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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第25章 魔法共和国の終焉
203/334

25-14 渦巻く風

 送ってもらったクルマルトへのお礼もそこそこに,魔法院に着くや否やシノノメは走り出していた.

院内が慌ただしい.これから夕刻になろうかという時間であったが,大勢の魔法使いが廊下を行き来していた.

 横目に見られながら,シノノメはまっしぐらにレラの私室へと駆け上がった.

 息が切れる.一回深呼吸をしてからシノノメは白木のドアをノックした.


「はい,どうぞ」


 普段と変わらぬ淡々としたレラの声が返って来たので,シノノメはそっと戸を開けた.

 レラは前と同じように木の机に座り,水晶玉から空間に投影される映像を見ていた.

 石造りの建物の間に,激しい炎と火花が散っている.

 首都ミラヌスでの戦闘を映し出しているに違いない.

 それを見るレラの表情はやはり冷静でいつも通りだった.


「レラさん……」

 シノノメはゆっくり机に近づいて行った.

 羽毛が頬をかすめ,後ろへ流れていった.

 “風の部屋”の中がざわついている様な――風の妖精たちがヒソヒソと話し合っている様な落ち着かない空気を感じる.


「ああ,シノノメ.そろそろ来る頃かと思っていました」

 口調にはいかなる抑揚もない.冷静沈着なレラのままだった.一瞬魔法院が参戦したという事実が嘘なのではないかと思ってしまう.だが,道すがら確認したのだ.クルセイデルは魔法院にいない.決断したのはまぎれもなくレラであることを.


「これ,どういう事?」

 何から話したらいいのだろう.シノノメはとりあえずクルマルトにもらった広報を差し出した.本当はシノノメも自分のメッセンジャーに同じ内容の知らせが届いているはずなのだが,そんなことを考えている余裕はなかった.

 机の上に乗せられた紙片を見ても,レラに変わった様子は見られなかった.

「恐ろしい事です.オクティヤヌスがカカルドゥアの人身売買に関わっていたなんて」

「それで魔法院の参戦を決めたの?」

 やっと切り出せる.シノノメは重いその質問を吐き出したが,レラは淡々としている.


「アメリアへの臓器密売に関与していたオクティヤヌスにはすでに賞金がかけられました.逮捕,拘束のクエストが発注されているようです.多分この戦争が終わった後に裁判にかけられるでしょう.シノノメさんはクエスト依頼を見ませんでしたか?」

 レラは広報を一瞥し,シノノメの方に押し戻した.

「そう言う事じゃなくって……こんなことを証拠だって言うの? これ,私よく知ってるよ.カカルドゥアで,カエル人間の人が秘密の研究所で使ってたコンテナ.でも,タッパーみたいなもので,保温が効くからお家で使ってただけかもしれないよ」


 シノノメの言っているのは嫦娥の工房の事だ.ヴァルナやアーシュラと一緒に徹底的に壊したのだが,これと同じ箱を見つけたときのダーナンの怒った様子はよく覚えている.

 レラは両手を組み合わせ,かすかに首を傾げただけだった.


「そうなんですか?」

「だって,ミラヌスの真ん中の貴族の邸宅で出来るような事じゃないもの.子供をさらってきて,閉じ込めて……商品に加工して……魔法院より大きな秘密基地でやってたんだよ」

「ミラヌスには奥の院にアメリアに行けるゲートがあります.それを使って少人数の機械人が行き来していたのかもしれませんよ」

「それはそうかもしれないけど……でも,こんなゴシップ記事みたいなのをもとに,魔法院が中立を破って戦争に参加するなんて……」

 中立はクルセイデルの心に叶った決断の筈だ.それを覆すだけの理由にはなり得ない.シノノメはそう思った.

「根拠が弱いということですね」

「う,うん」

 レラは手を軽く振った.腰板がハンモック状になった不思議な形の椅子が歩いてやって来たので,シノノメはそれに腰を掛けた.


「ですが,ミラヌスの最中枢――奥の院と議事堂,政府の官庁施設がある枢軸区は戦争や災害から守るために,魔法院の魔法が使われているのです.それが悪徳政治家を守るために使われているとあっては,解除ディスペルせざるを得ません.それに,政府軍となったマギカ・エクスマキナの部隊が頑強な抵抗を続けていて,ガイウス将軍側に今大きな被害が出ている様なのです」


 それで参戦する,というのか.シノノメはレラが何かを隠している様な気がしてならなかった.

「あ,そうだ.その事で,大事な事を言わなくっちゃ.私,ボランティアに行ってた時にメムのサバトと戦ったの」

「サバト……マギカ・エクスマキナの代表の一人,サバタイオスとですか?」

 レラの声のトーンが初めて変化した.


「いつの間にか気を失ってて……クルマルトさんにここへ連れてきてもらったんだけど……その時,大事な事を聞いたよ.メムはそのうちガイウスさんに降参っていうか,戦争を止める気なんだよ」

「正規軍に参加しているメムが,投降してガイウス将軍の軍門に下るという事ですか?」

 レラの声は喜色を帯びているように聞こえたので,シノノメはいぶかしんだ.

「メムもガイウスさんがシーザーなのは分かっているんだって.だからサバタイオスはガイウス将軍の好感度が上がるように市民を洗脳して回ってるの.」


「なるほど.戦争に,あるいは自分たちの投降に大義を与えるためですね.やはりそうですか.オルレワンの時に怪しいと思っていたけど,民意を自在に操作する扇動者アジテーターの能力者がいるのね」

 レラがニヤリと笑った.

 シノノメはその笑みの意味を理解した.


「レラさん……全て,予想してたの?」


 レラは銀色の髪をなびかせて立ち上がった.すらりとした容姿のレラが腕を組んで笑みを見せる姿は颯爽としていて美しい.興奮のためか白い頬が紅潮していた.


「いずれ時間との勝負になるとは思っていたけれど,間に合ったということね」

「どういうこと?」

「マギカ・エクスマキナは現実世界からの移住者――中には歴史マニアもいるでしょうし,ガイウスがユリウス・カエサルであることに気づく人間はいると読んでました.そうなれば勝者側につきたい――自分たちの活動を維持するために,いずれ投降することもね」

 レラが満足げに頷く.


「じゃあ,魔法院が参加しなくてもこの戦いは終わる――そうでしょう? メムがガイウスさんに協力すれば,あっという間に戦争は終わるし.魔法院は放っとけばいいよね」

「そうはいかないわ,シノノメ.これはチェスや将棋と同じ.パワーゲームなの」

 レラの後ろを風が通り抜け,部屋の中に渡した白い布が震えた.


「マギカ・エクスマキナは今のところ,首都で激しく抵抗している.これは,一種の示威行動なの」

「自分を強く見せるってこと?」

「そう.強い敵であるほど,投降したときに自分たちの価値を売り込むことが出来る.強大な武力を傘下に引き入れたガイウス軍の価値を上げ,降伏後はガイウス軍の中での存在感が増す」

「敵ながらあっぱれ,ってことだね」

「やがて間違いなくガイウスはこの戦いに勝利し,場合によってはウェスティニアの各地を転戦して全土を掌握するでしょう.その中でメムはどんどん力を増すでしょうね.初代ウェスティニア皇帝が誕生した時,移住者たちはどのくらいの特権を手にしているかしら」


「魔法の軍隊を持つウェスティニア……」

「そう.空を駆け,炎を吹く兵器を操るウェスティニア魔法帝国よ.その中でやがてメムの矛先は魔法院に向けられるでしょう」

「そんな……」

「中立を保つ――つまり,皇帝の擁立に手を貸さなかった,しかも強力な魔法を操る組織.魔法院の位置も悪い.あまりに首都ミラヌスに近すぎるの.権力者側はメムの魔法具というそれに伍する兵器を手にしている.その時,自分たちの喉元にある厄介なものを排除するために動くことは想像に難くないわ」


「戦争が終われば,メムだって仲良くなれるかもしれないよ.ちょっとオタクっぽいかもしれないけど,学校同士で交流したりできるかもしれないし……」

 シノノメにはマギカ・エクスマキナそのものにそれほど悪意があるとは思えなかった.

 彼らが現実世界から持ち込んでいる文明の利器は,幻想世界を無自覚に壊している.もちろん,それについては何とかしなければならないと思うが.


「無理よ.私たちプレーヤーは現実世界の辛い日常を生き抜き,この幻想世界にオアシスを求めているの.異世界転生だのなんだと言って,現実世界からこちらにやって来た落伍者の集団,弱虫たちとは違うわ」

 レラは机に両手を強くついて言った.銀の髪がはらりと美しい額に一筋かかった.

「グリシャムに聞いてるわ.シノノメはメムの学院に行って,気持ち悪がっていたって」

「え……そう?」

「イマジナリーフレンドと言うんですって? 人工的に設計された理想の恋人に取り巻かれながら,ずっと仮想世界で生活するというのが不気味だったんでしょう? 私でも想像するだけで身震いするわ」

「う,うん……」

 確かにそうだった.あんなものは本当の恋人でも何でもない,と思った.

 けれど……確か,あの黒髪の少女――ココナといったか.

 仲間の爆撃の中で,自分の恋人を守って一緒に砕け散っていったあの姿が,ずっと心の隅に残っている.

 支えられて生きているという事――支えられないと生きられないという弱さそのものが,単純に悪いとは言い切れなかった.

 身震いするという言葉の通り,レラは自分の腕を抱きしめていた.冷たく怖い印象すらあったレラがこんな姿を見せているというのは,少し距離が近づいた気もする.

 だが,しかし.


「だから,今しかないの.オクティヤヌスの犯罪が本当かなんて構わない.今このタイミングで軍事介入して,マギカ・エクスマキナを完膚なきまでに倒す.それが今後の魔法院の存続のためなの」

 それでも,この言葉には賛成できない.

「彼らが見せ場を作る前に魔法院が圧倒し,ガイウス将軍を勝たせる.そして……ブリューベルクは殲滅する.跡形もなく」


「そんなことができるの? でも……」

 シノノメはためらいながら言葉を継いだ.この言葉を発すれば,レラはきっと快く思わないだろう.怒るかもしれない.けれど,言わざるを得ない.

「クルセイデルはそんなことを望まない……」


「……そうよ」

「えっ?」

「クルセイデル様は,こんなことはお望みになるはずがない.でもね,あのお方が来られるまであと四時間はあるわ.その間に全てが終わるの.この仮想世界ユーラネシアから,マギカ・エクスマキナは跡形もなく消える」

「クルセイデルのいない間に……」

「全てが終わるわ.そうすれば,また元通り.あのお方の愛する幻想世界が続くの.クルセイデル様の築き上げた魔法院とともに,永遠にね.それが出来るなら,私はどんなに罰せられても構わない.……例え,魔法院を追放されても」

 レラは灰色の瞳で,じっとシノノメの目を見つめた.

 真剣で澄んだ瞳だ.クルセイデルへの愛と魔法院への忠誠心が伝わって来る.

 それは殉教者のようだった.

 だが,一抹の狂気に似た感情を覚えざるを得ない.


「でも……でも……そんなの,やっぱりファンタジーじゃない.私,ミラヌスに行って,戦争を止めてくる!」

 シノノメがそう言って立ち上がるや否や,天井から凄まじい風圧の空気の塊が降って来た.

「貴女はそうすると思っていた.でも行かせないわ.私の筋書シナリオ通りに事を運ぶの」

 この流れも読んでいたというのか.レラは密かに呪文詠唱を進めていたのだ.そもそもここは“風の部屋”,レラの得意とする風魔法に有利な環境なのである.


「く……こんなの」

 床に押し潰されそうになる.座っていた椅子がきしみを立てて壊れ,シノノメは膝をついた.レラはそれを冷徹な目で眺めている.

 抵抗しながらシノノメは左手の親指と薬指,小指の先を合わせた.

「お掃除サイクロン! 逆回転!」

 手を振ると同時に強力な風が巻き起こり,後ろの壁で空気の当たる爆音がした.

「なるほど,空気の壁を真空で吸引して方向を変えたのね」

 淡々と分析するレラの声がする.

風牙フーガ! 突火咫トッカータ!」

 いつの間にか手に杖を持っていた.アイテムは術者の魔力を増強し,長い呪文詠唱を省略することが出来る.

 机の上で球状に空気がわだかまっているのが見えた.空気が見えるというのは変なのだが,そこだけ細かく空気が振動しているのだ.ぎょっとして見ていたのも束の間,球体は小さな雷――稲妻を放ち始めた.

 連動するようにレラの指の先端が光を帯びている.

 光の球は二つ,三つと増え,シノノメに向かって飛んできた.

 慌ててかわしたが,見習い魔法使いのベレー帽が少し触れた.触れたところに丸い穴が開いている.触れた瞬間にものが焦げるにおいがした.


「何これ? 火の球?」

「超高熱のプラズマよ.球電ともいうわね」

 レラは指揮者の様に手と杖を動かしていた.それによって自在にコントロールできるらしい.プラズマ球は音楽を奏でるように滑らかに宙を滑った.そして,触れたものは布から石材,ガラス瓶に至るまで球状にくりぬかれて瞬時に蒸発していた.

 軌道はレラの指に操られ,縦横無尽だ.急降下したかと思えば,床すれすれを転がるように移動して急上昇した.

 命を奪うつもりはないようだが,巧みにシノノメの退路を断つ方向に飛んで来る.


「ひゃあっ」

 シノノメは必死で躱した.

 躱した先にまた回り込むように光球が漂ってきた.

 服の端に触れ,閃光が閃く.


「うわっ! 危ない! ヴァルナにはこんな技無かった……」

「ふふ,聖騎士ヴァルナ? あんな大雑把な風使いと一緒にしないで」

 壁を背にしたところへ,二つの光球が飛んで来る.右側は窓だ.レラのいる執務机から随分遠い場所に追いやられた.レラが光球の向こうで微笑んでいるのが見える.


「チェックメイトね.あなたの部屋で大人しくしていて」

 シノノメは両手の中指と薬指を畳んだ.

 ここが風の部屋――風の元素の力に満ちた場所なら,自分の魔法も効果が強くなるはず.

「ノンフライヤー!」

 光球を巻き込む風と炎の壁が発生した.

「グリルオン! お掃除サイクロン! そして! ラブ!」

 矢継ぎ早に呪文を叫ぶ.

 風の部屋に爆炎が立ち上り,もうもうと煙が発生する.

「くっ!」

 レラは慌ててローブの裾を翻し,風の防壁を発生させた.

 ダメージはない.だが,凄まじい煙だ.


「レラ様! どうしたんですか! 御無事ですか!?」

 突然の爆音に駆け付けて来たらしい.魔法使い達がドアを叩く音がした.


 風が起こり,煙が徐々に晴れてきた.

 シノノメはいなくなっていた.

 代わりに窓があった壁に大きな穴が開いていた.

 穴から吹き込んで来る潮風が,黒い爆炎を吹き流していく.

 カモメの声がした.

 夕闇に包まれ始めた空が見える.


「これは……どうしたことだ」

「何があったんですか?」

 心配して部屋に入って来た魔法使い,魔女たちが口々に質問する.

 レラは黙って穴の外に見える水平線を眺めていた.


「逃げられたか……でも,これも予想通り.もう一本の矢はすでに放ってある」

 銀色の髪を風になびかせながら,レラは呟いた.

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