は天を突く勢いで燃え盛り,巨大な火柱になった.

「えーい! 危険な天ぷら攻撃!」

 ブン,と投げるような動作をすると,炎の鍋はひっくり返った.

 火柱が揺れながら,敵の軍団にぶちまけられた.

 火のついた液体が空いっぱいに飛び散り,炎の道となって次々と巨大昆虫を飲み込んだ.

 油がジュウジュウ,パチパチと音をはねてはじける.

 さすがに燃やし尽くす威力はない.

 しかし,表面をこんがりフライにされ,羽が動かなくなった飛行機械はよろよろと地上に落下していった.

 しかも,背中やお尻に火がついたままなので,飛び火を恐れた飛行機械がばらばらと隊列を崩し,逃げはじめた.

 火をつけて慌てふためいている様子はどこかみっともない.昆虫型の飛行機械だけに,まさに,蜘蛛の子を散らすよう,である.

 油が飛び散った方向に沿って,天馬部隊ペガシオンの前に黒い雲の切れ目――道が出来た.


「今だ!」

 この機を逃す男ではない.クルマルトは手綱を引いて叫んだ.

 一斉に天馬たちが突入する.

 それでも何体かが行く手を阻もうと飛んできた.だが,すぐにエルフの矢がそれを撃ち抜く.

「お掃除サイクロン!」

 単体なら何とかなる.シノノメは体勢を崩した飛行機械を吹き飛ばした.

 みるみるシノノメが作るのとは違う別の炎の中心――花火のように美しい,それでいて危険な火花が近づいて来た.

「見えた!」


 一際大きな飛行機械の周りを,跳ね回る様に飛ぶ高速の物体が見えた.

 とんがり帽子をかぶった魔女たちだ.炎の尾を引きながら,あるいは火炎を放ちながら攻撃している.

 攻撃されているのはどうやら飛行部隊の司令船らしく,ずんぐりとした飛行船の胴体を持つ蛾のようなフォルムで,飛行戦艦とでも呼ぶのがふさわしい大きさだった.飛ぶ魔女を狙ってあちこちから火線が放たれている.

 空中要塞の様な物で,あちこちに機銃を備えているのだ.


「あまり近づくと,奴らの機関銃にあたってしまう!」


 天馬は右に旋回しながら,絶妙の距離を保った.

 母船を攻撃する敵を何とか迎撃しようと,蜂に似た機械が魔女を追う.だが,炎の魔女たちは圧倒的な機動力で飛んでいた.バイクと自動車の追跡を見るようで,空中で自在に,唐突に軌道を変える箒はとても追いきれるものではなかった.


「ぐわっ!」

「スタリオン!」

 後方でハイエルフの声がした.一人機銃に被弾したらしい.


「けがをした人は,低空飛行で逃げて!」

 負傷者をかばいながら戦う余裕はない.

 クルマルトが後ろを向いて頷く.負傷したハイエルフの騎手は口惜しそうな顔だったが,意図を悟ったのか頷くと,高度を落としていった.

 ふと,飛行戦艦の左舷が火を噴いた.


「ひゃははは!」


 同時に高い笑い声が夜空に響く.

 シノノメは声の主を追って視線を上に向けた.

 燃え盛る炎に照らし出され,戦艦の上空で両手を広げる人物が見える.

 赤いとんがり帽子に赤いローブを翻し,その魔女は箒の上に立っていた.

 杖は持っていない.代わりに,ノースリーブの腕に上腕まである長い赤い手袋をつけている.

 手袋には光る神聖文字が浮かび上がっていた.杖の代わりに魔力を増幅し,長い呪文詠唱を不要にするアイテムだ.


「いーい火種だ! 遠慮なく使わせてもらうよ!」


 魔女――ヴァネッサの声が夜空に響いた.その声は金管楽器の音のようで,ブンブンという羽音の中でも高らかに耳を突いた.


「オルディーベヘシュト! リ・アーマ! エクスプロ―マ!」

 ヴァネッサが腕を組んで開くと,夜空に連鎖する爆発が起こった.

 辺り一面に,炎の気球――巨大な火球が無数に出現した.


「そんな!」

 シノノメは悟った.自分の放った炎を利用して魔法を使ったのだ.

 こと炎に関しては,何という瞬間の発想力だろう.

 禍禍しくも美しく,虫の群れが爆裂し四散する.

 天馬部隊ペガシオンは爆発を必死で回避したが,また数名が脱落した.

 連発する巨大な火球の間を,炎の部隊――ヴァネッサ麾下の魔女たちが激しく飛び回る.

 何人かはこの爆発に巻き込まれてしまっている.だが,ヴァネッサがそれを気にしている風はない.


「この瞬間瞬間を燃やせ! 天空のワルプルギスの宴さ!」

 ヴァネッサが笑う.その声には一抹の狂気が感じられた.


「みんな……! 燃えてしまえばいい!」

 嗤い狂うヴァネッサの瞳に,炎が映っている.


「これが……炎の魔女ヴァネッサ……」

 シノノメは背筋に冷たい物が走るのを感じた.

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