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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第20章 闇のその先へ
145/334

20-10 悪魔の降臨

 誰もがその光景に凍り付いていた.

 いつの間にか現れた男の右手の先が,ジャガンナートの腹に潜り込んでいたのだ.

 「う……ぐ……」

 それは,刃物の様に深々とえぐり込まれていた.

 男がゆっくり右手を引き抜くと,ジャガンナートはうめき声をあげ,前かがみに倒れた.

頬のこけた細長い顔に,鋭い眼光.

 背が高く,ひょろりと長い手足が印象的だ.

 男は右手に何かを握っている様だった.ジャガンナートの腹に穴が開いているわけではない.手品のように腹の中まで到達して何かを抜き取ってきたかのように見える.

 男は,血の様な不思議な液体が絡みついた‘それ’を握ったまま,辺りを見回した.

 全ては自分の掌中と考えるシェヘラザードまでが,彼の突然の登場に驚いている.彼女の筋書きにはない展開だった.


 「シンハ!」

 一番初めに男の名を呼んだのは,ヴァルナとシンバットだった.

 「プレーヤーごときが,何故……私をかように傷つけられる?」

 芋虫のように体をくねらせて苦悶するジャガンナートを,シンハは黙って見下ろしていたが,ヴァルナとシンバットの声を聴くと,その顔に微笑を浮かべた.

 「シンハ,助けに来てくれたのか?」

 「シンハ……さん?」

 ついさっきまでジャガンナートと対峙していたシノノメは一番近い位置にいる.

 一撃で床に倒れたジャガンナートとシンハを交互に見比べ,ようやく彼の名前を口にした.

 「シノノメ殿,ご無沙汰ですね.やっと助けに来られましたよ.前の時には,あなたは姿をくらましてしまったので,どうしようかと思ったのですが」

 シンハは合掌して挨拶しながら苦笑した.

 シンハは聖堂騎士団で,ヴァルナに次ぐ位階の騎士だ.

 チャランポランのヴァルナがしょっちゅう姿をくらましているので,聖堂騎士団の実質的な実働部隊の長は彼なのである.

 「何せ,騎士団のメンバーはほとんど操られ,五聖賢側についていた.五聖賢の悪事は把握していましたが,私が正気だということを知られては,全員から総攻撃を食らいかねない状態だったのです」

 「そうだったの……?」

 シノノメはゆっくりとフライパンを下ろした.だが,何かが頭の奥に引っ掛かる.

 「みなさんの行動があまりに急だったので相談が出来ませんでしたが,察知して馳せ参じて来た,というわけです」

 シンハは温和な笑みを浮かべたまま言葉を継ぐと,両腕を上げ,左足を前に出して軽く体重をかけ,構えた.

 「敵はこれで,オシリスとイブリース……そして,シェヘラザードというわけですね.このシンハが来た限り,もう奴らの好きにはさせません.見たところ,前衛向きの戦士プレーヤーは私とシノノメ殿ですね.さあ,ともに戦いましょう!」

 シンハは構えながら,目でシノノメに隣に来るように促した.

 シノノメが胸の中に違和感を抱えながらフライパンを持ち上げ,シンハの隣に並ぼうとしたその時,鋭い声が広間に響いた.


 「駄目です! シノノメさん! 下がって!」


 予期せぬタイミングで声をかけられ,シノノメは思わず体を震わせた.

 「この声は……!?」


 声がした方向を見ると,ネムが拵えた毛糸の網の一部がもぞもぞと動いている.絡み取った子供達は毛糸で出来たネムの使い魔――蜘蛛がやって来てたちどころにグルグル巻きの毛玉にしてしまうのだが,声を発したのはその毛玉の一つだった.

 赤と緑と黄色とオレンジの毛糸がモコモコと動き,毛糸の間から童顔の顔と白い腕が飛び出した.

 「クヴェラさん!」

 「ぷはっ,窒息するかと思った……」

 もう一度毛玉の中に押し込めようと寄って来た毛糸の蜘蛛を右手で追い払うと,クヴェラは叫んだ.

 「そこから離れて! そいつを信用してはいけません!」


 シノノメはその言葉に反応し,弾かれたように飛び退すさった.自分の中の違和感とクヴェラの離れろという言葉が不思議にしっくりと共鳴したのだ.


 「アレー,この子,ちゃんと喋れるんだネー」

 ネムが毛糸の玉をほどくと,豹柄の白い耳がついた青い髪の頭が全部出て来た.

 「あ,あなた! 大脳停止ブレインアレストキーを刺しておいたのに! いつの間に抜け出したの?」

 シェヘラザードはようやく声の主がクヴェラである事に気付いた.


 「戦士之寺院フェダイーン・パゴダでプレーヤーの子供達を手引きし,ここに連れて来ていたのはシンハです! そして,何よりも……そいつこそ,大公の政策顧問ラーフラ! 黒衣に身を包み,ナジーム商会にNPCの子供達を集めさせていたのはそいつです!」

 クヴェラはネムの助けを借りて,毛糸から体を引っこ抜いた.頭に被っていたベールはショールの様に肩にかかっているが,セパレーツの可憐な踊り子姿である.


 「クヴェラ,お前,なんてカッコしてるんだ?」

 ヴァルナが目を丸くしながら指摘したので,クヴェラは真っ赤になった.


 「クヴェラさんって,女の子だったの? じゃなかった,シンハさん,本当なの!? じゃあ,私を助けるふりをして,捕まえようとしていたの?」

 シノノメは長い睫毛を上下させて瞬いた.


 「ラーフラだと? 確かに,背格好は似ている……政策顧問として,危険な任務や汚れ仕事を行ってくれていたはずだ……我々側の人間が,何故私を攻撃するのだ? 裏切ったのか?」

 床の上でうめいていたジャガンナートも顔を上げ,シンハの顔を見た.


 「さて,何の事か分かりませんな.何か誤解があるのかもしれませんね」

 シンハは構えを解くと,自分を見る一同をぐるりと見渡した.口元に微笑を絶やさないので,その心中は読めなかった.

 「見習い騎士,クヴェラ,何の根拠があってそのような事を言うのだ?」


 「証拠は,子供達の証言だ! 魔力のパワーアップスポットなんてないはずの寺院の裏手に,お前に案内されたと言っていた! そして,ナジーム商会でラーフラが使った武術の技は,肘打ち! お前の得意技,ムエ・ボーランの看板技の一つだ!」

 クヴェラはすっかり毛糸に編み込まれてしまった子供達を指し,力強く言った.


 「それが証拠? 子供達を見てみろ.可哀そうだが,ほとんど判断能力がない.こんな状態の子供の証言を信じたのか? それに,ムエ・カッチューア(ビルマの武術)でも,お前のシラットでも肘は多用するだろう? クヴェラ,お前が何を誤解しているのか分からないが,それは許そう.さあ,そんな議論をするより,この悪の権化,‘至高之人間ホモ・オプティマス’達を打倒しようではないか」

 堂々と語るシンハの声は,説得力に溢れているように思えた.


 「で,でも……」

 自信を無くしたクヴェラはうなだれた.


 先程のシンハの攻撃の影響がまだ後を引いているのか,ジャガンナートは上手く立てなかった.尻もちを突いたままで,後ずさりしながらオシリスの方に近づいていった.

 オシリスは影の黒い帯にとらわれ,床に縛り付けられている.彼は鎖に繋がれた猛獣の様に身じろぎさせていた.


 「行け! オシリス! 奴は,子供の敵だぞ! 影縛シャドウ・バインドオフ!」

 声とともにオシリスを捉えていた黒い帯が消えた.

 「グオオオオオオン!」

 黒光りする鋼鉄の猛獣が,シンハめがけて飛びかかった.

 完全な四足歩行である.人間らしい理性のほとんどを失っているのだった.

 床の石材を踏み割りながら,鋼鉄の手足で走り,溶鉱炉の様に赤い口を大きく開けて喰らいつこうとして来た.


 「うわっ!」

 誰かの叫び声が上がる中,シンハはしかし,ゆったりと自然体で立っていた.

 そして,右手を口に当てたかと思うと,跳んだ.

 鋭角に折りたたまれた彼の右膝が,見事にオシリスの顎を捉えた.

 「天車突蹴ディーゼルノーイ!」

 膝はオシリスのはがねの顎を砕いた.赤い亀裂が走り,ボロボロと鉄の欠片がこぼれ落ちる.

 シンハは着地するなり,オシリスの足に鉈の様な下段回し蹴り――ローキックを叩きこんだ.膝がグニャリと曲がり,オシリスは地響きを立てて倒れた.


 「すごい……」

 シセが呟いた.

 「こんなに強い戦士プレーヤーがいたなんて……でも,確かに,味方になってくれれば心強い……」

 圧倒的な強さだ.離宮突入の時に彼がいてくれれば,アルタイルはあんな形でゲームオーバーになる事は無かったんではないだろうか,とグリシャムはふと思った.

 「普通のプレーヤーとは並み離れた強さだ」

 ハメッドも感心している.娘を取り戻すうえで,頼もしい仲間が来てくれたことは好ましいように思える.

 「あいつの必殺技,‘天を突く膝蹴り’だ」

 見せ場を奪われたせいか,ヴァルナが面白くなさそうにぼやいた.


 「御覧なさい,私は間違いなく,彼らを倒しに来た.さあ,一緒に,真の黒幕,イブリースを倒しましょう!」

 もう勝負は決まったとばかりに,シンハは何とか立ち上がろうともがくオシリスに背を向け,赤い外套に身を包んだイブリースをまっすぐ指差した.


 「な,何だと? イブリースが黒幕なのか? カカルドゥアを守護する,竜人の御方が,そんな,馬鹿な……」

 シンバットは混乱していた.すでに,何を信じていいのか,若い大公は分からなくなっていたのだ.

 「イブリースが黒幕? ふふ,笑わせる.一体何を言い出すの?」

 シェヘラザードが高笑いした.

 イブリース自身は腕を組み,黙ってシンハの視線を受け止めている.


 「笑っているのも,今のうちだ! シェヘラザード! お前の数々の企みは分かっている!」

 シンハが雄々しく言い放つと,シェヘラザードの眉が不快そうにピクリと動いた.


 今にも全員がシンハの言葉に頷きそうになる直前,シノノメが手を挙げた.

 「待って! シンハさん!」

 「どうしました? シノノメさん? 敵の殲滅は,あと少しだ.あなたと私が力を合わせれば,これ以上味方の犠牲が出る事もありません」

 シンハは少し焦るように,それでも笑みを浮かべながら言った.

 「あなた,ダーナンさん知ってる?」

 「ダーナン?」

 シンハは少し意表を突かれたように言葉を返した.

 「ええ,もちろん.私と並ぶ聖堂騎士団のリーダーですから……実直な,良い戦士です」

 「そうじゃなくって,ダーナンさんは,本当に悪いのは誰かを伝えて,騎士団のみんなを説得するって言ってたのに,逆に倒されてしまったらしいの.何か知らない?」

 「苦行林から逃げて来た人たちを寺院に受け入れる手配を彼と一緒にしましたが……その後は何も……」

 シンハは口ごもった.

 「これ,何か,知ってる?」

 シノノメはウィンドウを立ち上げ,ダーナンの最後のメッセージを空中に映し出した.

 シンバットたちNPCから見れば,空中に絵が浮かびだす不思議な魔術を使っているように見える.

 

 最後のメッセージ――ライオンのアイコンである.


 「いや……何も……私には分かりませんね……」

 そう言うシンハの頬を,ゆっくりと汗が伝って流れた.


 「それは! それこそ,間違いありません! シノノメさん! ‘シンハ’――の意味は,獅子ライオンです!」

 クヴェラは顔を上げ,声を振り絞って叫んだ.

 「やっぱり! この絵はダーナンさんの最後のメッセージなの.それに,倒された時に聞こえた音が,さっきの必殺技の音にそっくりだったよ」

 シノノメはフライパンの先端をシンハに向けた.


 「それだけじゃない! シンハさん! あなた,さっき必殺技を放つ時に,口に何を入れたの!? 私は見逃さなかった」

 アイエルはいつの間にかクロスボウを構え,ピタリとシンハの額に狙いをつけていた.

 アイエルは油断なくずっとシンハのことを観察していた.シンハがジャガンナートから抜き取った‘何か’を口に入れ,咀嚼して飲み込むのを見ていたのだ.


 「私とアイエルはあなたの事を知らないから,さっきからステイタスウインドゥを立ち上げて見てたの.信じられない数字だけど,レベル97.さっきイシュタルを連れていったラーフラって人は,レベル96だったって聞いてる.レベル95オーバーの人間が,そんなにいるはずないわよね.そして,さらに信じられない事に,あなたは今,何かを口にしてレベルが0.2上がったわ」

 グリシャムの杖は魔力を帯びて緑色に光り始めていた.

 「相手の身体を食べる事で,レベルを上げる事が出来る能力スキルを,あなたは持っているのね? ……吸い取るモンスターは見た事あるけど,まさかそれが出来るプレーヤーなんて……しかも,こんなすごいスピードでレベルが上がるなんて……本当に,信じられない」


 レベルが上がれば上がるほど,レベルを上げるのは難しくなる.RPGゲームの鉄則だ.

 レベル90以上ともなれば,モンスターの一匹や二匹,ダンジョンの一つや二つ攻略してもそうそう上がるものではない.シノノメすら,今では0.1刻みでしか上がらないのである.


 「連れ去ったイシュタルも――もしかして,ハデスまでそうやって,食べて,自分の力にしたんだね」

 アイエルはラーフラがイシュタルの喉を噛み千切った悪夢のような光景を思い出していた.とても正気の沙汰とは思えない.ハヌマーンは彼を見て,喰人鬼グールだと思ったくらいだ.


 「でも,そんな残酷なスキル,普通,みんな欲しいなんて思わないよ! ……私,分かってきた.子供達が臓器を取られて商品にされたっていうけど,体の他の部分は,どうしたの!?」

 シノノメの身体は小刻みに震えていた.

 シノノメの持つ銀色のフライパンの中央には赤い丸印がプリントされている.その赤い丸が見えなくなっていった.それは高熱を帯び,調理可能になったという印なのだ.

 シノノメの怒りが武器に伝わった様に見えた.


 「ラーフラは一連の子供の誘拐,臓器密売の繋ぎ役だった.政府側とナジーム商会の間で利益の受け渡しや,必要な――商品としての子供たちの,数の指定などを受け持っていたんだ.確かに,臓器が簡単に手に入る立場にいた……」

 ハメッドは胸を押さえた.子供を思う親の気持ちを理解した今,自責の念で胸が痛くなる.


 「奴は本物の喰人鬼なのか……! オークや吸血鬼はいるにはいるが,あれは亜人デミ・ヒューマンだ」

 シンバットの顔が青ざめる.


 「ええ,人間が,同種族の人間,しかも子供を食べるなんて……」

 気丈なシセも流石に声を震わせていた.

 

 「ハハハハハ!」

 戦慄する一同を尻目に,シンハは突然哄笑し始めた.

 「喰人鬼か! これはいい! いやいやいや,正確には,チャクラを抜き取って,食べているのだが!」

 シンハが右腕を軽く挙げると,黒い外套が現れた.

 「私と似たような発想の男がいたので面白かったよ.私も,この頭巾を被るとステイタスが変わるのだ.もっとも,名前だけだがね」

 豪快に笑いながら,シンハは黒い頭巾を被って見せた.

 黒い頭巾の奥で,鋭い目が炯炯けいけいと光る.


 「ラーフラ!」

 シンバットとシェヘラザードはほぼ同時に驚きの声を上げた. 


 一方,シノノメたちプレーヤーはこの人物の‘ステイタス’を見ていた.

 ウィンドウの名前はラーフラとなっていた.

 そして職業は――巫医ふいとある.

 あまり見る職業ではない.

 呪術や魔術を使って患者の治療を行う医師――魔法医師ウィッチ・ドクターのことだ.

 そして,まぎれもないその数字――

 ――レベル97.2――.

 集団戦闘になれば,必ずしもレベルは絶対的でないと言う.しかし,その数字は圧倒的だった.数字だけで考えるならば,この中で誰もシンハに勝てる者はいないことになる.

 

 「あなた,ラーフラ,一体何を考えているの? 一体何がしたいの? 私の筋書きには,こんなことはなかった……」

 常に冷静なシェヘラザードが,明らかに狼狽していた. 

 黒い頭巾から覗くシンハの目は,喜悦に歪んでいた.


 「東洋医学では,人間の体の中にチャクラと呼ばれるエネルギーセンターがあると考える.これはいにしえの人々の英知とも言えるものだ.西洋医学的にはホルモンや神経伝達物質を分泌する場所に一致しているのだよ」

 ムーラダーラ――会陰部――前立腺,精巣,卵巣

 スワディスターナ――丹田――仙骨神経叢,腸管神経叢,馬尾神経

 マニプーラ――臍部――副腎皮質・髄質

 アナーハタ――心臓――太陽神経叢,心臓

 ヴィシュッダ――喉――甲状腺,副甲状腺

 アージュニャー――眉間――松果体,脳下垂体

 サハスラーラ――頭頂――大脳

 「私が設定したのは二つだ.一つは,他人のチャクラ――あるいは,それが宿る臓器を体に取り入れて自分の力にする力.もう一つは,この巫医という職業ジョブだ」


 シノノメはシンハの言葉に戦慄しながらも,ふと思い出した.

 ――そうだ,これは,ナーガルージュナに瞑想の時に習った知識だ.

 体の中にはエネルギーセンターがあって,背骨に沿ってそれをつなぐ管――ムズムズ管とかが通っているとか何とか……

 

 「巫医……狙いは心霊手術か……」

 ヴァルナが唸る.


 「ご明察.私は相手の体の中に自分の手を潜り込ませ,臓器を奪い取ることができる.奪い取った物を自分の体内に入れれば,相手の力が私の物になり,私のレベルが上がるという仕組みだ」

 

 「それで,子供たちの内臓を食べていたっていうの!? そんなの狂ってるわ」

 グリシャムが吐き捨てるように言った.


 「下等なモンスターをいくら食っても,レベルは上がらない.高等動物でなければチャクラの発達は未熟なのだ.しかも,レベルが上がるほど,下等動物の捕食ではレベルは上がらなくなる.ならば,数を稼ぐしかないだろう? そんな時,シェヘラザードと五聖賢たちが何かアメリア相手に商売をしたがっているという,耳寄りな情報を手に入れたわけだ.私は早速,臓器売買を進言した.アメリアのサイボーグどもは,コアの中に生身の肉体がある.損傷したとき臓器を欲しがる奴が必ずいると踏んだのさ」


 「じゃあ……処理後の子供の身体を自由にするのがラーフラ……お前の目的だったというの?」

 シェヘラザードが眉をしかめる.彼女の場合は,その行為そのものに対する嫌悪感というよりも,自分が把握できなかった事実があったということに対する不快感なのだった.


 「悪魔め……! 人間の命を何だと思っている!」

 シンバットが激怒して叫んだ.剣を握る手は震え,興奮のあまり今にも倒れそうになっている大公をシセは必死で支えた.


 「人間? ふふん,NPCだろう.しかし,一般のプレーヤーは体性感覚――身体意識が希薄なせいか,チャクラがあまり発達していない.NPCの子供というのは新鮮で手ごろな,良いチャクラの供給源だった.だが,問題があった」

 そのおぞましい内容にも関わらず,シンハは抑揚のない声で淡々と喋っていた.

 まるで,学生に講義をする教師のようだった.

 「最初は良かったのだが,やはり,いくら数を食べてもレベルが上がらなくなってしまったのだ.そこで,私が目を付けたのは五聖賢だ」

 

 五聖賢は,電子情報で仮想世界マグナ・スフィアに合成された人間だ.明確な身体感覚を持っている.しかも,全員が非常に強い.

 優秀なチャクラを持っていると考えたシンハは目標を変え,行動を開始したのだった.


 「そうなると店じまいだ.子供はいらない.工房を餌に東の主婦が喧嘩をしてくれれば幸いだ.多少弱ったところで,五聖賢を頂けばいいというわけだ」

 「じゃあ,私をさらって……」

 「ああ,五聖賢の悪事を吹き込んでから工房に連れて行って一暴れしてもらうつもりだったのさ.行方をくらましたのは計算外だった.まあ,自分で勝手に工房を荒らし回って離宮に突入してくれたので,結果オーライだ.嫦娥は食い損ねたがね」

 シンハはゆっくりと頭をめぐらし,獲物を見る狼のような目つきでジャガンナートとオシリスを眺めた.


 「く,食うだと……!? 我々が……貴様の餌だと言うのかっ!」

 ジャガンナートはよろよろと後ずさって,シンハの視線から逃れようとした.

 彼は仮想世界に転生してから一度も感じた事のない感情――恐怖を感じていた.

 ふと見ればすぐ後ろはネムの拵えた毛糸の網だ.網のあちこちで毛玉がモコモコと動いている.よろめく彼の足も,網に絡めとられるようにしてもつれた.

 オシリスは足を折られたまま,動作を停止している.体を覆うゴツゴツした鋼鉄の結晶は消え去り,人間らしい輪郭を取り戻している.顔を床につけたまま動かないので,意識があるのかどうかよく分からなかった.


 「我々は……全て,お前に踊らされていたというのか……全ては自分のレベル上げのために,何という非道なことをした? お前こそが本物の魔神,悪魔だ……」

 ハメッドの言葉など,シンハは全く意に介した様子なく笑みを浮かべている.


 「ということは,そこの二人を食ってお前の狙いは終了,ってわけか.それでユーラネシア最強の地位を手に入れるってな」

 ヴァルナが傷ついた足を引きずりながら前に出る.

 「そうは簡単に行くもんですか.個人のレベルは高くても,こちらにもレベル80以上が二人,レベル90以上が二人いるのよ」

 グリシャムは呪文の詠唱を開始した.

 「我らの力など及ぶべくもないが,ここで戦うのは大公としての義務だ!」

 怒りに燃えるシンバットも剣を構えた.

 「私,絶対にあなたの事を許さない!」

 シノノメは白い魔包丁を出し,左手で握った.フライパンと包丁の二刀流である.

 

 シノノメを前衛とした攻撃の陣形が自然にでき始めていた.

 ネムも編み物を編む手を止め,それに加わる.

 シェヘラザードはイブリースと二人でじっとそれを見つめていた.物語の紡ぎ手を自称する彼女は,全ての事の成り行きを見届けるつもりなのだ.だが,いつもの様な余裕の笑みが顔から消え失せていた. 


 「ふん,俺を狩る気か.だが,お前たちは大きな勘違いをしている.俺が何故,今,ここにやって来たと思う?」

 シンハはそう言うと,黒い頭巾を脱いで床に放り捨てた.

 「さっき,プレーヤーはチャクラの発達が悪いと言っていただろう? しかしな,レベルが上がったプレーヤーの体内には良質のチャクラ育っているんだよ.ここまで来られるシノノメの仲間なら,レベルが高い奴が多いと思っていた」


 「まさか……」 

 誰ともなく,心の中に恐怖の予感が首をもたげる.


 「貴様ら全員,俺の餌だ.捕食者は,俺だ」

 黒い外套を捨て去ったシンハの顔は,邪悪な笑みに輝いた.

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