23-3 化石の谷
「何となく分かって来たよ」
空飛び猫の背中の上で,シノノメはグリシャムに声をかけた.二人とも和服と魔女服,いつもの服に着替えている.シノノメはいつものチュニック風割烹着の裾をはためかしていた.
「あの,メムっていう人たちは魔法のかかった道具を作っちゃう人たちなんだね」
「そう.現実世界にあるものを,魔法を応用して次々再現してるの.そして,それを魔法の使えない人たちに提供しているの」
「抜け道みたいなものだね.ユーラネシアでは,複雑な機械は使えないはずなのに」
幻想世界,ユーラネシア大陸では魔素が濃すぎるために精密機械が壊れてしまうのだ.逆に,惑星マグナ・スフィアのもう一つの大陸アメリアでは魔法が使えず,機械文明が発達している.
「魔法で部品を作ったり,魔法のかかった器物を加工したりするらしいわ.詳しくは知らないけれど,発電までしてるって」
「発電? この世界を文明化して,何か楽しいのかな? そんなことしたら,現実世界と一緒になっちゃうよ」
シノノメは下を見下ろした.
地平線の果てから大きな石塔が規則的に並んでいるが,よく見ればその間に鋼線が張り渡されている.どうやら高圧電線らしいと思い当たった.
「自分たちが特別な存在である,人より上の存在であるっていう優越感なのかもね」
「優越感?」
「現実世界では普通の人間でも,この中世世界の人よりは科学知識もあるでしょう? そういう,特別の存在になりたいんじゃないかしら」
「特別……ね」
シノノメにはよく分からなかった.
ゲームスコアからすれば,この世界でシノノメは間違いなく特別な存在だ.しかし,彼女が今一番望むのは,あの平凡で幸せな日常を取り戻すことなのだ.
カカルドゥアでは生き神様になってしまったというが,崇められたかったり目立ちたかったりしたわけではない.その時々で一生懸命,より良いと思えるように行動してきただけである.
異世界で名を挙げたいというプレーヤーは少なくない.しかしそれはゲームのルールで規定された勇者であり,魔法使いである.同じプレーヤーと競争してより上に上がりたいという気持ちは理解できる.
しかし,マグナ・スフィアが良くできているとはいえ,異世界の人間たち――乱暴に言えば人工の人格に優越感を抱くことを目標として行動するというのは,どういう気持ちなのだろう.
「特別になりたい人なんて……」
「それは……」
グリシャムが言葉を継ごうとしたちょうどその時,前方に三日月状の美しい渓谷が見えてきた.
緑の森を鋭くえぐるようにして両脇の山がそびえ立ち,さらにその奥,三日月の中心には白く輝く岩山が見える.
岩山は四角錐を二つ底で合わせた正八面体の巨大な結晶で,あれこそがミスリル鋼の触媒となる巨大な竜涎鋼の塊なのだ.
「うわあ,きれいだな.ここ,初めてくるよ」
「私も.壮観ね」
現実世界では決して見ることのできない絶景である.
二人は話の続きを忘れて見とれていた.
ドン,と爆発音が谷に響く.
シノノメは高度を徐々に落として渓谷に入り,辺りを見回した.
白い岩山の前方で,煙が立ち上っている.
「あそこだ!」
空飛び猫と魔法の箒は渓谷の湾曲に沿うようにして進んでいった.
空から見た壮麗な光景とは裏腹に,渓谷の崖は化石のレリーフで埋め尽くされていて不気味だ.どれも折り重なって死んだ古代の生き物の痕跡なのだ.
それとは対照的に,渓谷の底には薄緑色の川が清らかな流れを作っている.
「うわあああ」
爆音と悲鳴が繰り返し響いた.
これだけの事件だ.おそらくクエストが発注されたはずだが,まだ危機に駆け付ける冒険者たちの姿は見られない.
「私たちが一番乗りね」
「うん,あれ!」
巨大な大腿骨の形をした岩を回って飛ぶと,逃げ惑う人々が見えた.
ブリューベルクの街で会った男たちと同じようなワークズボンをはいて,手にシャベルとツルハシを合わせたような道具を持っている.
「えい!」
一人の男が岩のように見える物に道具を撃ち込むと,爆発が起こった.
「きゃあ!」
「わあ!」
もうもうと土埃が舞い上がる.どうやらさっきからの爆発は彼らの採掘道具がもたらした物らしかった.
甲高い鳴き声が響いた.ガラスを爪でこする様な嫌な音だ.
爆炎を切り裂き,怪物が姿を現した.
骸骨の頭を蛇のようにもたげ,化石の川岸を逃げる人々を睥睨する.
ノコギリのような細かい歯が生えた口を大きく広げ,シュウシュウと威嚇音を出したかと思うと,喉の奥から灰色の煙が噴き出した.薄い青を帯びた気体は先ほどの道具を持った男を包み隠した.
「あっ!」
灰色の煙が地面を這うように流れていくと,そこには岩と一体化した人間の骨格標本――化石化した男が転がっていた.
「うわ,なんて化け物なの!」
石竜は骨の羽を広げ,辺りを見回していた.上空でなく地面をねめつけるようにしつこく見ている.次の獲物を探しているのだろう.
川向うのはずれ,肋骨の化石の影に人間が隠れている.
シノノメはいち早く気づいた.まだ石竜は彼らに気づいていない.
「何とか向こうから目をそらさなくっちゃ」
粉塵がひどいのでマスクをつけながらシノノメは考えた.グリシャムは万能樹の杖の先に鳳仙花を生やして構えている.爆裂する鳳仙花の種を発射する準備だ.
ピクリ,と石竜が頭を動かした.
どうやら避難している人たちに気づいたらしい.
ガシャガシャと骨の脚を動かしながら,清流をまたいで前に進んだ.
「いけない!」
「鳳仙花の種!」
散弾銃並みの威力を持つ鳳仙花の種が石竜の背中に放たれた.だが,石竜の丈夫な背中――というより背骨は物ともしない様だ.
石竜はお構いなしで化石の山を踏み潰し,進撃していった.
「えーい,とりあえず,グリルオン!」
「それアリ? 炎ってスケルトンの竜に効くのかしら?」
「知らない! でも,キスとかアナゴは骨せんべいにして食べるもの!」
「どこまでいっても食材なのね……」
空飛び猫が低空飛行で石竜の足元すれすれを舞い,青い火柱が次々立ち上って炎のカーテンを作り上げた.
石竜は甲高い不気味な悲鳴を上げると首と尾を振り回し,黒い眼窩だけの目で炎の主を探した.空飛び猫に乗ったシノノメを見つけると,巨体を揺るがして進路を変更した.
「こっちに来る!」
「ここは狭くて戦いにくいよ! それに,あの人たちから引き離さなくっちゃ」
グリシャムとシノノメは湾曲する谷の壁面に沿って逃げた.
石竜はあまり小回りが利かない.
ガリガリと骨の翼を崖にこすりつけながら,二人を追いかけてくる.歩くたびに重い地響きが渓谷に響き渡った.
だが,動きがとりづらいのはシノノメ達も同じだ.そびえ立つ断崖に阻まれながら空を飛んでいるので,色々な技が使えない.かと言って下は足場の悪い渓流である.巨大な石竜が岩を吹き飛ばしながら歩いているので,着地して地上で戦うのはもっと分が悪いだろう.
「どうやったらやっつけられるかな? お掃除サイクロンで吹き飛ばすには重すぎるし」
「危ない! 上!」
石竜が化石化ガスを吐き出したのだ.空気より重いガスは地面を這うように進むと,崖の壁面を伝って上がって来る.
シノノメとグリシャムが高度を上げたその時,風に乗って低い唸り声のような音が聞こえてきた.
「何?」
「まさか,こんな時に怪物殺人蜂?」
その音は,巨大な虫の羽音に似ていた.
石竜の背後から近づいて来たものは,薄紫色の昆虫に似たものだった.
背中には甲虫の羽根がガルウイングの車の様に跳ね上がり,その下で細かく震える茶色のシルエットが見える.一見して羽根を震わせて飛ぶ,巨大な甲虫だ.
だが,それは人間のようなシルエットをしていた.正確に言えば甲冑に似ている.虫の形をした鎧が妖精のように羽根で飛んでいるのだ.
「何あれ? ロボット?」
そう言ってみたものの,見た目はロボットより昆虫にずっと近い.シノノメは虫が嫌いだが,カブトムシは比較的平気だ.飛んでくるものはシノノメ基準だとコガネムシに似ていた.
大きな虫のような人間のようなそれは,五体いた.
編隊飛行すると,鈎爪と甲皮に覆われた手に持った筒を前に突き出した.筒の尻側にはホースがついており,腰にぶら下げた皮袋に繋がっている.
カチカチと音がすると,筒の先から炎が噴き出した.
「あれは何? 魔法!?」
「ううん,違うわ,それはナイ!」
グリシャムは東西の幻獣や魔法の研究をしている.
袋はどうやら巨大な魚の浮袋で,中に詰まっているのは燃料――化石の谷――太古の植物が化学変化した物――もしかして,そうか!
「あれは――石油! 火炎放射器なんだわ!」
「石油?」
五条の炎は石竜の背中に猛烈な勢いで吹きつけられた.
石竜はたけり狂う.
口からガスを吐いたが,それは炎の勢いに勝てない.
怒りのせいか尻尾を振り回し,空飛ぶ虫人間――甲冑を叩き落とそうとした.ごつごつしたスパイクの生えた先端が,一体を捕えて崖に吹き飛ばした.甲冑は崖にぶつかってめり込むと,ずるずると壁に沿って川の中に落ちて行く.
「いけない!」
シノノメは加勢しようと飛び出した.だが,その行く手を遮る様に一体の虫人間が飛んできた.
「待って!」
「虫が喋った!」
高い少年の声だ.近くでよく見ると,一種の鎧を着た人間であることが分かる.
「それ,空飛ぶ鎧なの?」
ヘリコプタのホバリングの様に虫の羽根を震わせて空中にとどまっているが,右手を挙げてシノノメを制止するその姿は,まぎれもなく人間の物で獣人やモンスターではない.
虫の外骨格で装甲された手甲を動かし,口元の装甲をずらすと,形のいい唇が現れた.
「東の主婦,シノノメ殿とお見受けします.我々は炎で石竜を攻撃しますが,とどめを刺す力がありません.この谷の奥に,池――湖があります.そこまで奴を追い詰めますので,お力をお貸しください!」
ふと見れば,川に落下した甲冑の人物は仲間に助けられて引き上げられていた.援護するように他の仲間たちが炎を石竜に浴びせかけている.見事なチームワークだった.
「う,うん」
「湖?」
「湖――そうか! じゃあ,向こうで待ってるね!」
「お願いします!」
シノノメとグリシャムは空飛ぶ騎士達――そう言ってよいのか分からないが――に石竜を任せ,渓谷の奥へと飛んだ.
石竜の金切り声と炎の爆音が徐々に小さくなり,三日月状の谷を抜けるとそこには美しい青い湖が広がっていた.
奇麗な円形のカルデラ湖で,水は空と森の緑を鏡のように映し出していた.湖の中から突き出した白い枯れ木が神秘的な雰囲気を醸し出している.
長野の大正池や,阿寒のオンネトー……
かつて自分が見た記憶が蘇る.確かに,一緒に見た……
シノノメは自分の傍らに誰かが立っている錯覚を覚えた.
「シノノメさん!」
シノノメはグリシャムの言葉で我に返った.
「それで,どうするの? さっき何を思いついたの?」
「うん,じゃあ,湖の入り口でグリシャムちゃんは足止めを願い!」
「……そういうことか.分かったわ!」
グリシャムは水面すれすれを箒で飛ぶと,万能樹の種をまいた.
「準備オッケー!」
振り返ればシノノメは湖面の上をくるくると旋回している.湖のほぼ中央だった.
シノノメの返事を待つ間もなく,谷の向こうから再び轟音が聞こえてきた.炎に追い立てられた石竜に違いなかった.
「来た!」
石竜はうるさそうに骨の羽根と腕,頭と尾を振り回して空飛ぶ騎士たちを追い払おうとしている.まさに,虫を追う動きの様だ.だが,すばしっこく空中で場所を変える騎士たちは途切れ途切れながらも何度も炎を骨の身体に吹き付けていた.
白っぽい骨の身体が,赤熱化している.
足元が湖の水に触れると,猛烈な水蒸気が発生した.
「行きます! 万能樹の種! 水草の鎖!」
グリシャムの声とともに,湖から幾重もの蔓が飛び出す.
「おお! 昆布出汁!」
「ちがーう! 水草!」
グリシャムはそう言うが,確かに水草は昆布に似ていた.帯状に石竜の脚に絡みつく.石竜はまとわりつく水草を引きちぎりながら暴れていた.
「千切れた? おかしいな,思ったほどの効果が出ないなあ.……もうちょっと太い草を生やしたつもりなのに……?」
「昆布だから,水が合わないんじゃない?」
「だから,違うって!」
それでも石竜は蔓に足を取られ,ぐらりと大きく傾いた.
左足が湖に沈む.それとともに,腰骨に細かい亀裂が走り始めた.その場所は特に念入りに空飛ぶ騎士たちが炎を浴びせかけた場所なのだ.
「熱膨張ね!」
熱せられたものは急激に冷却されると壊れてしまう.だが,石竜の骨格を破壊するのに十分ではなかった.
「行くよ! ラブ!」
シノノメは赤熱化している場所を見極めると,空飛び猫を羽ばたかせて石竜めがけ突っ込んだ.
水面に風で飛沫が舞う.
水面を切り裂くような低空飛行で接近すると,石竜の傾いた足元で急速に上昇した.
「デリシャス冷凍!」
薬指と小指を折りたたみ,石竜めがけて右手を振った.
指先からほとばしり出た冷気がたちまち石竜の身体を冷凍する.
雪の結晶が舞い,石竜を囲んで湖面が凍り付いた.
熱で真っ赤に輝いていた石竜の身体をあっという間に霜が覆う.
「切れちゃう冷凍!」
今度は小指を立てた左手を振る.
シノノメの右手にはすでに黒い包丁,黒猫丸が握られていた.
「えーい!」
黒猫丸を逆袈裟に一閃させると,石竜の身体はキラキラとした氷の結晶を振りまきながら真っ二つになった.
石竜の半身が湖に沈む.
しかし,亀裂だらけになった石竜の上半身は前足と骨の羽根を振り回して沈むまいと抵抗する.
「危ない!」
シノノメが叫んだが,骨の羽根は近づいてきた騎士たちを次々に叩き落とした.
グリシャムはステイタスウインドウを立ち上げ,竜のHPとMPをチェックした.
「何,これ! まだ半分しか消耗してないじゃない! まだ隠し技があるのね!」
ベキベキと骨の身体が音を立て,背骨と羽根,頭の部分が分離した.
羽の生えた蛇のような身体になった石竜は前足と胴体を捨てて宙に舞い上がった.打ち捨てられた胴体は湖に沈み,ブクブクと白い泡が湧きたった.
胴体を捨てた石竜の動きは一気に素早くなった.いままで飾りのようについていただけの骨の羽根が本来の役割を果たし,細い背骨の身体をくねらせて舞い上がったかと思うと急降下する.シノノメが尾を胴体とともに切り落としたのでバランスがとりにくそうだったが,そうでなければどれだけの速さで移動できたか分からない.
空飛ぶ騎士達の残りは二人だけだった.彼らが一番の手練れの様に見える.だが,あまりにも石竜は手強かった.
すでに燃料は尽きてしまったらしい.剣の鞘を払って空中で構えていたが,防戦がやっとである.
「速い! まるで,空中のムカデだわ!」
「あ,その例えやめて! ぞわっとするから!」
「じゃあ,翼の生えた蛇! だけど,こんなのアリ? あいつ,体がバラバラになっても動けるみたい!」
「骨が外れるだけで,合体したりくっついたりできるってこと? どうしよう? 空中じゃ,十分技が出せないし」
シノノメとグリシャムの方にも翼の生えた蛇となった石竜が襲い掛かって来た.
細かい歯の生えた顎を開き,体を食い千切ろうとする.胴体が無くなると化石化ガスは出せないようだった.
昆虫の羽を震わせ,石竜の攻撃をかわしながら空飛ぶ騎士の二人組が近づいて来る.二人は左右対称の動作が得意で,ジグザグに飛ぶ軌跡が8の字を描いていた.
「シノノメさん! 魔女の方!」
二人は声の質もよく似ていた.一度に話しかけてくるので,多重放送を聞いているようだ.
「何?」
「僕たちが引きつけます!」
「とどめをお願いします!」
返事も待たずに二人は左右から石竜の頭に向かって行った.竜の動きが一瞬だけ止まる.完全に同時の左右攻撃に,どちらに反応するか混乱したのだ.
だが,いかんせん攻撃力がない.銀色に短剣の刃が何度も輝いたが,硬い石竜の身体には歯が立たなかった.シノノメの冷凍攻撃で表面に細かいひびがびっしり入っているのだが,それ以上傷つけられない.まるで貫入が入った陶器のようだ.
「あと少しなのに……私の魔法とは相性が悪いし……」
グリシャムは魔法の箒の柄を握りしめた.手に汗が浮かぶ.だが,シノノメはラブの背の上で湖面をずっと見つめていた.
青く透き通る,美しい湖面に,白い乳白色の濁りが絵具を落としたように広がっている.それは,湖に沈んだ石竜の胴体の方からだった.
白い濁りがない部分の水は,水の中の石が見えるほど透き通っている.だが,魚影はなかった.
「そうか……」
シノノメは顔を上げた.
「グリシャムちゃん,玉ねぎを準備して!」
「玉ねぎ?」
シノノメは黒猫丸を構えると,石竜に向かってまっしぐらに飛んで行った.