新たな幹部は少しだけ実力を示す
魔王城の案内を、魔王補佐であるアンにしてもらっている。女性幹部三人の部屋がある階は案内してもらったので、次はその下にある男性幹部二人(多分三人)の部屋がある階だ。
「ここにも三つ部屋がありますが、一つは今使われていませんね。クレトさんが会ったバルメイザさんが元々使っていた部屋は、今片づけと整理中です。クレトさんが望まないなら、新しい『憤怒』の方に当てがうことになりますが、どうしますか?」
「……別にこだわりはないから、必要ない」
「わかりました」
今いる客室も充分にいい部屋だ。城だけあって一室一室がかなりの広さになっているので、不自由はしていない。それに他のヤツと離れた場所に寝泊まりするのは面倒だ。ニアとミアが遊びに来てくれるので、遠くの部屋に移動したくはない。
というか、この口振りだと新しい『憤怒』候補も男みたいだな。
「残りのお二方は、『暴食』と『色欲』になりますね。『暴食』の“大罪の体現者”のアゼル・イジャンさんはこの時間帯ですと街に出ているでしょうし、『色欲』の“大罪の体現者”キラウレスさんは基本部屋にいますので、ついでに挨拶しておきましょうか」
『色欲』を体現するヤツとか性別関係なくあんまり会いたくないんだが。
「『暴食』の能力に関しては言ってしまってもいいでしょう。制限は兎も角、能力としては大した秘密ではありませんので。『暴食』を解放した時に増える能力についてです。増える能力は他のスキルとは異なり、発動から解放までに食べたモノの能力によります」
「……なるほどな。つまりモンスターを食べればそのモンスターのステータスやスキルなんかが得られるってわけか」
「理解が早いですね。そういうことです。なので彼は基本的に、どこかでモンスター料理を食べていることが多いですね。そういった特性上、ほぼ常に食事し続けられるような方が『暴食』に選ばれます。アゼルさんは歴代でも最高と言えるほどの適性をお持ちでしょう」
常に食べ続けられるような体質やスキルを持っていなければそもそも務まらないってわけか。ただ俺の場合能力は『模倣』できるからステータスが解放後にプラスされるという点だけがメリットになる。だとすれば発動しておくかどうかはデメリット次第ということになるな。
「ではキラウレスさんのところへ行きましょうか。こちらの部屋です」
階段のある方向以外の三方にそれぞれの部屋があるようだが、『色欲』の私室は一番奥だった。
アンの後について歩き、彼女がドアをノックする。
「キラウレスさん。アンドリュウズです。クレトさんを連れてきましたので、挨拶のために入ってもよろしいでしょうか?」
「いいとも。入りたまえ」
よく通る男性の声が扉越しに聞こえてきて、アンはドアを開けた。開いていくドアの隙間からピンク色の光が漏れ出し、完全に開け放たれたところで中の様子を目にする――。
「…………」
そして俺は、気力がマイナスを突破した。
「ようこそ、僕の部屋へ。そして我らが魔王軍へ。僕は君を歓迎するよ」
ピンク色の照明が部屋中を照らす部屋のど真ん中に、そいつはいた。引き締まった褐色の肉体はブーメランパンツ以外なにもなく、豪華ででかいソファーに座ってはいるが百八十以上はある身長を持っている。顔面偏差値はそれこそ勇者サマとタメを張れそうなくらいに良く、金の短髪と碧眼も様になっていた。そしてパンツが、言いにくいので古典的な表現をすると盛大に“もっこり”している。
そんな彼の周囲には豊満なプロポーションをした美女と小柄で幼そうな少年が大勢いた。本人含め全員角と翼、尻尾を持っているので漏れなく悪魔なのだろう。美女と少年達は同じく際どい紐ビキニを身に着けている。少年も上を身に着けていた。
「僕の名は、そこにいるアンドリュウズから聞いているとは思うけど、キラウレス。魔王様より『色欲』のスキルを賜った魔王軍幹部、“大罪の体現者”が一人。こんな恰好ですまないね。少しでも解放後の効果を高めるために、こうして僕の愛するハレムと共にいるってわけさ」
髪を撫でつけるキラウレスと、そんな彼にうっとりとした表情を向けるハレムの皆さん。……こいつヤバいな。
「僕の『色欲』は性欲を高め続けることによって解放後に上昇する能力が増幅していく。ここにいる皆は僕のために交代で常時性欲を増幅、促進してくれているんだよ。因みに、僕がもし性欲を解放してしまった場合、解放後の能力変化はなくなってしまう。だからこうして、僕は常に溢れんばかりの興奮を保ち続けているってわけさ」
こいつ、聞いてもいないのに語り始めたぞ。おそらく『色欲』の制限とは、性欲を発散できないというモノなのだろう。だから常時大乱交状態ではなく、性欲を高めるだけに留めているのか。
ってことは、性欲の全てを制御し切れる人物でなければ務まらない。その上、四六時中飽きることなく性欲を持ち続けられないとダメだ。淡泊だと話にならないのだろう。
で、多分美女と少年はこいつの興奮を高めるために選ばれた者達、つまりこいつの性癖に当たるわけだ。
……『色欲』と聞いてなんとなくわかってはいたが、こいつとはあんまり関わりたくないな。
「……そうか。じゃあ次行くか」
「え? あ、はい。キラウレスさん、ではまた」
「ああ。いつでも来るといい。僕は、来る者を拒まないからね」
「遠慮します」
キラウレスのウインクを遮るように、開ける時よりも早めに扉を閉じていた。気持ちはわかる。
「……。キラウレスさんはあんな風ですが、根はいい人ですよ。魔王様への忠誠心も高いですし」
少し気まずい間はあったが、アンはそう言ってキラウレスをフォローした。まぁ悪いヤツではなさそうだったが、あまり積極的に関わろうと思う人物ではなかった。俺にそんなヤツはいないんだが、間違いなく気は合わないだろう。
「……そういや、バルメイザの後任ってどんなヤツなんだ?」
俺はあえて話を逸らすことにした。魔王への忠誠心が高いなら、初対面では話が通じそうでも俺のために解放せず取っておいてくれとは言えない。どいつもこいつも難しそうだけどな。
「バルメイザさんの次の『憤怒』候補は、クレイドルさんという男性の悪魔です。彼はバルメイザさんと違って戦いを楽しむタイプではなく、戦いの中でも冷静に頭を回すタイプの方ですね。怒りを持ったまま戦いに臨んではいけない都合上、そういった適性がなければなりません。ただ、今は少し難しいようですね」
「……難しい?」
「はい。クレトさんには少し言いにくいことなのですが、あまり良く思っていないようでして」
ああ、なるほど。前任者であるバルメイザが犠牲になって来た俺に対して、思うところがあると。まぁクレイドルとかいうヤツは元々バルメイザになにかあった時は、という話をされていただろうから当たり前だな。
納得がいかず、怒りを覚えてしまうから『憤怒』の発動をしても能力を貯められないというわけか。……端から端まで俺のせいとはいえ、いつか面倒なことになりそうだな。
「……まぁ、しょうがないな」
「ええ。大局を見れば、誰かが犠牲になるとすればバルメイザさんが一番被害が少ないので受け入れる他ありません。事実、クレトさんを幹部に引き入れることで『虚飾』と『憂鬱』の二枠が埋まったのですから、単純な数字だけで言えば一人減って二人増えたわけですから」
アンは努めて淡々と述べた。……単純な算数だけで納得できれば、人に感情なんていらねぇんだよな。そしてなにより、七大罪をモチーフとしている以上感情を蔑ろにすることはできないのが、“大罪の体現者”達だ。
「……そう簡単にはいかないから、いつか向こうからなにか仕かけてくるだろ」
「そう……ですね。おそらく、近い内には」
アンは当人を知っているからか、どうなるかある程度予想しているようだった。俺は会ったこともないので、今は後手に回るしかなさそうだ。
「さて、これで幹部は全員紹介しましたね。魔王城の中も、ある程度案内していきましょうか」
「……ああ」
幹部の話題は一旦打ち切り、そこからは魔王城全体をアンに案内してもらった。
城と呼んでいるだけあってかなりの広さを誇っており、歩き回っているだけで何時間もかかる。俺達が借りている客室のある一帯も改めて案内してもらったが、近くにどんな施設があるかとかは使う分しか知らなかったので、こういう機会を設けてくれたことは有り難い。
そして魔王軍は、来たるべき時に向けて日々訓練を行っているそうだ。
魔王城の敷地内に魔王軍の訓練場があり、そこでは魔王軍に所属している者達が鍛錬を行っていた。
「……ん?」
太陽のような巨大な光源のない暗黒大陸では、常に暗い。なので暗黒大陸の住人にはある種の『夜目』が備わっている。とはいえ戦争をするに当たり大陸を離れることがあるため、目を慣らすためや人の活動時間に合わせるために昼間は明かりが盛大に灯って明るくなっている。
そんな照明でがんがんに明るく照らされた訓練場の一角で、大勢の者達が誰かの戦闘を囲んで眺めているのが見えた。
その中心に、見覚えのあるヤツがいたことも。
「おや。この騒ぎは一体なんですか?」
「こ、これはこれはアンドリュウズ様!」
アンドリュウズが首を傾げると、近くにいた悪魔がこちらに気づいて敬礼してきた。
「そう畏まらなくて結構です。それより、なにか行っているのですか?」
「は、はい。実はイルミナ様が黒魔人赤種との決闘を行っておりまして」
「黒魔人赤種……まさか」
話を聞いてアンが俺を見てくる。
「……多分な」
やはりちらっと見えた姿は見間違いじゃなかった。どうやら同じ魔人である白魔人に、ナヴィのヤツが接触されたようだ。
「そうですか。では折角ですので、私達も見学させていただきましょう。――道を開けてください」
アンが錫杖を地面に打ち立てて音を響かせると、観戦していた者達が彼女に気づいてさっと身を引いた。……流石に統率が取れてるな。ってかこれ俺もついていくんだよな? めっちゃ目立つじゃん。ただでさえ人間が魔王補佐様と一緒に歩いてるってことで結構奇異の目で見られてきたってのに。
とはいえ、ナヴィの様子も少し気にはなっていた。ここで退くという選択肢はない。
「おらぁ!!!」
開けた道の先で、ナヴィの声が聞こえてきた。『黒魔導』特有の赤黒い波動が放たれる。が、放たれた先に待ち構える相手によって細切れにされてしまった。……あいつが『強欲』の“大罪の体現者”。
「……少しは成長したかと思ったが、相変わらずのようだな」
女性にしては低く鋭い声が耳に届く。
身長、体格はほとんどナヴィと変わらない。身長百七十ぐらいでスタイルも抜群というほど飛び抜けてはいないが手足がすらりと長く均整の取れた身体つきをしている。
青白いストレートの長髪は腰辺りで綺麗に切り揃えられており、右端の前髪を赤い紐で結ってある以外に髪飾りはなかった。切れ長の瞳は透き通るような青で、刃のように鋭く細められている。
下に履いているのはズボンだが左脚は太腿の付け根までしかなく、しかしどこぞの聖職者とは違って脚が黒のストッキングに覆われている。ヒールのあるブーツを履いているので動きづらいかとも思ったが、そんなことは関係がなさそうだ。襟を立てたジャケットは軍服のようで、ディルトーネみたいなのとは違い、ちゃんと軍の幹部といった印象を受ける。
そんな彼女が手にしているのは刀だった。この世界にどうやって刀が現れるのかわからないが、俺としては心擽られる武器である。
どうやら刀身に青白いモノを纏わせて強化しているようだ。ナヴィの『黒魔導』から推測するに、あれは白魔人が持つ『白魔導』と言ったところか。
「嘗めんなよッ!!」
両手に『黒魔導』を纏わせて突っ込むナヴィだが、イルミナは至極冷静だった。ナヴィの振るう拳をあっさり回避し、殴った姿勢から纏わせた『黒魔導』を拡散して放つが、それらも紙一重でかわされてしまう。……明らかに戦闘技術がナヴィの数段上に位置してるな。制限がかかった状態では幹部でもトップクラスって話はホントだったか。
「温い」
ナヴィの工夫、奇襲を冷たく一蹴すると攻撃の合間を縫って素早く刀を滑らせた。
「っ……!!」
防御や回避を行う間もなく左肩から右腰までを斬られたナヴィの身体から、一瞬遅れて血が噴き出す。死には至らないがそれなりの深手だ。ナヴィは悔しそうに顔を歪めると、がくりと膝を突いた。
イルミナは膝を突いたナヴィの首筋に切っ先を突きつける。
「勝負は決したな」
「……みてぇだな」
冷たく見下ろすイルミナと、視線を合わせようとしないナヴィ。……あの戦闘狂なナヴィが一太刀で負けを認めるとはな。やっぱり色々あって思うところがないってことはないのだろう。
「しばらく見ない内に変わったかと思ったが、どうやら私の勘違いだったようだ。今も昔も、貴様は大して変わっていない」
「……」
突き放すようなイルミナの言葉に、ナヴィは応えなかった。そんなナヴィを見下ろすイルミナの目には、どこか寂しさや憐れみが混じっているような気がする。イルミナの口振りからすると、二人には面識があるのかもしれなかった。
「手合わせにしては過激ですね、イルミナさん」
二人の様子を見ていたアンが囲いから進み出る。錫杖を打ち鳴らして魔法かなにかを発動し、ナヴィの怪我を治療してくれた。
「アンか」
イルミナは刀を腰の鞘に納めてこちらを向く。そこで俺の存在にも気づいたようだ。
「ん? 貴様は確か、クレトとか言ったか」
「っ! し、師匠……」
イルミナが俺の名前を口にしたことで、ナヴィもようやく俺に気づく。顔を上げてこちらを見て、気まずそうに目を逸らしていた。……らしくねぇな。まぁ、俺も最近は他人のこと言えないか。
「ほう、貴様がこいつの師匠か。なら丁度いい。私と手合わせをしないか?」
イルミナが俺を見据えて尋ねてくる。正直言って受ける理由があんまりないんだよな。ナヴィが師匠だなんだと言っているのは俺が認めたわけじゃなく、ナヴィが勝手に言っていることだ。だから俺がなんと言われようと別に構わなかった。
「ここには魔王軍も大勢いる。新たな幹部となった貴様の実力を示すいい機会でもあると思うが」
だが彼女ははっきりと周囲にも聞こえるように、そう告げる。おかげで野次馬がざわざわと騒ぎ始めた。「新たな幹部って、あいつ人間じゃないのか?」とか「バルメイザ様を犠牲にして幹部になったのがあんな野郎だと?」とか「魔王様は一体なにをお考えなんだ……」とか、色々な声が上がっているのが聞こえてくる。
こういう目立つ場所に引き出されるのは嫌だったのだが、そんなことよりも気になったのはイルミナが若干苛立っていることだった。ナヴィと戦っている時もヒリヒリするような怒りを感じていたのだが、それとは別だ。俺に対してはあまり関心がないようなので、今苛立っているのは周囲の部下達に対してか?
俺の『観察』が正しいのかどうかは微妙だが、思惑に乗ってみるのも悪くはない。こいつがどんなヤツなのかは把握しておかないとな。
「……わかった」
考えた末に、俺はイルミナと手合わせしてみることにした。
「師匠……」
ナヴィが驚いたように俺を見上げてきていたが、アンに連れられて下がっていく。
「アン。すまないが、周囲に防壁を張ってくれるか? もちろん、念のためだ」
「はい、わかりました」
魔王軍の野次馬達に囲まれた中で、俺とイルミナが対峙する。アンが錫杖を鳴らして防壁を張り野次馬達を守っていた。ナヴィは防壁の外で俺とイルミナをじっと見つめている。
「剣を取れ。貴様がどこまでの実力を持っているのか、私が試してやる」
イルミナは腰の刀を抜き放ち、真っ直ぐに構えた。瞳が鋭く細められ、集中を高めているのがわかる。
制限をかけている幹部とかけていない素の幹部では、実力差が出るのは当然だ。ディルトーネは戦闘力面での制限が大きいから問題なく倒せたが、さてこいつはどうだろうな。
俺は腰に提げていた剣を抜き放つ。と、違和感に気づいた。剣の邪精霊であるミスティが宿っているこの剣から、以前にも増して力を感じたのだ。言うなれば剣自体が進化したかのようだ。
「どうした? こちらに集中してもらおう。でなければ、すぐに終わってしまうぞ!」
イルミナが言って突っ込んでくる。さっきも見ていたが、やはりナヴィよりも速い。身体能力が優れていると言うより速く動く術を知っている、と表現した方がいいだろうか。
瞬きをする間もなく接近してくると、刀を振るってきた。さっきとは違って俺が対処しなければ死んでしまう軌道だ。かわすだけの実力があると見越してのことだろう。現に、俺は後退して刀の間合いから離れた。
二撃目。振り下ろした刀を返して振り上げてくる。一撃目よりも速い。それもかわすと上段からの斬り下ろしがやってくる。更に速くなっていた。それからも攻撃を繰り返す毎に動きが、攻撃が速くなっていく。……なんだこいつ。俺への関心はほぼなかった状態から、どんどん変わっていってやがる。
まずは様子見、『観察』に徹してみたがイルミナの速度が止まることはなかった。どれだけの斬撃を回避し続けているのかわからないが、加速が留まることはない。ここまでやっても尚急激に速くなることがない以上、なんらかのスキルなのか? よくわからないな。こいつがどんな面持ちで俺の実力を測るような真似を――。
思考を続けていると、一つ小さな変化に気づいた。
イルミナの口端が僅かに上がっている。俺が斬撃をかわす。口端が少し上がる。斬撃をかわす。口端が上がる。
……ああ、やっぱりだ。こいつは俺の実力を測りながら、相手の実力が高ければ高いほど喜ぶタイプ。そんなヤツを、俺は既に知っている。厳格さ、冷徹さで覆ってはいるが、イルミナは紛れもない戦闘狂。ナヴィと同じだ。
更に斬撃をかわし続けていると、傍目からはっきりとわかるように口角が上がった。やがて白い歯が見え、鋭く細められていた瞳が徐々に見開かれていく。終いには瞳孔が開いていた。
そこまで来ると流石に本気になったのか、動きがより苛烈になってはいたが速くなっていくことはないようだ。その状態でもまだ攻撃を回避し続けられている。なんの強化もしていない状態ならやはり俺の方が上か。だが油断は一切できない。なんだか俺の動きが先読みされているようだ。多分イルミナの持つスキルなんだろうが、『観察』で俺が読むことはあっても読まれることはあまりないので居心地が悪い。その証拠に俺が攻撃を避けようと動き出す前に軌道を変えようとしてくる。俺の方がステータスが上だったからいいものの、互角だったら面倒な相手だな。
「『白魔導』」
イルミナの全身を青白いオーラが覆う。身体能力の強化を目的とした使い方だ。刀も覆われているので斬撃を飛ばすことによって下がっての回避を封じることもできるだろうか。
だが所詮は『黒魔導』の下位互換。上昇量もその程度だ。余裕はなくなったが問題なく見切れている。
ただこのまま攻撃され続けてもいつ終わるかわからないな。そろそろ俺も攻勢に出るか。
そう思って剣を振り上げようとしたら直前でイルミナがなにかを察知したかのように後退った。そのまま剣を振り上げたが完璧に回避されてしまった形だ。……やっぱり動きを読まれてるな。
「ようやく剣を振る気になったか」
最初の冷然として様子はどこへ行ったのか、とても楽しそうな笑顔で再度攻撃を仕かけてきた。振られた刀に合わせて剣を振り、攻撃を受ける。甲高い金属音を立てて互いの刃がぶつかり合い、火花が散った。例え刀を弾いて体勢を崩させようとしても動きを読まれてしまいできない。となると俺がこいつに勝つためには、動きを読まれても問題ないくらいのステータスになるしかない。
「……『雷霆』」
俺は全身に青白い雷を纏い、速度を上げる。
「ふ、ははっ……!! いいスキルだな!」
イルミナの表情に喜びが宿った。俺が高速で背後を取ると、攻撃を回避しながら振り返ってくる。……この先読み、実際に見ていなくても発動するのか。発動条件があるのかはわからないが、随分と便利なスキルだな。ということは『強欲』は使用スキルに制限がないのか?
俺は移動速度が格段に増したことで相手の死角を突きながら攻撃していき、徐々に回避する余裕を削っていく。ディルトーネは『雷霆』で圧倒できたのだが、流石に強い。俺の方が速度では圧倒的に勝っているというのに対処してくる。強者との競り合いを欲しているのかとも思ったが、相手がステータス的に格上だろうと一歩も退かないのは大したモノだな。
だが、一度でも防御すれば終わりだ。つまらないことだが、『雷霆』の雷によって感電して動けなくなる。
だが、当たらない。悉くを回避されてしまっている。
「どうした? まだ、もっとあるだろう!」
イルミナは高揚した様子で告げてきた。これは俺の実力を知りたいんじゃないな。なにか他に目的がある。ならそれを知るためにも、もう少しステータスを上げてみるか。
「……《羽を開け、心を喰らえ》」
強化としては一番簡単で、上がり幅が大きい。あいつとの戦いで使ったストックはまだあるはずだ。
剣を持つ左手から黒い筋が刻まれて俺の身体を這っていく。……なんだ? 前は左半身にしか入らなかったのに、今はほぼ全身に回っている。寒気がするほどの力が湧き上がってくる。
「私にはわかる! いい力だ。是非、欲しい……ッ!!」
ようやくイルミナの『強欲』が顔を出した。
そこで俺は、既視感に気づく。……あぁ。こいつ、俺と同じで相手の力を観るタイプだ。
『強欲』がどんな効果なのかは知らないが、自分が欲しいと思える力を持つかどうかを試すのが癖になっているのだろう。俺が『模倣』できるように『観察』するのが癖になっているのと同じように。
俺は攻勢に出たイルミナに対して剣を振り下ろそうとし、背筋が寒くなったので高めの横に切り替えて振るう。イルミナには当たらない軌道になってしまったくらいだが、なぜか誰かに当たる軌道で振るったらダメな気がした。
そして俺の直感は当たってしまう。
「……え?」
呆然と呟いたのは、アンだった。彼女が最初に気づくのは当たり前だ。俺の攻撃が当たったのはまず、彼女が野次馬を守るために張った防壁だったからだ。
その後に続いたのは地響きのような大きな音。おかげで俺はそっちに意識を逸らしてしまい、イルミナの攻撃を寸前で回避することになってしまった。
……いやだって、剣を振った延長線上にある山が斬れたんだぞ? 感情を喰わせる代わりに力を増幅させる都合上冷静でいられるはずなのに、一瞬思考が固まったくらいだからな。
「……おいミスティ、どういうことだよ」
剣に向かって呼びかけてみるが、返事はない。……そういや、白い悪魔と戦った時でも許容できないって言ってたな。それを無視してあいつと再会した後に使ったから、なにか異変が起きてるのかもしれない。
「いい!! いいぞ、貴様!! それでこそ我が魔王軍幹部!!!」
イルミナは野次馬がざわついていることさえ目に入っていないらしく、俺に攻撃し続けている。
「もっと見せてくれ! もっと力を示してくれ! 貴様の全てを!!」
極度の興奮状態にあるのか話を聞いてくれそうな気はしない。申し訳ないが、ここは大人しくなってもらうか。殺しはしないが、身体が斬られるくらいは覚悟してもらおう。
「そして私は、貴様の全てが欲しい!!!」
「……それは遠慮願いたいな」
イルミナの刀と、俺の剣が振り下ろされる。わざと剣に当てるように振ることで、怪我を最小限に抑えつつ倒そうという魂胆だが。
しゃん、と澄んだ音が鳴った。
「お二人共。そこまでです」
ぴたり、と俺とイルミナの動きが止まる。止めたのではなく、止められた。近くにはアンが佇んでいる。……こいつがやったのか。なにをされたかわからないな。空間ごと停止させられたのかなんなのか、厄介な力を持っていることには変わりない。なにせアンは魔王が最も信頼する補佐だ。苦労人気質だとは思うが、弱いはずがなかった。
「イルミナさん。悪い癖が出ていますよ。少しは自重してください。クレトさんも、これ以上は」
アンに窘められて、イルミナは表情を戻して刀を納めた。俺もそれを見てから剣を納めて『雷霆』を解除する。
「……すまない、アン。ついな」
「イルミナさんの悪癖はわかっているつもりですが、あれ以上は死人が出ます。クレトさんの力を引き出し続けると私が皆さんを守れなくなってしまいますからね」
「そうだな。苦労をかける」
「というより、もう防壁は破られていますからね」
「ん?」
仮にも魔王に次ぐ地位を持つ者。イルミナを説き伏せていた。
そしてイルミナに切断された山の先端部分を指す。
「なに……? まさか、あの時の斬撃が届いたというのか」
「そのようです。いくら私達が制限をかけているとはいえ、クレトさんの実力の一端は見えたでしょう?」
「ああ。魔王様が、今の状態では勝てないとおっしゃっていた理由がよくわかった」
イルミナはそう言って周囲のざわつきを大きくすると、俺の方に手を差し出してきた。握手を求めるような形だ。
「私は強い者が好きだ。やはり、戦うなら私より強い者でなければな。これからよろしく頼む、クレト」
彼女は微かに笑みを浮かべて言ってくる。断ればこの手合わせで得た僅かな評価すらも消えてしまうだろう。
「……そうか」
だから、俺はイルミナと握手を交わした。魔王や幹部の間だけではなく、魔王軍の者にも明確な協力関係を見せることとなり、ある意味で俺はこの地に縛られることになったわけだ。それくらいなら無視できるが。
「……?」
握手を交わしたらさっと手を放してくれるかと思ったが、なかなか放してくれない。
「先ほどの雷のスキル、どうやらクレト本来が持つスキルではないようだな。流石は『虚飾』を授かった男」
「……ああ。『強欲』は欲しいと思ったスキルを奪い取る効果でもあるのか?」
「いいや。『強欲』は発動中に欲しいと思った力を、解放時に得ることができるだけだ。代わりに日付が変わった時、私は生まれながらに所持しているスキル以外を全て失い、得たステータスも元に戻ってしまう」
それであの強さかよ。ここは時間感覚が狂うのでよくわからないが、午後は回っているだろう。一日で身につけた強さが含まれているとは到底思えない。
「……ただし俺みたいに本来持っていないスキルを使えるようになっている場合は、欲しいと思っても『強欲』では使えないと」
「そういうことだ。もし良ければあのスキルをどこで『模倣』したのか、是非教えてもらいたいが」
なるほど。実際に見て欲すればこいつは解放時に更なる強さを得ることができる。制限で一日に鍛えたステータスやスキルを失ってしまうということは、そうして失った分が蓄積されていって解放時の強化に繋がるのだと思う。
こいつに協力して信頼を獲得するためには俺が『模倣』してきたスキルを少し見せてやるのがいいだろうが、例えばさっき使った『雷霆』はゼウスの持っていたスキルだ。神のダンジョンなき今、どうやってゼウスと会わせれば――。
「……できる、かもしれない」
「本当か?」
「……ああ。だがまだ可能性の話だ。もしできそうなら、その時はまた伝える」
「頼んだ」
俺の手元には神のダンジョンコアがある。そのコアで創造した部屋の中から、ゼウスを改めて呼び出すことができるかもしれなかった。
これで話は終わったかと思ったが、まだイルミナは手を放してくれない。
「……なんでまだ手を放さないんだ?」
「いや、あれほどの腕を持っているにしては肉刺がないと思ったのだが、それも『模倣』だからか」
「……ああ」
「なるほど。だがクレトが強いことに変わりはない。確か複数人の女を連れていたな。なら、私が加わっても問題はないだろう」
「……は?」
「私は強い者が好きだ。夫の最有力候補だな」
うんうんとイルミナが頷いている。……いや、は?
「……あの。とりあえずクレトさんにはまだ案内する場所があるので、もういいですか?」
アンが頭を抱えながら言った。この様子を見るに、強いヤツなら誰もいいってことか。
「そうか。なら仕方がない。また今度、私は基本この訓練場にいるからいつでも声をかけてくれ」
イルミナはアンの建前を聞いてさっさと手を放すと手を振って立ち去っていった。……なんだあいつマジで。
「すみません、クレトさん。イルミナさんはいつもああなんです。強い男の人を見るとすぐ夫だのなんだのと言い出して……」
「……そうか」
戦闘狂尻軽女とかどこに需要あんだよ。美人ではあるがとんでもないな。
「……とりあえず別の場所に行きましょうか」
「……そうだな」
結局、俺との手合わせを始めてからは一切ナヴィのことを意識していなかったな。あいつにとって、自分基準で弱いヤツには興味ないのだろうか。いや、多分違うんだろうな。まだ憶測だけど。
「し、師匠、オレは……」
「……なんだ?」
「い、いや、なんでもねぇ。オレは、部屋戻ってる」
「……そうか」
あの戦闘狂なナヴィが思い悩んでいる様子を見せていた。とはいえ、俺にどうこうできるわけもない。詳しい事情も知らないしな。
その後もアンに魔王城の案内をしてもらって一日を終えた。
……しかし改めて見ると、話さなきゃいけないヤツが多いな。取り急ぎユニ、ナヴィ、ミスティか。とりあえず異常な力を発揮したミスティとは早めに話をしておくべきだろうな。戦闘に差し支えるのは困る。