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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第23章 機械仕掛けの魔法 ウェスティニア共和国編 序章
169/334

23-4 赤眼の双子

 「は? 玉ねぎ?」

 毎度ながらシノノメの注文は訳が分からない.面くらいながらも,グリシャムは万能樹の種を取り出した.


 「あっちの,湖のほとりの方でお願い!」

 シノノメは少しだけ振り返って岸辺を指さしながら,自分は石竜の方に飛んでいった.

 石竜の周りでは二人の空飛ぶ騎士が必死の攻防を繰り広げていた.前後左右上下,常に二方向から同時に攻撃している.余程息が合わないとできないに違いない.

 しかし,いかんせん攻撃力が違いすぎる.甲冑の形もあいまって,大蛇にとびかかる二匹の小さな昆虫にしか見えない.今は石竜も戸惑っているが,二人を餌食にするのは時間の問題に思えた.


 「空中で素早いから……まずは動きを止めなくちゃ.ラブ!」

 「にゃん!」

 空飛び猫が可愛い和毛にこげの生えた羽根を羽ばたかせる.

 シノノメはぐんぐんと石竜に近づき,叫んだ.

 「骨の竜! こっちよ!」


 頭だけでも軽自動車並みの大きさがあるのに,思った以上に俊敏だ.空中で長い体をぐるりとくねらせ,シノノメに牙を剥いて向かって来た.

 頭に鋭い前歯が撃ち込まれそうになる瞬間,シノノメは叫んだ.


 「鍋蓋シールド!」


 たちまち美しい光の円形が宙に現れた.

 石竜は超金属以上の硬さを持つ魔方陣にかぶりつき,歯が欠けた.悔しそうな高い声を上げる.


 「二人とも,左右をお願い!」

 シノノメの声に応えるように,二人の騎士は両側から同時に剣を振った.頭蓋骨に当たった剣が火花を散らし,鬱陶しそうに石竜が頭を振る.


 「そして,まな板シールド!」

 シノノメはその隙に石竜の下に回り込みながら,右手を広げて振った.長方形の輝く魔方陣が,カーペットの様に石竜の下に広がる.さらにその下,湖面すれすれを潜る様に素早く飛んだ.

 前方,左右,下方は塞いだ.

 シノノメは一気に舞い上がると,石竜の頭上に飛び上がった.

 ちょうど,背後をとった形になる.


 「クルー・ショット!」

 シノノメの左の薬指――拒絶の指輪が輝くと,頭上に青白く光る巨大なT字状の釘が現れた.

 実体ではない.細かい魔法の術式の塊だ.

 魔法の光る釘はドスンと石竜の頭を貫き,下の魔方陣――まな板シールドに突き刺さって一体化する.石竜は蛇のように長い身体をくねらせて抵抗したが,動けなくなってしまった.まさに釘付けだ.

 しかし,問題はここからだ.

 石竜は,骨の形をした生物の群体で,各個の骨がバラバラになっていても動けるという.恐るべき生命力というよりも,この奇怪な生き物は骨の形をした群体の生物なのだ.それらが連なって巨大な生物の形を作り上げている.死んだ個体は分離し,生きている個体同士で合体・結合して‘石竜’を再構成するのだ.


 「えーい! 関東背開き,関西腹開き!」

 黒猫丸を構えたシノノメは,その先で撫でるようにしながら背骨の上を飛んだ.

 ぱらりと石竜が真っ二つになる.本来背骨が分離する方向――横方向でなく,縦方向に体を切り裂いたのだ.それでも不気味に石竜は身体を動かしてもがいた.


 「小麦噴霧ウィート・ミスト!」

 さらにシノノメの手から白い粉――小麦粉が飛ぶ.

 二人の空飛ぶ騎士は慌てて退避すると,呆然としながら事の成り行きを見守った.


 「ノンフライヤー!」

 風と熱が石竜を包み込む.長細くて平べったい笹の葉のようになってしまった石竜が茶色っぽいタヌキ色に焼き上がった.

 だが,それでももぞもぞと石竜は動いていた.個々の骨がそれぞれ生きた生物なので,部分的なダメージを加えても集合体としてはダメージが少ないのだ.

 特に中心的な働きを行う――女王蜂のようなものか――頭骨の継ぎ目はほぼ中央にある.背骨と違ってダメージを受けなかった頭蓋骨は,自分を貫く魔法の釘から何とか逃れて逃げようとしている.


 「オフ!」

 全ての魔方陣が一瞬で消え去ると,支えを失った石竜の身体は真っ逆さまに落ちて行った.

 湖水に落ちるとジュウジュウと音を立てながら激しい飛沫が上がった.シノノメは飛沫を回避するように空飛び猫の高度を上げると,グリシャムに声をかけた.


 「グリシャムちゃん,どう?」

 「え? いや,準備できたけど……」

 シノノメはグリシャムから両手いっぱいの玉ねぎを受け取ると,スライスして湖水に投げ込んだ.

 「どうだ!」


 一旦沈んだ石竜の身体が再び湖面に浮かび上がる.

 奇麗な焼き色がついた竜の身体は,完全に動きを止めていた.

 「ボナペティート!」

 シノノメが包丁の背で竜の頭を叩くと,小麦粉の衣のついた竜の骨はバラバラと――というよりも,くたくたと少し溶けながら分解されていった.

 完全に動きを止めている.


 「やった!」

 シノノメはくるくると石竜の上を旋回して跳ぶと,湖のほとりで呆然と立つグリシャムの隣に降り立った.

 「これ……どういうこと?」

 「石竜のアナゴ仕立てのマリネ――南蛮漬けだよ!」

 「は?」

 「正確に言うと,酢漬けかな.でも,グリシャムちゃんが昆布出汁こんぶだし入れたし」

 「ちょっと,ちょっと,意味が分からナイです」

 「こういう火山でできた湖は,水が酸性だから生き物が住めないんだよ.だから,とても澄んでいて,透明で,きれいなの」

 「あ……そういうことか.だから私の水草が脆くって十分育たなかったんだ」

 「うん,低空飛行したときにちょっとだけ飛んできた水しぶきがヒリヒリしたの」

 「なるほど,つまり,骨が分離できない方向に切れ目を入れて高熱を加え,さたに酸性の液体で処理してとどめを刺したということね.瞬間多重攻撃,これじゃ石竜もひとたまりもナイね」

 「調理終了だよ.でも,食べられないね,こんなの」

 「ていうか,これ玉ねぎは要らないんじゃナイ?」

 「え? でも,骨を柔らかくする成分が出そうじゃない」

 「うーん……ぶっ飛んでるなぁ.それにしても,酸性の湖なんて良く気づいたね,っていうか,良く知ってたね?」

 「うん……前に旅行に行ったときに,教えてもらったの」

 そう言うと,シノノメは再び静かになっていく湖面を見つめていた.

 長い睫毛が風に揺れて震えている.

 それはどことなく寂しそうで,それでいて追憶に身をゆだねる幸せなのか――口元にはわずかな笑みが浮かんでいた.


 ……教えたのは,きっと彼女の夫なのだ.

 どれだけ深くつながった二人だったのだろう.

 なのに,その記憶を失うとは何と残酷な事か.

 本当は叫びたいほど,色々なことを聞きだしたいに違いないのだ.

 グリシャムはシノノメの横顔を見て,ふと憔悴しきった黒江の表情を思い出した.


 ぶううん……と,大きな虫の羽音のような音が近づいて来る.

 グリシャムはふと空を見上げた.

 帽子のつばで陽光を遮りながら見ると,甲虫のような甲冑に身を包んだ騎士達が自分たちの方に降下してくるところだった.

 全員無事だったらしい.ということは,彼らが身に着けている不思議な鎧は見た目以上に丈夫で強力な力を秘めているに違いない.


 ……でも?

 グリシャムは違和感を覚えて,ステイタスウインドウを立ち上げた.


 「まさか?」

 空飛ぶ騎士たちは,砂利を踏む軽い音を立てながら,次々に岸辺に降り立った.

 先ほど見事な連係プレーで最後までシノノメを援護していた二人の騎士が先頭だった.

 彼らが騎士団のリーダーらしかった.二人はゆっくり歩くと,グリシャムとシノノメの方に近づいてきた.

 虫の双眼のようなバイザーのついた兜をかぶっている.いや,どちらかというと近代的な構造で,ヘルメットといった方が良い物だった.

 二人はヘルメットを脱ぐと小脇に抱え,頭を下げた.


 「お助けいただき,ありがとうございます.僕たちはメムの学院の院長を務める者です」


 二人とも,さらさらした銀髪の美しい少年だった.

 一人は青みがかった銀髪で,もう一人は紫がかっている.特徴的なのはその目だった.瞳がまるで紅玉ルビーの様に赤いのだ.

 二人の顔はすっと通った鼻筋から尖った顎まで,全く同じだった.


 「あなた達は……」

 「ああ,ええ」

 二人ははにかむように笑って,お互いを見つめ合った.

 「僕たち,双子なんです.二人で一人,互いに助け合いながらマギカ・エクスマキナの学院を運営しているんです」

 「いえ,そうじゃなくって……」

 「何でしょうか?」

 二人は声を完全に合わせて答えた.

 同じ顔と同じ声.そして今,同じ甲冑を着ている.

 仮想世界の中にあって,あまりにも非現実的な光景.

 ……いや,そうじゃない.

 なぜ,この人たちはこんな力を持っているの?

 空飛ぶ甲冑に竜と戦える火器.

 急速に発達した科学文明を易々と操る姿.

 グリシャムは軽いめまいを感じた.

 あり得ない.

 「あなた達は……ユーラネシアンなの?」

 「ええ,そうです.僕たちは,あなた達がNPCと呼ぶ存在です」

 それのどこがおかしいのだろう.

 そう問い返すように,二人は四つの赤目を細め,にっこりと笑った.


  ***


 「そうですか.クルセイデル様が僕たちに会うように仰せになったんですね」


 数刻後,シノノメ達は彼らがメムの学院と呼ぶ建造物に案内されていた.

 コンクリートのビルディングを彷彿とさせる四角い建物群からしばらく離れた場所,巨大な円形の浮遊石の上に建造された壮麗な建物である.

 全体は赤レンガと白い石材で組み立てられ,銅で葺いた屋根が乗っている.アーチ状の窓が整然と並んでいる様子は,明治から昭和にかけて日本で建てられた西洋建築――例えば,東京駅にも似ていた.

 そして,学院という名にふさわしく,その外観はまぎれもなく学校を思わせる物だった.全寮制の名門寄宿学校の風格を備えた建物を中心に,美しい緑の庭園と広い土の広場グラウンド,流れを湛える川と池まである.

 窓の外の光景に目を奪われていたシノノメは,赤目の少年の声にはっとして振り返った.

 

 「ああ,この建物は学院の生徒たちが作り上げた物です.お気に召しましたか?」

 「生徒?」

 「ええ,メムの魔道士とユーラネシアンは呼んでいますが,ここではこの学院の生徒です」 


 赤目の少年二人とシノノメ,グリシャム,四人が今いる部屋は広い執務室だ.重厚な黒檀の執務机が一つ置かれ,紫がかった銀髪の少年が革張りの椅子に座っている.もう一人の青みがかかった銀髪の少年は机の天板に腰かけ,足をぶらぶらさせていた.壁際には大きな柱時計に天井まである書架があり,部屋の中央には応接セットのような黒革のソファと紫檀の机がある.いわば‘校長室’を思わせるつくりだった.

 グリシャムは来客用のソファに腰かけ,窓の外を眺めているシノノメの姿を見守っている.机には湯気を立てるハーブティーのカップが二脚あった.


 シノノメはもう一度窓の外の光景を見た.

 林立する高層建築の前に広がる緑の森と校庭.都会のオアシスとでもいうべき理想の学校――そう,漫画やアニメに出てくるような――だった.

 敷地の中には連れ立つ生徒たちがいくつかの集団になって散策しているのが見える.

 大抵は若い男女の組み合わせで,みんな笑顔なのが印象的だ.


 「楽しそうなところだね……」

 複雑な思いにとらわれながら,シノノメはそれだけ言った.

 何だろう.すべてが作り物のようで,嘘くさい.いや,仮想世界だから作り物には違いないんだけれど――何というんだろう.このあまりに希薄な実態感は何だろう.


 「そうでしょ? 誰もが永遠に理想の学生時代を送るのが,このメムさ」

 紫がかった銀髪赤目の少年は,机の上から勢いをつけて飛び,床に立って言った.

 「こら,サバト.無礼だぞ」

 「真面目だなあ,アスタは」


 サバトはゆったりとした歩調で部屋の中を歩くと,グリシャムの向かいのソファに体を投げ出すように座った.同じ双子でも,彼の方が少し奔放な性格なのかもしれない.


 「僕たちには,クルセイデルが何を心配してるのか分からない.みんな楽しく生活してるだけさ.寄宿舎に住んで,魔法を習って,いろんな機械仕掛けの魔法を生み出して,一般のNPCに恩恵を授けてる.大いに感謝されてるし,生徒たちだってそれが誇りになるんだ」

 「それはそうでしょうけど……」

 躊躇いながら口を開いたグリシャムに,サバトはぐっと身を乗り出して近づいてきた.

 紅玉ルビーの様な瞳で,グリシャムの顔を覗き込む.

 間近にサバタの瞳を見ていると,グリシャムは怪しい動悸を胸に感じた.

 サバトもアスタも美少年だ.だが,顔を近くに寄せられたのでドキドキしているというのではない.赤い瞳の奥に吸い込まれるような,何とも言えない危険な予感がしてくるのだ.

 胸が騒ぐ,というのだろうか.自分が十代だったらこれを胸のときめきと勘違いしてしまうのではないかと思う.

 「こ,この世界にはゆったりしたこの世界なりの進歩があるというのが,クルセイデル様のお考えです.無理やり文明化するのはナイです」

 クルセイデルの受け売りをグリシャムはそのまま口にした.

 「この世界なり,って何だい?」

 サバトはグリシャムの眼を見つめながら言った.グリシャムは慌てて目を逸らした.何だか目眩めまいがしそうだ.

 「急激な進歩は危険を生みます.自分の手に負えない力に振り回されて……今日だってそうでしょう? 特別な魔法の道具を手にすることが無ければ,鉱夫の人たちも化石の谷に採掘に行くことはなかった.何人かは化石になって死んでしまったじゃないですか.あれこそ,クルセイデル様の懸念されていることでしょう」

 

 「では,我々は無知のままでいいと?」

 次に口を開いたのは執務机のアスタだった.手を机の上に組み,じっとグリシャムの眼を見つめている.同じ紅い瞳だ.グリシャムは見つめられると体がこわばるのを感じた.何か抗うことのできない力が彼らの眼にはある.

 「仮想生命体は,無知のままゲームキャラクターとして存在していればいいのですか?」

 「……っ! あなたは」

 「ええ,この世界の秘密を知るのはカカルドゥア大公だけではないのです.私たちはあなた達の創造物です.ですが,創造物が自らの意思を持つことは許されませんか? グリシャムさん」

 「それは……」

 グリシャムは言葉を失っていた.マグナ・スフィアは仮想生命圏だが,乱暴な言い方をすれば現実世界の人間のゲーム,娯楽のために作られた世界だ.そこに住む生き物たちは自分たちが仮想の存在であることを自覚していない筈なのである.


 「ヒトは進歩を求める生き物です.あなた達もそうでしょう? ヒトとして設定され,ヒトの思考を模して造られた我々がそれを求めて何故悪いのです?」

 「でも……」

 何故だろう.赤い瞳に見つめられると,言葉を失ってしまう.グリシャムは困惑していた.

 「あなたはどうですか? シノノメさん」

 アスタは自分の背中側で窓の外を見つめ続けるシノノメに声をかけた.

 しばらくの沈黙の後,シノノメは窓に背を向けて歩き始めた.

 腕組みをして,ゆっくりとグリシャムの座っているソファの方に歩いて来る.


 「なるほど……そうか.私たちがモンスターを倒すとコインや魔石になるけど,あなた達が倒せば体が残るのね」

 口を開いたシノノメが言ったのは,全く別のことだった.

 「そうだよ.その体を加工して色々な部品にするのさ.強度の高い甲殻や,関節構造,羽根を震わせる筋.電気で筋肉を刺激して,飛ぶ仕組みや走る仕組みを動かす.凄いだろ」

 「よく分かりましたね.シノノメさん,その通りです.さすがは音に聞く東の主婦だ」

 アスタとサバトは,シノノメの言葉が自分たちを批判する物でないことを悟って少し満足そうに言った.


 「だって,町の市場じゃお肉屋やお魚,鹿の角や骨の加工品が売られているでしょう? 全部石やお金になってたら,NPCの人はご飯が食べられないものね」

 「そういえばそうね……」

 唐突なシノノメの言葉だったが,不思議な視線から少し救われたような気がして,グリシャムはため息をついた.

 「NPCの人たちも少しでも生活を良くしたい,安全にしたいって思うのは当たり前だと思う.病気で困ってる人も見たことがあるもの」

 シノノメはカカルドゥアで見た人々のことを思い出していた.ナーガルージュナは彼らに手を差し伸べていたのだ.

 アスタとサバトが我が意を得たり,と言わんばかりに頷く.

 だが,シノノメはそこで少しだけ黙ってから少し強い調子で再び口を開いた.

 「でも,何か大きな悪いことが隠れてる気がする.あなた達はそれを隠してる」

 シノノメはアスタとサバトを見据えた.

 二人の顔から笑みが消え,逆に四つの赤い瞳がシノノメを冷ややかに見つめている.


 「……と言いますと?」

 ややあって口を開いたのはアスタだった.


 「上手く言えないけど……機械の部品をどうやって組み立ててるの? ていうか,どうやってその仕組みを設計しているの?」

 アスタとサバトはこの問いには答えず,じっと黙っていた.


 「そして……あれ.何であんなにカップルが多いの?」

 シノノメは怒ったような表情で窓の外を指差した.

 この質問にはグリシャムも目を丸くした.アスタとサバトは逆に吹き出した.

 

 「仲の良いことはいけませんか? それとも,恋愛は禁止だとでも?」

 アスタが笑いながら答えた.


 「そういうことじゃないよ.あれは……全部NPCと人間プレーヤーのカップルじゃない.あんなのおかしいよ」

 「何ですって!?」

 グリシャムは思わず立ち上がり,シノノメの見ていた窓の方に駆け寄った.

 距離によってはステイタスウインドウが開かないが,窓の外を通り過ぎる数組を確認してみれば,果たしてそれはシノノメの言う通りだった.


 ……シノノメさんは,見ることだけで気付いたんだ.


 会話をしばらくしていれば,ステイタスウインドウで確認せずとも,何となく人間プレーヤーとNPCの違いは分かる.プレーヤーなら普通のことだが,これまでシノノメにはできなかった.

彼女の脳の機能が回復しつつある,というよりも増強された脳の機能により,既に自分たち以上の洞察力を備えているのかもしれない.今の彼女なら唇の動きで会話を読むことすら可能だろうが,それ以上の第六感,超知覚とでもいうものを発揮しているのだろうか.  


 「おや,東の主婦殿は人間とユーラネシアンの恋愛には反対かい?」

 「人工知能に恋愛に近い感情を抱く人たちはいるし,マグナ・スフィアの女性に入れあげる男性プレーヤーもいるじゃないですか」

 アスタとサバトが笑いながら言った.どこか嘲笑に近い.

 だが,その通りだ.NPCである酒場の歌姫に恋する男性プレーヤーもいれば,小国の王子に憧れを抱く女性プレーヤーもいる.

 

 「こんななの,違う」

 シノノメは大きく首を振った.

 「これは恋愛シュミレーションゲームとかと一緒.まやかしだよ」

 「シノノメさん……?」

 

 グリシャムは戸惑っていた.シノノメがいつになく激しい感情を表に出している.

 この光景は確かに不思議ではある.アバター同士での逢瀬を楽しむカップルは多いが,一種の恋愛ゲームをこの仮想世界で楽しんでいるのなら,それはそれで良い事ではないのではないだろうか.空想を理想にするこのマグナ・スフィアにあっては,それも一つの楽しみ方だろう.

 いびつでないとは言えない.しかし少なくとも,現実世界でパートナーができずに鬱屈した感情を他者にぶつけて犯罪に走ったりするよりは余程健康的とも思える.

 「どうして……?」そんなに怒っているのだろう――いや,怒っているというのとは違う.何か感情的に受け入れられずに嫌悪しているように見える.


 シノノメは肩を震わせながら言葉を続けた.なぜこんなに胸が騒ぐのか自分でもわからなかった.ただ,その激しい感情は怒りというよりも,生理的な嫌悪感に似ていると感じていた,

 「人と触れ合うことは,傷ついたり,悲しいことがあったりしても,それでも温かい嬉しい気持ちがあって……そういうものよ」

 本当はそれでは言い尽くせない.

 シノノメはやっとそれだけを言うと,組んでいた腕を解き,アスタとサバトを厳しい視線で見つめた.

 アスタとサバトは冷ややかな目でそれを見ている.

 赤い魔眼に一瞬気圧されそうになったが,シノノメは負けずにもう一度口を開いた.

 「ここにいるプレーヤーは,みんな人工のパートナーに気持ち良くしてもらっているだけ.決して傷つけず,悲しませず,喜ばせ続ける――薄っぺらな――子供の時に作る空想の友達みたいに.」

 

 「それは……?」

 グリシャムがもう一度窓の外を振り返った.

 だらしなく緩んだ少年の顔.

 理想の美少年たちに囲まれ,愛をささやかれて頬を染めながらもどこか得意げな少女.

 確かに……何かがおかしい.


 不意にアスタとサバトの顔が蝋人形の様に固まって無表情になった.

 柱時計の機械的な音がやけに大きく部屋の中に響いて聞こえる.


 「……では,どうしてそれがいけないことなのですか?」

 アスタの赤い目が不気味な燐光を宿してシノノメの顔を見つめた.


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