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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第20章 闇のその先へ
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20-2 魔宮の影

 「こっちに来て! あっ! 駄目,あっちにも変なのがいる!」

 クヴェラはマユリに案内され,離宮の中を隠れながら移動していた.

 所々にマユリが呼ぶところの’平面人間‘がいる.

 常に横顔で,後頭部に輪状になった角のような不思議な突起がついている.腰回りには細かい模様が施されたふくらみがあり,ズボンを履いているようにも見えた.

 厚みは全くなく,壁に映るように――まるで壁紙の模様の様に出現したかと思うと,にゅっと平面のまま宙に抜け出てくる.

 彼らは監視者なのか,それとも子供の面倒をみるためにいるのか,子供達がうろつく中をまさに影の様に移動していた.


 「ワヤン・クリ……」

 クヴェラは平面人間を見て呟いた.

 「何? それ?」

 クヴェラはスカーフの様に頭に腰布サロンを被り,顔を隠していた.

 「インドネシアの影絵だよ.ヒンドゥーの神話物語なんかをあんな感じの人形で演じるんだ.……あれは,アルジュナ王子の人形に似ているな」

 インドネシアの武術を修めるクヴェラは,その文化にも興味を持っている.自然,造詣が深いのだ.

 「あれで王子様なの? でも,肩から突起が飛び出て,手に節が三つあるみたい.何だかお化けみたいね」

 

 平面人間――影絵人形は,遊戯室の入り口を,すうっと横切り,どこかに移動して行った.

 「今だ!」

 マユリは遊戯室に入ると,走り出した.どうやら横切って部屋の端にあるカーテンで仕切られた別室に行こうとしているようだ.

 クヴェラも後を追った.

 マユリの足の速さに,少し驚かされる.

 マユリ――シノノメが潜入していたギルド,‘ナジーム商会’の会長ギルドマスターの娘だ.現実世界の身体は難病にかかっており,現在は入院中なのだという.

 とてもそうとは思えない身体能力だ.体が弱れば,脳の運動野――体をコントロールする部分は基本的に縮小する.肩を手術した後の投手がコントロールの低下に悩まされるのはそのためだ.

 

 ……第六世代VRMMOマシンか.

 新興IT企業,サイナップス社を中心に開発,販売している機械だ.

 巧妙に偽装されているが,側頭葉に刺激を加えて新たな神経回路を構築させる――要は,脳を作りかえるシステムを搭載している.

 日本国内ではこのシステムは当然禁止されているが,それは表向きの話だ.薬物を使わないドーピングとしてアスリートが使用していたケースが先日摘発された.

 アメリカではPTSD――戦場でひどい心の傷を受けた兵士のトラウマを消すために治療機器として使われているという.だが,それを行っているのがCIAだというのだから胡散臭い.どう考えても戦闘能力の強化や,洗脳に使っているとみて間違いないのだ.


 クヴェラの上司,風谷ヴァルナは国家統合情報局の命令で,それを調査していた.

 ところが,風谷は確かに有能なのだが,報告せずにすぐ独断で行動するところがある.

 御目付役として選ばれたのが,大学からの後輩である千々ちぢわ――クヴェラだった.ところが,あろうことか敵の人質になってしまった.


 「……先輩に申し訳ない」

 そう思うと肩を落としそうになるクヴェラだったが,辺りを見てその異様さに思わず足を止めそうになった.


 体育館ほどの広い遊戯室の中で,子供達が各々好き勝手に行動している.

 それは,小学校や幼稚園の自由行動の様子とは全く違っていた.

 集団のゲームやスポーツを全くしていないのだ.

 バスケットボールのネットやフットサルのゴールが置いてあるものの,それをぼんやりと見上げる子供が何人かいるだけだ.

 どの子も目が虚ろで,たまにぶつかり合ったかと思うと殺し合いと見紛うひどい乱闘が始まる.喧嘩というレベルでない.そうなると,慌てたように影人間が彼らを引き離す.

 

 「何,これ……?」

 「早く入って!」

 マユリの声で我に帰ったクヴェラは,慌てて赤紫色の垂れ幕を潜った.

 部屋の中は薄暗い.

 マユリが灯り――魔石のランプをつけると,部屋の中が照らし出された.

 「ここよ.さあ,選んで! 着替えましょう」

 さっきの子供達を見ていると,マユリが随分普通に見える.

 クヴェラはそう思いながらあたりを見回した.

 

 六畳間ほどの空間がクローゼットになっている.ずらりと衣装が並んでいた.着ぐるみの様な物から,パーティードレスまである.

 子供の体格に合わせた剣や盾,槍,魔法使いの杖もあった.

 「これ,真剣なのかな?」

 鞘から少しだけ剣を抜くと,剣呑な光が輝いた.玩具には見えない.いや,真剣を玩具にして遊んでいるのかもしれない.まともではない.クヴェラの背筋に凍るような戦慄が走った.

 「傷ついても,影人間が治してくれるのよ.だから,本物で遊んでいるみたい」

 マユリが顔をしかめて言った.

 「それにしても,聖堂騎士団の制服のままでは目立ち過ぎるわ.早く着替えないと!」

 「そうだね」

 何度ウィンドウを立ち上げても,ログアウトのコマンドはアクティブにならない.

 この建物に秘密があるのか,それとも何か別の仕掛けがあるのかは分からないが,再び行動不能にされてはたまらない.逆に敵の内情を探る好機チャンスに変えるか,あわよくば後方撹乱を行ってヴァルナやシノノメの仕事を援護することにより,失地回復したかった.

 クヴェラはクローゼットを探り,体のサイズに合いそうな服を探し始めた.いくら顔がばれないとは言え,着ぐるみではいざという時に戦えない.動きやすそうな服は無いだろうか.シノノメのように着替えの服をアイテムとして集めておけばよかったと思うが,後悔しても仕方がない.

 

 「マユリちゃんは……どうして,この世界に留まりたいと思ったの?」

 「それは……」

 マユリも部屋の奥に入って,ごそごそとクローゼットを漁り始めた.クヴェラの衣装探しに協力してくれるようだ.くぐもった声が返って来る.

 「もう,私は私自身が嫌になったの.こんな病気の身体も嫌だったし,何より……」

 「何より?」

 「お父さんに,悪い仕事をさせてしまうような自分が嫌だった……」

 マユリの言葉の最後の方は掠れてよく聞き取れなかった.

 泣いているのかもしれない.クヴェラはあえてしばらく声をかけない事にした.


 「……一時思っただけ.ここではないどこかに行きたいって.でも,ここはお父さんに悪い事をさせたり,シノノメさんに罪をかぶせたりする悪い人たちのいるところだし……」

 マユリの告白が続いている.

 クヴェラは聞きながら自分に合う服を探していたが,なかなか見つからなかった.

 小さすぎるか,あるいはひらひらしていて,とても戦闘用にならない.現実世界でも小柄なので,やむを得ず子供のLLサイズを着たりすることはあるのだが.


 「ここにいる子たちは,みんな変よ.さっきまで,私も頭がぼうっとして何だかおかしかった.クヴェラに会って,色々な事を考え出したら,段々頭がはっきりしてきたの」

 マユリの声がしっかりしてきた.気分的に持ち直したのだろう.

 彼女の言葉には色々な情報が含まれていた.子供達の電子情報化された‘意識’は,ここに集められた後,何か変質してしまうのかもしれない.それは一体どういう仕組みだろう.

 マユリと行動しながら,もう少し色々な情報――例えば,あの影人間の正体なども――を集めてみよう.クヴェラはそう思った.

 それにしても,服は見つからない.


 「うーん,駄目だね.ここには,僕に合う服は無いよ」

 「そう? 私は見つけたわ」

 「えっ? ありがとう」


 クヴェラが振り向くと,そこには衣類を小脇に抱えたマユリがいた.

 「早く着て!」

 「う,うん.ちょっと向こうを向いててね」

 クヴェラはマユリから服を受け取ると,慌てて着替えた.白いゆったりしたズボンに足を通すと,腰回りも裾丈もほぼぴったりだった.ベルトで少し調整すれば,何とかなる.

 「あ,ぴったりみたい」

 「良かった!」

 あとはサンダルと,上着だった.

 何やら,衣装部屋の外で子供の話す声がする.誰かが近づいてきているのかもしれない.

 クヴェラは白い上着を脱ぎ捨て,大急ぎで袖に手を通した.


 「入るよ.剣をもらう」

 表情に乏しい赤毛の女の子がカーテンを開け,クヴェラとマユリに何の興味も無いように通り過ぎると,壁に立てかけてあった両刃の西洋剣を持って出て行った.

 カーテンの向こうには,影人間が一人いて,中を覗き込んでいる.聖堂騎士団の制服を見られてはどうなっていたか分からない.


 「ふう……危機一髪ね」

 マユリは胸をなでおろした.

 「あ……あの……マユリちゃん?」

 クヴェラは真っ赤になっていた.

 「これ……」

 「わあ,良く似合う.可愛いじゃない!」


 上着の丈はとても短く,腹の部分が丸出し,セパレーツのデザインだったのだ.オフショルダーのせいでなだらかな肩も剥き出しになっており,胸元には細かい柄のレースの刺繍がついていた.

 動きやすいのは間違いないのだが,これはベリーダンスを踊る踊り子の扮装だ.


 「これじゃあ……だって,僕は……」

 「え? 女の子の格好するの嫌なの?」

 マユリは好奇心いっぱいの目でマユリを見つめた.


 女性が男性として,あるいは男性が女性としてゲームに参加している人も少なくない.

 ただし,もともとの身体感覚とかなり変わってしまうので,戦闘職などでは不利な点も多いのだ.

 だが,クヴェラの事情は少々違っていた.


 「……これじゃ,女装だよ……こんなの,先輩に見られたら,恥ずかしくて死んじゃう」

 顔が熱くなったので,クヴェラは両手を当てて頬を冷やした.


 「え? だって,クヴェラは女の子じゃない.だから女の子の衣裳部屋に連れてきたのよ.女の子が女の子の恰好をしてて,何がおかしいの? 男の子の恰好の方が好きな人? 最初は,僕って言ってるから男の子かとも思ったけど」

 マユリは一気にまくしたてた.


 「だって,マグナ・スフィアに参加したときには,聖堂騎士団は男の人しか入団できないのを知らなかったから……でも,どうして分かったの……?」

 

 これで変装に気づかれるのは,ヴァルナに次いで二人目である.

 しかし,風谷ヴァルナはまだいい.現実世界の自分を知っているのだから.だが,今度は全くの素人,しかも中学生だ.

 情報機関の諜報員としてのプライドがズタズタになったクヴェラは,がっくりと肩を落としながら尋ねた.


 「うーん,勘?」

 「何だか,シノノメさんみたいだね……」

 そう言われると,マユリは嬉しそうに笑った.

 「とにかく,クヴェラはシノノメさんや聖騎士パラディンの仲間で,悪者をやっつけるんでしょう? 早く何か次の事をしようよ.私,なんだかワクワクしてきた」

 マユリはそう言うと,クヴェラの雪ヒョウの耳を隠すために,ふわりとした桃色のベールをかけた.

 「わあ,すごく可愛い! 花嫁さんみたい!」

 「はっ……はな!」

 クヴェラは耳まで真っ赤になった.


    ***


 シノノメ達は,悪戦苦闘しながら回廊を進んでいた.

 黒い異形の敵は,にじみ出たかのように壁の隙間から現れたと思うと,ふと起き上がって襲って来る.

 ある時は足元から,ある時は柱の後ろから出現し,全て二次元――平面上を移動して襲い掛かって来る.

 人型の事も,巨大な手型の事も,ひも状の事もあった.敵はグルグルと布の様に巻きついてくる事もあれば,指の先に鋭い鉤爪を持っていて切りつけてくる事もあった.

 いずれにしろ,変幻自在で不定形.

 ただ,その全てが基本的に黒色で平面状の構造をしている.切っても突いても,傷つける事が出来ない.当然,矢を放って当たっても刺さらない.

 シノノメ,グリシャム,アイエルが使える爆炎魔法は有効だが,効果は一時的だった.

 散り散りになって,また寄せ集まって来る.その場でいなくなっても,一ブロック程進めばまた現れる.

 炎の魔法で一旦追い払い,その隙に進む.地道にそれを繰り返しながら離宮の塔を上がっていた.


 「くそっ,ドカーン,バーンってぶっ倒したいのにな!」

 風の魔法と体術カラリ・パヤットが全く通用しないので,ヴァルナは苛立っていた.

 

 「黙れよ.それを言うなら,一番焦ってる人がそこにいるだろ」

 アルタイルはハメッドの方を見て言った.

 彼は娘をさらわれ,今もどうなっているのか気が気ではない.それでも懸命に指輪の魔神を出して助勢するのだが,敵は魔神の指の間をすり抜けてしまう.


 「畜生……殴っても蹴っても,効かない」

 ハヌマーンが悔しそうに盾を殴った.ゴウン,と大きな音が回廊中に響く.

 

 「でも,変だよね.何回か,完全にあの黒いのが出てこなくなったことがあったよ」

 シノノメが首を傾げる.

 

 「そうね……確かに.この条件の違いは何なのかしら」

 グリシャムも鳳仙花の花をつけた杖を構えながら言う.


 「ふむ……シセ,敵に,臭いはあるか?」

 「いいえ.殿下,ありません」

 シセは大粒の汗をかいている.この中ではハメッドとともに何の特殊能力スキルももたない一般人――NPCなのだ.必死に未知の怪物と戦う恐怖は,推して知る物があった.


 「臭いどころか,近づいてきても音もしないよ」

 アーシュラは武器をモルゲンステルンに取り換えている.槍を振り回したところで何も威力がなかったので,手っ取り早く殴り倒せる道具にしてみたのだ.柄の先には棘の生えた球状の重りがついている.普通の敵なら兜ごと頭を粉砕できるはずなのだ.

 だが,鉄球は床や壁にひびを入れるだけなのである.叩き潰したと思えば,ぬるりとその下を液体のようにすり抜けて再び攻撃してくる.


 「女の子ばっかりに働かすなよ,大公.お前も働けって―の」

 ヴァルナは基本的にどんな時も女性の味方だ.

 だが,失礼な言葉遣いにシセは逆に憤った.

 「聖騎士パラディンとはいえ,殿下に向かって何と失礼な……」

 「よい,シセルニチプ.彼の言う通りだ.私は役に立っていない.勇ましく出立したものの,皆に守られてばかりで恥ずかしいばかりだ.だが,シェヘラザードの言っていたこの国の秘密について,どうしても竜人イブリースにもう一度尋ねたいことがあるのだ」

 シンバットは苦笑しながら言った.


 「あの赤い頭巾の人は,本当に竜人なの?」

 シノノメはシンバットに尋ねた.

 全身赤の服から覗く金色の瞳は,とても不気味な印象だった.異形ではあるが,ナーガルージュナの優しい雰囲気とは全く違っていた.

 

 「ああ,主婦殿.頭巾を取ったところを拝見させていただいた.間違いない」

 「私,他にも竜人の人知ってるけど……」

 「それは異なことを申すな.竜人は我々の計り知れないほど長い寿命を持っているが,この世に生まれるのは極めてまれなのだ.百年に一人ほどで,つがいになるのが五百年に一組と聞いているのだが……」

 「そんなにレアな人なんだ……」

 シノノメはふと,ラージャマハール迷宮の出口に彫刻レリーフされた,竜人の夫婦の像を思い出した.


 「百年とか五百年とか,すごいスケールだネー」

 ネムがのんびり言った.有効かはともかく,魔物が出現すればシンバットやシセは必死に刀を振るっているので,この中ではネムが一番役に立っていない存在かもしれない.

 ネムは相変わらずのマイペースで,今度は黒い毛糸で編物を編んでいる.糸玉を迷宮脱出の目印にするのは無意味だったので,断念したようだ.


 「ちょっと,ネム! あなた少しは役に立ちなさいよ! 魔法院じゃ,あなたの方が先輩じゃない!」

 グリシャムがネムを叱ったその時,ハヌマーンの足元がモゾリと動いた.


 「わわっ! まさか! また,こんな所から,何でだよ!」

 ハヌマーンは足元から伸びてくる黒い腕に,盾を叩きつけた.

 腕は五本,いや六本はある.

 床材が砕け,ひびが入る.だが,攻撃をものともせず黒い腕はするすると床を伝って伸び,辺りに広がった.墨汁かペンキ,あるいは油を床にこぼしたようだ.

 壁と床の境界まで伸びたところで,腕は頭をもたげた蛇の様に手を広げて襲いかかって来た.メデューサの頭か,イソギンチャクの触手のようだ.


 「こんにゃろ!」

 アーシュラがモルゲンステルンで殴りとばしたが,黒い腕はするりと攻撃をすり抜け,そのまま武器を持った手にからみついて遡上し,首を締め始めた.

 「ぐうう……」

 アーシュラは必死で腕を外そうとするのだが,外せないというよりも手をかけることができない.彼女の皮膚の上に黒い腕が貼り付いたようになっている.


 「きゃあっ!」

 いつの間にか黒い腕はシセの首にも巻きついていた.シンバットが慌ててむしり取ろうとするが,全く手ごたえがない.まるでボディペイントの様に腕は体の表面をゾワゾワと移動している.

 「ば,化け物め! シセを離せ! ……ぐわああっ!」

 そういうシンバットの首も,黒い腕は締め上げた.さらに宙へと持ち上げ,壁に叩きつけようとする.


 「黒猫丸!」

 シノノメは黒い魔包丁を取り出して切りつけた.見事に腕は切れ,シンバットは解放されて床に落ちた.

 「やった! 切れた! えっ?」

 だが,切れた腕は地面に落ちると丸く形を変え,スライムか落とした油,アメーバの様にズルズルと蠢いている.しばらくすると再び黒い腕の形になって伸びあがって来た.

 再びシンバットを襲う.シンバットは必死に飛び退り,それでもなおシセを助けるために駆け寄ろうとした.

 「全然効かない!? 何で?」

 しかも,何でも切れる包丁とはいえシセやアーシュラの身体ごと敵を切るわけにはいかない.シノノメの頬を汗の玉が伝った.


 「こいつ,くそっ! 狙いが付けられないよ!」

 アイエルは火炎弾をクロスボウに装てんしていたが,敵が近すぎて使えない.この距離では味方を巻き添えにしてしまう.迷っているうちに自分の足にも黒い腕が這い上り始めた.


 「どうすればいいの!?」

 グリシャムも同じだ.杖に絡みついて来る腕を必死で振り払っている.


 「風じゃ切れねーっ!」

 ヴァルナの自慢の鎌鼬かまいたちは,空しく床と壁の石材を削るだけだ.

 「矢が当たっても,効かないぞ!」

 矢がぶっつりと刺さった黒い腕は大蛇の様にとぐろを巻き,アルタイルの足を絡み取っていく.先端の五本の指が,顔をつかもうと鎌首をもたげる.


 ‘床の上の敵’は,ついに四方に伸ばした黒い腕――触手を伸ばし,全員をズルズルと中心に引き寄せ,捻り潰そうとし始めた.中央の黒い部分が咀嚼するかのように不気味に蠕動した.

 

 「こんなところで,終われない! くそっ! 由莉奈!」

 ハメッドが必死に叫ぶ.

 「殿下! 私を置いて,お逃げください!」

 「馬鹿者! そんなことができるか!」

 「うう……こうなったら,自爆魔法……そんなの無いし」

 「あきらめるな,グリシャム!」

 「命令しないでよ!」

 「く,苦しい……友達集めもここまでかー!」


 何とか黒猫丸で切り払うことができるシノノメ以外,全員が黒い暗黒の球に拘束され,飲み込まれようとしている.球の表面はうようよとウナギのように黒い腕が蠢いた.


 「みんな! 頑張って! 何とか助けるよ!」

 シノノメが必死で向かってくる黒い触手を切り払う.しかし,触手は切っても切っても再生する.まるで雑草の様に足元から次々と生えてくるのだ.

 「こうなったら,全部いっぺんにふきとばしちゃう……訳にもいかないし!」

 自分を守ることに必死で,仲間に近づくことも容易でない.

 かと言って,威力の大きな攻撃魔法を放てば,仲間はみんな巻き添えになってしまう.


 キャハハハハハ……


 どこかから甲高い不気味な笑い声が響いた.まるで,そんなシノノメたちを嘲笑っているように聞こえる.


 「えーい,もう,切りがないよ! こんなの!」

 困惑するシノノメが,ひときわ大きく伸びた黒い腕を切り払ったとき,ネムが叫んだ.

 「シノノメ―,あたしの手に巻きついている腕,取ってー」

 いつものように間延びした声だ.

 ネムの体は触手でぐるぐる巻きになり,全身が黒い糸玉のようになっていた.


 「ネム! 何か考えがあるの?」

 「うん,多分ネー.早くしてー」

 「えい!」

 シノノメは触手の攻撃を避けながら壁に向かって跳躍した.

 さらに,三角跳びの要領で壁を蹴り,ネムの近くに降り立つ.着地と同時に黒猫丸で触手を薙ぎ払い,ネムの腕を自由にした.


 「ありがとー」

 外に出た両手には,いつもの鈎のついた棒針を握っていた.

 間延びした声とは裏腹に,ネムは凄まじい速度で黒い毛糸を編んだ.再び触手が彼女の手を覆おうとするよりも,速い.

 みるみる何かの形が出来上がっていく.

 尾羽根と翼,それにくちばし.

 ネムは不自由な腕でそれを宙に放り投げた.

 「いけー! カーカー!」


 カー!

 

 編物ニットのカラスは毛糸のくちばしを開いて一声鳴くと,力強く羽ばたいて回廊を飛んだ.


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