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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第23章 機械仕掛けの魔法 ウェスティニア共和国編 序章
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23-1 再会,そして

 サンサーラはそろそろ昼になる.

 南国の太陽が頭上に高く上り,濃い影を石畳に落とし始めた.

 物売りの声が響き渡り,食べ物を売る屋台の食欲をそそる香りが辺りにたちこめている.

 シノノメは鮫模様の江戸小紋を着てサンサーラの中央広場に向かっていた.グリシャムとの再会は静かに果たしたかったので,市女笠いちめがさを被って虫の垂衣たれぎぬを垂らし,顔を隠している.

 ターバンに上半身裸だったり,ペルシア風のセパレーツ服を着ていたりのカカルドゥア人々に混ざると違和感はあったが,国家間を移動するための転位門ゲートがある中央広場の付近なら,和服の侍や甲冑を着た騎士達も歩いている.慌ただしいカカルドゥアの町の雑踏では,和服姿のシノノメに特別の注意を払う人もいなかった.

 ユーラネシア時間の今朝,カカルドゥアの郊外に到着したシノノメはゆっくり町の中を歩いてここまでやって来た.

 大公シンバットが善政を行っているらしく,商業の国カカルドゥアは先だっての騒動が嘘のように活気を取り戻していた.

 仮想世界とはいえ,カカルドゥアに平和が戻っていたことがシノノメには嬉しかった.

 ただ,気になる物があった.

 光輪に囲まれた猫とそれに乗った少女を意匠化した,妙な飾りが町のあちこちにぶら下がっているのだ.

 お守りの様に荷車を引く馬の首に下げられたり,家のドアに掲げられたりしている.

 小さな花を捧げる子供たちや,腰を深く折って,その飾りに祈りをささげる人も見かけた.


 「あれって,もしかして……」


 少し妙な感じがする.だが,そんなことよりも早くグリシャムと会いたい.単に親友に会えるという事だけではない.あの約束が実在するという事は自分が確かに実在するという事――どうやら現実世界で意識を失っているらしい,自分が確かに現実世界とつながっているという証明でもある.

 ゲームの中から出られなくなってしまった,この複雑な状況を解決する手段にも近づけるのかもしれない.

 そう思うと,自然に足が速まる.いそいそと中央広場のはずれにやってきたシノノメの耳に,聞き覚えのある声が聞こえてきた.


 「はいはーい,みなさーん,ご利益バッチリの品がたくさんでっせー」


 声は人だかりの向こうから聞こえてくるようだ.

 人だかりの向こうに小さな屋台があって,その前に人々がわらわらと列をなしているらしい.並んでいる人のほとんどはNPC――最近は原住民ユーラネシアンと名乗っているようだが――だった.その間に武器を持った戦士系のプレーヤーが少し混ざっていた.


 ひどく嫌な予感がする.市女笠の端をつまんで会釈しながら,体を人ごみの前方に割り込ませていくと,予想通りの声の主が屋台の前に立っていた.


 服を着て後ろ足で立った,太った猫が手足を振り回しながらまくしたてている.

 猫成分90パーセントの猫人,ニャハールである.


 「これをご覧あれ! 何と,あの東の主婦様,シノノメ様がその手で自ら粉をお捏ねになった,ポーションクッキーでっせ!」

 美々しいガラス瓶の中には,ころりと一個クッキーが転がっていた.

 ‘東’という焼き印が押してある.間違いなく,シノノメが作ったポーションクッキーだ.


「おおおおおおお!」


 瓶の中を見た人々が一斉に声を上げた.中には手を組み合わせて拝み始めたものまでいる.

 回復薬であるヒーリングポーションは,大抵瓶入りである.昔のゲームの名残なのだが,持ち運びに不便な上,アイテムボックスから出したところを落としてしまうという悲劇が多々あった.シノノメはポーションをお菓子に作り替えて売っていたのだ.


 「主婦様が自らおつくりになった物は,もうわずかしか残っていまへん.そこで,主婦様の共同経営者,このニャハール様は考えた.主婦様のご利益を皆様にできるだけ多く分け与えたい! わずかに残ったクッキーを壊し,粉と水を加え……そうして出来上がったのが,こちらの東の主婦様サブレやーっ!」

 ニャハールはガッツポーズを一度すると,屋台の上に積み上がった菓子を指さした.


 「おおおおおおおおおお!!」

 再び人混みがどよめく.


 「今ならお買い得,何と主婦様のクッキーと同じ焼き印まで入って,ご利益倍増,これで何と一枚千イコルや!」


 千イコルと聞いて一旦聴衆は少しだけ静かになった.薄い小さな菓子――と言うよりも不細工なただの小麦粉の塊につける値段ではない.


 「おお! 何て安いポン! ならば,オイラが買い占めるポン!」

 通い帳をぶら下げた狸人が手を挙げると,ニャハールに近づいて金貨を十枚渡した.

 「これはパルバットどん.毎度あり! さすが,価値の分かる人は違いますな! ニャハハハハ! おや!?」

 ニャハールは菓子を十枚渡すと,大げさな身振りで驚いて見せた.

 「もう,これだけしかない.はー,残念や.売り切れ間近やなー」

 

 「あっ! じゃあ,俺にもくれ!」

 「私も!」

 

 それまでボソボソと話し合っていた人々が,我先にと手を挙げ始めた.

 

 「ニャハー! 並んで並んでー! 順番でっせ!」

 ニャハールは笑いを噛み殺しながら,悲鳴を上げて見せた.その後ろでは先ほどの狸人が腕を組んでニヤニヤと笑っている.

 市女笠の中で一部始終を見ていたシノノメは気づいた.

 狸人はサクラなのだ.もともとグルに違いない.


 「ニャハールめ~!」

 シノノメは怒った.

 一文無しになっていたところを雇って助けてあげたのにさんざん裏切られたのだが,そのことよりも自分の名前を使って大勢の人たちをだまそうとしているところが許せなかった.

 おそらくもともとのポーションの成分の何十分の一しか,あのサブレには入っていないに違いない.いや,それよりもっとひどくて,一滴も入っていないのかもしれない.


 「グリル・オン!」


 市女笠の薄絹がひるがえり,巻き上がるのも気にせずシノノメは右手を回転させながら振り上げた.


 「ぎゃぎゃ!」

 「うひゃー!」


 狸人とニャハールが悲鳴を上げた.

 たちまち立ち上った青い火柱は積み上がった菓子を消し炭に変え,ニャハールのひげと狸人の耳の先を焦がしてチリチリにしてしまった.

 市女笠が風圧で石畳に転がる.亜麻色の髪をなびかせ,姿を現したシノノメは腰に手を当ててニャハールをにらみつけた.


 「あーっ! 社長!」

 ニャハールは目を丸くした.


 「何が共同経営者よ! 嘘ばっかり言って! 怪しげな商売は許さないよ!」

 「黒猫丸を錬成したんやから,そのくらいお目こぼししてくださいよー」

 「ダメ! 今まで騙して儲けたお金をみんなに返しなさい! 恥ずかしい写真をばらまくどころじゃ済まないから!」


 恥ずかしい写真とはニャハールが普通の猫のようにしょんぼりとシノノメに洗われている写真だ.全財産を失って汚い野良猫のようになっていたところをシノノメに助けられた時に撮影されてしまったのだ.

 ニャハールは焦げた髭をブルブルと震わせながら許しを乞うている.

 シノノメはプリプリと怒っていたが,ふと辺りが妙に静かなことに気づいた.たった今巨大な火柱が市場の真ん中に突然出現したのだ.驚きのどよめきや恐怖の悲鳴だってあってもいいはずだ.


 「これは……?」


 シノノメは辺りを見回して驚いた.自分を中心に幾重もの同心円を作って広場の人々がひざまずいていた.視界を妨げていた人垣が一斉に消えてしまった様だ.遠くの風景が開けている.あるものは平伏し,あるものは胸の前で両手を組み合わせ,敬虔な祈りを捧げる姿勢をとっていた.


 「シノノメ様……」

 「神のみ使い……」

 「救い主様……」


 「これって,どういうこと?」

 どうしたらいいのか分からない.振り返るとニャハールはこそこそと逃げようとしている.

 「待ちなさい! これ,どういうことか説明しなさい!」

 「そんな,見てわかるでしょ! 社長は今やカカルドゥアの生き神様なんですよ!」

 「生き神様!?」


 群衆の間を抜けて去ろうとすると,平伏していた男がガバッと身を起こしてひざまずき,シノノメに語りかけてきた.

 「どうかシノノメ様,行ってしまわないでください! 我々をお見捨てになるのですか?」

 「み,見捨てる?」

 一人の女がシノノメの着物の裾にすがって訴えかけた.

 「うちには病人がいるんです.お救いください!」

 「で,でも……」

 「貴様,シノノメ様の服に触れるなど,無礼な!」

 隣で拝んでいた男が女を押しのけた.

 「シノノメ様! うちにお越しください.我が家に果報をお授けください!」

 人々は我先にと手を伸ばし,シノノメのもとにすがり寄り始めた.

 「どうか……!」

 「どうか……!」

 「せめてそのお体に触れさせていただければご利益があるかもしれぬ!」

 「お声を!」

 「富裕をお授けください!」

 「目をかけていただければ!」

 「お恵みを!」

 シノノメに向かって無数の手が伸びてくる.

 それはシンハの意識の中で枯れ木の森に囲まれた記憶を呼び覚ました.

 

 「わ……私は……」

 足がすくみ,体が棒のようになる.

 晴天の筈の空が突然暗黒に変わったような気がして,背筋に冷たい悪寒が走った.


 「シノノメさん!」


 鈴の様に通る声が響いた.声は空の上から聞こえてくる.

 風を切る音がぐんぐん近づいて来た.


 「手を伸ばして! つかまって!」

 伸ばした手を華奢な白い手が握ったので,シノノメは地面を蹴って飛び上がり,握り返した.そのまま空にふわりと舞い上がる.

 逆光の中,目を細めて見上げれば,空飛ぶ魔法の箒にまたがった魔女のシルエットが見える.


 「ほうきに乗って!」

 「うん!」


 シノノメはくるりと宙で体を翻し,箒の柄に横座りした.深緑色の魔女服に身を包んだ乗り手――言わずと知れたグリシャムの腰に手を回すと,箒は中央広場の上空に急上昇した.

 人々が口を開けて二人を見上げ,両手を伸ばしている.それぞれが祈りと嘆願の言葉を口にしているのだ.

 

 「何でこんなことに……」

 「シノノメさんは……彼らにとって伝説の勇者,平和をもたらす神様なの」

 「神様!?」


 自分がカカルドゥアの危機を救ったのは確かだ.しかし,まさかこんなことになるとは.

 これでは,まるで……

 自分に依存し,縋りつくどろどろとした群集心理は,どこかシンハのあくなき欲望に似たものを感じる.人々に悪意があるわけではない.だが,彼らが一斉に向けてくる欲望の塊にシノノメは軽いめまいを覚えた.


 「ごめんね.こんな騒がしい場所を待ち合わせ場所にして.でも,ウェスティニアに一番近い私のセーブポイントって,ここだったの」

 グリシャムは軽く首をひねってシノノメに断ると,箒の柄をグイっとひねった.

 「じゃあ,しっかりつかまって.このままゲートに突入するから!」

 箒はくるりと回転すると,今度は急降下して行った.ほとんど地面に突き刺さらんばかりの急角度だ.NPC――ユーラネシアン達が泡を食った様に逃げ去り,転位ゲートへと向かう道が開けた.

 金属と石で作られた魔法の門の中心には紫色の渦が渦巻いている.他の都市へ人間や物を転送する亜空間の入り口なのである.

 「行くよ!」

 ごうごうと風を切り,二人乗りの箒は渦の中心に飛び込んだ.


    ***


 うねる渦と光の道を抜け,箒は通常空間に飛び出した.

 ゆっくりと減速し,シノノメとグリシャムは地面に飛び降りた.

 見ると,ヒースの繁るこんもりとした半球状の丘だった.丘の上に半壊した石造りの門が突き立っている.

 グリシャムが箒をアイテムボックス――魔法の肩掛け鞄にしまうのを待って,シノノメはグリシャムに飛びついた.

 「グリシャムちゃん!」

 「シノノメさん……!」

 「ありがとう,本当に来てくれたんだね.あれは……夢じゃなかったんだ」

 

 本当はもっとたくさん聞きたいことがある.

 現実世界の自分の身体は一体どうなっているのか.

 どうしてこんなことになったのか.

 そして,夫はどうしているのか.

 だが,今はそれだけ言うのがやっとだった.

 

 「う……うん」

 グリシャムはシノノメの両手を固く握って笑顔を作った.だが,どことなくぎこちない.

 「グリシャムちゃん?」

 シノノメはゆっくりグリシャムの手を離すと,その表情の意味を探る様に目を覗き込んだ.グリシャムがわずかに視線を逸らせ,シノノメの後ろに目をやる.シノノメはその視線を追って振り返った.

 「ここは……? ウェスティニアじゃない? ……ううん,遠くの白い山は確かにウェスティニア……でも……」


 魔法院のあるウェスティニアの首都,ミラヌスではなかった.ミラヌスは中世風の高い塔のついた寺院や聖堂が立ち並び,オレンジ色の屋根瓦で葺いた屋敷が軒を連る美しい街並みなのだ.ノルトランドが重厚で質実剛健な石造りの街並みだとすると,地中海沿岸や南西ヨーロッパ式の壮麗で明るい景観が特徴である.

 いや,それよりももっと異様な――異質な風景が広がっていた.

 近代的で無機質な四角い高層の建物が立ち並び,灰色に舗装された道路がずっと碁盤の目の様に走っている.その道路の上を行き交うのは,丸っこい自動車に似た乗り物だった.馬や牛などそれを引っ張っている動物は見当たらない.建物の間には高架があり,その上には連なった箱型の乗り物が動いていた.こちらはまるで電車である.

 現実世界の街並みを切り取って来て無理やりそこに出現させたようだ.

 ……何だろう.このひどい違和感は.

 シノノメはつばを飲み込んだ.


 「クルセイデル様が,ミラヌスに行く前にここに寄って来るように,って言ってたの」

 グリシャムが困った顔をした.

 「クルセイデルが? ここはどこ?」

 「ここは,ウェスティニア第二の都市,ブリューベルク」

 「ブリューベルク?」

 ブリューベルクなら,ミラヌスと二十キロほどしか離れていない.建築様式や町並みはほとんど同じようなもので,首都ミラヌスをそのまま小さくしたような街だったはずだ.

 「でも……」

 似ても似つかない.

 「ええ,シノノメさんが知っている町とは全然違うでしょ.今,この町はメムの学院の本拠地になっているの」

 「メム? 学院? それは一体何?」

 「MEM.機械仕掛けの魔法を名乗る人々.クルセイデル様は,シノノメさんにその目でこの町を見て,そして,メムの指導者に会って来て欲しいんだって」

 「私に?」

 そんな事よりも,一刻も早くクルセイデルのもとに行きたい.祖母につながる何かが分かれば,もしかしたら――自分の記憶にかかっている鍵が開くのではないだろうか.

 そう言おうとするシノノメの気持ちを見抜いたように,グリシャムは頷いた.

 「これはとても大事なことで,きっとそれこそがシノノメさんの記憶の,核心につながることになるはずだって」

 「核心……ここに?」


 シノノメはブリューベルクの異質な街並みに再び視線を戻した.

 灰色の幾何学的な街の上には,どんよりとした重い雲が立ち込めていた.

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