25-9 機械大陸の影
「バスクス,市の北部はどうだ?」
「はっ,将軍,すでに内門の外側まで制圧しました.市民は協力的です」
「分かった.五百をそこに駐留させて,一旦休息をとれ」
「了解しました」
ガイウスは満足そうにうなずくと,折り畳み式の魔法具‘携帯電話’を切った.
「全く,これは便利だな」
「将軍,南側の部隊にも指示をお願いします」
「分かった」
「北東方面の守備部隊から連絡です」
「了解した」
ガイウスは次々と部隊長たちに指令の電話をかけた.先ほどから矢継ぎ早に指示を出している.
内戦が始まってからすでに三日,政府軍と反乱軍のにらみ合いが続いていた.
ミラヌスの北と東側はすでに反乱軍が押さえている.
序盤こそマギカ・エクスマキナの魔法兵器に手こずったガイウス達だったが,次第に盛り返しつつあった.
シノノメは冴えないおじさんなどという印象を持ったが,ガイウスは天才的な軍略家だったのだ.
反乱を開始する前に買い付けた大量の銃と魔法武器の部隊を巧みに配置し,騎馬と組み合わせながら政府軍を次々に破っていた.
もともと,ユーラネシアンからなる市内の守備部隊は十分な武装を持っていない.しかも,ガイウスの率いるのは精強で知られる部隊である.
今,彼は市の東側に陣幕を張って本陣を設営していた.
「全く,すごいやり方ですね.これならいちいち伝令兵を飛ばす必要がない.飛竜より早いし,早馬なんて問題にならない」
副官であるロトヴァイルは唸った.
「ふふん,北東大戦の時の素明羅軍を真似ただけさ」
ガイウスは照れ臭そうに頭を掻いた.
「あの時,素明羅側に強力な軍師がいたそうですね」
「――ユグレヒトと言ったかな.こういうのを,作戦司令部と呼ぶのだそうだ.南都の布都主将軍は知り合いでな」
「これなら情報伝達に時間差が無いですね」
「南都防衛したセキシュウ殿たちは,こんな風に連絡を取りながらシノノメ殿をベルトランのところに送り込んだんだとさ」
「むう,外つ国の知恵,さすがですね.それで,鹵獲した兵器ですが……」
「おお,どうなった?」
「やはり,メムの魔導士にしか動かせないようでしたので,将軍の御指示通りにしました.今から早速出撃です」
「そうか.あの案は,ノルトランドの真似なんだがな」
ガイウスは顎を撫でながら,ニヤリと笑った.
「どうどう,進め,進め!」
大きな地響きとともに,竜が進んで来る.
四つ足で歩く草竜だ.身体は緑色っぽい甲皮に鎧われている.
首が長いが,現実世界の生き物ではサイやトリケラトプスに似ている.
肩の上には,手綱を握る竜使いがいた.
竜は二十頭ほどいたが,背中に大きな鞍状のものが取り付けられ,そこには黒々と光る砲身が取り付けられていた.多連装砲もあれば,ロケット砲もある.
竜の部隊は行儀よくガイウスの前に整列した.
「おう,なかなか良い出来じゃないか」
「ありがとうございます.ドワーフの職人や,外つ国人の職人に手伝ってもらいましたので」
「ほう.あの竜使いもか?」
「ええ.今回の将軍の義挙に快哉を叫ぶ者は,我々ユーラネシアンだけではございません」
「ふうん……ふふん,いくらかかった?」
「これは……さすが将軍,一頭当たり五万イコルほどです」
「まあまあだな.戦争が終わったら請求書を回してもらうか」
飛行兵器や巨獣兵は操縦できない.だが,搭載されている武器は使える.
それに気づいたガイウス達は,次々と解体して自軍の武装強化に利用していた.
軍隊としての練度が違う.それにもともと,古代から軍隊は土木作業が得意なのだ.征服した土地に道路を作り,橋を架けることはお手の物である.
飛行兵器は入り組んだ街の街路に誘いこんで壁を崩し,巨獣兵には念入りに偽装した落とし穴で対処していた.
メムの魔導士たちは死ぬとブリューベルクの学院で復活するので,後には壊れた兵器が残る.あとはそれを奪うだけだった.
最初は馬が引く戦車に迫撃砲を載せたり,騎兵に銃を持たせて機動部隊にしたりして運用していた.
さらに大型の兵器を運用する方法として,この竜戦車を仕立て上げたのだ.まさに,ノルトランド軍がかつて使った戦術に近い.
「よし,行け!」
竜使いが指示を出すと,巨大な雄叫びとともに竜たちは歩き始めた.
市の中央部に続く,大通りを突進していく.
市内の正規軍――ユーラネシアンの軍隊,しかも一般の兵卒はろくな武装を持たされていなかった.貴族たちは自分を警護する私兵にしか魔法具の武器を装備させていないのだ.普通の槍や剣など,竜戦車相手には全く歯が立たない.
「砲撃!」
一斉射撃が始まった.
弓矢で対抗しようとしていたミラヌスの守備隊は逃げ惑っている.
たちまち内門に迫り,今にも突破しそうな勢いだった.
「このままいけば,オクティヤヌスの首をとるのも時間の問題ですな」
ロトヴァイルが嬉しそうに言う.
「いや,まだ分からない」
「どういうことですか? 首都にいるメムの魔導士は,そう多くないはずです.それに,彼らは何と言うか……突き詰めるとどっちつかずで,我々ユーラネシアン――政府軍を死守する士気が乏しい」
「そこさ」
ガイウスは天幕の中に戻ると,机の上に広げられたウェスティニアの地図を指さした.
人差し指の先には,マギカ・エクスマキナの本拠地ブリューベルクの文字がある.
「ブリューベルクの監視部隊によると,あいつら兵器を増産しているらしい.圧倒的な数を確保して,俺たちを捻りつぶすつもりでないとは言えないだろう」
「むう,東北には魔法兵器を持った部隊を配置していますが,それ以上に強力な武器をそろえてくれば,突破されて我々本隊の背後から攻めてくる位置関係ですね」
「そうなると,俺たちの方が首都の貧弱な部隊ではあるが――政府軍とメムの挟み撃ちになるわけだ.おまけに,これ」
自軍の位置を示す木片の下の方――南側に視線を移しながら渋い顔をした.
四角い木片が三つ置いてある.一つがそれぞれ師団を意味している.ウェスティニア正規軍,南方方面軍の現在地を意味するものだった.
「南軍ですね.今は日和見と言ったところでしょうか?」
「まあ,軍人は元老院政治に飽き飽きしているから,俺たちに同情的ではあるけれどよ.形成が悪くなれば,どっちにつくかわからん」
「確かに.オクティヤヌスは南の出身でしたか」
「もたもたしてたら,後ろをざっくりやられてしまう」
「つまり,この首都陥落に長い時間をかけるわけにはいかない,ということですね」
「メムの魔導士……こいつらを動かせれば簡単なんだがな」
ガイウスはそう言って,ミラヌスの沖合に浮かぶ島――魔法院を指さした.
「確かに」
「奴ら外つ国人が忌み嫌う,アメリアの関与か.あれだけ機械仕掛けのものがあるんだから,関係ないと言う方が不自然なのだろうが.だが,どうかな‘不適切な関係’なのかが分からん.ただの健全な交易かもしれんぞ」
「にしては不自然です.交易なら堂々とやればいい.だが,機械人の出入りなど無いのです」
「確かに.その点は不自然すぎる.隠して事を運びたい何かがあるのだろうか」
「もう少しお待ちください.全力で証拠を探しています」
「ふん……証拠が本物でなくとも,魔法院を引っ張り出さにゃならんかもしれんぞ,ロトヴァイル」
「は?」
不意に,天幕の外で大きな叫び声が聞こえた.
「大変だ! 将軍をお守りせよ!」
「急ぎ,屋内へ!」
「馬を隠せ!」
「竜もだ!」
「全員隠れろ!」
兵士たちの声に反応し,ロトヴァイルはガイウスの手を引いた.
「将軍! 急いでください!」
「くそ,またあいつか」
ガイウスは顔をしかめた.
「面倒くさがっている場合ではございません.今将軍の身体に万一のことが起これば……」
「分かった,分かったよ」
ガイウスは数名の兵士に守られながら,天幕の奥に掘られた塹壕の中に避難した.
ごうっ,と音がして,天幕に火が付くと,たちまち燃え上がった.
上空を黒い影が舞う.
蝙蝠の様な羽根と蠍の様な長い尾を持つ飛行物体は,空をくるくると旋回し,炎をまき散らした.
弾薬を貯蔵していた建物に引火し,たちまち大きな爆発が起こった.
ずん,と地響きがする.
燃える瓦礫の中で息をひそめながら隠れていたガイウス達は外の様子を窺った.
青黒い鈎爪のある二本足が見える.
脚はやはり黒い甲皮で覆われていた.だが,竜ではない.
高さ十メートルほどで,全体のフォルムは人間に近い.
というよりも,悪魔だ.人間の背中に黒いコウモリの羽根と,長い蠍の尾が生えているのである.
顔は亀と蜥蜴を混ぜ合わせたようで,前額部から後頭部にかけては半透明の褐色の風防になっていた.質感がセミの抜け殻に似ている.
キャノピーがバクンと音を開けてスライドし,中からメムの制服に身を包んだ青年が姿を現した.
眼の下には隈が浮き,目つきも鋭い.陰惨で,まるで地獄の炎を見つめるような視線だった.彼の後ろ――後部座席に座る美しい少女は,頬に殴られた痕があった.彼女の表情もまた,暗い.
青年はゆっくりと辺りを見回した.
見える範囲に動くものは何もない.
逃げ遅れた兵士や馬が黒い消し炭になっている.
それを確認すると,再び操縦席の中に姿を消した.
人工の魔神は再び羽根を羽ばたかせると,あっという間に空に舞い上がって去っていた.
「くそ……またか」
「竜部隊は後方から襲われて大損害です.折角内門を壊しかけてたのに」
「もともと草竜じゃ勝ち目がない」
「……備蓄した食料もやられました……」
「兵站の問題は厳しいな」
遠くの空に消えたことを確認してから,ガイウス達は塹壕から這い出して来た.
「メムの黒い魔神使い――その名も,リュージ――龍士というらしいですな」
「奴だけは,圧倒的に強い.他の魔導士とはけた違いだ.策略がどうとかじゃ,どうにもならない」
ガイウスは空を見上げながら,腕組みをして唸った.
「ロトヴァイル,さっきの件,急げ.それらしいものでも構わん」
「……魔法院を嵌めるので?」
「方便と呼べ」
ガイウスはニヤリと笑った.
***
その頃,シノノメはクマリと一緒にミラヌスの郊外でボランティア活動をしていた.
戦争で焼け出された避難民のために,土魔法で仮設住宅を作ったり,衣食住の援助をしたりするのだ.
シノノメの役目は当然というべきか炊き出しだった.
巨大な魔法の鍋の縁をお玉で叩いては,無限に出現する鍋料理を振舞っていた.
土地柄に合わせて初めはブイヤベースとポトフにしていたのだが,珍しい料理を食べてみたいという市民の声に応え,今は豚汁である.
クマリの弟子,土魔法系の魔法使いサミアが造形した器を持って,市民が列を作っている.シノノメはお玉でそれに豚汁を注いでいた.時折鍋の縁を叩くと,再びいっぱいになるのだ.
「ありがとうございます,魔女様」
「温まります.それにしても,これは変わった味だな」
「味噌味だよ.発酵した大豆の調味料」
「この透き通った白っぽい野菜は何だい?」
「それは大根だよ」
「ダイコン……?」
「おっきい根っこっていう意味だよ.細長い蕪みたいな野菜」
「へえ……」
和服にエプロン姿は流石に目立つので,魔法使い見習いの格好をしていた.操る魔法の鍋は軍団一つの糧食を賄うというとんでもないレアアイテムなのだが,NPC達には分からない.ガイウス達が見たら,喉から手が出るほど欲しいものかもしれなかった.
危険が少ないので微々たるものだが,NPCの支援活動は一応ランクアップのポイントになる.シノノメやクマリのほかにも魔法使いや魔法使い見習いが病気や怪我を治したり,井戸を作ったりしていた.シノノメはそれに紛れ込んだ格好だ.
レベル95を超えたシノノメがいくら難民支援をしてもランクが上がることはないのだが,体を動かしたほうが気がまぎれるように思う.
あまりに考えることが多すぎた.
現実世界への帰り方や,なかなか会えないクルセイデルの事,夫の記憶の事.
さらに,クルマルトの求婚がこれに加わった.
ミラヌスから逃げて来た市民たちが嬉しそうに食事している.
クルマルトとの関係が深くなれば,魔法院が助かる――ハイエルフの威光で,もしかすれば戦争すら止めるようにできるかもしれない.
そう考えると気が重くなる.
シノノメはため息をついた.
「サミアさん,これちょっと代わってくれる?」
「え,ああ,うん.シノ……シノン」
シノノメという名前は有名すぎるのだ.サミアは咄嗟に誤魔化した.
「このまま時々お鍋の縁を叩いたら,ご飯が出てくるから」
「へえ……トゥアサー・デ・ダナンの伝説の鍋かぁ……ちょっと使ってみたかったんだ」
「お願いね」
シノノメはお玉をサミアに渡し,クマリの方を見に行ってみることにした.得意の土魔法で家を建てる――というか,地面から合成しているのである.丸いドームのような建物が地面からニョキニョキと生えてくるのは何となく和む風景だ.
炊き出しの前に,難民たちは仲良く列を作っている.
飼い犬を連れて逃げて来たのか,子供たちが犬とじゃれ合うように遊びながら走って行く.
戦乱に巻き込まれた人々だが,逞しく明るかった.
だが,シノノメには何となく腑に落ちないものがあった.
ずっと平和だったウェスティニアで突然戦争にまきこまれ,どうしてこんなに前向きでいられるのだろう.もちろんこの世界が‘物語の世界’であり,人々が善良であるにしても,普通に考えれば物の奪い合いや強盗,ひいては暴動が起こってもおかしくない状況だ.
キョロキョロして歩いていると,杖を突いた老人にぶつかった.
「あ,おじいさん,ごめんなさい」
「おっとっと.おや,魔法使い見習いか.クルセイデル様の下で,よーく勉強するんじゃぞ」
「はい……あっ,おじいさん,一つ聞いても良い?」
「何じゃ?」
「みんな大変なのに,どうしてこんなに元気なの?」
「そりゃあ,大変じゃよ.でも,ガイウス将軍は儂らのために立ち上がって下さったんじゃ.今の腐った執政官や貴族どもをやっつけて,世直しをしてくれるに決まっとる」
「そういうもの?」
「今はどんなに大変でも,儂の孫たちは良い暮らしができるじゃろうて」
老人はそう言って目を細め,犬を追いかけている子供たちを目で追った.
「そう……?」
何となく不自然なものを感じて,シノノメは老人の来た方を見た.水の魔法使いが井戸の準備をしている近くで,難民たちが人だかりを作っている.若い男性を中心に,老若男女様々な人たちだ.一見井戸端会議だが,それとは違う異様な熱気が漂っていた.
「何だろう……」
近づいて人の輪の中を覗くと,見覚えのあるものが見えた.
青みを帯びた銀髪の頭だ.
シノノメは人垣の外周を回りながら,その人物の顔が見える隙間を探した.
「ガイウス将軍はウェスティニアをより良くするために戦っている……元老院の不正は許せない……」
言葉がとぎれとぎれに聞こえてくる.そしてついに,その顔が見えた.
「あなたは……」
声の主はシノノメの小さな声を聞きつけたように整った顔を動かした.
血の色の瞳がシノノメの姿を捉える.
マギカ・エクスマキナを率いる双子の片割れ――サバタイオスは,人垣の向こうでゆっくりと笑った.