24-13 二つの魔法
「東の主婦……」
リュージの言葉に犬人たちがどよめいた.
「主婦様が助けに来てくださった?」
「あの,主婦様?」
「カカルドゥアを救い,北東大戦を制した,我々土着民の救世主?」
「まさか,ここに主婦様がおいでになるとは……」
「だが,うわさに聞く東方のお召し物にエプロンのお姿……まさに……」
犬人たちは一縷の希望を見出し,シノノメに期待と尊敬の混じった視線を送った.
「うるさいよ,お前ら」
リュージが呟くと,巨獣兵の右手が火を噴いた.
血飛沫を上げ,あっさりと――人形のように数人の犬人が倒れる.
「何てことするの?」
シノノメはリュージを睨んだ.
リュージ操る,最後の一体となった巨獣兵は慎重にシノノメから距離をとっている.約二十メートル――魔法はもちろん,通常の武器が届かない距離だ.
「ふん,こいつらはどうせゲームの、しかも雑魚キャラなんだぜ.何したって良いだろ?」
「何したって? あなたも今はこの世界の一員でしょう? 同じようなものじゃない.なのに,何でそうやって平気で傷つけるの?」
「ふん,それを言うなら,現実世界だって俺たちを平気で傷つけたさ」
「じゃあ,あなた……そこの隣の子は,なんとも思わないの? あなたもNPCなんでしょ?」
シノノメはリュージの隣に顔を出しているココナに向かって言った.
「私? 私はリュージ様の,理想の恋人.イマジナリー・フレンドだもの.リュージ様の言うことが絶対なのよ.リュージ様のすることは全部正しいの」
「そんなの間違ってる.そんなの,恋人じゃないよ」
シノノメは指摘したが,ココナは人形の様な笑みを浮かべるだけだった.
反応の不自然さにシノノメはぞっとした.
そして,思った.自分もかつてそう思われていたのではないか,と.
つい半年ほど前まで,人形みたいだと言われていたのだ.まさにこのような様子だったのだろうか.
ある種の同族嫌悪なのかもしれない.
このイマジナリー・フレンドと呼ばれるキャラクターたちは,シノノメにとってあまりに不気味で,生理的な嫌悪感を覚えざるを得なかった.
「ふん,知るかよ.お前みたいに,マグナ・スフィアで楽しそうにプレーするスタープレーヤに俺のことが分かるもんか.どうせ現実世界も充実してるんだろうさ.それより,かの有名な東の主婦様とこうやって対決できるなんて感動もんだぜ.ノルトランドの一兵卒や素明羅の村人Aだったころには考えられねえ」
巨獣兵はゆっくり回頭し,右手のバルカン砲以外全ての砲口がシノノメに向かうように動いていた.右手はしっかりと犬人たちに向けられている.
「そこを動くなよ.動いたらこいつらを吹き飛ばすからな」
犬人たちが悲鳴を上げる.
「こんな奴らが人質になるんだからな.お前の考えてることが理解できねえ」
リュージは慎重だった.
巨獣兵は戦車に似た武装である.現実世界でも戦車は上空からの攻撃に弱い.対戦車ヘリが戦車の天敵と呼ばれるゆえんだ.シノノメは直感的に空から攻撃しただけなのだが,正鵠を得ていたことになる.リュージは僚機が次々と倒されるのを見て,シノノメが容易ならざる敵であることを悟っていた.
「許せない……」
シノノメは拳を握りしめた.左手の薬指にはまった‘拒絶の指輪’が一層輝いている.惑星マグナ・スフィアを運行するソフィアが,彼らの存在を拒絶している――そのように感じた.
とはいえ,リュージの巨獣兵まで距離がありすぎる.シノノメの持つ武器――シノノメの場合調理器具や掃除道具だが――はおろか,魔法も届かない.
「ファイヤ!」
リュージの声とともに,巨獣兵の砲という砲,ロケット弾というロケット弾が火を噴いた.
巨獣兵の前面が火を焚いたように赤々と照らし出された.曳光弾の光がシノノメに向かって光の矢を描き,火花が炸裂した.
もうもうとたつ白煙に,一瞬シノノメは覆い隠された.
「止め――レーダーが無いのが不便だよな」
一旦煙が流れるのを待ったリュージが見たのは,丸い二枚の魔方陣に守られたシノノメの姿だった.毅然と両手をかざして宙に掲げているのは,言わずと知れた防御魔方陣,鍋蓋シールドだ.
「おお,主婦様は御無事だ!」
犬人たちから大きな歓声が上がった.
「これだけ?」
シノノメはそう言うと,巨獣兵めがけてまっすぐに走り始めた.
「お代わりがあるぜ」
再び巨獣兵の火器が火を噴く.
ロケット弾を撃つ合間に火炎放射器を混ぜ,途切れることのない波状攻撃を浴びせかけた.犬人たちから再び悲鳴が上がる.
リュージの口元には残酷な笑みが浮かんでいた.
「止め」
再び砲撃が止む.
今度は緑色の方形の魔方陣が宙に浮かんでいる.その向こうのシノノメは無傷だった.だが,肩で息をして膝をついている.若干被弾したのか,着物の左肩口に大きな裂け目ができていた.
近づけたのはほんの五メートルほどだった.
より強力な防御の魔方陣――まな板シールドだったが,弾幕の勢いに押されて思わず膝をついてしまったのだ.
「主婦様!」
「こんなの,無理だ! 敵うわけがない!」
疲れを見せたシノノメの姿に犬人たちが震える声で叫んだ.ほとんど悲鳴に近い.
「膝をついたか.ふふん,だが,それがいつまで続くかな.MPには限界があるんだぜ.こちらが弾切れになるまでもつかな?」
左手のロケット砲がガチャガチャと音を立てた.新しい弾倉を装填しているのだ.
「東の主婦か.大手企業がキャラクターを宣伝に使いたいって言っても,全部断っているんだよな.そんな金は必要ないとか,純粋にゲームだけ楽しみたい余裕のあるやつだとか,いろんな噂が立ってたっけ.ほんとにどこかの金持ちの専業主婦なんじゃないかって噂もあった.俺たち底辺のプレーヤーとは身分違いだ.けど,今,互角以上に戦ってる」
リュージは早口で喋り続けていた.戦闘の熱に浮かされたようで,口角からつばが飛び,頬が上気している.
「あなたは……何も分かってない……何が分かるの」
シノノメは前方の巨獣兵を――リュージを見ながら,ゆっくり立ち上がった.
魔方陣で砲弾を受け止めた両手に,軽いしびれが残っている.一生懸命反撃の方法を考えているが,矢継ぎ早の攻撃は十分考える暇すら与えてくれない.
「企業のメールなんて……見たことないもの.分からないこともあった」
マグナ・スフィアで有名になったキャラクターには,大抵は現実世界の企業からスポンサー提携の申し出が来る.宣伝を目的としたもので,素明羅のウサギ人であるクリスタが有名な例だ.
それを引き受けない者ももちろんいる.ヴァルナのように国家公務員なので副収入を得ることができない者や,収入が不要なセキシュウの様な者など,様々な個人の事情がある.
シノノメの場合,マグナ・スフィアの外――現実世界のメールは,入院している病院のアカウントに届いていた.脳損傷で意識不明の彼女が,目にするはずはない.
たまに仮想世界の中の連絡ツール,メッセンジャーに届いたとしても,つい数か月前までのシノノメには理解できなかった.
仮想世界の家をずっと自宅と思い込み,繰り返される毎日をぼんやりと混沌とした意識の中で過ごしていたのだ.
そして,今,シノノメが願うのは,彼らと真逆――‘移住者’が忌避した現実世界に戻ることだ.
……それが一番の願いなのに.
「ずっと一生懸命,やってただけなのに!」
「喰らえ!」
三度目の砲火が火を噴こうとするその瞬間,巨獣兵の身体が大きく傾いだ.
「うわっ!」
地面が陥没し,左足がその中にはまり込んでいる.たまらず巨獣兵は左手の先――銃口部を地面につき,体を支えて穴から脚を抜こうとした.犬人たちの方を向いていた右手のバルカン砲はバランスを保つために大きく上方に振り上げられている.
「今だ!」
鋭い女性の声が風を切ってシノノメの耳に届いた.
声の主は巨獣兵の後ろにいた.
水面から飛び出したように,下半身が地面の中に埋まっている.褐色のローブととんがり帽子を身に着けた魔女――クマリだった.
クマリを視野の隅に捕らえた瞬間,シノノメは走り出していた.
黒猫丸を握って一気に間合いを詰め,左手と左肩の大砲を切り落とした.輪切りになった砲身がネギの様にバラバラと地面に落ちる.
「くそっ」
傾いたまま,リュージは右手のバルカン砲をシノノメに向けた.連なった銃身が回転する瞬間,足元で爆発が起こった.
「ぐわっ! 何だ? 何で爆発した?」
巨獣兵の身体が震える.
振り返ると,魔法院の魔女が地面の中に消え去り,代わりに男の魔法使いが立っていた.
口が動いている――何かの呪文を詠唱しているのだ.
「土の元素の魔法使い? 地面の爆発……もしかして! やばい!」
地割れの中から何か気体が発生している――リュージは慌てて指令室の中に首をひっこめ,ハッチを固く閉めた.
「何? リュージ様?」
「ココナ,しっかり何かにつかまれ!」
地面から発生する,爆発する無臭の気体.
大地の気体を操る名人,ガザトジンが発生させたもの――メタンガスだ.
「グリルオン!」
同じことを悟ったシノノメは,即座に必要な魔法を発動させた.シノノメ独自の炎の魔法――ガスレンジの魔法だ.
轟音とともに地割れの中で生じた大爆発が巨獣兵の身体を襲った.
それでも超重量の鋼鉄の巨体は,わずかに体を上に浮かしただけである.だが,兵器は誘爆してほとんど使い物にならなくなった.
体の下側が焼けただれた巨獣兵は,しかしそれでも動いていた.
もとはMEMに虐待同然に生物兵器にされた魔獣なのだ.シノノメは速やかにとどめを刺してやりたかった.
だが,あまりの頑丈さに,どうしたらいいのか戸惑う.黒猫丸であちこちを切り取ることはできても,刃渡りのせいで一刀両断というわけにはいかない.
「まかせて!」
忽然と姿を消していたクマリが再び地中から現れた.先ほどとは別の場所だ.
クマリたちは土の造形魔法の応用で,地中にトンネルを作ることが出来た.退避や進路も思うがままで,これではモグラ人が仕事を失うのも当たり前である.
クマリの身体はそれまで続けていた呪文詠唱でうっすらと黄色に光っていた.
「金剛槍!」
輝く透明の結晶が地面から突き出し,槍の様に巨獣兵を貫いた.装甲をぶち破り,鳥の胴体を貫いてさらに背中を突き破る.結晶の先端は巨獣兵の血を浴びながらも月の光を浴びて燦然と輝いた.
ダイヤモンドの槍でとどめを刺された巨獣兵は鋼鉄の鎧を残し,細かいピクセルになって消えていった.
支える骨格を失い,ガラン,ガランと大きな音を立てて金属のパーツが地面の陥没孔に落ちて行く.
箱状の指令室も傾きながら装甲の上に落ちて積み重なり,半分地面に埋まった瓦礫の山となった.
「やった!」
シノノメが思わず片手を挙げると,犬人たちの大きな歓声が湧いた.
「怪物が死んだ!」
「主婦様,ありがとうございます」
「主婦様は本当にユーラネシアンの味方,救い主だ」
「ありがとうございます」
「ありがとう!」
生き残った犬人たちは,老若男女様々だ.彼らは喜びの言葉を口にしながらシノノメに駆け寄ってきた.
「私の名前は主婦じゃなくって,シノノメだよ」
「お待ちなさい」
だが,シノノメがいつもの台詞を口にするのも束の間,クマリの深い声が響いた.
声音の厳しさに,犬人たちは水を打ったように静まり返った.
クマリはシノノメの後ろにガザトジンと並んで立っていた.
「九死に一生を得たあなた達の喜びは分かる.だが,この暴動を起こした限り,ウェスティニア政府は単純にあなた達を許すことはないでしょう」
「う……それは……でも」
一人の青年が言いかけたが,その言葉を制してクマリは言葉を継いだ.
「分かります.難民であって,首謀者たちについて来ただけだというのだろう? だが,それはワントアープの街で暴れた理由にはならない」
「わ,私は加担していません」
子供を抱いた女性が言った.
「そうかもしれない.だが,それをどうやって見分ければいいんです? それが政府のものの見方でしょう」
「クマリさん,厳しいよ」
「いえ,シノノメ殿,これは彼らを守るためでもある.メムがしたのは最低の虐殺行為だけれど,彼らはそれでも官軍――政府の派遣した軍隊なのだ.結果としてそれに抵抗してしまったのだから」
「ややこしいね」
「共和制とはそういうものです.良くも悪くも議論して決定し,法に従って解決する.旧ノルトランドや素明羅なら,王様がご英断――独断で民衆に配慮してくれるかもしれませんが」
ガザトジンが頷きながら補足した.
「うーん」
シノノメは素明羅皇王の顔を思い出していた.戦勝祝いのために国民に宮廷を開放し,シノノメに王位を継がないかと尋ねた優しい君主だ.確かに彼の様に思いやりのある元首がいたなら,鶴の一声で温情ある決定を下してくれるのかもしれない.
「恐れながらクマリ様……」
杖を突いた老人が人垣を割って前に進み出てきた.
「私はモンダヴィ村の長老を務めております,ロベールと申します」
「ロベール……有名なワインポーションの造り手ですね」
ガザトジンが少し驚きながら言った.
「ロベールさん,何か?」
「若い者たちの暴走を止められなかった私ども年長者に非があります.どうでしょう……私が縛につくことで皆を許してもらうというのは……」
「そんな! 長老は必死で三か村を回って,暴動を止めるように説得していたのに!」
青年がロベールに抗議した.
「プドルー,それが責任をとるという事だ」
だが,クマリはしばらく考えた後に口を開いた.
「いえ,ロベールさん,私が廃村になった村の近くに仮設住宅を土で作りましょう.しばらくそこで全員謹慎して,政府の新たな決定を待つのが良い.恭順の意を示すためにも,滅茶苦茶になったシェトランド候の農地を耕作しなおして,それに……何より,あなた方の同胞たちを埋葬してやらねば」
クマリは悲痛な面持ちで,辺りに折り重なった死体の山に目をやった.
「それは……ですが……」
ロベールはそれでも納得できない様子だった.自分が犠牲になって全てが済むのならそれでいいという覚悟なのだろう.
「自分が死刑になってお終いなんて駄目だよ」
「主婦様……?」
「おじいさんがみんなのまとめ役なんでしょう? きちんと生きてこれからのことを考えなくちゃ」
「きちんと生きて……」
言い返そうとしたロベールだったが,シノノメの言葉に胸を打たれたらしく,頭を下げて引き下がった.
「主婦様もそうおっしゃるのであれば,一旦村まで戻ります」
「うん,それがいいよ」
ロベールは生き残りの犬人を集め,相談し始めた.
シノノメはふう,とため息をついた.
「シノノメ殿」
見れば,クマリとガザトジンが胸に掌を当てて会釈している.魔法院の魔法使いの最敬礼である.
「どうしたの?」
「援護が遅れてすまなかった」
「ううん,助かったよ.それに,最後のとどめはクマリさんがやったじゃない」
「いや,私たちは貴女に礼を言わねばならない」
「え……どうして?」
「何故あなたが一緒に来たのか――クルセイデル様の意図が今になって分かった」
「そう? 私,お世話になってるから恩返ししたかっただけだよ」
「フィーリアを連れ戻すだけなのに,部外者に来てもらうなんて――正直言って抵抗が無かったと言えば嘘になる.だが,この事態になって,我々はどうすればいいのか分からず,すっかり混乱していた」
「それどころか,この暴動に関わるのを辞めようって,クマリ様に言ってました」
ガザトジンは帽子をとって頭を掻いた.
「だって,魔法があんな悪い人たちに負けるなんて嫌だったの.私,魔法っていうのは,弱い人たちを助けて夢を与える力だと思うから」
キョトンとして瞬きするシノノメに,クマリは大きく頷くと,とんがり帽子を脱いだ.
波打つ黒い髪が,夜風になびいた.
それに習うようにガザトジンも帽子を小脇に抱えた.
「……それだ.シノノメ殿.我々は道を見失っていた.今になって考えてみれば,これこそ魔法院の魔法使いがとるべき行動だったのだ」
クマリとガザトジンは深々と頭を下げた.
「あなたは正しい行動を我々に指し示してくれた.ありがとう」
「ありがとうございました」
「そ,そんなこと分からないよ.私はとにかく一生懸命だけだったもの」
二人の仰々しい態度にシノノメはすっかり恥ずかしくなった.
だが,そんな三人の会話を切り裂くように,高い銃声が突然響いた.
「うっ!」
クマリはひどい熱を感じて右肩を押さえた.見ればえぐれたような傷跡ができ,血液のような小さなピクセルが流れ出している.
全員――安堵していた犬人たちまでもが,一斉に銃声のした方向――壊れた巨獣兵の方を見た.
リュージが瓦礫の山の上に立っていた.左脇をココナが支えている.
相当苦労して操縦室を抜け出したらしく,服にはあちこちに何かに引っ掛けたような切り裂きができていた.
右手にはT字型の武骨な四角い機械――長い弾倉を装着した連射式自動拳銃を握っていた.
「貴様……」
クマリが腕を押さえながら,リュージを睨んだ.
黒い銃口がぴたりと正確に自分たちに向かっている.
「勝負が済んだと思うなよ.プレーヤーならこれは分かるだろ?」
「まだテッポウがあったのね」
「主婦は武器音痴かよ.イングラムに似せて作ったんだ.機関銃と言って欲しいね」
「そんなものがこの世界で動くなんて……」
「これが,俺たちの力.機械仕掛けの,これが俺たちの魔法さ」
リュージは目を針のように細め,グリップを握り直した.
その瞳は自らが持つ拳銃の銃口の様に暗く淀んでいた.