24-15 魔法兵団
月光を背に,マギカ・エクスマキナの魔法兵団は黒い雲――あるいは,夜の渡り鳥か蝙蝠の群れを思わせるシルエットを作り出していた.
しかも,少しずつ近づいて来る.
一つ一つの形は不揃いで,様々な動物・昆虫を改造して作られた様子が見て取れる.ざっと数えるだけで三十体以上が空に浮かんでいる.
虫の羽音に似た飛行音が夜風に乗って聞こえてくる.
仲間を介抱していた犬人たちは動きを止め,空を見上げて凍り付いたように押し黙っていた.
たった三体の巨獣兵が数千の同胞を血祭りにあげたのだ.その十倍近い数の兵器がやって来ようとしている.幻想世界に生きる彼らにとって,竜や,ゴブリンなどの亜人は一種の天災に近い.だが,巨大な殺傷兵器が人間を襲うなどという事は完全に未知の体験,想像すら出来ないことだった.
悪夢のような体験から抜け出した矢先,もう一つそれ以上の災厄がやって来ようとしている.どうしていいかわからず,思考能力を失っていた.
「大変! 急いでみんな逃げないと!」
「……そうだ! まだここに着くまでには時間がかかると見た.森の中に逃げるか……」
シノノメの声でクマリは我に返った.
「クマリ様! 奴らは爆弾と火炎放射器を持っています.いっそ塹壕か,退避壕を作りましょう!」
「そうだな,ガザトジン! それは名案だ」
土の魔術使いにとってはその方が確実で簡単な防御法に思えた.
「ふん,地中貫通型爆弾も頼んでおいたぜ.本物のバンカーバスターとはいかないが,土の地面なんて吹き飛ばす」
リュージはそう言ってクマリたちの言葉を嘲笑った.
「お前は,何か儂たちにうらみでもあるのか? なぜそこまでして儂らを殺そうとするんじゃ? 暴動の責任をとれと言うのなら,儂がとる.儂を政府に突き出せばいいではないか」
犬人の長老,ロベールが声を振り絞る様にして言った.
「いや,別に.ただ,もう決まったことなんだ」
「決まったじゃと……?」
「ああ,飛行兵団が来てくれたのね」
金縛りのように動けないでいる犬人の間を,散歩するように女性が歩いて来た.
メムの魔導士の制服を着て,傍らには長髪の美少年を従えていた.シノノメの‘布団にしてしまう魔法’が解けた,ローザだった.
「おう,ローザ,戻って来たのか」
「布団にされてどうなる事かと思ったけど,ジュノンが解除してくれたのよ」
そう言うと,ローザは自分の胸に軽く触れた.
「ショウはどうした?」
「あいつは駄目でしょ.こっちの世界に来てもコミュ障が治らないんだもの.自分のフレンドにも上手く話せないじゃない」
「確かにな.だけど,お前も逃げたかと思ったぜ」
「工房技師長が敵前逃亡はできないわよ.巨獣兵の性能も見なきゃいけないし」
二人は世間話を楽しむような口ぶりだった.
「あなたたち,本当になんとも思わないの?」
シノノメは睨んだ.
「あら,東の主婦さん.布団にされたのはちょっと素敵な体験だったわよ」
「そうじゃなくって,こんなひどい事をして……」
「ひどい事? ……わからないねぇ.ゲームのザコキャラが死んで,何かいけないの? それとも,こいつらが死んだあと,ダム周辺の土地をもらうことになってるのがいけないの?」
「何だと?」
クマリが憤った.
「お前たち,そんな密約を政府としていたのか? そのためにこの地区では水龍が暴れ,村が滅び……フィーリアはそれを解決しようとして,ひどく傷ついたのだぞ!」
「おい,ローザ,余計なこと言うなよ」
「あーあ,うっかりしちゃった」
ローザは皿を割ってしまったとでもいうように,軽く肩をすくめて見せた.
「お前たち……何て奴らだ.プレーヤーの風上にも置けない.くそっ……クマリ様,僕はもう許せません!」
ガザトジンはすでに呪文を唱え終えていた.
リュージ達に向かって真っすぐに地割れが走る.
「ブレス・ボウ……!」
地中から有毒ガスが発生するには,後一言,土精と付け加えるだけだった.
だが,その瞬間に高い銃声が響いた.
ガザトジンは頭を撃ち抜かれ,がっくりと膝を崩して倒れた.
「ガザトジン!」
クマリが叫んだが,ガザトジンは細かいピクセルになって消滅していった.
「長距離狙撃……なんだ,ショウの奴,まだいるんじゃん」
「逃げてなかったのか.一応働いてるってアピールだな」
シノノメに倒された最初の巨獣兵のパイロットは,身をひそめて狙撃用のライフルで狙っていたのだ.
「あいつは根性なしのコミュ障だが,狙撃の腕は一流なんだ.現実世界では確か,軍事オタク……ミリオタだったっけ」
「そう,長銃身の精密射撃ができる銃が得意なんだよね.夜間暗視装置は無いけど,この月明かりなら余裕で狙えるでしょうね」
「と,いうわけだ.あいつはどこにいるか分からないが,今頃こっちを狙ってる.魔法院と主婦,それとそこのダークエルフ,下手な動きは見せるなよ.頭をぶち抜かれて即ログアウトだ」
リュージは意味ありげにアイエルを見た.
アイエルは飛行兵団の機影が見え始めたころから,すでにリュージにクロスボウの狙いを定めていた.
「俺たちを攻撃すれば,ショウがお前を撃つ.何もするな.兵団がここに着くまで,兵団の射程圏に犬人どもが入るまで待て.そうすればお前たちに手は出さない」
「あなたたち,なんてひどいの!」
シノノメは怒りで拳を握り締めていた.
「こんなの,全然ファンタジーじゃないじゃない」
「だからどうしたの?」
ローザが自分のパートナー,ジュノンの頭を抱きしめて言った.
「私たちは,この子たちがいる場所が一番幸せなのよ.そして,できれば現実世界と同じように便利にしたいの.水汲みで井戸に行くなんて嫌だし,電気だって使いたい.それだって,夢の国,ファンタジーの国じゃないの?」
「違うよ.そうやって自分のしたいままにして,みんなが苦しむようになるって分からないの? そんな風にして手に入れた場所は,何も嬉しくなんかないんだよ.そんなの,ファンタジーじゃない!」
シノノメの言葉を聞いたリュージとローザは,しばらく言葉を失っていた.
だが,ややあってやっと口を開いた.
「……御高説ありがとう.だが,もう兵団が着く」
上空には一機,また一機と大小の飛行兵器が結集し始めていた.
どれもシノノメやクマリ,アイエルの魔法の射程圏外になるように慎重に高度をとっている.
ブンブン,バリバリという羽音が空いっぱいに響いた.まるで養蜂場の巣箱の中に放り込まれたようだ.月光は地面に巨大で不気味な昆虫の影を落とした.蜂型を中心に,ハエや甲虫のような形をした飛行機械が入り乱れて飛んでいる.どれも巨大昆虫型の魔物を利用して作った兵器だった.
「うわ,ぞわっとする.虫だらけみたい」
シノノメが見上げながら言った.
蠅のような形をした小型の飛行機械に乗っている物や,甲虫に似た鎧を着こんだ者はいち早く目的地に到着し,上空を飛び回っていた.
「増援を呼んでいたから,そんなに余裕だったのね」
アイエルはそう言うと,リュージに向けていたクロスボウの先をゆっくり下に降ろした.
視界の隅に狙撃手を探ったが,月明かりの中ではよく分からなかった.強いて言えば彼が乗って来た巨獣兵の近くには違いない.
「おう,そうだ.ダークエルフ.賢いじゃないか.おかしな真似はやめておけよ……と言っても,もうできることはあまりないだろうけど」
「さて,私たちは退避しないとね.貴方達も巻き添えにならないうちに勝手に逃げて.行きましょう,ジュノン.帰ったらまた可愛がってあげるから」
ローザは自分より背の低いイマジナリーフレンドの少年に腕を絡めた.
「といっても,変な動きをしたら,さっきの魔法使いみたいに頭をぶち抜かれて死ぬことになる」
「魔法って,本当に中途半端よね.発動には時間がかかるし,特定の条件が無いと発動できない.修行も必要.映画やアニメの魔法使い見て,私いっつも思ってたの.あんな杖でビームみたいなの出したって,近代兵器に敵うわけないじゃない」
「言えてる.おーい,早く収容してよ」
ローザとリュージは顔を見合わせて笑うと,上空の飛行兵器に向かって手を振った.
「……貴様ら……私はもう,許さん」
ガザトジンの死に衝撃を受け,それまで黙っていたクマリの目は怒りに燃えていた.
「クマリさん……」
自分の二人の弟子を無残に殺され,親しい友人は心を病むほどのひどい目にあわされた.そして,そのすべての元凶が,彼ら――マギカ・エクスマキナの身勝手な行動だったのだ.
「こうなったら,私も麾下の全魔法使いに呼び掛ける.魔法院の五分の一の勢力だ.それだけではない.魔法院で最も急進的な戦闘集団――炎のヴァネッサの部下たちもお前たちのことは許さないだろう.そうすれば,半数を超えるぞ」
「へ,へえ? ……そうなったら,魔法院と俺たちの全面戦争になるな?」
踵を返してそう言ったリュージの頬はわずかに引きつっていた.恐らく自分でもそこまで大きなことになるとは思っていなかったのかもしれない.
「そこの女の言う通り,魔法の力など現実世界では兵器の破壊力に及ばないだろう.だが,ここはユーラネシアだ.数千の魔法使いの集団に勝てると思うか? お前たちは機械や道具の支援が無ければ,ただのレベルの低いプレーヤーに過ぎない」
「……言うじゃない.魔法大戦の戦端を開くつもり?」
クマリは肩の傷を手でかばう事もなく,固く両こぶしを握り締めてメムの魔法使い達を睨んだ.
メッセンジャーの一斉送信を行えば,クマリの影響下にある魔法使い達はこのオルレワンに駆け付けるだろう.
怒りに燃えるクマリは今にも実行に移しそうな勢いだった.
「だめ,クマリさん.戦争なんて! あなた達,どうしても戦う気なの?」
シノノメが慌てて声をかけると,クマリの肩がびくりと震えた.
「そっちがやるつもりならな.これは俺たちの使命なんだ.俺たちがこの世界で生きる場所を作っていくために,仕方がない事なのさ」
「そんな……」
シノノメはアイエルの顔を見た.
申し合わせた様に,すぐに視界の中に小さな水色のウィンドウが立ち上がった.
通信ソフト,メッセンジャーのチャットモードだ.友人同士なら声を出さずに密談することが出来る.
『なに?』
『どうしよう? アイエルちゃん』
『シノノメさんは,諦める気はないんでしょ?』
『もちろん.でも,さっき六つやっつけるのでも大変だったのに,こんな沢山だと流石に……それに……』
手はないわけではない.しかし,犬人たちを巻き添えにしてしまう.それに,このままでは戦えば戦うほど戦火は拡大し,クマリとローザの言う戦争に突入してしまいそうな気がした.
『戦争になっちゃう』
『そう』
アイエルは頷いた.
『シノノメさん,私に手があるよ』
『何?』
『ごめん,話が長くなるから説明は後』
『そうだね,このままだとクマリさんの抑えも効かないし』
「魔法大戦か.その引き金を引く度胸があんたにあるの? 言っておくけど,客観的には私たちメムが官軍,ウェスティニア政府側なのよ.あんたたち魔法院は反逆者の味方」
度重なるローザの挑発に,クマリは爆発寸前だった.
大きな口で快活に笑ういつものクマリの雰囲気は微塵もない.口を引き結び,ギリギリと歯を噛み締めている.冷静になる様に自分を必死に言い聞かせているのだ.だが,クマリ自身いずれ自制心の限界が来る予感がしていた.
クルセイデル様……
心の中で何度もクルセイデルの姿を思い浮かべる.先輩プレーヤー,尊敬する師でもあるクルセイデルならば,この横暴と屈辱にどのように耐え,あるいは抗うのだろう.
その心にゆさぶりをかけるように,上空の飛行兵器はますますその数を増やし,鬱陶しい羽音は増え続けていた.




