18-6 クルセイデルの伝言
「世界の改変?」
シノノメはネムの言葉に首を傾げた.
「クルセイデル……ウェスティニア魔法院の最高指導者,マギステルがそんな事を言っているんですか?」
ハメッドが身を乗り出した.
魔法立国,ウェスティニア共和国はユーラネシア西部の最大勢力だ.ウェスティニアが有する魔法研究機関‘魔法院’はそのまま,巨大な軍事力に等しい.その頂点に立つクルセイデルは大魔道士の称号を持つ,まさにユーラネシア最高最強の魔女なのだ.当然レベル90クラスのトッププレーヤーであり,幻想世界ユーラネシア――つまるところ,VRMMOゲーム‘マグナ・スフィア’の権威でもある.
マグナ・スフィアがただのゲームではなく,人工の‘異世界’として認知されている現代では,トッププレーヤー達は社会的な影響力さえ持っている.もちろん,ベルトランの様に実社会に全く興味を持たない者もいるが.
ウェスティニアの魔法院は,ゲームの中では魔法の研究機関,あるいは学校であるが,様々な領域の女性指導者や実業家が多く参加するコミュニティとなっている.クルセイデルは表立ってではないが,ユーラネシアでの友人関係を通して,特に福祉政策などでは実際の世界に様々な働きかけをしているという.
「正体は誰も知らない……実は,大手企業の重役,あるいは妙齢の起業家だという説もある.ですが,中小企業が合同で利用できる保育園の設置とか,保育士や介護士の地位向上とか,遠くは外国の子供達の支援活動まで,色々な事をなさっていると聞きます」
自らも実業家であるハメッドは,これまで現実世界でクルセイデルの名前を聞く事が多々あったのだ.彼は興奮していた.クルセイデルがシノノメの力を認めているとなれば,娘の救出をシノノメに賭けた自分の判断の正しさを補強してくれる様な気もする.
「へーっ! すごいじゃん.そんなの,アタシも知らなかったよ.そうなの? ネム?」
自分も小規模――カフェとは言え,起業を志しているアーシュラも興味深そうに尋ねた.
だが,ネムはシノノメ達の言葉を聞いているのかいないのか,きょろきょろとテーブルの上を見回してハメッドの前に置いてあったティーカップを素早く勝手に奪い取った.
「これ,あたしもらうネ.頂きまーす.ごくごく」
ついでに茶菓子――シノノメのクッキーもポリポリと食べてしまった.ハメッドは呆気にとられている.
「えーっと,何の話だっけ?」
クッキーで頬を膨らせたまま,ネムは尋ねた.
「い,いや,だからクルセイデルがシノノメさんの事を,世界を変える力の持ち主だと言っていると……」
ハメッドが語尾を濁しながら言った.
「うーん,そう言う事を言っていたような気がするけど,どうだったかナー.あ,このお茶とお菓子美味しいネ.おかわりない?」
ネムはきょろきょろと今度は台所の方を見回してた.
「あー,うん,私,ハメッドさんの分も持ってくるよ」
シノノメは席を立って再び台所に向かうと,ポットと余分のカップ――もうおそろいのカップはなかったので,マグカップだったが――を持って来た.
「イイナー.お菓子が作れるスキル.あたしも欲しいナー.クルセイデル様も物質変換の魔法が得意だもんナー.あたしなら,お菓子にみんな変換しちゃうのに」
ネムはお茶を入れるシノノメの手元を見ながら言った.
「駄目だ……この子にまともな質問したアタシが馬鹿だった……」
アーシュラは頭を抱えた.
「……えーと,これあげるね.ネム,じゃあ,私が聞いていい?」
シノノメが残りのクッキーを渡すと,ネムは早速口に放り込んだ.
「ムシャムシャ,うん,うん」
ネムは食べながら頷いた.お菓子があると素直になるのだろうか.これではまるで子供かペットだ,とシノノメは思った.
「編み物師ってなあに?」
「へへー」
この質問こそ,最もネムがして欲しかった質問らしい.
ネムは玉のついた棒針を二本,そしてどこからともなく(といっても,アイテムボックスなのだが)黄色の糸玉を取り出すと,猛烈な勢いで毛糸を編み始めた.
「おお,早い!」
シノノメが感心してそう言い終わるや否か,ネムは何かを編み終えていた.
貝殻のような楕円形の板が二つ合わさった形である.
「貝? あ,蝶! チョウチョだね?」
良く見ると,楕円形は大小一対で,羽根の間に細長い胴体があった.
「そうだよー」
ネムが手を離すと,黄色い蝶はひらひらと宙を舞って飛んでいった.
「わー,飛んだ!」
蝶はそのまま小屋の窓を抜け,鍾乳洞の中へと飛び去って行った.
「へー,編んだ物が動くんだ」
「時間があれば竜でも,魚でも編めるよ」
「ふーん,魔法の杖じゃなくって,編み棒を持ってるんだね」
「うん」
エヘン,といわんばかりに得意げに胸を張るネムと,無邪気に喜ぶシノノメ.
だが,アーシュラとハメッドの表情は対照的に暗く険しくなっていた.
「ね,何だか微妙でしょ?」
「あれ,魔法と言うより手品ですよね? どう見ても戦闘に役立つスキルとは思えないです.アーシュラさん,どうしてあの子に声をかけたんですか?」
「魔法使い繋がりで,他に強力な奴が来てくれないか期待したのよ.ウェスティニアの五大の魔女とか,滅茶苦茶強いじゃない」
「五大の魔女様?」
ネムは二人の会話を聞きつけて,首を傾げた.
「そう言えば,クルセイデル様からシノノメに伝言があったよ」
「おお!」
「それを早く言いなよ!」
「私に?」
「えーとね……」
そう言うと,ネムは深呼吸をひとつしてから口を開いた.
『西の魔女から東の魔女へ.あなたが思い出した時,もう一度巡り合える』
「……だったかナ?」
「……たったそれだけ?」
固唾を飲んで耳を澄ませていたアーシュラとハメッドは,がっかりしていた.
もちろん,ウェスティニアの有力者であるクルセイデルが他国政府の反乱に力を貸せる筈はない.とはいえ,ネムがアーシュラに協力することを許している.てっきり彼女が何かシノノメへの助言を与えてくれたものと思ったのだ.
「どういう意味?」
決して長くないメッセージなのに,妙に心に引っかかるところがある……シノノメはそう感じていた.
……何故,東の‘主婦’と言わずに,‘魔女’と呼ぶのだろう.
それに,‘西の魔女’とはどういう意味なのだろう.クルセイデルこそが西の大国ウェスティニアを代表する魔女だ.
東と西の魔法使い……オズの魔法使いのこと? それとも,もっと何か別の意味があるの?
……それに,巡り合うってどういうこと?
シノノメは口に手を当てて考え込んだ.
「さあ,知らないよ.クルセイデル様は,言えば分かるかもしれないし,分からないかもしれないって言ってた.いずれにしても,一度シノノメは魔法院に来なさいって」
「え? ……クルセイデルさんは私が会いに行ったら,会ってくれるの?」
「うん,そう言ってたよ」
……ならば,何故クルセイデルは‘思い出した時’などという条件をつけるのだろう.
いや,待って.このメッセージには‘目的語’が無いんだ.
誰に巡り合うのかが分からなくなっている.
誰に会えるんだろう?
思い出すって,何を?
……もしかして,クルセイデルは,私の記憶が欠けているのを知っているの? いや,そんなはずはないし……
シノノメが黙って考えていると,小屋の外からガヤガヤと騒がしい声が聞こえて来た.
「ヘイホー,ヘイホー」
声の主はドアをノックした.
「ああ,どうぞ入って」
アーシュラが返事すると,小柄な茶色の獣人が五人一列に並んで入ってきた.
全員黄色くて丸い兜――というより,工事現場のヘルメットそっくりだ――を被り,目には黒眼鏡をかけている.爪が長くへら状になった手に,ツルハシやスコップを持っていた.体格は少しドワーフに似ているが,もっとずんぐりと丸っこく全身が茶色い毛におおわれていた.全員土に汚れたサロペット風の作業着を着ている.
「アーシュラさん,この人たちは? 見かけない種族ですが……NPCではなくって,プレーヤーなんですね」
ゲーム世界で各地と交易をしてきたハメッドも,こんな種族は見た事が無かった.
「モグラ人だよ.普段地下で暮らしている種族だから,見た事無いでしょ.穴掘工務店っていうのを経営してて,この洞窟もこいつらが施工したんだよ.トンネル工事とか,地下施設の設計,ダンジョンの修理とかを仕事にしてるの」
「お,アーシュラ! 工務店止まりにはしないからな! 巨大企業に育て上げ,やがて地下にアリの巣の様な一大帝国を築くんだべ!」
「おー!」
先頭のモグラ人の声に合わせ,他の四人が鬨の声を上げる.いつもの事らしく,アーシュラは苦笑した.
「地上では勝てないが!」
「地下なら最強!」
「あ! 東の主婦だ!」
「本当だ! マジ,シノノメだ!」
モグラ人達はシノノメを見つけると,一斉に黒眼鏡の目を覆った.
「こんにちは.モグラ人さん.七人の小人みたいだね.でも,どうして,目を隠すの?」
「その存在,まぶしすぎるから!」
「何で?」
シノノメは首を傾げた.
「シノノメがスタープレーヤーだって言いたいんじゃない? 地下工事ってそんなにたくさんあるわけじゃないから,ホリベエたちはあんまり儲かってないの.シノノメみたいな有名人,目にする事なんてないんだよ」
「いやー,他の誰も目をつけないから,絶対利益を独占できると思ったんだけど,読みが甘かったべ.たまーに巨大ミミズとかと戦ったりはするんだが,仕事やクエストが無いから,スキルもレベルも上がらない.穴を掘るだけなら,溶解魔法とか使える魔法使いと仕事が拮抗しちまうんだよな.でも,深さと距離,精度,速さなら負けないべ」
先頭のモグラ人,リーダー格のホリベエはヘルメットを脱いで頭を掻いた.
「あ,そうか,もしかして,そういうことですか? この奥の鍾乳洞は,敵の本拠地,サンサーラ離宮の方角に続いているんだ!」
これまたとてもまともな戦力にはならない,と腕組みして唸っていたハメッドが手を打ち鳴らした.
「すごい! トンネルを作って離宮に侵入するんだね!」
シノノメも歓声を上げた.
地上には聖堂騎士団や賞金稼ぎがウロウロしている.さらに,これから五聖賢を叩くとなれば,王宮の衛士など,何十もの防衛網を突破しなければならない.シノノメ達は圧倒的な戦力不足だ.地下を潜って移動するのは名案である様に思われる.
「そう.こちらは少人数でしょ? 抜け穴で一気に突入してクヴェラと――そして,マユリちゃんを助け出すのよ」
「そうか,全面対決なんて,この人数じゃ出来ないもんね」
「フッフッフ,なかなか名案でしょ? それで,ホリベエ,工事の進捗状況はどう?」
アーシュラが得意げに尋ねると,ホリベエは口ごもって仲間たちと顔を見合わせた.
「……ラージャ・マハール迷宮の最下層にはもうすぐだ.あとは壁をぶち抜くだけ……」
「え? ラージャ・マハール? それ,隣の建物じゃん.なんで離宮じゃないの?」
申し訳なさそうにするホリベエに,アーシュラは眉を顰めた.
「離宮の方は,多分中央に魔力発生装置があってバリアが張ってある.建物の直下は土が掘れなかったよ」
「ちょっと待って,じゃあ,ラージャ・マハールの地下から,どうやって行くの?」
「それは……ダンジョンのボスキャラを倒せば,奥の間から一気に地上へ通じる帰還回廊が開かれるので……」
「うぎゃあ,どうすんの! じゃあ,トンネルを抜けたらいきなりラスボス掃討戦!? ラージャ・マハールって,そもそもカカルドゥア最難関のダンジョンなんだよ!」
「アーシュラ,大丈夫だよ! 私,あそこの魔神は倒した事があるよ.インドの女神様みたいなやつでしょ? ほら,この子もそこで手に入れたんだよ」
シノノメは空飛び猫ラブをエプロンのポケットから取り出した.
ラブは久しぶりに召喚してもらって嬉しいのか,小さく羽ばたいてシノノメの肩に乗ると頬をすりよせた.
「あ,かわいいー.いいナー.これ欲しいナー」
ネムは立ち上がるとラブを撫でた.
「うん,じゃあ,もう一匹ラブのお嫁さんが手に入って,赤ちゃんが出来たらあげるよ」
「わーい,ありがと,シノノメ.もらったら毛糸の服を着せてあげようかナ」
ネムは全く呑気である.彼女も一応この作戦に参加するはずなのだが,戦闘に参加する緊張感など微塵も無かった.
「いや,待って! そこはそれでシノノメが速攻で倒すとして,その後どうするの?」
「えー,そこから砂漠を五百メートルほどダーッと走れば,そこが建設中の離宮だべ」
「ちょっと待ってくださいよ.離宮の工事には魔神が大勢参加しています.さらに,イシュタルは確か,サソリ型の地上戦用使い魔を持っている筈ですが……」
ハメッドは沈痛な面持ちで言った.
「あれ,良く考えたら,夜忍びこむの? あの辺の沙漠は日中外にいたら脱水になって十五分くらいで倒れちゃうよ.でも,夜だったら魔神の力が強くなるよね? 離宮の中にどうやって入ろうか?」
シノノメも首を傾げた.
「駄目だ……これ,誰か作戦を立てる人間が必要だ……」
ハメッドの表情は最早,絶望的と言ってもいい様な表情に変わっていた.
「ああ,こうなったら猫の手でもいいから欲しい!」
にゃん,と空飛び猫がアーシュラの言葉に応えるように鳴いた.