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エセ勇者は捻くれている  作者: 星長晶人
古龍の森

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90/104

英雄は異世界に降臨する

三人称視点になります。

 クレト達が古龍の森で呑気に過ごしている頃。


 クレトの話していた聖女に化けているという悪魔のことが気になったディルトーネは、最初にクレト達が召喚された神殿へと向かっていた。


 噂を収集しながら移動していると、聖女様は新たな召喚を行なっているとのことだった。勇者、勇者の仲間を召喚した次は英雄を召喚するつもりらしい。

 聖女に化けたメフィストフェレスという悪魔がなにを企んでいるかわからない以上、魔王軍幹部であるディルトーネはそれを調査する必要があった。


 本来であれば必要があっても先送りにしてしまうディルトーネだったが、妙に嫌な予感がして調査へ向かっている。


「はぁ、面倒だね」


 ため息を吐いてから、神殿へ着いたディルトーネは煙管から煙を充満させた。

 何事かと騒ぐ声が聞こえるが、全てを無視する。元より人間にかける慈悲などなかった。


「潰れな」


 神殿内全ての生物を煙で掌握すると、神殿ごと全てを押し潰す。支柱全てが砕け散り、神殿が崩落していった。……しかし、肝心の聖女は仕留め損なっている。潰した時の感触からして、神殿内の大半はクレトの言う通り魔族だったのだろう。


「魔王軍幹部の悪魔が、こんなところに攻め込むなんて。予想外でした」


 崩落した神殿の瓦礫を障壁で押し退けて、五体満足の聖女が姿を現した。金髪にピンクの瞳。豪勢に彩られた服装。間違いない、事前情報と一致している。


「聖女サマのフリなんてしなくていいよ、あんたのことは調べがついてる。――メフィストフェレス?」


 ディルトーネはにやりと不敵に笑い、聖女に告げた。彼女は目を瞬かせて驚いた様子を見せる。


「……へぇ? どこから、そんな情報が漏れたのかしらね」


 面白いと言わないばかりに笑った聖女の姿が、悪魔のソレに変化した。同時に聖女としての姿だった時よりも力が格段に増したのがわかる。


(……クレトからはあたしと同じくらいの強さって聞いてたんだけどねぇ。これじゃあたしの本気(・・)と同じくらいじゃないかい)


 ディルトーネはメフィストフェレスの力を感じ取って、しかしクレトに対し感嘆する。今のディルトーネの状態では、全力を出しても本来の実力の半分しか出すことができない。だから彼女の本気は実際にはわからないようになっている、はずなのだが。

 メフィストフェレスがディルトーネと同等だと見抜いたということは、ディルトーネの本来の実力も見抜いていたということになる。気のない目をしているが、スキルになっているだけはあって飛び抜けた観察眼を持っているのだろう。


「魔王軍の情報網を嘗めてもらっちゃ困るね。それより、悪魔が勇者や英雄を召喚しようだなんて、どういうつもりだい?」


 一応魔王を復活させるためには、対となる勇者が必要というのが彼女達の出した結論だった。ただ、魔王軍でもない悪魔が魔王を復活させようとしている理由がわからない。復活する魔王はディルトーネ達が望む魔王であり、メフィストフェレスの望む魔王とは別の魔王のはず。

 だとしたら、それ以外になにか目的があると思われる。一番最悪なのは、ディルトーネ達の魔王をなんらかの目的で利用することだ。


「簡単よ。魔王は勇者がいなければ成り立たない。魔王を復活させるためには勇者の存在が必要不可欠なの。あなたが魔王軍幹部ならもちろん知ってるでしょ? 勇者を召喚してから、封印された魔王の力が急速に増していることに」

「……」


 ディルトーネはなにも言わなかった。だが、それが答えだった。確かにメフィストの言う通り、前回の戦いで封印されている魔王の力が急激に高まってきているのは報告に上がっている。それが丁度ここで勇者の召喚が行われた時期と被るのも調査の末わかっていた。

 ディルトーネは手に持った煙管を咥えて、また外し白煙を吹く。


「だったら、なんで英雄を召喚する必要があるんだい? あんたの目的が魔王様の復活なら、魔王様の障害を増やすような真似をするなんてね」

「あら。魔族は簡単に騙せても、魔王軍の幹部ともなると面倒ね」


 メフィストは妖しい笑みを浮かべたがはぐらかそうとはしなかった。


「でも答えは簡単。その方が面白いから」

「なに?」

「英雄は……ちょっと面白そうな子にするつもりなのよ。色々と引っ掻き回してくれそうなのよね」

「……なにが目的なんだい? あんたの目的は魔王様の復活じゃない。復活に勇者が必要なら、勇者とその仲間だけを召喚すればいい。英雄まで召喚するなんて、魔王様復活を目的と考えるなら矛盾してる」

「まぁ、それくらいは考えられるわよね。でも私がそれを言うと思う?」


 メフィストの全身から膨大な魔力が吹き荒れる。だが、ディルトーネは眉一つ動かさなかった。


「やる気満々だね。仕方がない、あんたはここで、潰しておいた方が良さそうだね」


 掲げた煙管から、大量の白煙が噴き出していく。その全て、いや既に放出している分も含めて白煙の全てがディルトーネの支配下にあった。


「あら怖い。ホントならここで魔王軍幹部とやり合う気はなかったんだけど、戦うって言うなら本気でいかなきゃ」


 メフィストは言葉とは裏腹に楽し気に笑っている。どちらも、互いに油断できない相手として見ていた。


 だからこそ、ディルトーネは初手から全力で殺しにかかる。神殿を崩落させた煙と、今放出した煙。この二つを全て操り佇むメフィストフェレスに向かって動かした。まずは相手がどんな存在か見極める必要がある。とはいえ油断すれば一気に持っていかれる。つまりは全力の様子見である。


破滅の波動ノヴァ・ファンクション

「なっ!?」


 右手を突き出したメフィストが使った技に、ディルトーネは驚愕する。メフィストの手からドス黒い波が放たれて白煙は全て消滅していった。防御、という概念の通用しない波動。ディルトーネは驚きつつも背中の翼で飛翔し、波を避ける。波が過ぎた箇所にあったモノが消失していくのが確認できた。


「……間違いない、あんたそれをどこで……!!」


 ディルトーネが尋ねる中、メフィストは応えず笑みを深めて上のディルトーネに手を向ける。その手から再びドス黒い波が放たれた。


「ったく!」


 メフィストが放つ波動を回避しながら、彼女は考えを巡らす。


(これは間違いなく、破滅の悪魔が持つ力! けどあいつは破滅の悪魔じゃない! ヘルヘイムで有名なヤツの姿はあたしもよく知ってる。なによりあいつは強かった。あたしらには及ばないまでも、破滅の力は全てを消滅させる。そんなヤツがそう簡単にやられるとは思えない)


 だが実際、破滅の悪魔が持っていたはずの力はメフィストフェレスが使っている。それに最近ヤツの話を聞かなくなった。姿を見たという話もないのだから、なんらかの理由でメフィストに力が渡ったと考えるべきだろう。


「……あんた、一体何者だい? 破滅の悪魔を殺して能力を奪うなんて真似、できるヤツなんていないと思うけどね」


 悪魔は一つの能力、特性を持って生まれ出でる。それを奪うということは、その悪魔の存在そのモノを奪うに等しい行為だ。


「残念、その予想は外れよ。私は破滅の悪魔を殺したわけじゃないもの」

「へぇ? ならあんたのその力は破滅の悪魔からのモノってことで間違いないみたいだね」


 全く異なる出所というわけではないようだ。殺したわけじゃない、ということは殺し以外のことをやったということでもある。


「まぁ、そうね。つまらない言葉遊びだわ。でも流石に魔王軍幹部だけはあってなかなか当たらないわね」


 メフィストは否定せず、面倒だとばかりに嘆息した。


「あんまり私の趣味じゃないんだけど、仕方ないわね」


 再び嘆息すると、メフィストは使っていない左手をディルトーネに向けて突き出す。また破滅の波が放たれるかと身構えたが違った。彼女の左手からは血のように真っ赤なオーラが放たれる。破滅の波よりも速く、しかもその力の正体に驚かされたこともあり、回避が間に合わず左腕に当たってしまった。


「ッ、ああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 当たった次の瞬間には、その効果が発動する。当たった箇所が真っ黒の炭のような状態になっていく。細胞の一つ一つが潰されていくような激痛を味わわされていた。腕はどんどんと黒ずんでいき、ディルトーネは激痛に苛まれる。まるで蝕まれていくような感覚だった。

 しかもメフィストは右手でドス黒い波を放ってきた。回避もままならない状態かと思われたが、ディルトーネは回避してみせる。


「あら? よく避けたわね」

「……同じような痛みを、味わってたおかげさね」


 メフィストが意外とばかりに口にした答えを、痛みで汗ばんだ顔のまま返す。

 もしクレトから受けた苦痛と恐怖がなければ、今ので死んでいただろう。雷で全身を焼かれるよりはマシだったのだ。


 だがそんなことよりも、気になることがあった。


「……その力、今度は侵蝕の悪魔かい。次から次へと厄介なモンだね」


 ディルトーネは黒ずんだ左腕をだらんと垂らしながら、メフィストに告げる。

 今受けた攻撃もまた、ディルトーネの知る他の悪魔の力だった。当然、メフィストとは別の悪魔だ。


「ええ。でもこっちは使い勝手が悪くて使いたくないのよ。今のは仕方なく、早めに終わらせたかったからなんだけど」


 でも終わらなかったわ、とメフィストは肩を竦めていた。至極面倒臭そうだ。


 ここで、ディルトーネは注意深く警戒しながらメフィストの力の正体について考える。メフィストフェレスという悪魔がどういう悪魔なのかはわからないが、彼女の知る悪魔と同じ定義なのだとしたら一つ生まれ持った能力があるはずだ。それがなにかを暴ければ、ここで勝てないにしても今後本格的に殺し合う時に有利になるかもしれない。


「? でもおかしいねぇ。侵蝕の悪魔は死んでない」

「どうしてそう思うの? 行方不明だったら、もしかしたらって可能性もあるでしょ?」

「そうだね。でもあんたが基本ここに籠もってるんだったら話は別だ。破滅の悪魔を見かけなくなったのは結構前の話だけど、侵蝕の悪魔の目撃情報はつい最近上がってきてる。時間軸的におかしいだろう?」

「そうね。流石に有名な悪魔ばかり狙ったら、バレるわよね」


 メフィストは妖しく笑った。正体を隠したいのなら否定するか誤魔化すのが自然な反応だと思うのだが。なぜだか、怪しまれても問題ないと思っていそうな雰囲気だ。


 だからこそ、ディルトーネの頭に思いつきが舞い降りた。


「……あんた、悪魔じゃないのかい?」

「っ……」


 ただの直感だったが、しかしメフィストの動きが一瞬止まる。……間違いない、当たりだ。


「なにを言っているかわからないわね。この姿を見ればわかるでしょう? 悪魔よ」

「悪魔にしてもあたしと同じ悪魔じゃないだろう? それに、今までと違ってちゃんと動揺してたよ、あんた」


 不敵に笑って、メフィストの動揺を指摘する。感情が揺さ振られて少しでも隙ができればと思ったのだが。


「……はぁ。正直言って嘗めてたわ。片腕も失った状態で、それでも余裕を崩さないってことは、相当な隠し玉があると見ていいわよね? 流石に魔王軍幹部を相手するには、まだ早かったみたい」

「そのようです」

「は?」


 メフィストの面倒そうな声に答えたのは、当然ディルトーネではない。だが声と共に現れた姿は、彼女も予想だにしていなかったモノだった。というより、メフィスト以外に生きている者がいないはずだったのだ。

 現れたのは、金髪にピンクの瞳をした聖女だった。


「ど、どういうことだい? あんたらは同一人物だったんじゃ……」

「『分離』したのよ、簡単なことでしょう?」


 メフィストはそう言うと、聖女と手を合わせて、聖女の姿で現れた方を吸収する。


「あんた一体……!」

「ここで問題です。私があなたの前にわざわざ出てきた時に聖女の私と分かれたんだけど、それはなぜでしょう? 『分離』できるなら多人数で戦えばいい。あなたが感知できないなら不意打ちを狙えばいい」


 動揺と混乱が止まらないディルトーネに対して、メフィストフェレスは滔々と語った。


「なにを言って……」

「ヒント。私は色々と力を使えるけど、その力を使うための姿じゃないと力が使えない。この悪魔の姿なら、悪魔の力しか」

「聖女にしかできないことを、やっていた……?」

「ええ、そう。ここまで言えばわかるかしら?」


 メフィストフェレスは、口元に三日月を浮かべる。

 聖女にしかできないこと、となれば召喚の儀しかない。そして今召喚の儀を進めていたならば、英雄の召喚しかなかった。


「……英雄を召喚して、あたしを倒させようって魂胆かい……!」

「当たり」


 わざわざディルトーネが答えを出すのを待ってから、彼女は頷く。


「――ねぇ、もういいの?」


 そして、第三者の声が聞こえる。少し幼い少女のような声だった。


「ええ、どうぞ。前座は充分でしょう」

「ん、しょっ」


 メフィストの声に応じて、崩落した瓦礫の一部が持ち上がる。大きさ五メートルほどの、壁と思われる瓦礫だったが、中から伸びた細腕が片手で瓦礫を持ち上げていった。恐ろしい身体能力の持ち主のようだ。そのまま瓦礫を押し退けて出てきた人物は、声から連想したような少女だった。

 橙がかった長髪を持つ小柄な少女だ。顔立ちは息を呑むほどに美しいがあどけなさも残しており、未熟すぎる肢体を持っていた。男物っぽい白いシャツを着込んでいるが、二の腕ぐらいに引っかかっているがすぐにでもずり落ちそうだ。下がデニムのショートパンツなので、角度にもシャツで隠れてしまいそうだった。


 その人物の顔は、どこかクレトに似ている気もした。


「あは♪ やっぱりだ。ここにお兄ちゃんがいる」


 だが少女はメフィストにもディルトーネにも興味を示さず、辺りをきょろきょろすると恍惚とした嬉しそうな笑みを浮かべる。


「そいつが英雄かい? そんな風には見えないけどね」

「ええ、まぁ……」


 敵対しているはずの二人が同じ感想を抱いていた。


「あれ? でも、ってことは――」


 しかし不意になにかを思いついて、するりと物凄い速さでメフィストフェレスの首を掴み上げた。


「がっ……!?」


 細腕とは思えない怪力で、メフィストの首が窪みみしみしと骨の軋む音がする。彼女も本気で振り払おうとしているようだが、一切意に介していなかった。


「私のお兄ちゃんをこっちに来させたのも、お前ってことだよね?」


 少女の瞳から光が消えている。メフィストは既に口から泡を吹いて足掻いていた。ディルトーネとしては彼女が死ぬのは構わないが、英雄らしからぬ少女の様子に混乱し、更には同等と思われるメフィストが殺されそうになっていることから下手に動けないでいた。

 だが流石に死の淵に瀕して余裕がないからか、メフィストは右手からドス黒い波を放って少女の腕を消失させる。


「あれ?」


 メフィストは地面に座り込んで荒い呼吸を繰り返し、少女は消えた腕を不思議そうに眺めていた。異常な光景だ。

 痛みを感じている様子すら見せなかった少女だが、少し悲しそうな表情を見せる。


「……こんなんじゃお兄ちゃんに嫌われちゃうよ」


 少女が呟いた途端、消えたはずの腕が元通りに再生した。


「わっ、治った? これがスキルってヤツの効果なんだ。ふぅん?」


 少女は不思議そうに再生した腕を眺めて手を開いたり閉じたりする。


「まぁでもいいや。私もこっちに来させてくれたんだし、今のでチャラにしてあげる」


 彼女はそう言って笑う。根本的にメフィストには興味がないのだろう。

 そして、少女はディルトーネに目を向ける。


「ねぇ、お姉さんはお兄ちゃんのこと知ってそうだね」

「……なんの話だい?」

「お兄ちゃんの話だよ。ここのどっかにはいると思うんだよね、多分」

「訳がわからないね」


 話をしているようで、話をする気がなさすぎる。


「そうなの? でもなんとなーくそんな気がするんだよねー。まぁいいか。私がお兄ちゃんのところに行くのを邪魔するなら――殺せばいいんだから」


 少女はなんでもないことのように、「殺す」と口にした。ディルトーネは迷うことなく逃走を選択する。メフィストの思惑通りに進んでいない以上、ここにこれ以上長居する気はなかった。

 だが、相手はそれよりも速い。

 逃げようとしたディルトーネに接近して拳を振り被っていた。そして圧倒的な身体能力を使って、殴りかかってくる。回避が間に合わなかったために直撃して、半身が粉々に砕け散った。


「っづあぁ!?」


 一撃で瀕死状態にまで持っていかれたディルトーネは、覚悟を決める。だがここで死ぬ覚悟ではない。本気を惜しまない覚悟だ。


「ふ、ふふふ……! こりゃ予想外だよ。ホント、こういう仕事は『怠惰』のあたしの仕事じゃないね」


 彼女は地面に転がりながら笑い、煙管を口に咥える。煙を吹くとその煙が彼女の動かない左腕や欠損した部位に集まっていくと、元通りに再生させた。


「あ、それ治るんだ」


 惚けた声で少女が言う。メフィストはいつの間にか少し離れて位置で佇んでいた。巻き込まれたくはないのだろう。


「全く、もう。あいつに関わってから碌なことにならないね。計画は思い通りにいかない。ちょっと気になって来てみれば死にかける」

「ねぇ。やっぱりお兄ちゃんのこと知ってるでしょ」

「さぁね。どっちにしろ殺すんだろう? ならなにも教えることはないよ」

「それもそっか」

「でも、ただでやられるわけにはいかないんだよね」


 ディルトーネは立ち上がると煙管を咥える。そして真面目な目つきをしてみせた。


「あたしのとっておき、見せてやるよ英雄さん。ここに来た餞別として受け取っておきな」

「別にいらないよ」


 少女は召喚の儀でこの世界に来たばかりのはずだが、自分が勝てると信じて疑っていない様子だ。


「――『怠惰』、顕現」


 ディルトーネは構わず、とっておきを使用する。特段なにかが変わったわけではないが、ディルトーネが持つ力が跳ね上がった。


「?」


 そこでようやく、少女はディルトーネを障害物として認識したのだろう。不用意に突っ込んでこなかった。


 ディルトーネが持つ、魔王軍幹部たる証『怠惰』のスキル。その効果の一つが、常に全力の三割に能力をセーブする、というモノである。悪魔も人と同じように心がある。精神状態によって行動が左右されるのも当たり前のことだ。『怠惰』を司るとはいえ、常時怠惰でいるのは大変だ。スキルによって『怠惰』を強制されている。彼女だけでなく、魔王軍幹部は制限を設けられていた。

 代わりに、その窮屈な制限を解除した時の効果も絶大だった。


「前にこれ使ったのっていつだったっけねぇ。まぁいいや。これなら、あんたとも戦えそうだ」


 『怠惰』の制限解除時の効果の一つは単純で、能力を制限した日数分能力が跳ね上がるというモノだ。『怠惰』の効果で能力を七割削られるので、二日制限されていた場合解除した瞬間に十四割分の能力が元の十割に加算され、合計二十四割の能力値となる。

 そしてディルトーネはここしばらく『怠惰』を使用するような機会には遭遇していない。


「ふぅん? どうでもいいや、邪魔するなら殺そ」


 だが少女は異常なまでの力を解放したディルトーネを前にしても、警戒していそうな雰囲気を持つだけだった。地面を陥没させるほどの脚力でディルトーネに突っ込むが、しかし空中で停止してしまう。


「あたしの『怠惰』は普段から力を制限しちまうんだけど、それは煙を操るって能力にもかかっててねぇ。今は空気を操る能力に戻ってる」

「じゃあ押さえてる力はお姉さんのモノってことだよね?」

「えっ?」


 余裕そうにしていたが、少女の言葉にきょとんとする。直後、ゆっくりと動き出した。


「……いや、化け物かい」


 ディルトーネは心から驚嘆していた。普段の数百倍にまで跳ね上がっているはずのステータスで操る空気での押さえを、身体能力で押し返している。


「私がお兄ちゃんのところに行く邪魔、しないでよ」


 目を見開いて少女が嗤った直後、空気での抑制が弾き飛ばされた。


「……あー、これは分が悪いね。退散するよ」


 全力を解放すれば少女とメフィストを相手にしても勝てると踏んでいたのだが、予想以上に少女は厄介な存在だった。メフィストが黙り込んで機を窺っているので油断はできない。勝ち目が薄いと見たら即撤退。それがディルトーネの信条である。カッコ良く力を解放しても根の性格は変わらなかった。更にはクレトにボコボコにされたことで自分の力を過信することがなくなってしまっている。

 ディルトーネの身体が空気に溶けるように、消えかけていく。そこに少女の拳が炸裂したが、多少血が飛び散った程度で完全に消えてしまった。


「う~ん……。逃げられちゃったかな」


 少女は返り血のついた拳を眺めて言う。


「できれば所持スキル内容を聞きたいところだけど、あなたは私の手に負える存在じゃないわね」


 ディルトーネの気配が完全に消えてから、メフィストは嘆息混じりに告げた。


「ねぇ。お兄ちゃんの居場所知ってる?」

「知らないわ。でも途中までの足取りは知ってる。この近くにある街から、迷宮都市に向かった。その後の足取りは不明よ。死んだフリしてるから、街の人も知らないでいるの」

「ふぅん」


 メフィストの返答に、興味のなさそうな返事をする少女。


「まぁでもいっか。久し振りにお兄ちゃんに会えるんだもん。楽しみだなー、お兄ちゃんに会うの」


 少女の興味の一切は、その「お兄ちゃん」なる人物にしか注がれていないらしかった。おかげでメフィストは執拗に殺しにかかられなくて助かっている。


 少女はにこにこと楽しそうな笑顔で歩き出した。


 ――こうして少女・灰原夕化(ゆうか)は異世界に召喚された。向かう先は当然、暮人のいるところである。

主人公のトラウマの権化、妹ちゃんの登場回でした。


今回発動した妹の所持スキルの一部を記載しておきます。

『お兄ちゃんに愛されるための肉体』:部位欠損や病気など、身体の状態が悪くなった時に「こんなんじゃお兄ちゃんに嫌われちゃう」と思うことによって瞬時に万全の状態に戻る。

『お兄ちゃんへの恋路阻むべからず』:お兄ちゃんの下へ行くのを邪魔する者に対峙した時ステータスが百倍になる。

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