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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第24章 幻想世界の黄昏
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24-9 大地のクマリ

 「奴ら,出てきますかねえ」

 ブルドックのような犬人,ブリクスが首を傾げる.

 「知らねえよ.どっちも関係ねえ.いずれここも全部火の海にするだけだぜ」

 ジョゼは狂暴な笑みを浮かべた.

 強烈な暴力衝動に突き動かされ,理性を失っているというほかない.

 

 「私はクマリだ.今から出て行く.屋敷とシェトランド候に手を出すなよ!」

 堂々としたクマリの声が,屋敷の玄関の方から聞こえた.

 ドアノブがわずかに動く.ガチャガチャと鍵を開けるような音がした.


 「お,出てくるな」

 まだ体にシノノメの白いテープ――コロコロ掃除機の紙をくっつけた犬人が,屋敷の玄関を指さす.刷毛はけのようなシベリアンハスキーの尻尾を振って興奮しているが,その尻尾の先にも掃除機の紙がついたままだった.


 「ぬかるなよ」

 ジョゼは左右の犬人に声をかけた.

 玄関の戸は両開きで,石の段が二段続いた後は土の地面だ.

 戸の両脇に数名の犬人が駆け寄り,プレーヤーの動きを止める短刀――ケツアルコアトルの魔剣を構えた.

 

 ドアがさらに少しだけ開いた.

 「せーの!」

 中から人が出れば,一斉に飛びかかる.


 犬人たちが腰を落として構えた瞬間―― 

 ドン!

 ドアが内側から爆発した.

 同時に,黄色いガスが蔓延する.

 

 「ぎゃっ!」

 犬人たちは一斉に鼻を押さえた.腐った卵のような臭いが立ち込める.硫黄ガスだ.普通の人間より敏感な犬人の嗅覚には強烈な刺激臭となった.

 「ゲホゲホ」

 「ギャン,ギャン」

 犬のような声を上げて咳き込み,地面にうずくまる犬人を蹴散らし,黄色い煙幕の中から三人の人影が現れた.とんがり帽子にローブをまとっている.


 「出やがったな! 撃て!」

 一斉に銃が火を噴いた.

 今度は犬人側に硝煙がもうもうと立ち上る.フリントロック式の単発銃なのだが,それでも三十丁はあった.ひとしきり銃弾の雨が降り注いだところで,ジョゼが怒鳴った.

 「撃ち方,止め!」

 

 それでも本式の軍隊の様にきれいに号令は決まらない.バラバラ,バンバンと散発する音がした後でようやく銃撃は止まった.全員が一斉に標的を確認するが,ガスの向こうに立つ魔法使いは立ったままだ.


 「な,何だ? 不死身か?」

 ジョゼが目を剥いた瞬間,夜の風が吹いてわずかにガスが晴れた.そして自分たちが銃撃したものの正体を知った.

 「土人形ゴーレムだ!」

 

 だが,気づいたその瞬間はもう遅かった.

 土人形ゴーレムの後ろから身をかがめ,褐色のローブに身を包んだ魔法使いが一回転して飛び出した.彼女は着地と同時に,手で地面に触れた.

 

 「トゥファニ・ウ・ドンゴ!」

 手の先から黄色い光がほとばしる.それとともに,大地がうねって波になった.

 山津波――土石流だ.

 荒れ狂う波のようにうねる大量の土と砂,岩と石は,犬人たちに襲い掛かった.


 「うぎゃ……」

 

 悲鳴の語尾が土で埋め尽くされ,土に溺れる.

 銃を持つ者も次の弾丸を込める暇などない.

 直径は三十メートルほどだろうか.土砂の波は渦を巻きながら盛り上がり,次々と犬人を飲み込んでいった.特に武闘派と思われる先頭集団を中心に,凄まじい速さの土の奔流が武器や松明,何もかも一緒に引きずり込んでしまうのだ.


 「畜生,たかが土に……」

 ジョゼは必死で泳ぐように土をかきながら頭を出し,悪態をついた.だが,流れる土砂の中ではそれだけ言うのが必死だ.


 「ジョゼとやら,たかが土と思うな.大地のクマリを甘く見たな.我ら五大の魔女,ペンタ・エレメンタルは自分の得意とする属性の魔法を使うのに,長い呪文の詠唱は不要だ!」

 

 見る見る間に盛り上がった土の渦は土塁――円墳のような巨大な土盛りになった.しかもあちこちに犬人たちの頭や手足を生やした,言ってみれば不気味なオブジェだ.

 あっという間に出現した異形の造形物を前に,押し寄せていた群衆は凍り付いた.

一歩でも進めば同じように土の中に飲み込まれてしまうということだ.密集しているだけに身動きが取れない.土盛りの縁部分に立つ者は,後ろに向かって押すなと叫ぶのに精いっぱいだった.

 

 「サミア! 硬化呪文は任せるぞ!」

 「はいっ」

 サミアが呪文の詠唱を始めると,犬人を飲み込んだ土のあちこちがまだら状に硬化して白くなり始めた.土が石に――天然のコンクリートで固められるのである.ジョゼたち暴徒の先頭に立っていた犬人は手足の自由を完全に奪われ,悪態をつくほか何もできなくなってしまった.


 クマリはゆっくりと真新しい土の香りのする丘を登り,松明の群れを見下ろして叫んだ.

 「解散しなさい! 我々はお前たちの罪を裁くために来たのではない.それはウェスティニアの政府がやるだろう.元の仕事に帰れ.農夫は農夫に,猟師は猟師に!」

 犬人の群衆がどよめく.

 「目を覚ませ! お前たちは魔法院を敵に回す気か?」


 たった一人の魔女ですら,これだけの力を持っているのだ.圧倒的な力の違いを見せつけられた犬人たちは,明らかに動揺していた.


 その一方でクマリの頬には汗が伝っていた.

 丘の上に身をさらすのが危険なことは重々承知している.まだ暴徒の中に飛び道具を持っている者がいるだろう.予備動作が分かれば土の防壁を作って弓矢や銃弾をしのぐことはできるが,どこからともわからず数千人の群衆の中から狙われれば,防ぐことは容易でない.

 だが,魔法院は一般の民衆を傷つけるものではなく,助ける存在だ.それを示すには,身を挺して証明して見せるしかない.


 ……そうですよね,クルセイデル様.それが魔法院の理念……


 クマリは心の中でクルセイデルの姿を思い描いていた.ここに立っている限り,魔法院の代表,クルセイデルの名代なのだ.使命感と自負で胸が熱くなる.


 見下ろせば,集まっている犬人たちは若い男たちだけではなかった.

 ジョゼたち扇動する集団がそうであるというだけで,女性や子供,老人も松明の中に見える.おそらく,水龍の被害で村を失い飢えた村民なのだろう.難民たちがどうしたらいいかわからずに暴徒に合流して,この大人数になっているのだ.


 「被害を受けたものは,魔法院が復興の手助けをするだろう.我々は,あなたたちを傷つけるつもりはない」


 朗々と響く自分の声に,群衆の異様な熱が徐々に引きつつある――クマリはそんな感触を得始めていた.


               ***


 「うわー,すごい.さすがクマリさんだね.戦争の時,あの土魔法でノルトの攻撃から南都を守ってくれたんだよ」

 シノノメはシェトランド候とその執事と一緒に,窓からクマリの様子を見ていた.

 魔法使いは基本的に冒険クエストでは後衛を受け持つ.強力な力があるが,それを発動するまでに時間がかかるからだ.クマリとて,自分の得意とする土の魔法でなければこうはいかないに違いない.

 ガザトジンの目くらましの間に下準備をして,最速で発揮できる魔法を振るう.見事な采配だった.

 

 「格好いいなあ.私にはああいうの,できないよ.だって,目立つのは苦手だもの」

 堂々と群衆に話しかけるクマリの後ろ姿を見ながら,シノノメはため息をついた.


 「目立つのは苦手なんですか? 主婦様ともあろうお方が」

 「うん,結婚式のスピーチ頼まれたら足が震えちゃうよ.なのに,いつも一生懸命やってたら,なぜか目立っちゃうの」

 「ふうむ……不思議なものですな.それはそれとして,後で我が家のために御一筆,署名サインなどを頂ければ……」

 「旦那様,抜け駆けはずるいですぞ」

 「ええい,黙れ,ペロスピエール.それくらいいいではないか……ふむふむ,暴徒たちもクマリ様の説得で目を覚まして始めている様だ」

 「旦那様,誤魔化しましたな」

 「うーむ……それにしても,私の屋敷はどうなってしまうのでしょう?」

 少し色々なことを気にする余裕が出てきたらしく,シェトランド候はそう言って唸った.

 ドアは爆発で吹き飛び,家の前には巨大で不気味なオブジェができてしまっているのだ.


 「旦那様の‘想い出の小道’も,’妖精のせせらぎ‘も,‘木漏れ日の老賢者’――あそこの樫の木ですが――も,台無しですな」

 執事のペロスピエールは目元にハンカチを当てながら言った.実際のところこれらを片付けるのは彼ら使用人の仕事なのだろう.心中察して余りある.


 「赤毛のアンみたいなネーミングの庭だね」

 「アンとは何ですか? 主婦様?」

 「お話に出てくる,夢見がちな女の子だよ.可愛いね」

 「こら,ペロスピエール,余計なことを言うな」

 シェトランド候は赤くなりながら執事を叱りつけた.

 「これは坊ちゃん,いえ,旦那様失礼しました.だが,実際問題,あれは修繕できますかなあ」

 ペロスピエールが首を傾げる.

 「大丈夫,魔法できっと元に戻るよ」

 「本当ですか?」

 「えーと,多分,きっとね.だって,魔法だもの」

 とはいえ,魔法院の魔法を使うのではないシノノメには少し自信が無かった.

 「きっと?」


 「ねえ,フィーリアさん,そうだよね?」

 そう言って振り返ったシノノメが見たのは,空になったソファだった.

 フィーリアが羽織っていた毛布が床に落ち,その傍にはシノノメが渡したポーションの空瓶が転がっている.

 「あれ?」

 シノノメは慌てて部屋の中を見回したが,やはりフィーリアの気配はない.

 シノノメは毛布を拾い上げた.まだ温かい.いなくなってからそんなに経っていない様だ.わずかに目を離したすきに,どこかに行ってしまったのだ.

 「仮想世界だから,トイレに行くはずないし」

 ログアウトしたのだろうか……そう思ったシノノメはおかしなことに気づいた.

 テーブルの上にあった,紅茶のポットが消えているのだ.


 「シノノメ様,あれをご覧ください!」

 ペロスピエールが窓の外を見て叫んだ.彼はシェトランド候やシノノメより背が高い.

 慌てて再び窓の傍に駆け寄ってみると,屋敷の前にふらつきながら歩くフィーリアがいた.

 サミアとガザトジンはいざという時の暴徒の襲撃に備え,呪文を詠唱しているせいで彼女に気づいていない.クマリは土塁の上で暴徒たちの説得を続けていた.


 「フィーリアさん!」

 シノノメは叫んだが,フィーリアは振り返らなかった.


 彼女はゆらりと体を揺らしながら,クマリの足元に広がる土の丘――首や手の一部だけを出して生き埋めになっている,暴動の中心メンバーの方に近づいていた.

 左手にぶら下げた白磁のティーポットが揺れている.

 白いガラス質のポットには,繊細なタッチで青い手描きの花が描かれていた.手の中で揺れるそれは,可憐なフィーリアそのもののようにも見えた.


 「いけない! フィーリアさん!」

 その瞬間,シノノメはフィーリアが何をしようとしているかを悟った.

 それは,シノノメにとって大きな変化だったかもしれない.感情移入する能力が欠けていたかつての彼女は,会う人々に人形のような印象を与えていた.だが,記憶を取り戻し,一般人を遥かに超える脳機能を身に着けているシノノメは,今や通常よりはるかに高い感受性を備えている.


 フィーリアの身体が揺れているのは,身体のダメージのせいではない.

 傷つき揺らぐ感情に身を任せているせいだ.


 ……それは,……それをしたら,魔法院が魔法院じゃなくなっちゃう.


 クルセイデルの理念――魔法院は平和と正義を愛する機関であること.幻想世界ファンタジーを愛し,人々に夢と希望を与える存在であること.

 暴動の話を聞いた時の,哀しそうなクルセイデルの顔が脳裏をよぎる.そして,現実世界の子供たちに贈り物を届けるときの嬉しそうな顔も.


 ……そんなのダメ!


 窓から下を見たが,木も無ければ屋根のひさしもない.流石にこれでは飛び降りることはできない.そう思ったシノノメは慌ててドアに向かって走った.階段を駆け下り,吹き飛ばされたドアの残骸がぶら下がった玄関に向かう.階段の段を降りる自分の足の速さがもどかしい.


 フィーリアの歩む先には,生き埋めにされたジョゼたちがいた.

 彼らは根気よく説得を続けるクマリを尻目に,怨嗟の声と暴力を煽る悪態を叫び続けていた.


 「おい,野郎ども! 魔女の言葉に耳を貸すんじゃねえぞ!」

 「そうだ,こいつらは俺たちを馬鹿にしてるんだ」

 「騙されるな!」


 ジョゼはふと自分の方に近づいて来るフィーリアに気づいた.

 身体がゆらりゆらりと揺れている.


 「へっ! これは,水の魔法使いもお出ましかよ」


 目元に隈の浮いた顔で,フィーリアはジョゼを見下ろした.

 フィーリアの青いショートカットが夜風に揺れる.優し気な外観なのだが,その顔はどこまでも無表情で,瞳の色が湖の様に蒼く深い.ぞっとするほど冷たい視線だった.


 「そうやっていつもお前たちは俺たちを見下していやがる.だが,どうだった? 俺たちみたいな身分の低い人間に,お人形みたいに弄ばれる気分はよ? 体中血まみれにして,お前も案外楽しんでたんじゃねえのか? ギャハハハ!」

 ジョゼはフィーリアの視線を真正面から受けると,笑いながら言った.身体をコンクリートで固められているので,掠れた声だったが,その言葉はフィーリアの耳朶を打った.


 「ひゃはは,違いねえ」

 「また遊ぼうぜ,お嬢ちゃん」

 生き埋めにされたジョゼの仲間達も,虚勢を張る様にジョゼの声に合わせて笑い声をあげた.


 「……クズども」

 フィーリアの形の良い――カサカサに乾いた唇が小さく動いて,それだけ言った.


 「はあん? 何だって? 良く聞こえねえ」

 「ジョゼの親分,告白じゃないですか?」

 「愛してますってよ!」


 「……私は五大の魔女の一人,湖のフィーリア.コップ一杯の水があれば十分」

 そう言うと,フィーリアはポットの紅茶を右の掌に注いだ.

 水をくむように指を軽く曲げ,掌に紅い小さな水たまりができる.


 「へ?」

 「何だって?」

 「聞こえねえな!」

 犬人たちはふざけながらせせら笑った.


 「フィーリアさん,ダメ!」

 シノノメは必死で玄関を抜け,フィーリアの後ろ姿めがけて走った.

 だが,間に合わなかった.


 「殺せる」

 フィーリアの手のひらから,細く赤い線がほとばしった.

 ――それはまるで,フィーリアの血の涙の様に見えた.



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