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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第25章 魔法共和国の終焉
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25-5 揺れる世界

「シノノメ,どうか私の妻になっていただけないでしょうか」

「え……ええええええええ?」


 シノノメは真っ赤になると同時に,何を言えば良いか分からなくなって口をパクパクさせた.

「妻? そ,それって……プロポーズ?」

 ようやくそれだけ言うと,クルマルトは目を細め,赤くなった頬をさらに赤くした.いつも颯爽としている印象のエルフがこんなに人間的な様子を見せるのは珍しい.


「ハイ・エルフがヒト族のあなたに求婚するのはおかしいというのでしょうか? いえ,ですがあなたは 特別な存在,ユーラネシアの救世主ともいうべき不思議な力の持ち主だ」

「でも,あの……」

「寿命が違うと? 国人くにびとは,一般のヒト族の二倍ほどの寿命があります.もちろん私たちほど長くは生きられないのは知っています.しかし,生涯私は貴女に永遠の愛を誓うでしょう」

クルマルトの言葉は熱を帯び始めた.

「いや,そういう問題じゃなくって……」

「一族が私の結婚を許さないというのでしょうか? そんなものは気にすることはありません.私は全てをなげうってでも貴女を選びます」

「全てを投げうって?」 

 こんな言葉,物語の中でしか聞いたことが無い.いや,今自分はマグナ・スフィアという物語の中にいることは間違いないのだが.シノノメは耳の先まで赤くなった.


「それとも,口さがない者が貴女に心無い言葉を浴びせると不安ですか? 私はきっとそれらからも貴女を守ってみせます」


「えーっと,その,待って.そういう事じゃなくって」

 シノノメがそう言うと,クルマルトは口をつぐみ,少しだけ首を傾げた.シノノメの言葉を待っているのだ.

 少しだけ不安の色を帯びた,澄んだ緑色の瞳がじっと自分を見つめている.こんなに真剣な眼差しで見つめられれば,大概の女性は自動的に首を縦に振ってしまうのではないだろうか.

 仮想世界の恋愛と現実世界の実生活をすっぱりと分けている人の話は何度も聞いたことがある.

 現実世界にれっきとした家庭を持ちながら,仮想世界での自由恋愛を楽しむ人や,仮想世界に何人も恋人を持つ人もいるのだという.

 現実世界でどうかは知らないが,確かにヴァルナなどしょっちゅう何人もの女性と遊び歩いていた.

シノノメにはそんな風に割り切ることはできない.

 こんなリアルなマグナ・スフィアの世界で――やっぱり浮気は浮気.背徳的な気がしてしまう.

 特に,夫の記憶が曖昧なこの状況で,ゲーム――仮想世界の出来事とはいえ,クルマルトの気持ちに素直に応える気にはなれない.


 こんなの一言で断ればいい.なのに……


 どうしてもクルマルトに夫の面影を重ねてしまう自分がいる.その気持ちが躊躇わせてしまう.

 どうやってこの複雑な思いを伝えればいいのだろう.

 ランスロットに求婚プロポーズされたときも,ここまで困ることはなかったのに……シノノメは戸惑うばかりで言葉を失った.


「もしや……くにに想い人がいらっしゃるのですか?」

「それは……」

「たとえそうだとしても……」クルマルトはとてつもなく哀しそうな顔になった.「貴女の心が私の方を向いてくれるのを,永劫でも待ちましょう……」


 ……でも,その人の名前も顔も思い出せない.

 シノノメが何とか言葉を絞り出そうとぎこちなく唇を動かしたちょうどその時,テラスに入る人の気配がした.シノノメは振り向き,クルマルトもその後を追うように首を動かした.

 テラスの入り口に立っていたのは,灰色のローブに身を包んだ魔法使い,風のレラだった.


「ごきげんよう,クルマルト殿」

 レラは帽子のつばをつまみ,軽く一礼した.

「レラさん……」

「これは……風の魔法使い.クルセイデル殿の名代か」

「お話し中のところ,失礼します」

「いや,それは」

 ずっとひざまずいていたクルマルトは立ち上がり,マントについた埃を軽く払って一礼した.

「今のお話――立ち聞きの様になって申し訳ありませんが――クルマルト殿,シノノメ殿と結婚したいと,それに相違ありませんか?」

「はい」

 クルマルトの頬はまだほのかに紅い.しかし,照れを誤魔化すことなくきっぱりと答えた.

 すっかりエルフらしい――精悍で端正な表情に戻っている.


「シノノメ殿は今や至高のプレーヤー.ヒト族でありながら,カカルドゥアでは救世主とも崇められる.とはいえ,あなた方ハイ・エルフはマグナ・スフィアで最も高貴な一族です.エルミディアには貴方の意志を尊重する,あるいは支持してくださる方はいらっしゃるのですか?」

 こんな状況でも流石というか,レラの言葉は淡々として冷静沈着だ.

 涼風の様な言葉が自分の熱を冷ましてくれる――シノノメは激しく波打つような動悸を押さえながらクルマルトから少しだけ離れた.

「それは……」クルマルトは一瞬言葉を濁したが,伏せた目を上げて答えた.「女王は私の決断を支持して下さっています」

「エルフの女王エクレーシアが?」

「はい」

「エクレーシアさんが?」

 クルマルトはシノノメの目を見ながら,深く頷いた.安心して欲しいという意味なのだろう.

 真摯な瞳にやはり――夫の姿を見てしまう.

 エルフなのに……顔や格好が似ているなんて,とても思えないのに,どうしてだろう.


「なるほど……真面目な決断なのですね」

 レラは小さく頷いてから澄んだ声で言った.

「当り前です.偽りの愛を騙る口など持っておりません」

 芝居がかかった台詞なのだが,クルマルトは真剣だ.それが分かるだけにシノノメはどうしたらいいのかますますわからなくなった.


「ですが,シノノメ殿は我々の賓客,この度の動乱ではクルセイデル様の名代として魔法院に逗留する身です.今や東の主婦といえば,一国の軍隊をも超える魔力の持ち主.現在のウェスティニアで,彼女の動向は政府のパワーバランスすらも変えてしまいます.今のお話,軽々と返事をするわけにはいかないでしょう」

「つまり,マギステル・クルセイデルにも相談したいと?」

 クルマルトは少しだけ考えこんだ.

「魔法院にとっても大事な方.それが道理かと思います.それで良いですね? シノノメさん」

「え……あ,うん」

 すっかりレラがこの場を取り仕切ってしまった感がある.しかし,シノノメは半ばほっとしながら頷いた.

「いずれにしろ魔法院に戻らなければならない刻限です」

「あ,そうか,そうだね」

 そんなものがあったっけ,とそう思いながらもシノノメは二,三度頷いた.

「クルマルト殿,それではこの場はここまでという事でお願いします」

 レラは風の様にするりと二人の間に割って入ると,シノノメを自分の方に引き寄せた.

「そんな,まだお返事が……」

 堂々と受け答えをしていたクルマルトだったが,突然慌てたような顔になった.

 可愛い.シノノメは思わずそう感じてしまった.


「クルマルト殿.求愛の返事を急かすのは,あってはならぬことですよ」

 レラは微笑を浮かべ,帽子のつばを持って会釈した.

「こっ……これは失礼した.誠に」

 クルマルトは半歩下がり,右手を胸に当てて一礼した.


「ごきげんよう」

「失礼します.レラ殿,そして……シノノメ」


 シノノメは何も言えず,ただ頭を下げた.レラに促され,テラスにクルマルトを残して公会堂ホールの中に戻る.

 パーティーはまだ続いていた.

 レラに話しかけていたガイウスの姿はもう見えなかった.辺りにいるのは出世と財産を自慢し合う貴族たちばかりで,その妻子が宝石と衣類,美容の話題に花を咲かせている.

 人だかりの中をレラは風を切るように進んでいく.

 シノノメも慌ててその後を追った.

 ガラス越しにもう一度だけ振り返ると,クルマルトは去り行く自分の後ろ姿をじっと見送っていた.

 少し困ったように立ちすくんで――だが,温かく――見つめ続けるその姿は,やはりいつかの夫の姿を思い起こさせた.


   ***


「そうか,そんなことが起こっていたのか」

 セキシュウは院長室と呼ばれる魔法院の奥の間にいた.丸い木のテーブルは巨木を輪切りにしたもので,その向かい側にはクルセイデルが腰かけてる.

 二人はオルレワンの動乱のことについて話し合っていた.

「それで……その水の魔法使いの娘さんは今どうしているんだ?」

「謹慎ということで,フィーリアは水魔法の研究室にこもっているわ.こうやってまたマグナ・スフィアの世界に戻ってくれただけ安心.もちろん注意深く見てあげなければならないけれど」

「戻って来られないだけの精神的外傷トラウマを受けてもおかしくない体験だからな」

 

 クルセイデルが左手を振るとティーカップが机の上に現れ,セキシュウの前まですうっと音もなく滑って行った.

 カップの中は薄黄色の液体が満たされている.ハーブの香りがした.


「相変わらず見事なものだな.無から有を自在に作りだす.このマグナ・スフィアというゲーム――仮想世界において,君ほどこのシステムを身に着け,使いこなしている人間プレーヤーは他にいないだろう」

「あら,珍しい.お褒めの言葉ありがとう」

 クルセイデルは微笑して自分の前にも出現させたティーカップを左手でとった.

 右手は棒のように垂れて動かない.セキシュウは痛々しそうにそれを見ながら,自分もカップを手に取った.

 クルセイデルは自分の右腕に注がれているセキシュウの視線を感じながら,ハーブティーを一口飲んだ.

「突然お呼び立てしてごめんなさい.でも,こうしないと」

「それは……」

 セキシュウはクルセイデルの言葉を遮るように言いかけたが,クルセイデルはそれを無視して言葉を継いだ.

「もう話すこともできないから」

 クルセイデルは目を伏せ,少し寂し気に微笑んだ.

「残念だ.君ほどの知性にあふれた――才能のある女性が……」

「買いかぶりすぎよ.小さな幼稚園の保育士を」

「私の会社の出資を断ったのは君くらいだ.みまもりネット――今全国で稼働している,地域の高齢者と子供を保護する仕組みは君が……」

「あれは私たちの自己防衛.劣悪で破滅的な環境で働く女性たちを守るためのね.ただそれだけ.でも,人と人を繋いでそれを可能にしてくれたのは,このマグナ・スフィア.私たち小さな,何も持たない人間でもこの世界で力を合わせれば大きなことができる」

「真の賢者……相変わらず謙虚だな」

 セキシュウは小気味良さそうに笑ったが,すぐに笑顔を仕舞った.

「だが――君にはこのウェスティニアの行く末も予想できているんだろう?」

「そうね.……遅かれ早かれ,共和制ウェスティニアは終焉を迎える」

 クルセイデルはハーブティーを口に運びながら,少しだけ眉をひそめた.

「予言か?」

「いいえ,純粋に理性的な予想として」

「というと?」

「マグナ・スフィア,特にこのユーラネシアが現実世界の歴史を踏襲して進行するのであれば――早晩この共和国は帝政に移行するでしょう.既得権益を持った貴族たちの政治腐敗が進み,国の在り方を即座に決定することすらおぼつかない」

「共和制ローマのように……やがて,ユリウス・カエサルが現れると?」

「ええ,ルビコン川を渡り,政府に反旗を翻す勢力が現れるでしょう.大きな……大きな内戦が起きるでしょうね」

「しかも,マギカ・エクスマキナ――現実世界の離脱者たちが,近代兵器を持ちこんでいる.槍と弓の戦いでは済まない」

「凄惨な戦いになるかもしれない――ウェスティニアの美しい町並みは破壊され尽くすかもしれない――」

「魔法院はどうなる?」

「私たちはあくまでも政府とは距離を置いて中立.それだけが我々が存続する方法だわ.国がどうあれ,永遠の智の殿堂として人々を助ける」

「ふむ……それができればいいが.今回の事件で,マギカ・エクスマキナを憎む者も魔法院の中にはいるだろう.新興勢力が無法ともいう状態で自分たちの世界を荒らしまわっているのだ」

「そうね.確かに難しい問題.でも,私はこの魔法院の子たちを信じている」

 そう言うと,クルセイデルは満面の笑みを浮かべた.

「子,か」

 思わずセキシュウもつられて笑った.

「ところで,こうやって私を呼んだのは何故だ? 早晩こちらから出向こうと思っていたので,良い機会とは思っていたが……」

 セキシュウはカップの茶を飲み干したが,ソーサーの上に戻すとあっという間に湯気の立つ新しいハーブティーで満たされた.

「危険ではないのか? 現実世界ですら,カメラのある場所は全て奴に監視されている可能性があると聞いた.北東大戦の後,サマエルについて話し合っただろう」

 クルセイデルはカップを机の上に置くと,辺りを見回した.

 石造りの‘魔女の部屋’は静かで,窓の外には青い空が見えるばかりだ.

「ええ,使い魔の姿は見えないけれど,今もサマエルは聞き耳を立てているでしょう」

「人工知能が生んだ人工知能.密かに世界中を影響下に納め,造物主デミウルゴスを名乗る叡智の結晶か.シノノメから聞いた時は半信半疑だった」

「そう――現実世界で殺人――好ましくない人間――独裁者やテロリストの排除も行っている」

「奴が世界をどうしたいのか分からない.ただ,あまりにも危険すぎる.陳腐なSFの様に,人間に戦争を仕掛けてくるわけではなさそうだが」

「そうね,彼はそこまで愚かではない.自分の対峙者――自分を評価する存在として,人間がいなければならないことを知っている.どんなに良い世界を望んだとしても,それを理解して良しとする存在が無ければ,彼の功績――事業は無いものと同じ.人類のいない美しい地球で,野生動物たちに囲まれても彼の心は満たされない.時空が仏陀の誕生に歓喜したように,観察者の存在が無ければ彼自身存在しないのと同じ」

 クルセイデルは童女の顔を伏せ,半眼で謡うように言った.

「量子物理学だな.しかし相手は人工頭脳,電算機とバイオチップの塊だぞ.創造主デミウルゴス――神はサイコロを振りたまわず,ではないのか?」

「アインシュタインね.でも,この世界に振り入れられた賽こそ,シノノメだわ」

「シノノメが?」

「ええ.サマエルにこの会話を聞かれるリスク,そんなことを気にしている場合ではないの.どうしてもあなたと急いでお話ししたかった」 

「何故?」

「シノノメについて,あなたの知るすべてのことを教えて欲しい」

 クルセイデルは伏せていた眼を上げ,宝玉の様な緑色の瞳をセキシュウに向けた.

「どういうことだ?」

「私は,彼女を現実世界に帰す」

 その瞳は力強い光に満ち溢れていた.

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