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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第24章 幻想世界の黄昏
179/334

24-8 暴徒の追撃

 オレンジ色の魔石ランプのぼんやりとした光が部屋を照らしている.

 オルレワンの街を照らしていた狂気のかがり火の刺々しい光とは違い,心休まる温かい光だった.

 クマリの弟子二人――サミア,ガザトジンはフカフカした布張りのソファに体を預け,伸びをしている.

魔法院最強の戦闘力,五大の魔女の一員であるクマリは,毅然と背筋を伸ばして一人がけの椅子に座っていた.規模や状況こそ違え,数々の戦闘や冒険クエストを潜り抜けてきた経験があるのだ.しかし,さすがの彼女も目の下に少し疲れの色が見えた.


 「フィーリア,……ログアウトして休んだ方が良いんじゃないの?」

 そう言いながらクマリは隣のソファで背中を丸めてうずくまっているフィーリアに声をかけた.

 

 「……やることがあるの」

 フィーリアは首を振った.眼鏡の向こうの目はどこか虚ろで,それでいて虚空の一点を睨んでいた.彼女は肩掛けを羽織り,シノノメから受け取ったポーションを少しずつ口に運んでいる.消耗が激しいのか,あるいは,人心地ついて恐怖がまた蘇ってきたのかもしれない.何と言っても,身動き取れない状態にされて,生きたまま体を切り刻まれたのだ.


 「やることって……?」

 「……」

 クマリは何度もフィーリアにログアウトして休むように勧めたのだが,フィーリアは頑なにそれを拒んでいた.


 「クマの毛って,ごわごわしてるね」

 シノノメは暖炉の前に敷かれたクマの毛皮を見つけて撫でている.


 五人はシェトランド候の私邸,その客間に通されていた.

 周りにはずっと田園地帯が広がっているので,とても静かだった.

 窓の向こうは墨で塗りつぶしたような黒い闇で,先ほどまで巻き込まれていた喧騒が嘘の様だ.


 「お待たせしました」

 シェトランド候が背の高い犬人――恰好からして執事だ――を連れ,部屋に戻って来た.切り裂かれた衣類を脱ぎ,落ち着いた茶系のスラックスとジャケット姿である.ムク犬のような丸っこい体形で前髪と髭が長いので,頭の両側に垂れた耳と相まって大型犬が二本足で立って服を着ているような印象を受ける.


 「夜分の事なので,簡単なおもてなしで失礼いたします」

 執事は手際よくティーセットをテーブルに並べ,スコーンの乗ったワゴンを置いた.

 「あ,アールグレイだね.私やるよ」

 シノノメは執事が茶を入れるのを慣れた手つきで手伝い始めた.見習い魔法使いと思っているのか,執事もそれを遠慮することはなかった.


 「ありがとう,ペロスピエール」

 シェトランド候が礼を言うと,一礼して執事の犬人は部屋を出て行った.


 「魔女様たち,ありがとうございました」

 執事が出て行くのを見計らって,シェトランド候は感謝の言葉を述べた.


 「子供たちと奥方は大丈夫でしたか?」

 クマリが紅茶をひと啜りして尋ねた.


 「おかげさまで.娘たちは随分怯えていましたが,もう落ち着いたようです」  

 「だが,どうしてこんなことに? フィーリアが,ダムがどうとか言っていたが……」

 クマリはフィーリアに視線を送った.


 「簡単な事よ.無知と無理解」

 フィーリアが唇を噛み締めながら,吐き出すように言った.大人しい外見からは想像もつかないような口ぶりだ.

 

 「それは,どういう……?」

 クマリはわずかに顔をしかめ,シェトランド候の方に説明を求めた.

 

 「ええと,私には,フィーリア様の説明がよく分かったのですが……」

 シェトランド候はフィーリアの方を痛々しい目で少し見ると,もう一度クマリの方に顔を向けて語り始めた.


 水龍ウォータードラゴンがロワーヌ川の上流地域で暴れている.

 そのせいで村が一つ襲われたというので,シェトランド候は魔法院に解決クエストを依頼したのだ.

 水難といえば第一人者という事で,フィーリアとその弟子二人,リリィとリムルは現地を訪れて調査を行った.その結果,水龍一匹を倒せば済む問題ではないことが判明したのだった.


 「そして,フィーリア様が市庁舎に――私の市内の屋敷の方においでになって,教えて下さったのです」


 ロワーヌ川の源流は三本の川からなっている.そのうちの一本をせき止め,突貫工事でダムが作られていた.そのせいで,地下水脈の流れが変わり,色々な悪影響をもたらしていた.


 まず,周囲の山の地質が脆いため,土砂崩れや伏流水による鉄砲水が頻発するようになってしまった.

 さらに,一部の地域は地下水が枯渇して井戸が枯れてしまった.


 そのせいで,水龍の生息地――営巣地の環境が変わり,暴れるようになったのだ.水龍は川や湖を移動して――一種の‘渡り’を行って卵を産む.水龍というだけに水の豊富な場所を選ぶのだが,それができなくなってしまっていた.

 営巣地には水龍の群れが何十頭と群れを成して生活している.一匹倒せば,全部が襲ってきかねない.洪水を呼び河川の氾濫を招く水龍の群れが暴れれば,ロワーヌ川流域は壊滅する.


 一大農業地帯は泥沼と化し,二度と人が住める環境で無くなるかもしれない.

 解決方法としては,新しい居留地を見つけるか,環境を元に戻す以外ない.しかし,何百年と使われた営巣地に変わる場所を見つけるのは容易でないのだ.


 「つまり,ダムを壊す方が良いと提案なさったのですが……」

 「奴らが反対したというわけだな.……つまり,環境破壊が原因だったのか.しかし,十年,二十年以上――今後のこの土地の繁栄を考えれば……」

 クマリは頷いた.

 「土の元素の使い手である私たちの目から見ても,大地の恵み無き土地で暮らしていけるはずありませんね」

 サミアが言うと,ガザトジンも肯いた.

 「少し考えれば,どちらが大事かなんて分かりそうなものなのに」

 三人はフィーリアの方をもう一度見た.

 フィーリアはソファの上で膝を抱き,体を細かく震わせている.


 「そうかな,あの人たちはそんなこと考える人じゃないでしょ」

 シノノメは紅茶のカップを全員に配り,腕組みをして首を傾げた.

 「どういうことだ? シノノメ殿」

 「それはね,クマリさん,あの犬人――ジョンだっけ,ブルドックだっけ」

 「ジョゼとブリクスです」

 シェトランド候が訂正した.

 「ああ,それ.あの人たち,十五分くらい先の事しか考えてないみたいだったよ.全然話も分かってなかったし.多分,フィーリアさんの説明なんて何もわかってないんだと思うよ.聞いても分からないっていうより,初めから分からないって決めつけて聞いてるんじゃないかな」

 「……なるほど,そう言う事か」

 クマリはシノノメの言葉に膝を叩いてフィーリアの方を見た.

 「無知と無理解……学のない彼らには理解できないのか」

 フィーリアはうつむいたままで床を見つめている.


 「どういうことですか? クマリ様」

 「サミア,この世界――ウェスティニアの識字率を知っているか?」

 「識字率?」

 「読み書きができる人間は,二割程度です.私たちは子供の時から,家庭教師を家に招いて学問を身に着けるのです」

 シェトランド候は髭を撫でながら言った.

 「そうか……ここは中世世界.学校なんて……まして,義務教育なんてないのか」

 「ふーん? 素明羅スメラにはあるよ.あと,カカルドゥアには寺子屋みたいなのがあって,商人の子供や,奉公してる従業員の人がお店で読み書きを習ってるよ.ウェスティニアにはないの?」

 「シノノメさん,クルセイデル様は何度も初等教育を行う学校を作る様に議会に進言していたんです」

ガザトジンが解説した.

 「でも,全部却下されて,代わりにできたのは貴族の子が通う政治学校だけだった」

 「えー,何で?」

 「金が掛かるからだ.教育は金が掛かる割に,成果が出るまでに時間がかかる.本当は簡単な地理や理科の知識――地質の事や,川の流れ,植物の事――があった方が,農業や商業の生産性が上がるはずなんだ」

クマリが不満そうに鼻を鳴らした.


 「そうか.貴族の人はお金を出すのが嫌なんだね」

 シノノメはシェトランド候に近づくと,ワシワシと頭を撫でた.

 深刻な話題の真っ最中にシノノメがとった謎の行動に,クマリたちは目を丸くした.


 「無礼な! 見習い魔法使い風情が何をする!」

 シェトランド候はシノノメの手を払いのけた.

 「私たちが,何故奴らのために金を出してやらねばならんのか,全く,腹立たしい」


 「あ,ごめんね.モフモフしたくて,我慢できなくなったの」

 シノノメはあまり悪びれもせず,ぺこりと頭を下げた.

 

 「一体お前は何者なのだ? 見習いのくせに魔女様たちに無礼な口をきいたと思えば,由緒正しきシェトランド家の当主の頭を犬のように撫でおって.クマリ様の弟子でなければ,この部屋からたたき出すところだ」

 シェトランド候はカンカンになって怒った.

 

 「う……ムム」

 クマリとガザトジン,サミアは一瞬目を合わせた.

 「いや,すまん.シェトランド候.その方は私の弟子ではないのだ.クルセイデル様の大事なお客様でな」

 「クルセイデル様の? 見習い魔法使いが?」

 シェトランド候は怪訝な顔になった.

 「……他言無用でお願いしたいのだが……その方は,東の主婦,シノノメ殿だ」

 「シノノメ?」

 シェトランド候の声が裏返ったと思うと,髭と髪に隠された顔が青くなったり赤くなったりして急変した.


 「うん,そう.隠しててごめんね」

 シノノメは悪戯を見つけられた子供の様に,小さく舌を出してウインクした.

 

 「ひえーっ! 北東大戦の英雄,カカルドゥアの救い主,ユーラネシアンの救世主! 主婦様でいらっしゃいましたか! 何と,主婦様が我が家においでになった! いかん,これは,ペロスピエールを呼んで最上級の茶葉とお菓子をお出しせねば!」

 シェトランド候は犬の様にせわしなく部屋をグルグル回ったかと思うと,慌ただしくドアを開けて部屋を出て行った.


 「他言無用って言ったのに……」

 サミアが呆れてシェトランド候の後姿を見送った.

 「あんなに慌てなくてもいいのに.それに,何だか,いっぱいフレーズが増えてるね」

 シノノメ本人は不思議そうに首を傾げた. 


 「いや,仕方がないだろう,本当に,天下のシノノメ殿なのだから.でも……その通りだな.あの態度を見ると実感する.見習い魔法使いと,魔法院の魔法使い.クルセイデル様の権威.……ことほどかように,教育の有無は差別を助長するのか」

 クマリは苦笑した後,寂しそうにため息をついた.

 

 「あれこそ,クルセイデル様が改善したかったことなのかもしれませんね」

 「知の開放――ローマ帝国が発展したのは法律を一般の民衆に開示したからだと,昔習ったことがある.さすがの洞察力だな,シノノメ殿」


 「うーん,あまりそういうの考えていたわけじゃないんだけど.だけど,偉い人が何か自分たちのよく分からなことを言ってて,とにかくせっかく作ったものを壊せって言われて腹を立ててるっていう,それだけみたいだったから」

 シノノメはそう言いながら,窓の方に歩いて行った.

 客間は二階だが,辺りは見渡す限り農園なので,この時間は漆黒の闇である.


 「まさに,そういう理解の仕方でしょうね」

 「あとはうっぷん晴らしに爆発したみたいなものか.理性で理解していないから,簡単に感情に流されるというわけなんだ」

 「うっぷん晴らし……」

 フィーリアが呟いたので,慌ててガザトジンは自分の口を押えた.フィーリアは彼らの爆発する感情の餌食――犠牲になったのだ.

 「おや!?」

 

 バタバタと騒がしい音がしてシェトランド候が戻って来た.だが,先ほどの上気した顔とは打って変わって,その顔は蒼白だった.後ろに同じように慌てた様子の執事,ぺロスピエールがついてきている.


 「大変です!」

 「どうした? シェトランド候?」

 「あれのこと!?」

 窓の外を眺めていたシノノメが振り返った.シノノメにしては――いつものごとく童顔なので緊迫感に欠けるのだが――緊張した面持ちである.

 クマリは窓の奥――夜闇の向こうに,モザイクのように広がる光の集まりを見つけ,その正体を直感して戦慄した.

 「そ,そうです.暴徒が……ここまで追ってきました.この屋敷は完全に囲まれています」


 フィーリアを除く全員が窓に駆け寄った.

 窓を開け放つと,一気に夜気が部屋の中に吹き込んで来る.

 見下ろすと,松明を掲げた犬人の集団が巨大な扇型の光となって屋敷を包囲していた.


 「何故ここが分かったんだ?」

 「犬人の鼻は普通の人間よりはいいですが,それにしても……」

 声が恐怖で震えていた.シェトランド候と執事は互いにしがみつきあっていた.


 「やい,シェトランドの野郎,それに魔女ども」

 シノノメ達がいる部屋の方を見上げながら,群衆を割って一人の男が進み出てきた.

 身体のあちこちに包帯を巻いているが,大柄なその体格には見覚えがあった.


 「ジョゼ……」

 「いやがったな,クマリに見習いの野郎め.どうしてここが分かったんだ,って顔してるな.図星だろう」

 ジョゼの目が窓から自分たちを見下ろすシノノメとクマリの姿を捉えた.

 「ブリクス,説明してやれ」


 頬のたるんだ犬人――ブルドックに似たブリクスがシノノメに殴られた頭を擦りながら進み出る.

 「へい,親分.……簡単よ.街道沿いのお前らつ国人を捕まえて,締め上げてやったのさ.簡単だったぜ.野良仕事やってるこの辺のつ国人は,みんな弱っちいからな.農場に火をかけるっていったらすぐに吐きやがったぜ.お前らは何だか,自分の農場の近くを通ったものや入って来たものを感知する変な能力があるだろ」

 ブリクスは自慢そうに言った.


 「あとは,俺はこの屋敷の場所を知ってるからな.轍の後を追って,ピンと来たのよ」

 ジョゼがその後を受けて胸を張った.

 

 農業系の生産職についているプレーヤーは,自分の農地を管理するスキルを持っているが,それに目を付けたらしい.戦闘能力のほとんどない彼らでは,とても暴徒に太刀打ち出来なかったのだろう.

 川の流れが変わり,暴徒に襲われるようになったこの土地を,手放すプレーヤーも今後出てくるかもしれない.生産系を選ぶプレーヤーの多くは,のんびりした田舎の生活や癒しを求めてマグナ・スフィアに参加している.彼らにとっての楽園は失われてしまったことになるのだ.


 「卑劣な……」

 「何事もビョウドウが大事だからな.いいか,シェトランド,そこにいるか? 今からお前の屋敷と土地に火をつける」

 「ひいっ! シェトランド家百年の伝統が!」

 シェトランド候は悲鳴を上げた.

 「旦那様!」

 ペロスピエールが卒倒しそうになっている主人を支えている.

 「だが,条件次第で許してやってもいいぜ.そこに魔女どもがいるだろう.そいつらをこっちによこせ.そうすれば許してやってもいい」

 「そんな!」

 シェトランド候には魔法院への忠誠心――あるいは,畏敬の念があるようだ.板挟みとなってどうしたらよいのかわからなくなったのか,クマリの顔をじっと見つめた.


 「クマリ様,どうします?」

 こうしている間にも群集はさらに数を増やしている.数千にもなろうとしている松明を数えながら,ガザトジンは師に尋ねた.


 「出るしか無かろう」 

 クマリは震えるシェトランド候と執事に向かって,力強く頷いた.


 「で,では,私どものためにクマリ様たちが出て行かれるので?」

 「だが,要求通りにしたとして,奴らがシェトランド候を無事にしておくという保証はない」

 「ひいっ! た,確かに……でも,そんな……だったらどうすれば良いのでしょう?」

 「……ガザトジン,サミア,私と一緒に来てくれ.シノノメ殿はフィーリアを頼む」


 見れば,フィーリアは部屋の隅のソファで未だにうずくまっていた.表情は眼鏡のレンズに隠れて見えない.


 「分かりました」

 ガザトジンとサミアが掌を胸に当てた.魔法院の魔法使いがする,尊敬を込めた了解の仕草である.


 「私,行かなくていいの?」

 シノノメが心配そうに言った.


 「シノノメ殿の力は強力すぎる.あんな奴らだが,もともと普通のNPCだ.皆殺しにしてしまうわけにはいかないでしょう」

 そう言うとクマリはマントを翻してドアに向かった.後には颯爽と――誇らしげに胸を張ったサミアとガザトジンが続く.高らかにブーツの踵が鳴った.


 「クマリ様……一体どうなさるので……しかし,御身に万が一のことでもあれば……」

 オロオロと止めようとするシェトランド候に向かって,クマリはクルリと振り返った.

 

 「奴らは……いや,その影に黒幕がいるのかもしれんが……魔法院を,そしてこのクマリを舐めすぎた.ここをどこだと思う.大地の恵み深きところにある限り,我々は負けぬ.安心しなさい.シェトランド候」

 クマリの顔には不敵な笑みが浮かんでいた.

 


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