大貴族は三回死ぬ
ある日の夜。
「クソッ……!」
とある貴族の邸宅で、一人のふくよかな中年男性が悪態をついて高価な装飾が施されている椅子を蹴飛ばした。
「……」
宛てのない怒りを燻らせる男性は、苛立ちを募らせる。
……クソッ! 何でこんなことに……!
心の中で悪態をついても何も変わらない。
彼の苛立ちの原因は、いくつかあった。
子猫の捜索と言う簡単なクエストを出して冒険者を呼び出し、一億と言う桁違いの謝礼金を渡し付け上がらせたところで何かと理由を付けて衛兵を向かわせ一億の賠償金を支払わせる。冒険者とは昼間からでも酒を飲み交わす野蛮な者達の集まりだ。よって一億の謝礼金を受け取って周囲の者達に奢った冒険者は破滅する。
そんな遊びを何度か繰り返してきた彼にとって、冒険者は暇潰しに使う体の良い道具であった。
過去にガザラサイ、猿帝ロギウ、ファングファングの討伐を依頼した時も、報酬に一人金貨一枚を支払うと言ったら喜んで受けた。妻子ある者から独り身の者まで様々な冒険者が参加し、ギルド嬢やギルドマスターの反対を押し切って決行したその討伐は、群れを成すファングファングが一斉に襲いかかってきたために一体だけを討伐する事が出来ずにアンファルが目を覚まし、逃走する事となった。
確か、メナードとか言うB級に最も近いC級冒険者が参加し、弱い癖にファングファングの群れに一人立ち向かって他の冒険者を逃がしたそうだが、その時に残ったS級冒険者の女が必死に守って戦っていたという。だがファングファングの雄叫びを聞いて集まってきた数百のモンスターとファングファングの群れを同時に相手するのは厳しかったそうでC級冒険者の方は死んだそうだ。治療も間に合わず、肉を食い千切られて。
全く以って良い気味だが、そのメナードとやらが死んだおかげでアンファルは何故かそのS級冒険者を避けて逃げ出していた数人を殺したようだが、それで眠りに着いた。
後で調べてみると、アンファルは恐怖したらしい。夫が死んで怒り狂いモンスターを殺戮するそのS級冒険者に、だ。何とも不思議な事だがそれ程強いらしい。
そのS級冒険者に復讐されたら敵わないので夫と共に経営していたと言う宿屋にローンとして金を奪い、宿屋に人を近付けさせないようにと子飼いの組織に依頼させて、宿屋から移動出来ないようにさせておいたのだが、それが功を奏し今まで復讐される事もなく過ごせていた。
だが今は違う。今まで順調だった人生で、最悪の危機を迎えている。
冒険者に子猫を回収させ呼び出して一億の謝礼金を渡した。一億を直ぐに使った事も彼の持つ情報網から聞いている。何やら自分が
買おうと取り引きしていた闇商人からオルマリファナを買ったという情報もあったので、丁度良いとばかりオルマリファナを持っている冒険者が居ると衛兵に通報し、そいつから一億の賠償を支払う代わりに潰れてもらうと言う計画だった――のだが。
翌朝になって急遽この邸宅を捜索すると言う連絡が来た。何故だ? 何故こうなった?
その理由も分からぬまま話を聞くとその冒険者はオルマリファナを所持していなかった、そして自分の方こそオルマリファナを持っているのではないか、と言われギルドマスターがそれに便乗したと言う。
……ギルドマスターめ……! まだ五年前の事を根に持っているのか!
男性はギリッ、と爪を噛む。
ギルドマスターの反対を押し切ったのは確かに冒険者だが、金で冒険者達を釣り私利私欲のために使った事に怒りを感じているという。幸いな事にギルドマスターという立場上私用で冒険者を動かす訳にはいかず、今まで実害はなかったものの、今になってチャンスと見たのか行動したらしい。……因みにだが、彼はギルドマスターがかつての自分と同じように金で冒険者を釣ろうとした事は知らない。それを知っていたところでどうなった訳でもないのだが。
そして衛兵が慌てて家宅捜索を引き受け屋敷に入ってきた。
隅々まで探索する衛兵に肝を冷やしてはいた。何故なら絶対に見つからないとは言え、この家には一キロ数十万で売れるオルマリファナ一キロを横流しの商売として始めるため隠してあるのだ。タイミングの悪いことこの上ないが、自分が隠した場所――ではない適当な場所からオルマリファナが一キロ見つかった時には「何でそんな場所に!?」という声を上げてしまい衛兵に問い詰められた。その中でもう一キロオルマリファナが見つかった時には呆然としたが、今になって考えてみれば誰かが自分を罠に嵌めようとここに侵入し、元からあったオルマリファナと持ってきたオルマリファナを適当な場所に隠して去ったのだろう。
警備のあるこの屋敷に侵入出来るヤツなど居ないだろうが、見当は付いている。
昨日一億の謝礼金を渡した、クレトと言う冒険者だ。
素性は一切知る事が出来なかったものの、ランクもそこそこの駆け出し冒険者だと言う。最もその存在を知っている者はギルド嬢だけで、朝の一件がなければ存在すら知られない程だったという。そんな冒険者にその屋敷の警備誰一人にも気付かれず忍び込む度胸と実力があるかと言われれば否、と答えるが、あいつしか居ないのだ。
最近上手くいかない事ばかりだった。所持禁止棄権薬物の横流しと言うハイリスクハイリターンの商売に手を出したのもそれが原因だ。
メナードという冒険者の妻が経営している宿屋から金を徴収するために雇った組織が、外套の剣士という最近噂になっている謎の冒険者に潰された。一人残らず全員、剣で切り裂かれ焼かれて死んでいたというのだから、逸れ者共とは言え元冒険者多数が相手だったのだそれをモノともせずに全滅させるような化け物だという話だ。
その結果収入が少し減り、仕方なくオルマリファナの横流しに手を出し始めたところ、こうなった。
「……」
自分がオルマリファナに手を出していると知った子飼いの商人や組織は他の貴族のところに移り、使用人や警護に雇った者も次々と辞職していった。
今この家は、彼とその妻、二人の間に生まれた子供の三人と残った二人の使用人しか暮らしていない、見た目の豪勢さとは違って空っぽに近いのである。
「……ん?」
そこまで思考を経て、ふと気付いた。自分はどこに向かっているのかと。
彼の足は彼の意思とは無関係に、色々と始末や成り上がり冒険者を確実に潰すと決め仕事に励んでいた三階の執務室から、一階の厨房へと向かっていた。
……何だ?
何故か身体が勝手に動く。止めようと足に力を込め踏ん張ろうとしても容赦なく動く。
そのまま彼の身体は厨房から出刃包丁を左手で持つと、厨房を出て再び階段を上がり、三階へと向かう。
……何だ? 何が起こっている!? 何故私の身体は言う事を聞かない!?
三階から四階へ上がっていく。四階には三人の寝室があり、妻子が寝ている筈だ。
……ど、どこへ、向かっているんだ!?
既に見当は付いていた。だが包丁を持って自分がどこに向かっているのか、認めたくなかった。
……や、止めろ!
着いた先は三人の寝室。扉は閉められているが、彼の右手はドアノブを捻って扉を開け、中へと入っていく。
……や、止めてくれ!
彼の頭にはこれから起こるであろう惨劇の画像が映し出され、恐怖が湧き上がってくる。
妻子の二人は自分がオルマリファナに手を出し破綻しても逃げなかったのだ。ここ数日心の支えになってきている。
その二人を、自分の手で殺すなど……!
そんな彼の願いも虚しく、彼の身体は三人で寝るには広すぎるベッドで抱き合って眠る妻子の下へ歩く。
そして、自分の跡継ぎとして教育を施していて今もすやすやと眠っている愛すべき息子の喉元に、包丁を自分が思っているよりも早い速度で突き立てた。
……あ、ああ、ああああああぁぁぁぁぁ!
息子が眠っている間に、自分の手で殺した。息子の血によって染められたベッドと妻、そして自分の左手を見た時発狂しかけていた。
「……ぅん? ひっ、きゃああああぁぁぁぁぁぁ!」
生温い血を浴びて妻が目を覚まし、息子を殺した夫と言う惨劇の様を見て甲高い悲鳴を上げる。
「あ、あなた……! 何を……!」
恐怖に染まった顔で自分を見上げる妻に、やっと彼は我に返る。
「ち、違う! 違うのだ! 身体が勝手に動いて……!」
口は動く。だが身体は言う事を聞かない。怯えて背中を向け、ベッドの上を這って逃げようとする妻に、後ろから息子の喉元から引き抜いた包丁を、心臓に突き立てた。
「…………あ、あああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
遂に、彼は絶叫を上げた。これは何の罰だろう。これは何の報いだろう。
「何事ですか! だ、旦那様!?」
妻の悲鳴、彼の絶叫を聞いて駆け付けた使用人三名が、部屋で起こっていた惨劇を見て息を呑む。だがそんな事をしている内に、彼の身体は途轍もない速さを以って三人の喉元を包丁で掻き切った。
「もう、止めてくれぇ……」
残った理性で咽び泣き、言う。
「……ふっ、はははははっ!」
その時だった。彼の背後から高笑いが聞こえた。
「だ、誰だ!?」
その笑い声を聞いて彼は一瞬だが惨劇から目を逸らす事が出来た。
「……誰って、この姿を見れば分かるだろ?」
振り返った先に居た漆黒の外套を羽織り目深にフードを被って口元に笑みを浮かべる男が楽しそうに聞いた。
「が、外套の剣士……っ!」
驚いてその名を呟く。
「……ああ、そうだ。それに、この顔にも見覚えがあるだろ?」
外套の剣士は頷いてフードに手をかけると、フードを取り去った。
「なっ……!」
その顔に、見覚えがあった。
「き、貴様は……!」
黒髪に黒い瞳をしているが、どこか濁ったような色の少年。つい最近一億の謝礼金を渡した、その冒険者である。
「……久し振りだな、クソ貴族。一億も貰えたおかげで欲しいモノは買えたし、俺がオルマリファナを買った事をどこで手に入れたかは知らないが翌朝には衛兵来たし。まあ念のため警備を擦り抜けて屋敷にオルマリファナを隠し、ついでに元あったヤツも見つけやすい場所に隠しておいたんだが、それが功を奏し、お前は今全てを失った。俺の目論見通りにな」
少年はニヤリとした笑みを消し、無表情に告げる。
「な、何故だ! 何故こんな事をする!」
しかし彼には理由が分からなかった。何となく、と言われてもおかしくない程に恨みを買った覚えがない。自分を貶める意味が分からなかったのだ。勿論五年前の件で父親を亡くしたと言うなら別だ。だがこの少年は少し前に、勇者と同時期にこの街に来た新参者。当時の関係者ではない。
「……何故って。てめえ、子猫に暴力振るったろ?」
すると、その少年から背筋が凍る程の殺気が放たれた。
「……は? そんなことで――ぐぅ!」
だが彼はキョトンとしてしまった。そんな事で自分を貶めようとしているのか。そう言う途中で彼の左腕が半ばから切り落とされた。彼には見えなかった。右腰にあった剣をいつ抜きいつ振るったのかさえ。
「……俺、人間って嫌いなんだよ。だから人間のてめえが社会的に死に、家族を自分の手で殺して精神的に死に、そして今から肉体的に死のうがどうでも良い。だがてめえが子猫に暴力を振るったと言うその一点のみにおいて、てめえは殺す」
だが少年は憤っていた、怒り狂っていた。たかがいつの間にか居なくなっていた子猫二匹に暴力を振るった事で、ここまで恨みを買ってしまったのだ。
「……貴様、その程度の事で私を殺す気なのか!? てっきり五年前、メナードとか言う冒険者が死ぬ原因を作った私を――ぐああぁぁ!!」
彼は混乱し死に物狂いで喋る。だが黙れとばかりに右腕まで半ばから切り落とされてしまった。
「……そうか。メランティナがああなったのもてめえの仕業だったのか。それは知らなかったな。これでまた一つ、てめえが死ぬ理由が出来た」
少年は無表情に呟くと、彼の襟を掴んで四階にある寝室の隣、彼が寛ぐためにある私室へと入る。
「ひっ……!」
そこには蓋の内側に無数の鋭く尖ったトゲのある棺桶――鋼鉄の処女と言う名で知られている拷問器具があった。
「……さて。じゃあ死ねよ」
命乞いをする暇も、制止する暇もなくそこへ仰向けに放り込まれ、全くの無表情をした少年があっさりと、しかしゆっくりと彼の棺桶の蓋を閉める。
「……ひっ、ぎゃああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
彼が最期に感じたのは、ただただ痛みだけだった。自分の全身をゆっくりと刺し貫いていく激痛。ただそれだけ。他には何も考えられなかった。
「……」
少年――クレトは蓋の合間から流れる血を無表情に眺め、
「……帰るか」
何の未練もなくその場を後にした。
後に語られるブリュード(この家に住む一家の名字)家一家殺害事件は、こうした幕を閉じたのだった。




