表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第21章 光は闇の彼方に
155/334

21-10 鋼鉄の男,再び

 魔王シンハは苛立っていた.

 このカカルドゥア,あるいは仮想世界マグナ・スフィアにおいては全てを掌握できているはずだ.だが,目の前で起こっていることが理解できない.予測もできなかった.


 超戦闘ですすけた広間の床には,亜麻色の髪の少女が一人倒れている.

 シノノメだ.

 ナーガルージュナが彼女の傷を癒して姿を消した後,その身体はぼんやりと光を帯びている.

 雨上がりの森の緑の様だった.

 それは,どことなくナーガルージュナを彷彿させる.


 「何をする気だ……ナーガルージュナ……」

 うれいは全て消すに限る.

 シンハは立ち上がってシノノメにとどめを刺すことにした.


 「待て!」

 「そうはさせない!」

 「と,止まりなさい!」


 行く手にアイエルとグリシャムが飛び出して来た.

 飛び出す,と言うのは正確ではない.二人とも満身創痍で,必死に何とか立っているといった方が良い.


 「何だ,お前らでは,退屈しのぎにもならん」

 シンハは不快そうに言った.

 「裸に剥いて,吊るしてやろうか? 嫌なら俺のシャドウ・ワームと遊んでいろ」


 「そのセクハラ発言,全部お返しするわ! 万能樹の種! 鳳仙花」

 「こうなったら全弾ぶち込んでやる!」

 

 グリシャムが鳳仙花の種を放つ.鳳仙花と言っても,散弾銃並みの威力があるのだが,シンハの黒い鱗は弾き返してしまった.

 そして,アイエルの魔法弾の乱れ撃ち.

 雷撃,火炎,水竜,そしてその合間に鉄球と打矢.

 傷ついた手を懸命に動かし,猛烈な弾幕を作り上げた. 

 「ふむ……軌道予測……」

 機関銃並みの激しい連続攻撃だが,アドナイオスの力を得たシンハにとって弾道の予測など朝飯前だった.

 シンハはその軌道の全てを予測し,かわし,受け止め,無力化してしまった.

 「鬱陶しい……」

 わずかにシンハが顔をしかめると,再び二人の足元からシャドウ・ワームが出現し鎌首をもたげた.

 「くだらんな.最後の一滴まで,生命気プラーナを吸い取ってやる」

 「こんなのナイ!」

 「こ,こいつめっ!」

 グリシャムたちの悲鳴を楽しそうに聞きながら,シンハは再びシノノメの方へ歩みを進めた.

 怯えるハメッド親子と,倒れたシノノメ,体中をシャドウ・ワームに覆いつくされたジャガンナート.

 ヴァルナとクヴェラの姿がない.

 だが,どうでもよかった.

 薄緑色に光るシノノメを踏み潰すのだ.いや,ここは丁寧に頭部を叩き潰そう.


 「死ね,シノノメ!」

 シンハは頭上に手を振り上げたが,突然力強い腕で胴をクラッチされ,取り押さえられた.


 「な,何者だ!?」

 腕はまるで鋼鉄で,万力のように体に食い込んで来る.

 「レベル99の俺に抵抗できる力など……!」

 すぐに分析が終わり,その答えが導き出された.

 「貴様! オシリスかっ!」


 「オシリスだと? そんな,エジプトの神の名など知らんな.ぬおっ!」

 鋼の両腕はシンハを抱え上げると,そのまま後方に放り投げた.

 レスリングの反り投げ――というより,プロレスのバックドロップだった.

 

 「私は,私だ!」

 空中で態勢を整え,ふわりと着地したシンハはオシリス――ジョンストンを見据えた.

 顔は生前のジョンストンのままに,鋼色に光る隆起した筋肉の持ち主がそこには立っていた.まるで,アメリカンコミックスのヒーローだ.

 横にはヴァルナがニヤニヤ笑いながら立っている.


 「貴様……何をした?」

 「何もしてねーぞ.ジョンストン大統領にお前たちの悪事を全部ぶちまけたのさ.ナーガルージュナがヒントをくれたんでね」

 ジョンストンはヴァルナの言葉が終わるや否や,突進した.

 大振りでない,ボクシングの基本にのっとった,きれいなワン・ツーのパンチから,すぐに胴へのタックル.それが,鋼鉄の強度と重機のパワーでシンハを襲う.

 押し込まれて残っていた壁が崩れ,シンハの背中は塔の外の外気に触れた.


 「ぐぬ……何という力だ!」

 「子供を誘拐し,臓器売買を行い――ゲームの中だけでなく,現実世界の子供まで誘拐していたとは!」

 そのままジョンストンは鋼鉄の拳を振り回すようにしてシンハの顔を殴った.シンハが顔をしかめた.

 「しかも,シノノメとやら――関係のない少女にその罪を着せ,罠にはめるとは!」

 ジョンストンはクラッチしながら,後頭部や腎臓を殴っている.地味なようだが,総合格闘技で有効なパンチテクニックだ.


 「うーん,閣下,素晴らしいダーティ・ボクシングです.そうそう,大統領はハイスクールでレスリングを,空軍所属の時には一応ボクシングを経験されているからね.シンハ君」

 ヴァルナがヘラヘラと笑いながら解説した.


 「……生前の記憶に引きずられ,奴の言葉にほだされおって! 死に損ないめ,本当に死ね!」

 シンハは背中から‘巫医’のスキルを使い,ジョンストンの臓器を傷つけようとした.だが,鋼鉄の身体はそれを寄せ付けなかった.


 「とんでもない.何せ,ここにマユリちゃんとお父さんっていう生き証人がいるんだ.同じ年頃の子供さんがいる閣下には他人事じゃねー」

 ヴァルナはマユリを指さした.ハメッドと二人で部屋の隅に避難している.シェヘラザードの支配が外れれば,一番先にログアウトさせるつもりだ.


 「閣下と呼ぶな,カゼタニ大佐.軍人同士だろう! 私も大佐キャプテンと呼べ! よく真実を教えてくれた! 感謝する!」

 「アイアイ,キャプテン・ジョンストン.同盟国の軍人として,貴重な情報を提供したまでであります」

 「単細胞の,馬鹿どもめ!」

 シンハはジョンストンの両脇を殴り,タックルから脱出した.

 再び距離を取り,にらみ合う.


 ヴァルナはそっと倒れたシノノメのそばに寄り,目覚めない彼女の身体を守った.

 グリシャムとアイエルもやって来る. 

 「二人とも,協力サンキューな」

 「メッセンジャーでメールが届いた時は驚いたけど……」

 「シノノメさんを守るなんて,友達なら当たり前.でも,本当に目覚めるのかしら」

 「分からねー.だが,俺達にはこれしか,ねー.あとは,クヴェラに頑張ってもらうしかない」


 シノノメは瞼を閉ざしていた.

 その身体はうっすらと輝き続けている.時折息をするように光が強まった.


 「何が起こっているのかしら……」

 アイエルは心配になってシノノメの肩に触れた.温かく,柔らかい.

 まるで,眠っているだけのようにも見える.

 ふと,現実世界で眠っている唯の姿を思い出した.

 二つの世界で眠っているとき,彼女の意識はどこにいるのだろう.


 「今はシノノメさんが信じた,ナーガルージュナっていう人を信じましょう」

 グリシャムが帽子のひさしを直しながらジョンストンの後姿を見守る.


 だが,時間がたてばたつほどシンハが有利になるのは確実と思われた.

 二人とも,無尽蔵の体力を持っているという点では互角だ.

 しかし,シンハは武術の技,そして,生命気プラーナを操る妖術,奪った五聖賢の技に,アドナイオスの予知能力も持っている. 

 さらに言えば,こうして戦っている間もシンハはシャドウ・ワームでプレーヤーたちのエネルギーを奪い続けている.ゆっくり‘レベル’が上昇していた.

 いまや99.4になっているのだ.


 「あいつ,こうしている間にも,少しずつ強くなっているんだ……」

 アイエルは唇を噛んだ.


 「おのれ……私の子供までVRマシンで洗脳し,私を殺させた疑いがあると聞いたぞ」

 「だから,どうした! 倒れろ!」


 ジョンストンの気合をよそに,徐々に彼の攻撃は当たらなくなり始めていた.

 それは,スポーツと武術の違いともいえるかもしれない.ジョンストンの攻撃は,シンハに比べて正々堂々過ぎた.

 

 「ヴァルナさん……もしも……もし,あの鉄人さん……キャプテンがシンハに負けてしまったら?」

 体術は素人のグリシャムだったが,さすがに危険な予感を抱いた.

 シンハの突き蹴りに比べ,明らかにジョンストンの技が当たる回数が少ない.

 

 「その時は……」

 ヴァルナは言葉尻を濁らせながら口を開いた.

 「もう一度,俺たちが頑張るしか,ねー,でしょう?」

 アイエルがそう言ったので,グリシャムもうなずいた.

 「あんた達,すごく,いい女だな」

 ヴァルナは満面の笑みで笑った.


   ***


 床を這って広間の奥に逃れたシェヘラザードは壁にすがるようにして立とうとしていた.


 ……物語の語り手の,立ち位置だ.


 まだ短剣は彼女の背中に刺さったままだ.

 よろめきながら肩で息をしている.


 「貴様! まだ動けるのか!」

 シェヘラザードは再び床に突き倒された.

 「ふ……乱暴ね……拷問は禁止されているでしょう……」

 「これだけ民間人や,外国の要人まで巻き込んで,お前にそんなことを言う資格なんて,あるものか!」

 クヴェラはシェヘラザードの首筋に,ヴァルナのグルカナイフ――政府の開発した大脳活動停止ブレイン・アレストプログラムを突きつけた.

 その手は震えている.体力(HP)の消耗のせいだけではなかった.

 「それが……私に有効だと……思うの?」

 「こいつ……」

 確かに,刃先に伝わる感覚が妙だった.まるで砂か布に当たっているようで,刃が皮膚に‘立つ’――あるいは,噛む感覚がない.

 「システム介入を停止しろ! 全員,ログアウトできるようにするんだ!」

 「可愛い顔で……厳しい要求ね……でも,甘い」

 「くっ……」

 クヴェラは一度天を仰ぐと,再びシェヘラザードに迫った.

 その左手には黒い刀身のナイフ――というよりも,柳葉包丁が握られていた.

 「これは……先輩の発案アイデアで……使いたくなかったけど……これでどうだ!」

 「こ……これは!?」

 黒猫丸の刃が当たったシェヘラザードの首筋から,一筋の血液が流れ落ちていた.

 「不撓鋼,マグナタイトのナイフだ! シノノメさんから借りてきたんだ!」

 「私の身体が……傷ついている……?」

 「先輩の読み通りだ! そして,えーっと,大脳活動が部分停止しているこの状態で殺されて,無事な保証はあるのか? お前は,今まで仮想世界で死んだことがないだろう!?」

 「……!」

 その通りだった.クヴェラの言葉はヴァルナの受け売りだったが,今まで一切の攻撃が不干渉という絶対的な立場だった彼女にとって,‘ゲームオーバー’と言うのは未知の体験だった.

 「私を……殺せば……すべての情報は……闇の中よ……」

 「それでも仕方がない.国民の安全を著しく脅かしている今の状況で……情報が手に入らなくても,これは我々軍人の,責務だ!」

 クヴェラは何度も噛みながらやっとそれだけを言った.内心は脅迫まがいのこの交渉に冷や冷やしている.局長からの命令は片瀬シェヘラザードの身柄確保である.殺してしまうなど,命令違反も甚だしかった.だが,ヴァルナの言う通り,このままではこの広間にいる誰もが現実世界に帰れなくなる.

 「ふっ……ユキヒョウの耳に,踊り子の服装で……軍人とは……笑わせる……分かった,良いでしょう」

 クヴェラはこの言葉を聞いて,大きなため息をついた.

 「では……この短刀を外して……でないと,無理……」

 クヴェラは再びナイフをつきつけた.

 「逃げるなよ!」

 「わかって,いる……」

 クヴェラ――千々石は現実世界でも,東南アジア武術を習っている.そのうちの一つがフィリピンの実戦伝統武術,アーニスだ.スペイン植民地時代に伝えられた二刀流の影響もあると言われ,70センチの二本の棒を操る技が特徴的だ.千々和は小柄で非力なので,体格差を埋めるための武器術を熱心に練習している.ペンチャック・シラットのカランビットナイフもその一環なのだ.

 実戦経験こそないが,二本のナイフを同時に操るのはアーニスの応用技だ.左手の黒猫丸を油断なく突き付け,ゆっくりと腎臓の位置に突き刺さった短刀を抜く.現実なら必殺の急所である.

 「う……く……」

 シェヘラザードの顔が一瞬苦悶に歪んだ.

 「さあ,やれ!」

 クヴェラはメニューバーを立ち上げて命令した.

 「分かったわ……」

 シェヘラザードが両手を握りあわせてから離すと,ログアウトメニューがアクティブになった.

 「やった! 先輩,ハメッドさん! 皆さん! 逃げられますよ!」

 大役をこなせた.

 クヴェラは興奮気味の声で全員に伝えた.彼女はヴァルナ以外のアドレスを知らなかった.


 「ふ……でも,この状況では,何も変わらない」

 シェヘラザードはすでに回復していた.いや,プライドの高い彼女は自分の弱っているところを人に見られたくないのだ.その手はダメージの残滓で細かく震えていた.


 「どういうことだ!?」

 「シノノメがあそこで倒れている限り,あの人たち――ヴァルナやグリシャムたちは,彼女を守るでしょう.そして,ジャガンナートか,シンハか――今やその力をどちらが握っているかは分からないけれど,あの子供がログアウトできない限り父親もここにとどまり続けるでしょうね」

 「う……」

 その通りだった.

 クヴェラのナイフを突きつけられていても,冷静な判断を続けているシェヘラザードだった.

 「先輩……!」


 ……ジョンストン大統領を説得してみる.

 きっと協力してもらえるけど,シンハに勝てるとは思えない.

 その時は,俺はもう一度戦う.


 クヴェラはヴァルナの言葉を思い出していた.

 任務上はこのまま片瀬シェヘラザードを連行してログアウトすればいい.

 だが,ここで去ってしまえる状況ではない.

 シノノメに何か異常事態が起こっている.

 あの状態でおいておけるわけがないのは,クヴェラも同じ気持ちだ.


 クヴェラがほんの一瞬だけシンハとジョンストンの戦いに気を取られた瞬間,ゆっくりとシェヘラザードの腕が動いていた.

 シェヘラザードは腕輪を外して,もはや残骸となった天井に向かって投げた.

 「あっ! 貴様,何をした!」

 「この物語……いや,シノノメだけは,私が消す……」


 そう言うと,腕輪は空中で光り輝き,赤い輪になった.


 「あっ! あれは! さっきの消去デリートする能力!? 」

 クヴェラは叫んだが,輪は赤い光跡を残してそのまま飛んで行った.

 ちょうどシノノメ一人分を囲む程の大きさだ.


 「お前,あれを止めろ!」

 「ごめんなさい.実態を持った物質を指令物質コマンドアイテムに変えた場合,私はもう何もできないの」

 「お前! 先輩! みんな!」

 クヴェラはどうしたらいいかわからず,叫んだ.


  ***


 アイエルはふと嫌な感覚が背筋を走るのを覚えた.

 シノノメさん?

 振り返ってみるが,シノノメはまだ眠っている.

 グリシャムとヴァルナはシンハたちの戦いに目を奪われている.

 後ろ……クヴェラが上を指さして叫んでいる.

 ハッとして,上を見上げた.


 「あっ!」

 赤い輪が落ちてくる.すでに加速して,十分な速さを持っている.

 輪の内部は毒々しい暗黒だ.あれに飲み込まれれば,完全に意識や記憶の全てを無くしてしまうという.

 シノノメを移動させなければ.

 だが,もう間に合わない.

 

 「ダメ!」

 グリシャムも光輪に気づいた.

 だが,自分の力ではとてもシノノメを運べない.

 覆いかぶさっても,自分も一緒に消されてしまうだけだ.

 「ヴァルナさん!」

 

 「しまった!」

 ヴァルナは広間の奥で,すっくと立っているシェヘラザードの微笑を見つけた.その横でクヴェラが飛び跳ねて危機を伝えている.

 「あの女め!」


 その時,爆音が響いた.

 脱出不能に塞がれた広間の壁が,音を立てて崩れ落ちた.

 

 「きゃあっ!」

 「うわあ!」

 壁の傍にいたハメッドとマユリが悲鳴を上げる.


 もうもうと立ち上る煙の中,何か黒くて大きな物が飛び込んできた.

 それは,猛然と広間を突っ切ると,シノノメをかばうように立った.

 そのまま,両手で赤い輪を受け止める.

 

 「あなたは!」

 グリシャムはその姿を見て驚いた.

 和カフェ,マンマ・ミーアの常連客.

 いつもカフェの片隅で小さくなって食事している,不思議な機械人.

 そして,ノルトランド崩壊の時に現れ,身を挺してシノノメを守った謎の存在.

 口がきけないせいで,誰も本当の名前を知らない.

 黒騎士だった.


 「で,でも,そんなことしたら!」

 アイエルの目は黒騎士の手に注がれた.

 輪の落下を止めるには,もちろん輪の中に手を差し入れなければならない.だがそれをすれば,消去されてしまうはずなのだ.

 だが,彼は禍禍しく光る赤い輪を機械の手でしっかりとつかんでいた.

 代わりに猛烈な火花が散っている.

 赤い光の輪はシェヘラザードの意を受けてシノノメを消そうと進んでくるのだが,その勢いに逆らって黒騎士は押し返そうとしていた.


 「こいつ,こいつも,マグナタイトなのか!?」

 ヴァルナが目を剥く.

 だとすると,このプレーヤーの全身を包む黒い装甲は全てマグナタイトだというのだろうか.すでに採掘され尽くし,マグナ・スフィアにはもうないという鉱物だ.

 となると,彼がそれを独占しているという事になる.

 機械大陸アメリアでは課金制が導入されているが,レアアイテムはもちろん金だけで手に入れられるわけではない.

 この体を手に入れるために,このプレーヤーがどれほどの労力を注いだのか見当もつかない.

 

 「ブオオオオオオオオオオオオン!」

 声にならない機械音で,黒騎士が吼えた.

 機械である彼の顔には何の表情もない.

 だがそれはなぜか不思議に魂を突く,悲しくも激しい音色だった.

 

   ***


 「何! こいつは何者なの!? まさか,私の知らない事が,まだあるなんて!」

 初めて黒騎士を目にしたシェヘラザードは,愕然としていた.

 狼狽していると言っても良い.

 不用意な動きでクヴェラの持つ黒猫丸が浅く肩を傷つけたが,それも気にしていられなかった.


 自分の能力は,絶対の不干渉の筈.

 このマグナ・スフィアという物語の外にいる存在.

 設定の変更,介入,そして場面ステージの消去は自在だ.

 サマエルとの取引,パートナーシップの結果手に入れた絶対の権限である.

だが,消去命令デリートコマンドの輪を押し返すあの黒い機械人は,それ以上の権限を持っているという事になる.


 「馬鹿な,私以上の力を持つ存在……? シノノメ以外に何故こんな奴がいるの? 一体,サマエル,あなたは何を考えているの?」


 サマエルが信じられない.

 一体自分に隠して何をやろうとしているのだろうか.

 シェヘラザードは怒りと焦り,そして嫉妬のような気持ちが入り混じった感情を覚えた.

 ……教えられないのなら,自分自身で.

 シンハではないが,全てを知りたい.


 「片瀬! う,動くな!」

 突然の事態にどうしたらいいかわからなくなりながらも,クヴェラはシェヘラザードを牽制した.

 だが,手の動きは止まらない.いや,止められなかった.

 シェヘラザードは黒髪を振り乱しながら,鬼気迫る形相で黒騎士のステイタスウインドウを立ち上げた.

 彼女のほぼ無制限の能力と言えど,アメリア―ユーラネシア間の互換性の無さが完全に解消されているわけではない.

 文字化けした意味不明の記号の羅列が現れた.

 だが,三つだけ読める単語がある.


 Dark Knight.

 そして,LV00.


 「レベル,ゼロ? どういうことだ?」

 自分でも気になってステイタスを立ち上げていたクヴェラが眉をひそめてつぶやいた.


 「ゼロ……それは,もしかして,それが意味するところは!」

 シェヘラザードは声にならない叫びをあげた.


  ***


 「ぐがあああ!」

 ジョンストンはついに膝をついていた.

 シンハは攻撃の仕方を変えたのだ.

 細くなった影を針のように使い,穴と言う穴を攻撃する.

 臍や耳の穴,目など鋼鉄の身体では強化しきれない場所を突き,刺していた.

 ジョンストンの閉じた片目からは赤黒い溶けた鉄のような液体が流れだしている.耳も同じだった.


 「ふん,東洋の英知に比べて西洋人の浅はかな事よ.どんなに筋肉でよろっても,鍛えようのない場所もあるのだ.なのに,無駄な見栄えのいい筋肉で体を覆う」

 余裕を取り戻したシンハはジョンストンを見下ろしていた.

 「死ね! もう,お前の結末は予測済みだ!」

 「負けるものか……正義は,滅びない……」

 ジョンストンは力を振り絞り,シンハの胴を捕えて締め上げた.

 サバ折りだ.

 シンハの肋骨がメキメキときしむ音を上げた.

 「く……くそっ! 死に損ない,いや,現世の亡霊め! だが,この攻撃は……予測済みだ!」

 シンハの左肘には,いつの間にか巨大な剣の様な突起が生えていた.彼は肘を大きく振り上げると,黒光りするそれをジョンストンの口の中に叩きこんだ.

 剣は喉の奥を通り,さらに腹を内側から突き破ってジョンストンの身体を貫いた.

 

 「……!」

 ジョンストンは苦悶の声すら上げられない.

 腹からごぼごぼと溶けた赤い鉄がこぼれ出た.


 自分の身体を絞めるジョンストンの腕の力が弱まったことを確認すると,シンハはゆっくりと剣を引き抜いた.

 シンハはよろよろと数歩後ずさりすると,自分の身体にもたれかかったジョンストンを引きはがした.

 彼も無傷ではなかったらしい.そのまま後ろの玉座にもたれかかり,痛めたと思しき両脇を押さえて声にならない声を上げた.

 ジョンストンは支えを失ってもまだしばらくの間,雄々しく立っていたが,大きく目を見開くと,前にゆっくり倒れた.


 「キャプテン! キャプテン,ジョンストン!」

 ヴァルナはシノノメをグリシャムとアイエルに任せ,ジョンストンに駆け寄った.

 「ああ……大佐」

 口をきくたびに,中から血液のように赤い溶けた鉄があふれ出してくる.

 

 「大丈夫か?」

 「いや,もう……駄目だ.だが……少しは力になれただろうか……最後に,聞かせてほしい.私の戦いは……立派だっただろうか?」

 「ああ,立派だったぜ」

 ヴァルナは肩を叩いて頷いた.

 「そうか……ならば……息子に伝えてほしい.君の立場なら……できるだろう」

 「何を?」

 「お前を,愛していると.例え,私を殺したとしても……」

 「了解しました.閣下.必ずお伝えします」

 ヴァルナは一歩下がると敬礼した.

 それを見たジョンストンは,ゆっくりと目を閉じた. 

 彼は夢を見ていた.

 それは,遠い日の記憶だった.

 

 ***


 まだ大統領選を戦っている頃――もう八年近く前――

 末の息子はまだ小学校プライマリ・スクールに入学したばかりだった。

 「お父さん、大統領って、どんなもの?」

 「この国で一番偉い人、みんなのリーダーだよ」

 「それって、強い?」

 「……うん、強い」

 息子はシークレットサービスと父親を見比べながら首を傾げた。

 どうも信じがたいのか、あるいは想像がつかないようだ。

 「ヒーローみたいなもの?」

 「ヒーロー?」

 「みんなのために、がんばって戦う人だよ」

 「……ああ、そうだね。正義のために、子供たちのために……鋼鉄の様な信念で戦うんだ」

 「格好いいね!」

 そう言ってはしゃぐ息子を、自分は抱き上げたのだ。


 ***


 果たして自分は彼の理想のヒーローになれただろうか.

 ジョンストンはゆっくり笑みを浮かべ,仮想世界での第二の人生に幕を閉じた. 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ