告白編
俺は高山正守は今まで高校生までの人生で一番緊張している。
何故なら今日、初めてラブレターという物を貰ったからだ。
朝、学校に来て机の中にラブレターが入っている。これがどれだけ嬉しいことか、素晴らしいことか……。思わず学校の下駄箱で驚きの声を出すところだった。
驚くのをがまんして俺はラブレターを落ち着いて見れる場所に移動する。
俺が選んだ場所はトイレの個室、ここなら誰にも邪魔されることはないだろう。
トイレの個室に入って必要以上に鍵がかかっていることを確認する。
便器に座って息を整える。それでも心臓の高鳴りは収まらない。緊張したまま俺はラブレターを開いた。
『いきなりのお手紙、すみません。しかしあなたを好きだという気持ちはもう抑えられなくなってしまったのです。もしこの気持ちを聞いていただけるのなら放課後、屋上に来てください。』
丁寧な文章にこの手紙を書いた人の性格が出てるであろう丸くて可愛らしい字。
しかしこれを書いた人の名前は書かれていない。だがそれが俺の期待をどんどん大きくさせていく。クラスの女の子だろうか、それとも他のクラスか……。いろんな女の子の顔が頭に浮かんでくる。誰が告白してくるのだろうか……ああ、放課後が待ち遠しい、早く来てくれ!
まだドキドキが止まらないが授業が始まるから俺は教室に戻った。
普段通り俺は席につく。もちろん落ち着くことなんかできない。誰があの素敵なラブレターを書いたのか、気になってしょうがない。もしかしたらこのクラスにいるのかもしれない。
確かにその可能性は高い。同じクラスなら俺のことを知っていても不思議ではないし、好きになっても問題はない。
そう考えるとこのクラスの誰がラブレターをくれたのかを確かめたくなる。
とりあえず今いる女の子たちを確認する。
おしゃべりに夢中な子、机に顔を伏せて寝ている子、勉強をしている子などどたくさんいる。
どうやって確かめようか……。
「このラブレターくれたの君?」……なんて、一人一人に聞いていく訳にはいかない。
だけど誰がこのラブレターをくれたのかは知っておきたい。何か、調べる方法はないのだろうか……。
ラブレター、一つでこんなに緊張するなんて知らなかった。
俺がこんなに緊張しているのならもしかしたらラブレターを送った方も緊張しているかもしれない。
そうだ。そのはずだ。ラブレターを送るなんてかなり勇気がいる行動だろう。
ならばその緊張が表に出てもおかしくない。
さあ、一体ラブレターを書いたのは誰なのか……俺は教室にいる女の子を一人一人、見ていく。
おしゃべりを楽しんでいる子は違うだろう。緊張しているのならあんな楽しそうにできるはずがない。
寝ている子は席に座ったままでは確かめる手段などない。ラブレターを送って照れ隠しに顔を伏せている可能性もあるからムズかゆいところだ。
だから今、この状況で調べることのできるのは朝から勉強をしている子だけだ。
しかし確かめるとはいえ、あまり積極的になってはダメだ。怪しまれて気持ち悪がられてしまうかもしれないからだ。
でもまあ、こんな遠くから見るだけでは緊張しているか、なんで分かるはずがない。
俺の予想通り、俺がこっそりと見ていることになんか気づかないで勉強をしている子ばっかりだ。
「…………」
「…………」
でもそれだけではなかった。一人の女子と目があった。
その瞬間、心臓の音が大きくなるのを感じた。
たまたま顔をあげただけかもしれない。それだけだったら俺はこんなに緊張が高まることはない。
その女子と数秒、世界が止まったかのように見つめ合った。その時、動いていたのはいつも以上に元気な俺の鼓動だけだった。
やがて元の世界に戻ったみたいに女子は慌てた素振りを見せて勉強を再開した。
あれは一体どういうことなのか……俺と目が合ったからあんなにも慌てたのだろうか?
あの子の名前は確か、渡部夕鈴。
前髪が長いせいでどんな顔をしているのかいまいち分からない。大人しい子で一回もしゃべったことがない。だから関わりなんてない。ラブレターを送ったというのならいつから好きになったのだろうか……もしかしたら遠くから見ているだけで好きになってしまうほどの素晴らしさが俺にはあるのかもしれない。
他の子は特になんの反応もないようだから、今のところは渡部夕鈴がラブレターを送ったと考えていいだろう。
もう頭の中はあの子のことでいっぱいだ。きっとラブレターを送ったのは渡部だ。どんな告白をしてくれるのだろうか……。
ようやく授業が終わった。それは放課後がやってきたということだ。
授業中、ずっとこの放課後が来ることだけを待っていた。
さっさと教室から飛び出して俺は屋上に続く階段を駆け上がる。今は疲れも息切れも全くない。
俺は屋上の扉をいきおいよく開けた。
屋上は昼頃の賑わいはなく、静かな屋上があった。
周りを見渡すが誰かがいる雰囲気はない。さすがに早かったのか、確かに授業が終わってまだそんなに時間は経っていないだから来ていないのも無理はない。
まだ時間があると思うと急に緊張してくる。立っていられないくらいのドキドキが襲ってくる。俺は屋上にあるペンチに腰を下ろして一息をついて、告白のことを考える。
俺にとってこの告白が初めての経験だ。だからどんな告白されるのかが分からない。
素直に「好き!」と言うのだろうか、それとももじもじしながら恥ずかしそうに好きになった理由を言った後に「付き合ってください!」と言うのだろうか?
渡部夕鈴が顔を赤らめて告白する姿を思い浮かべてついつい顔がにやけてしまう。
おっと! こんなのではダメだ。しっかりとカッコつけていなければ……「やっぱりなかったことにして!」と言われてしまうかもしれないから。
屋上の扉がゆっくりと開く音が聞こえてきた。その音を聞いて俺の緊張は一気に跳ね上がった。
とうとう来たのだ。俺はその姿を見た。
……男の制服を着ている。ということは別人だということだろう。
なんだよ、無駄に緊張させて……しかしその男は俺のところに真っ直ぐに来て、こう言った。
「高山正守くん……だよね? 手紙、見てくれたんだね」
「え?」
俺に告白するのは渡部夕鈴ではない。それどころか女でもない。
男だ。
「冗談、だよな……? だって男が男に告白なんて普通じゃない」
「うん。そうだよね。でもね、僕は君ともっと仲良くなりたかったんだよ」
「仲良くなりたいだけならこんなところに呼び出さなくでもよかったんじゃない?」
「ダメだよ! だって僕は君に恋してるんだから!」
こいつが何を言っているのがさっぱり分からない。なんで男が男を好きになるんだ。何故俺がこいつに好かれなければならないのだ。
「もしかして、君は男とは付き合えない人?」
「そんなの当たり前だろ! 今日だって女の子に告白されると思ってわくわくしていたんだぞ! 男が来てガッカリだよ!」
「そっかやっぱり女の子じゃないとダメなんだね」
こいつはどこか俺の話しを聞いていないような気がする。
「だったら僕、女の子になるよ!」
「は?」
こいつは今、なんて言った? 「女の子になる」だって、そんなの一体どういう意味なのだ。
「君は男とは付き合えないんだよね」
「まあ、そうだな」
「だから僕は女の子になる!」
なにが、だからなのだろうか? さっぱり意味が分からない。
「女の子になるってどういうことだ?」
「それはね、君と付き合うため、可愛い女の子になるってことだよ」
「いや、なんで……ちょっと!」
こいつの言っていることを理解しようと必死の俺を余所にこいつは「じゃ、また明日ね!」そう言って屋上から出て行ってしまった。
明日? また明日あいつに会わなければならないのか?
それも告白されるたむに……。そんなの嫌に決まっている。
それにあいつは女の子になると言った。それがどういう意味なのがいまいち分からない。
それどころか頭が混乱していたせいもあってあいつの名前が分からない。同じクラスだった気もするし、違うような気もする。そう、俺はあいつに関して何も分かってなどいないのだ。
……まあ、考えていても仕方ないから帰ろうか。
次の日、いつも通りに俺が学校に行くと教室がざわめいていた。
何かあったのだろうか? そして嫌な予感がする。
昨日のことを思いだしながら教室の中に入ると、ざわめきの中心には女子が立っていた。
黒の髪は肩に届くか届かないかくらいの長さで目のバッチリした女子で女子制服をきっちりと着こなしている。
そんな一見普通な女子がざわめきの中心になぜいるかというと、皆が知らない女子だからだ。
皆は分からないだろうけど俺は昨日のあいつだと察しがついていた。
まさか、女の子になる。と言った次の日に学校に女装してくるとは思わなかった。
そのざわめきの中心である女子……いや、女装男子は俺がいることに気づいて俺のところに来る。
俺に会えたのか嬉しいのか笑顔をしている。その顔がまた女の子にしか見えないほど可愛い。
でも近づいてきたおかげでようやくこいつが誰なのかを思い出した。確かにこいつは俺と同じクラスだ。
鈴木洋介。告白される前までは普通の男子高校生であり、友達でもあった。
今、目の前で見ても信じられない。今まで普通な奴がこうも変わるなんて……。
洋介は俺の目の前まで来た。笑顔をしている。
そんな可愛らしい笑顔を見ても俺の心は全くときめかない。
「僕、女の子になったよ。これで付き合ってくれるよね」
洋介はそう言った。
クラスの真ん中でしかも、皆がいる中で……。
クラスのざわめきが大きくなったのが背中から感じとることができる。嫌な汗が流れる。
「あの子、誰?」
「あの二人、知り合いなの?」
「女の子になった。ってどういう意味だ?」
クラスメイトたちの視線が痛い。
耐えきれなくなった俺は洋介の手を掴んで、教室を急いで出た。
「あら、積極的!」
俺の気持ちとは裏腹に洋介の呑気な声で言った。
その後ろからはクラスメイトたちのざわめかしい声が聞こえる中、俺は走った。
俺は洋介を連れて空き教室に走り込んだ。
今はもうクラスメイトたちのざわめかしい声も聞こえてこない。安心して教室の扉を閉める。
「こんなところに連れて来てどうするの?」
洋介は心なしかワクワクしているように見える。
……二人っきりだからって何もしないぞ。
「おまえ、鈴木洋介だよな?」
「うん。そうだよ」
戸惑うこともなく、自然に答えた。
「なんで、女装してるんだよ」
「君に告白するためだよ」
洋介は笑顔だ。でもその笑顔は優しい人の顔でバカにしている笑顔ではない。
ただこの状況が楽しくって仕方がない。そんな笑顔だ。
「僕、君のためにがんばってきたんだよ。女子用制服を買ったり、近所のお姉さんに手伝ってもらったり……どう?」
俺は洋介をじっくりと見る。顔は男のときの顔を思い出せなくなってくるほど女の子みたいだ。
洋介は痩せていて、筋肉もあまりない。だからこそ、女の子らしい体つきをしているように見える。細い腕と手に黒のニーソックスとスカートの間の太ももまで全てが女の子に見える。
「ほら、もっと見ていいんだよ!」
そう言って洋介は顔を近づけてくる。それはもうお互いの呼吸を感じることができるくらいだ。
俺は何をドキドキしているんだ。洋介は男だ。
男だと分かっているのに何故、俺は嫌な気持ちにならないのだろうか。男の顔がすぐ近くにあるんだぞ、気持ち悪いはずだ。
「…………」
俺は何も言えなくなっていた。
「ねえ、僕は男の子? それとも女の子?」
何、言っているんだ。おまえは男の子だろ!
「……女の子」
「嬉しいな」
俺も何を言っているんだ!
洋介はニッコリと笑うと顔を近づけてくる。さっきから息がかかるほど近いのにもっと近づくなんて、ダメだ! 止めなきゃ!
しかし俺の体は動かない。洋介も止まらない。
……唇に感触を感じた。初めての感触……だけどそれがなんなのかをすぐに理解した。
キスをしている。
俺のファーストキスがこんな形で男に取られてしまった。
でも俺は何故か嫌な気持ちにはならなかった。
「ここにいたのか!」
この教室の扉が勢いよく開く音がした。
でも今の俺にそっちを向く余裕などない。
今の俺はただ洋介の唇と日常が崩れていくのを感じていた。
クラスメイトたちに洋介とのキスを見られたとか、そんなこと今の俺にはどうでよくなっていた。
唇から感触がなくなった。一体どれだけの時間、キスをしていたのだろうか……。
俺は呆けながら離れていく洋介の顔を見ていた。
眩しいほどの笑顔だ。
「じゃ、また放課後、屋上に来てね!」
洋介はそう言うと教室を出て行った。
……放課後か、少し楽しみかもしれない。
「ねえ、あの可愛い女の子、誰よ?」
そう言いながらまだ呆けて床に座っている俺の目の前に現れたのは大きな目立つ明るい茶色のポニーテールが特徴な中本由良だ。
クラスメイトが現れたおかげで今の俺の状況が冷静に考えることができた。
俺は女装男子に告白された。
俺は女装男子を空き教室に連れ出した。
俺は女装男子とキスをした。
それらを全て見られてしまった。
そう考えると震えが止まらない。今まで平穏に暮らせていたというのに経った一日で一気に変わってしまうなんて……俺はこれからどうしたらいいんだ。
それに何より俺を追い詰めるのは目の前で目を輝かせて楽しそうにしている中本。
「ウチらのクラスにあの子はいないわよね。ていうかこの学校の子? ウチ見たことないんだけど。なのになんてあの子とあんたがキスをしてたのか教えてもらうわよ」
中本はとても楽しそうな目をしている。俺の人生が崩れるのを聞いてそんなに楽しいのか?
でもだからといって逃げる気力などすでに残っていない。
「あいつは同じクラスだよ」
「え? そうなの? でも、見たことないよ。……うーん」
中本は腕を組んで誰なのかを考えている。
じっくりと見た俺とは違い、遠くからちょっとしか見ていない中本にはあれが洋介の女装だとは分からないだろう。
それに洋介の顔がいつもとは違っていた。多分、化粧でもしているのだろう。
それでも中本は考える。クラスメイトたちと相談しながら考えるが誰一人として分からないみたいだ。
「もーう! 分かんない! 降参するから、早く答えを教えなさい!」
どんなに考えても答えにたどり着けずにムカついているみたいだ。
すごい迫力で俺に迫ってくる。答えが分からないことを悔しがっている顔をしている。
これでは言うまで放してはくれないだろうな……。
「分かった! 分かったから、教えるから離れてくれ」
「本当に?」
もしかして俺はあまり信用されていないのかもしれない。
中本は鋭い疑いの目つきで俺を睨んでくる。
まさか、俺がこの状況で逃げるとても思われているのだろうか? 後ろにはクラスメイトたちもいるから絶対に逃げ切れるはずがないのに……。
「本当に言うから、……あいつはあんな格好をしているけれども男なんだよ」
「ふ~ん、男、ね」
あれ? 意外とあっさりした反応だ。
「え? えー! あんな可愛い子が男! 信じらんない! しかもウチのクラスだなんて」
どうやらすぐに理解することができなかっただけみたいだ。俺の言った意味を理解したみたいでものすごく驚いている。
後ろにいるクラスメイトたちも驚いているみたいだ。俺以外、誰も洋介の女装だとは分からなかったのだろう。
「あんな可愛い子が男だったなんて、それで一体、誰なのよ」
どうやらこの話題は中本の興味を引くに充分なものだったみたいだ。
中本は目をキラキラと光らせる。
もう、こうなってしまったらめんどくさい。中本は一旦興味を持つととことん突っ走るタイプなのだ。
今までも他のクラスでカップルができたとか、人面犬が出たなどということに興味を持って他人のことなくお構いなく、興味のそそるままに調査をしてきたのである。
こうなったら後は飽きるまで耐えなければならない。
だから俺は正直に言うのだ。
「あいつは洋介だよ」
「洋介君? えーと……ああ! よくあんたと一緒にいる」
そうだ。俺と洋介はよく遊ぶ仲であった。他愛のない話しなどで盛り上がっていた。
そう、ただの友達だった。それなのに洋介はいつ、俺のことを好きになったのだろうか?
こんなことになるだなんて思いもしなかったし、そんな素振りもなかったはずだ。
「確かにあんたと洋介君は気づいたら一緒にいたわよね。洋介君って結構可愛い顔をしているから好きって女の子意外と多いのよ。でもまさかあんたとくっつくなんて全く予想していなかったわ」
「おい! その言い方は止めろ! まるで俺があいつとつきあっているみたいじゃないか!」
「え? 違うの? だって二人でキスしていたじゃん」
それは……確かにそうだ。
キスなんて恋人同士でもない限りしないはずだ。友達同士でキスなんかしない。
でもキスはあいつが無理やりやってきたことだ。だから俺とあいつがつきあっているということにはならないはずだ。
「確かにキスをした。でも俺はあいつの告白に対してまだ何にも言っていない」
「へえー、そうだったんですね。昨日、告白されたんですか。詳しく聞きたいところですねえ」
しまった! なんで俺はわざわざ中本が興味を持つようなことを言ってしまったんだ。
良いことを聞いたというようなキラキラとした目をしている。
もしかしたら俺はどんどんと深みにはまっていっているのかもしれない。
嫌な汗が流れ落ちてくる。
「おい、おまえたち!」
いきなり怒鳴り声が教室に響いた。
教室に入って来たのは先生だ。
「こんなところにいたのか、一時間目の授業は始まっているぞ! 早く教室に戻りなさい!」
そういえばまだ朝だった。時間を全く気にしていなかった。それどころか一時間目の始まりのチャイムでさえ気づけなかった。
「全く……教室に行ったら知らない女子、一人だけだったからな、何をしてたのかは後で聞くから、早く戻りなさい」
知らない女子……絶対、洋介だ。あいつまだ女装しているのか、まさか今日ずっと女装したままなのか?
「あーあ。仕方ない。今は聞けないけど絶対に言ってもらうからね」
そう言うと中本は立ち上がって教室を出て行く。後ろにいたクラスメイトたちはすでに教室に戻ったみたいだ。
昨日、今日でこんなに忙しくなるなんて……思いもしなかった。
それも全ては洋介がいきなり告白してきたからだ。今考えてもなんで普通の友達だった俺のことを洋介が好きになったのかが分からない。
キスまでしたのだから冗談な訳がない。
俺を好きになった理由なんて後で洋介から直接聞けばいい。どうせ放課後まだ会うのだから、俺は自分の教室に急いで向かった。
教室にはもう皆が静かに座っていた。
「遅い! 早く座りなさい」
「す、すみません」
先生に言われて俺は慌てて自分の席に座った。俺の席は窓側で前から二番目だ。
洋介の席は俺のちょうど後ろななめだ。そこにはさっきと同じ女装姿のままの洋介がいた。
洋介が俺に熱い視線を送っているのが背中から感じる。だから俺は怖くて洋介の方を見れない。
視線は洋介だけではなく、クラス中から俺と洋介の方に向いているのが分かる。
「……何故、おまえたちは授業が始まっていたのに他の教室にいたんだ? ……と聞こうと思ったが……鈴木洋介なのか?」
先生は変な物を見る目つきで洋介のことを見ているのだろう。
「はい。そうですよ」
洋介は先生の困惑なんで気にしていないかのように言った。
さっき俺と話していた時より声が低くなっていていつもの洋介の声だ。……と、いうことはさっきまで声を作っていたのか? そこまで、するのか……関心を通り越して寒気がする。
「なんで、そんな格好をしているんだ?」
「はい。それは人を好きになったからです!」
洋介は元気に迷うことなくそう言った。
何故、洋介はわざわざそんなことを言うんだ。俺が恥ずかしくなるだろ。
「え? そんなこと言われても分からないぞ」
やっぱり困ってしまっている。
「だから僕の好きになった人が男である。僕より、女の子の方がいいと言ったからです」
ちょっと待て! そんな言い方をすると俺が洋介に女装させているみたいに思われてしまう。
「だ、だがしかし洋介、おまえは男だから、やはり……」
先生がそう言うと、すぐさま後ろの方からガタッと音を立てて立ち上がる音が聞こえた。
「先生! 先生には洋介君の気持ちが分からないのですか? 恋をしているんですよ! しかも愛する人のために女装までするなんつ……健気な子だと思いませんか? 応援したくなりません? そんな子の恋路を邪魔する気なのですか! 先生は!」
この声は中本だ。きっと中本は俺と洋介を恋人同士にしたいのだろう。
洋介ならそれで喜ぶだろう。
だが俺は喜ばない。やっぱり俺はつきあうなら普通に女の子がいい。
今の洋介は女装もしているし、女の子みたいにも見える。中本やクラスメイトたちが男であると見抜けない程だ。
男だと知らなければつきあえるが、やっぱり洋介は男であるからつきあえるはずがない。
「たけどな、ここは学校だぞ。だからそんな服装ではなく、きちんとした服装で来るべきだろ」
「先生! それなら洋介君は女子の制服を来ているではないですか!」
「男子は男子の、女子は女子の服装をしてくるべきだろ」
「先生は洋介君の本気なのが分からないんですか? 本気じゃないとこんな格好しませんよ」
「……はぁ」
先生は深いため息をついた。
「鈴木はこれからずっとその格好で来るつもりなのか?」
先生は中本から洋介に話す相手を変えた。
「はい! 彼が望むならこの格好のまま学校に来ます!」
だからそんな言い方は止めてくれ! まるで俺が洋介に無理やり女装させているみたいに思われてしまう。
「そうか……。鈴木がそこまで言うなら仕方ない。その格好でもいいだろう」
まさかの先生からの許しが出てしまった。
洋介だけだったら許可は出なかったはずだ。これも異常なほど俺と洋介を恋人同士にさせようとする中本の熱意のせいだ。
でも先生の許可が出て洋介は喜んでいる。
何故か中本もついでに喜んでいる。
「それで鈴木の好きな人って誰だ?」
先生はさっきまでの真面目な雰囲気はどこへやらニヤニヤ顔で洋介に聞く。
「それは……」
洋介は恥ずかしいのかなかなか言わない。
俺にとってはそのまま言わないでいてくれた方がありがたい……。
「高山正守……です!」
俺の想いは届かずに洋介は思いっきり言った。
「ほう……そうか、そうか。おまえたちにもこういうことはあるんだな……」
先生は何か関心するようにそう言うと俺の方を見る。
俺は慌てて目を逸らす。今は誰とも目を合わせたくない気分だ。
これで確実にクラスメイトたちと先生に洋介との仲が疑われることになってしまった。
絶対に俺は洋介と恋人同士になんかならない!
「まあ、それは後でじっくり聞くことにして……さあ! 授業をするぞ!」
先生の切り替えは早く、すぐに授業をしようとする。
クラスメイトたちからブーイングが起きる。このまま一時間、この話題で潰れると思っていたのだろう。その期待が外れたから文句を言いたいのだろう。
特に大きな声でブーイングしているのは中本だ。
「うるさいぞ! 今は授業中だ。後で聞きだいことは聞けるだろ!」
そう、先生が言うと静かになった。……舌打ちは聞こえたけど……。
いつもの授業が始まった。しかし俺はいつも通りには授業を受けれない。
こんな大勢の前で洋介に好きだと言われ、今も後ろから洋介の熱い視線を感じる。それが怖くて振り返れない。
さっきまで洋介の女装に興味を持っていた先生やクラスメイトたちは今は授業に集中しているみたいだ。
今、こんなにも悩んでいるのは俺だけだろう。でもそれは当たり前だ。俺にとっては重要なことだが他の奴らにはただ面白いだけなのだから。
俺は洋介を前の普通の時の洋介に戻したい。でもそれは簡単なことではないだろう。
女装をしてまで学校に来ているのだから、考えたくはないがそれほど、洋介は俺のことを本気で好きなのだろう。
どうしたら元の洋介に戻ってくれるだろうか?
キーンコーン
授業の終わりを告げる鐘が聞こえてきた。
しまった! ずっと洋介のことを考えていたせいで授業の内容が全く頭に入ってきていない。
ああ、どうしよう……。
「ねえ……」
「え?」
俺は振り返った。そして固まった。
後ろに立っていたのは洋介だった。
ずっと洋介のことを考えていた。だからいきなり振り向いたら洋介がいるとは思っていなかったから驚いてしまった。
それに今の洋介の姿は可愛い女の子で俺好みといえばそうであるがあまり見たくない姿だ。
「さっきの授業中、ずっと頭抱えていたけど、大丈夫なの? ノート貸してあげるよ」
洋介の声は朝、俺に話したときと同じ声になっている。やっぱり声を作っているのだろうか……。
「あ、ありがとう……」
俺は洋介の目を見ないようにしながらノートを受け取る。
何故だ。何故、腕が震えるんだ! 緊張しているのか?
何故?
洋介は友達。
友達ならノートを写させてもらうくらい普通のことだろう。
なのに何故が緊張する。
洋介が後ろに居るから?
それとも洋介が俺に話しかけてきてから何もしゃべらなくなったクラスメイトたちの空気の重さを感じたから?
授業の時は洋介の視線は気にしないでいられたのに今はものすごく気になってしょうがない。ノートを写すなんて無理だ。
緊張のあまり、ペンを持つ手が震えてしまう。
「今日の放課後、忘れないでね」
そんな余裕のない俺に洋介は耳元で呟いた。驚いた俺はペンを床に落としてしまった。
俺が拾おうとするより前に洋介が拾ってくれた。
「ねえ、本当に忘れていないよね?」
ペンを俺の机に置きながら洋介はそう言った。
洋介の顔は不安げな顔をしていた。
それを見て胸が痛む、こう見ると普通の恋する女の子みたいに見えてくる。
俺はとてもドキドキしていた。洋介のそんな顔は今まで見たことがなかった。
あまり見ていたくない顔だ……。
俺は拾ってくれたペンを握って洋介の顔をよく見て言った。
「忘れてない。昨日と同じ場所だろ。必ず行くから」
そう言うと洋介の顔から不安げな雰囲気が消えて笑顔が現れた。
「うん、そうだよ! 絶対に来てね!」
一気に明るくなった洋介は俺に手を振りながら素早く教室から出て行った。
洋介は走ってどこに行ったのだろうか?
追いかけた方がいいのか? いや、別にケンカしたわけじゃないんだから追いかけなくていいはずだ。
しかし洋介のいなくなった後、黙り込んだ教室の空気が俺に重くのしかかる。
洋介がいなくなった後もノートを写せる状況ではない。
ペンを持つ手の震えが一向に治まらない。
こんなにも気まずいのなら早く、放課後になってくれた方が大分マシだ。
やっと今日の授業が終わった。
辛く、長い一日だった。
教室から出て行った洋介はあの後、何食わぬ顔で授業前には教室に戻ってきていた。
授業が始まり教科の先生が教室に来る度に先生は洋介の女装に驚いていた。
先生たちの間で洋介の女装は話題になっていないのか、今日の授業の教科の先生は全員が驚いていた。
そして何故、女装をしているのかを洋介に聞くのだ。
「恋をしているからでず!」
と、俺を指差しながら言うのだ。
それを聞いて驚く先生、冷やかす先生、納得する先生など先生によって反応が様々だった。
そんな先生やクラスメイトたちのプレッシャーのせいで俺の心はかなり傷ついてしまっている。だから放課後になった今もなかなか席を立つ気力が出てこない。
そんな俺を置いて洋介は放課後になると一目散にに立ち上がって出て走っていった。先生が「廊下を走るな!」という怒鳴り声が聞こえたが多分、洋介には届いていないだろう。
洋介は屋上に行ったのであろう。どうせ同じ場所に行くのだから俺も連れて行って欲しかった。
洋介がいなくなったから俺はクラスメイトたちの注目の的になってしまった。
誰一人として帰ろうとはしない。きっと俺と洋介がどこでどんなことを話すのかが気になるのだろう。
あまり見られたいとは思わないが注意する気力もない。
それに来るなと言ってもどうせ無駄なのだから……。
俺は重い腰を上げて立ち上がる。教室から出て屋上に向かう。
俺は洋介と違って急がないでゆっくらと行く。
後ろからクラスメイトたちがついて来ているのが見なくても分かる。一応、俺から隠れるようにしているみたいだが大勢だということもあり、バレバレだ。
多分、端から見れば変な集団を連れて行っているように見られているかもしれない。
けれど俺はそんなこと気にしないで屋上に続く階段を上る。
屋上が近づいてきた。
俺の余裕がなくなってきた。
洋介に会ってなんて言えばいいのだろうか?
できるだけ洋介が悲しまずに今まで通りにする方法……。
さっきから考えているのに答えが出ない。
でも俺は足を止めない。
考えはまとまらない。だが逃げ出すわけにはいかない。俺は洋介に屋上に行くと約束したから、洋介がどんなことを言ってくるのかもいまいち分からないまま俺は屋上のドアを開けた。
屋上に行くと昨日と同じ真っ青な空が広がっている。
屋上はとても静かでそよ風の音だけが耳に入ってくる。
洋介は俺の入ってきた向かいの壁に寄りかかって俺を見ていた。
その顔は喜びとほんの少しの不安が混じっている。
俺は洋介の方に向かって歩き出す。
洋介に近づく度に俺の心臓は速くなる。
俺は洋介の前で足を止めた。
何を言えばいいのだろうか? 色々と考えていたはずなのに今は頭の中が真っ白になっている。
嫌な沈黙が流れる。
「……来てくれたんだね」
息苦しい沈黙の流れを止めて洋介は言った。
「当たり前じゃないか。約束したんだからな」
「うん。そうだったね」
洋介は笑顔を俺に見せてくれる。でもその笑顔は緊張で引きつっついるように見えた。
悲しむ顔を見るのは辛いけどその無理してる笑顔も見てて辛い。
だから早く、俺は元の洋介に戻って欲しい。今までのように一緒に楽しくしていたい。
なのに俺はその方法が分からない。
「洋介……俺たちって友達だよな?」
俺は洋介に言った。
そう、友達……それ以上でも以下でもない。
「うん。友達……。でも僕……君への想いが抑えられないんだよ!」
洋介は真剣な目つきで俺に迫ってくる。
後ずさりしそうなのをなんとか踏ん張る。
「俺には分からない。友達だろ、男同士の、なのになんでおまえは俺を好きになるんだ。おかしいだろ」
「おかしい……確かにそうかもしれない。でも、でも! 本当に好きで抑えられないんだよ!気持ち悪いかもしれないけど、僕はいつも君のことを考えちゃうんだよ」
洋介は抑えられなくなったのか、声を荒げて顔がぐしゃぐしゃになる程、泣いている。
洋介は明るく楽しい奴だった。悩みなんて持っていなさそうな程、気軽な奴……だと思っていた。
しかし本当の洋介はずっと俺への想いを溜め続けていたのかもしれない。
告白するのだって勇気がかなりいるはずだ。
今まで楽しくやってきた日常を壊すことになるのだから、普通におしゃべりすることもできなくなることだってありえる。
……洋介、そんなに泣かないてくれ。俺も辛くなってしまうから……。
洋介を喜ばせるには告白を受ければいい。でもやっぱり俺には洋介の告白を受ける勇気がない。
「そうだよね。男に好かれても嬉しくないよね。ましてや女装までして愛されようだなんて間違ってる。気持ち悪いよね。……もう友達ですらいられないのかな……」
洋介はさっきよりは落ち着いている。
でも下を向いて俺と顔を会わせないし、声も小さく元気がない。
まだ泣いているのか……。
「俺はおまえと友達でいたいよ。でもそれは今までのおまえとなんだよ」
「そっか……やっぱり今の僕は受け入れなれないか……僕の本当の気持ち……」
俺が洋介を好きになるなんてことはありえない。
好きになれない人とつきあうなんて俺にはできない。
「…………」
でもはっきりとつきあえないとは言えない。まだ洋介が泣いてしまう気がしたから。
「だったら最後に僕のたった一つのお願いを聞いてくれる?」
洋介は俺の目をしっかり見て言う。
さっきまで泣いていたからだろう洋介の目は赤くなっている。
俺は何も言わずに頷いた。
洋介は一体何を言うのだろうか?
いきなりキスをしてくるような奴なのだから無理難題な可能性だってある。
「今度の休みに僕と水族館に行ってくれる? 恋人とかじゃなくて友達としてでいいから」
洋介のお願いは意外にも普通だった。
水族館に二人っきりだからまるでデートみたいだ。だが難しいことではない。
友達同士、どこかに行くなんて普通のことではないか。そんなに緊張することでもないはずだ。
「分かった。いいよ」
だから俺は快く洋介のお願いを聞いたのだ。
「え! 本当に!」
洋介の顔が笑顔でいっぱいになった。
洋介は俺の手を握って喜ぶ。
握られただけで俺は何故かドキドキしてしまった。
たった一回、水族館に行くだけ……きっと洋介は女装してくるだろう。
それでも俺は友達同士で来たと考えよう。
だから手を握られてドキドキするのもいきなり握られたせいなのだ!
「よかった!」
洋介は涙を拭う。ようやく洋介は緊張の糸が緩んだみたいだ。
顔に俺の知っている洋介の面影が見てわかる。
「それで今度っていつだ?」
「えっと、うーん……じゃあ、次の休日でいい?」
今日は金曜日だから次の休みは明日の土曜日だ。
「次の休日は明日だな……」
「……本当だ! すぐ次の日だ! やっぱりダメ?」
洋介は悲しそうな顔で俺を見つめて言う。
ああ……そんな顔をするのは止めてくれ……俺は洋介のその顔に弱いのだ。何でも言うことを聞いてあげたくなるのだ。
「明日でも俺はもちろん大丈夫だよ」
俺は洋介を元気づけるように明るく言った。元々、明日なんて特に用事なんてないから問題はない。
「よかった!」
洋介の顔はすぐに笑顔になる。俺はやっぱり笑顔の洋介の方がいい。心が穏やかになる気がする。
「じゃあ、明日僕の家に来てね。約束だよ」
そう言って洋介は小指を俺に向けて出す。指切りがしたいのだろう。
俺も洋介に小指を出して指切りに応じる。
「これで約束は守られるはずだよね……。じゃあ、また明日ね! 僕の家に来てね!」
そう言って洋介は屋上を出て行った。その足取りは不安事が消えたかのように軽かった。少し、スキップしているように見えた。
洋介もいなくなったから俺も帰るか……しかし気が重い。
明日また女装した洋介に会うかと思うと……それにこの話しをクラスメイトたちに一体、どこまで聞かれたのだろうか?
今はすぐにでも帰りたい気分だ。でも屋上を出たらクラスメイトたちがいて話しを聞かせろと囲まれるかもしれないと思うと、ただ家に帰ることも辛く思える。
自然と屋上に向かう足が重くなる。けど出入り口は一カ所しかないのだ。
他のところから密かに屋上をでることはできないのだ。
俺はため息をつきながらドアを開けた。
しかしドアを開けた先には誰もいなくて静かだった。洋介に見つからないようにするためどこかに隠れているのだろうか?
俺は周りを警戒して見るが人影はない。
ここには誰もいないけど、もしかしたらクラスメイトたちは戻って来るかもしれない。だから俺は走って学校から出た。
幸いにも俺はクラスメイトたちに見つからないで家に帰ることができた。
今日はいろいろなことがありすぎだ。
疲れた俺は家に帰ると何をするより先にベッドに倒れ込んだ。
考えないといけないことはたくさんある。でもそんなのは後回しだ。今は疲れをとりたいのだ。
少し眠るだけ……。