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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第25章 魔法共和国の終焉
201/334

25-12 黒衣の二人

「おまちなさい」

 どこか幼さを感じさせる女性の声だ.


「だ,誰だ!」

 アスタファイオスは声の主を探した.

 球状にえぐり取られた森のほとりは静かで,自分とサバタイオス,そして黒騎士とシノノメ以外には誰も見えない.

 しばらく目を左右に泳がせていたが,ふと空中の一点に目が留まった.


「これは……!」

 赤い宝玉が宙で弧を描きながら動いている.消しゴムほどの小さなそれは楕円をちょうど半分に割ったような形をしていて,赤い光の軌跡を作っていた.

 縦長の光の楕円を描き終えると,囲まれた空間がはめ絵の様にずれて開いた.


「クルセイデル!」

 ‘空間のドア’が開き,燐光を帯びた革のブーツが地面を踏むのと同時に,アスタはそこに現れた少女の名を呼んでいた.

 体の再生を終えたサバタイオスも,アスタの後ろで同じ名をつぶやいていた.

 クルセイデルは赤い髪を揺らし,ゆっくり空間のドアを潜り抜けた.魔法院の最も基本的な制服――黒いとんがり帽子とローブに身を包み,左手には先ほど空間を切り抜いて見せたワンドを持っている.指揮棒のような細い棒の先には,輝く宝玉がついていた.

 緑色に輝く瞳は怒りを秘め,燃えるような光を放っていた.


「魔法院の最高指導者,ユーラネシア最高の魔女殿がこんな辺鄙な森の中へ,何の用だい?」

 サバトはいつもの軽い調子で言ったが,どこか虚勢を感じさせた.


「その二人は私のお客様.手を出すことは許しません」

「客だって? 先に目を付けたのは僕たちだよ.君にはお引き取り願いたいね」

 サバトがケラケラと笑ったが,クルセイデルの表情は氷のように冷たかった.

「ふん,では,今のあなたに調子を合わせてあげましょう.サマエル」

 サマエルと呼びかけられたサバトの表情が硬くなった.

「その名前で呼ぶのはやめて欲しいね.僕たちはサバタイオスとアスタファイオス.君には特に呼ばれたくない」

「人間ごっこね.双頭神ヤヌスの様に,あなたたち二人は一つの人格を極端に二つに分けたもので,実質は一人――いえ,一つの物質と変わらないでしょう?」

「うるさい.黙れ!」

「クルセイデル,無礼だ.君はここから立ち去れ!」

 苛立って叫ぶアスタとサバトの瞳が怪しく光った.血液が光沢を持てば,こんな色になるのかもしれない.


「ふふ,立ち去れ? あなた達の言霊は私には効かないわ.知っているでしょう?」

 クルセイデルは目の前の空間を杖で払った.

 パチン,と静電気がはじけるような音がする.

「それにしてもつれない言葉ね.前はあんなに付きまとっていたのに.代わりにシノノメを見つけたから,私はもう要らないってことかしら?」

 クルセイデルは風のように二人の言霊を受け流し,小さな笑みすら浮かべていた.


「僕たちの要求を受け入れなかった,お前なんてもう要らないんだ!」

「元からそうでない生命いのちが,永遠性を得ると変質してしまうものよ.生命とは永遠でないからこそ美しいの」

「奇麗ごとを……死にぞこないになった今でも,本心からそう言えるのか?」

 アスタはぶらりと垂れ下がったクルセイデルの右腕を睨みつけながら言った.

「今だからこそ本心からそう言えるのよ.生まれてたった五年で,永遠の命を持つあなたには理解できないでしょうね.偽の創造主――僭主デミウルゴス


「おのれ……」

 アスタとサバトは激怒していた.冷静と奔放,基本的な性格は違っているが,二人ともいつもは達観した視点で世界を俯瞰している.クルセイデルの言葉は彼らを苛立たせ,感情の平静をことごとく奪って波立たせていた.

 不気味なことに,二人の背後に屹立する銀色の大蛇――あるいは,巨大な管虫もゆらゆらと動いている.不安定な感情に同調しているように――いや,同調しているのだ.

 クルセイデルはそんな二人の反応を完全に無視し,優しい笑みすら浮かべている.


「ブウン」

 黒騎士はゆっくり足を後ろに動かした.事情はよく分からない.しかし,三人が争っている隙にシノノメを抱えて安全な場所に移動したかった.


「黒騎士さん,もう少し待っていてね.これは,シノノメに関わる話でもあるの.それに何より,私はあなたとお話がしたいの」 


 クルセイデルはやんわりと声をかけた。

  視線が逸れたその一瞬を,アスタとサバトは見逃さなかった.

「今だ!」

「死ね!」

 アスタとサバトの声とともに,巨大な銀色の大蛇が体をうねらせた.

 四枚の弁を開き,不気味な口吻から粘液を飛ばしてクルセイデルに襲い掛かる.

「ふふ」

 クルセイデルが左手を軽く振ると,銀色の顎は細かい銀糸の束に変わり,空中で裂けて開いた.

 らせん状に捻じれながら,あるいはまっすぐのまま,クルセイデルを通り過ぎて地面にバラバラと落ちる.

「クラッカーみたいね」

 銀色の紐が散乱した地面は,クラッカーを鳴らした後のパーティー会場か,長期航海に出港する船を見送る埠頭のようだ.地中に繋がった尾の方はいきなり先端を失ってバランスを崩し,ごろりと地面に転がった.


銀蛇ウロボロスがバラバラになるなんて……得意の物質変換か」

「これだけの能力がありながら……」

 アスタとサバトは地面を這う巨大な刷毛はけになってしまった下僕を見つめ,悔しそうに言った.


「ウロボロス……というよりも,メドゥーサみたい.今はまるでイソギンチャクね」

 クルセイデルがそう言うと,銀蛇はしり込みするように地中に後退し,細いひも状になってしまった先端を揺らした.まさにその言葉通りだ.

「あなたがゲームマスターではあるけれど,一つの駒――人格としてこの世界に存在する限り,自身もゲームのルールに従わなければならない――ヤルダバオートが死んだように.ゲームの中である限り,私の有利は動かない」


「くそう……」

 サバトがぎりぎりと音を立てて歯噛みした.

「あなた達アルコーンには,その目と言葉以外に特別な力はないでしょう? シノノメの様な武術の腕も無いはず.今ここで勝ち目は無いわ.退きなさい」

「クルセイデルめ……」

「悔しいけど彼女の言う通りだ.ここは退こう」

 地面を踏み鳴らして悔しがるサバトの肩にアスタは手を載せた.

「アスタ,悔しくないのか?」

「悔しくないはずがないよ.けど,僕たちがこの世界の一部である限り,ここでは君みたいに――小悪魔の様に跳ね回ることしかできないよ」

「ちぇっ」

 アスタが手を触れると,イソギンチャクの様になっていた銀蛇ウロボロスの先端は一度地面に潜り,また同じ穴から前と同じ卵の殻のような先端を突き出した.二人を迎え入れるようにバクリと口を開く.

「じゃあな,クルセイデル」

 サバトはつまらなそうに舌打ちしながら,銀蛇の中に足を踏み込んだ.

 四つに分かれた口吻が閉じ,物を咀嚼する様な動きを見せると,再び口を開いた時にはそこにサバトの姿は無かった.

「ここは去ることとしよう.でも,僕たちはシノノメの事を諦める気はない.そして,クルセイデル」

 アスタは銀蛇の口の中に立った.サバトが無造作に足を放り込んだのとは対照的に,ローブを翻して一礼する.

「君の大事なものも無事では済まないだろう.精々残りの命を大事にするがいい」

 不敵な笑みを浮かべるアスタを飲み込み,銀蛇はそのまま土の中に去って行った.

 完全に銀色の卵の様な先端が姿を消し,くぐもったような地響きが遠ざかっていくのを確認してから,クルセイデルは振り向いた.


「それでは黒騎士さん」

 黒騎士はシノノメを両腕に抱えたまま立っていた.だが,クルセイデルが一歩近づくと,わずかに後ずさりする.

「待って.私はあなたと話がしたいの」

 そのまま軽く頭を下げて去ろうとする黒騎士の背中に声をかけた.


「ブン……」

 機械の頭がわずかに傾いたが,黒騎士は再び歩き始めた.二メートル近くある黒騎士がわずかに歩みだすだけで,中学生ほどの体格しかないクルセイデルからはみるみる距離が離れていく.

 クルセイデルはその背中を見つめたまま,目を細めた.

 そして,ぽつりとつぶやくように言った.


「黒騎士――いえ,黒江さん.それは,ソフィアとの約束?」


 黒騎士の足が止まった.


「誰にも打ち明けず,ソフィアの筋書シナリオに乗ること――そして,欲望の塔に至れば,シノノメは必ず目覚めると――そう言われたんでしょう?」


 ギギ,と機械音を立てながら黒騎士がわずかに振り返った.何の表情も読み取れない機械の顔だが,動揺している様子がうかがえた.


「それを信じて……愛する人と口もきけず――抱きしめたその温もりすら感じ取れない体で――能力スキルも使えない幻想大陸ユーラネシア彷徨さまよって――」


 クルセイデルが痛々しそうに目を細めた.

 黒騎士は今や完全に振り返り,わずかにうつむいてクルセイデルの顔を見ていた.

 目の青色が薄くなり,水色に近い.わずかに光が震えているようにも見えた.


「セキシュウ殿に事情は聞いています.いいえ,彼を責めないで.私が無理を言ったの」

「……」


「ですが,私はあなたに告げなければなりません.ソフィアの言う通りにしても……あなたの望む形でゆいさんが目を覚ますことはないでしょう」

「ブ……ブブン!」

 毅然と言い放たれた言葉に,黒騎士は衝撃を受けていた.ヨロヨロとふらつくように数歩前に歩み出た.


「馬鹿な,と言うのね.気持ちは分かります」

 クルセイデルの瞳は真剣だ.機械のカメラに過ぎない黒騎士の見づらい目を,真摯に見つめている.嘘や出鱈目でないことはよく分かった.


「カカルドゥアの大図書館に,素明羅の宝物殿.ノルトランドの破壊された大書庫.そして,アメリア大陸にも行ったわ.カカルドゥアの摂政,ジャガンナート殿にも密かに会ってきました.この仮想世界と,現実世界の繋がり――つまりは,ソフィアとサマエルが何を意図しているか.できるだけの事を調べ上げたつもり」

 クルセイデルは哀しそうに,しかし楽しそうに言った.

「久しぶりで――そして,きっと最後の大旅行.でも,その結果明らかになったことです.恐らく間違いありません」


 黒騎士は腕の中のシノノメを落とさないようにと,何とかバランスを取り戻していた.体が小刻みに動いていて落ち着きがない.体のあちこちからアクチュエイターの音がした.


「ソフィアもサマエルも,人間が創りだしたもの.でも,人間より賢く,そして,人間の様に――嘘をつき,だますの」

「ブウウウウウウ……ン」

「そうね.私の言っている事が本当かどうかも,同じように分からないわね」

 クルセイデルは頷いた.


「では,あなたしか知り得ない事を幾つか言いましょう.シノノメはやがてアメリアに行き,あのタワー・オブ・グリード――強欲の塔,欲望の塔の最上階に行かなければならないのでしょう? そして,あなたは――そこで彼女と戦わなければならないのね」


「ブオオ!?」


「いいえ,誰に聞いたわけでもない.全てはこれまでの事実の積み重ねと推理,予測から導き出したものよ.シノノメがマグナタイトのナイフを手に入れた事も,エクレーシアの指輪を手に入れた事も全て繋がっている.全てはソフィアの考えた最終舞台ファイナルステージに向かうための布石」


 明らかに狼狽していた.黒騎士は受けた衝撃が大きかったのか,知らず知らずのうちにすっかりクルセイデルの傍に歩み寄っていた.小さなクルセイデルが黒山の様な機械人間を見上げる形になる.


「でも,それではダメ.確かに,シノノメは――現実世界に帰るでしょう.でも,それは,ソフィアの望んだ形.あなたや,そして彼女の祖母であり,私の親友だったカタリナが望んだ姿では決してないの」


 クルセイデルは魔法の杖を仕舞うと,黒騎士の腕に抱かれたシノノメの背にそっと触った.

 黒騎士は肩を落としながら片膝をついた.

 それでやっと胸に抱かれたシノノメがクルセイデルの顔と同じ高さになった.


「素晴らしい子――辛い記憶や失った欠片があっても,正しい心と思いやり,夢と希望を忘れない――」

 クルセイデルは幼い子供にするように,シノノメの頭を撫でた.サラサラの髪が黒騎士の腕を伝って流れる.

「あなたにとっは宝物のような存在なのでしょうね」


「ブ……オオオオ?」

「どうすればいいのかと? ええ,そうよ.あらがうの」

「ブビュン?」

「彼女がこういう状態になったことが運命で,神を名乗る人工知能がシノノメとの出会いを運命というのなら,私たち人間はそれに抗わなければ」

「ブウン?」

 黒騎士はシノノメの顔を見ると,指をわずかに動かした.武骨な機械が体を傷つけないように心配しているらしい.

「ええ」

 クルセイデルは自分に対してそうするように,一つ強く頷くと,意を決したように口を開いた.

「方法は,たった一つ.そしてそれは,きっとあなたの中に鍵があるの」


 黒騎士は首を傾げた.


「最後の断片を取り戻すために必要なのは,あなたの記憶.だから私は何としてもあなたと話したかった」


 青白かった黒騎士の目の光が,青緑を帯びて濃くなった.


「あなたの話を聞かせて欲しい.でも……その前に」

 クルセイデルは少女の顔に,真に少女らしい笑みを浮かべて言った.


「隣に座って下さらない? 見上げて話すのは,首が痛くなっちゃうから」

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