悪魔は聖女の仮面を被る
「「「……」」」
腐った性根、荒んだ心、廃れた精神、濁った瞳を持つ灰原暮人が森の中へと去った後、奇妙な沈黙が神殿近くの草むらに漂っていた。
それもその筈、世界を救う運命を背負った勇者に対し、容赦ない罵声を浴びせたのだ。静まりもするだろう。
「……えっと、それでは馬車を用意しますので、そろそろ出発しましょう」
聖女は気まずい空気を払うためか、遠慮がちに声を掛けた。聖女の声を受けてメイド達が慌ただしく動き出す。馬車の準備の仕上げをするためだ。
「えっ?」
そこに神官の一人が聖女に何か耳打ちし、聖女は驚いたような声を上げる。
「最近整備された道があるのを忘れていました。森にはモンスターも出ますし、馬車を通すには道を整備する必要があって計画を進めていたのですが……ふぅ。申し訳ありません。……彼には『模倣』した『神風魔法』もありますし、猿帝を倒せるなら特に問題ないとは思いますが」
聖女は物憂げな表情で異世界から来た三人に頭を下げる。
……だが暮人と同じくぼっち故に人の表情を盗み見る事をしてきた結香と気に食わない事には敏感な熾乃には通じなかった。
それが嘘だと言う事を見抜いたのだ。
元から馬車を用意していた事を考えれば、どこからが嘘だろうが道があると言う事は覚えている筈。
だがそんな事を指摘しようとも、聖女が惚けるだろう事は分かっているので、指摘はしない。
「私は私用があるので暫くここに残りますが、旅には道案内を含め色々な事を担当するメイド長の彼女が同行いたします。私は私用が済み次第合流します」
聖女は立場上の問題もあるのか、終わった事は切り捨て切り換える。……話を進めていく中で一人だけ、俯いたまま動かない勇輝。
「それでは勇者様、馬車の方へ」
メイドの一人が聖女へ目配せすると、準備の完了を悟った聖女が勇者を招いて馬車の方へと向かう。
「勇者様。彼は勇者様が巻き込んでしまったのではなく、私達の不手際で巻き込んでしまったのです。勇者様が責任を感じる事はありませんよ」
聖女は勇者を馬車に乗せながら、ソッと優しく囁いた。
それを聞いた二人は内心で、流石に聖女を名乗るだけはある、と妙な事で感心していたが。
勇者から結香、熾乃の順番で馬車に乗り込み、メイド長が馬車の御者席に座る。
勇者本人が憂鬱な表情をしていると言う最悪の出だしだが、毛並みの良い馬二頭が引く馬車は、ゆっくりと森の間にある土が剥き出しの道を目指して進み出した。
「……」
聖女は笑顔で手を振り、馬車が道に入り直ぐに曲がって馬車の姿が見えなくなるまで手を振り続ける。
「……メフィスト様」
神官の一人が恭しく聖女の傍に跪いて声を掛ける。
「何よ」
聖女は今までの口調が嘘だったかのように適当な返事をする。どこか面倒そうな雰囲気である。
「考えましたね。自身が聖女となって勇者を召喚するとは」
「仕方ないわよ。十年前、魔王様を守れなかったのは私達の責任でもあるのよ。魔王様が復活した暁にちゃんと勇者の情報を持ち帰らないと私達が危ないのよ?」
聖女は豪勢で神聖そうな色合いの服を脱ぎ捨て、露出の多い漆黒の服に早着替えし、更に本性を現す。
蝙蝠のような漆黒の翼、頭には真っ直ぐに伸びた漆黒の角、先が刃のような形をした漆黒の尻尾が生え、髪が金髪から漆黒に瞳がピンクから紅に変わる。
「……はぁーっ。魔王様のためとは言え、聖女の格好をするのって結構苦しいのね。何かこう、神聖な感じがするから悪魔の私には厳しいわ」
メフィストと呼ばれた少女は疲れからの溜め息を盛大について言う。
「メフィスト様は上級悪魔ですから聖女の格好をしてもその程度の被害で済んだのですよ。しかも異世界からの召喚魔法を使えてしまうとは、聖女を洗脳するよりも容易く確実でありましたな。しかもこれで邪魔者は全て排除出来ました」
神官は穏やかに笑い、本性を現した。いや、その神官だけではない。神官とメイド達の全員が本性を現した。服装ごと、変化していく。
頭には角が生え、肌の色が肌色ではなくなっていく。個人によって赤青黒等の違いはあるが、肌色ではない肌に、頭には角が生え服装はメフィストと同じく漆黒。
彼らは魔族と呼ばれる、ヘルヘイムに住む種族である。
邪魔者とは勇者一行の事であり、暮人の事であり、そして、神殿を乗っ取った後にメイドとなったメイド長の事でもあった。
メイド長は裏の事情を知らないこの神殿唯一の人間であり、怪しまれまいと仕方なくメイドとして雇ったのだった。
「我らメフィストフェレス様直属の部下も、この時を待ち望んでおりました」
「ご苦労様。本当に神に魔法を授かるなんて、案外面倒よね。まああんな精神の弱い勇者じゃあ、魔王様だけでも余裕ね。でもまあ、聖女としての仕事はちゃんとやらないといけないわ。少し休んでまた変身して、次は英雄の召喚をするわ。リストを頂戴」
メフィストフェレスは面倒そうに言うと、神官だった男に向けて手を伸ばす。
「はい」
跪いたままの元神官は、懐から四つの分厚い手帳のようなモノを差し出す。
「……どっかで見た事があると思ったら、リストに載ってたのね」
メフィストはそれらを受け取り、ペラペラとめくる。目的のページを見つけたのか、フフッと面白いオモチャを見つけたように笑う。
メフィストが右手で持つ一冊のリストと呼んだモノの表紙には、魔王候補リストと書かれている。他の三冊は勇者候補リスト、英雄候補リスト、勇者の仲間候補リストと書かれている。
「二代目魔王候補リストは聖女を殺して神殿ごと乗っ取った時に私達が作ったモノだから覚えてるわ。他人の事なんてまるで気にしない、平和ボケした異世界の平和ボケした国で生まれたにしては、目の前で人が死のうが無視出来る人間としては終わった精神の持ち主。スキルを見た時には半信半疑だったけど、まさか神から授かった魔法まで『模倣』出来るなんて、想定外だったわ。本人の戦闘スキルは皆無だから論外だと思ってたけど、意外と良い候補だったわ」
メフィストは独り言を呟きつつ若干の苛立ちを見せる。この言葉が本当なら、メフィストは最初からスキルを知っていて、確認のために聞いたと言うことになる。第一スキルが強力であればそれなりに強くなれる世界で、スキルを知らずに召喚する必要はなかった。
もし役に立たないスキルを持っていたら意味がない。仮にも異世界に干渉するのだ。多大な魔力消費を伴うことは必然である。
「……チッ。どうにしかして勇者に同行させて、全部『模倣』させてからこっちに引き込むべきだったかもしれないわね。まあでも、下手したら逃げられる上に私達のスキルまで『模倣』されかねない。今はまだその時期じゃないわね」
「確かに優秀ではありますが、魔王としてどうか、と言うのにも疑問が残りますな」
メフィストがダラダラと暮人について呟き舌打ちすると、神官の一人が眉を寄せて言った。
「そうね。確かに、何かを率いるのには向いてないわ。でも灰原暮人と言う人物は場合によってはこの世に存在する全てのスキルを手にするかもしれない。要注意なのよ。まあでも、聖女として不信感を持たれないように英雄の召喚を……ん?」
メフィストは魔王候補リストを閉じて英雄候補リストを開き、パラパラとページを捲っていき、ふと何かに気付いたようにあるページを目に留める。
「どうかされましたか?」
「……ええ。面白いわ。これより英雄の召喚準備に入るわよ。その後は各自休憩、変身の魔力と英雄召喚の魔力を合わせても一ヶ月後には、再度変身して英雄の召喚を行うわ」
「「「はっ」」」
メフィストの命令に、恭しく一礼して魔族達は動き始める。
「……ふふっ。楽しみだわ。人間が壊れるのを想像すると、やっぱり悪魔って最高の種族よね」
メフィストはゾクゾクと背中を駆け上がってくる快感に顔を恍惚で歪めると、妖艶な笑みを浮かべた。