聖泉の精霊は窮地に至る
「……お前、ウザいんだよ」
「……もういい加減邪魔なんだよ」
その夜、クリアはクレトにいつもの無表情でそう言われ、自分の中で何かが崩れるのを感じた。
怒った弾みで出た言葉ではなく、いつもそう思っているかのうようなクレトに、クリアは絶望を感じたのだ。
しかもクリアが耐え切れず泣き出したのに対し、慰めるような事もなく直ぐに寝てしまった。
そこでやっとクリアは思い知ったのだ。このクレトと言う少年は、冗談なんて言わずにクリアに邪魔だと言っていた。ただ事実を述べていただけなのに、自分が勘違いしていただけなのだと。
「……クレト」
クリアの胸はズキズキと痛むが、クレトは寝息を立てて熟睡している。
……私は、本当に、クレトにとっては要らない……っ。
クリアはそう思うと切なくなった。
「……」
クリアは明日になったら出て行こう、クレトが探し出してくれなければもうここには戻らないでおこうと決め、最後の夜になるかもしれないとクレトに抱き着いて眠りに着いた。
翌朝眠りが浅かったのか早朝に起きてしまったクリアは、熟睡しているクレトの寝顔を見て、ギュッと胸の前で拳を握りながら、昨夜の事を思い出し走って部屋を出て、カウンターに居たメランティナには目もくれず、宿を飛び出した。
飛び出して少し走ってから、どこに居ようかと速度を緩めて歩き始めた時だった。
「おっ?」
「へへっ」
男二人が前から歩いてくるのが見えて、しかもクリアの顔を見て笑ったのだ。クリアは嫌そうな顔を隠そうとしない。男二人の視線がクリアの顔、胸、下半身を行き来しているのが分かったからだ。
……何者かは知らないけど、私の邪魔は、させない……っ。
クリアはそう思って二人の男を殺すべく、両腕を『液体化』して指先を槍のように尖らせ『硬化』する。
「チッ、マジで身体が水で出来てやがる! てめえら、少し早いが作戦開始だ! 魔力封じの枷が届くまでこいつは捕らえるぞ!」
「あなた達如きに、私が捕らえられる訳ないわよ」
クリアはまるで既に自分を捕らえられると思っているような口振りに苛立ちを覚え、まず一人の頭を刺し貫き仕留める。
「チッ! やれ!」
一人仕留めてクリアは二人目を狙おうとするが、周辺の魔力を探る事で周囲の生物及び魔力を宿す道具等の位置を特定する『魔力感知』のスキルを発動して周辺に潜んでいるヤツらの存在は分かっていた。
だが、現れた五人の男達が取った行動は、大きくクリアの予想を外れていた。
何か巾着のような袋を持っており、中に入っていた白い粉をクリアに向けてかけたのだった。
……な、何? 何の薬……?
だが『液体化』した身体に染み込んでいく白い粉が薬と分かった時点で、既にクリアは負けていた。
クリアは自分の意識が揺さ振られ、瞼が重くなっていくのを感じた。
……睡眠薬……?
クリアは掠れていく意識の中で思った。
……クレ……ト……。
ここに居ない人物の背中を思い描き、手を伸ばそうとするが、その背中を掴むどころか手さえ動いてはくれなかった。
クリアが身体に睡眠薬をかけられ囚われの身となる何日か前のこと。
「……俺はただ、独りの客として前払いをしただけだ」
急に現れたたった独りの客にやっとの事で、五年も(個人的な片想いを含めるとそれ以上だが)待ってやっと来たチャンスを潰されたのだ。
……絶対報復してやる……!
男は怨恨を強く持ったが、こっちは元冒険者だが、相手は現役の冒険者だ。しかも初日から金貨五枚以上を稼ぐ程の有望だ(しかしあまり目立っていない)。一度合い見えた自分だからこそ分かる。「あいつは異常だ。人を人と思わないような目をしている」と直感した。
本人を狙うのは元冒険者が多い所属組織でも損害は免れないと、近しい者を狙う方針に変えた。とりあえず本人を狙うにしろ他人を狙うにしろ魔力封じの枷がないと抵抗される。至急宿屋メナードから金貨二十枚を徴収し、一まずの資金調達を行い、丁度現れた女を狙った。
そして作戦を実行する日になった今日、宿屋メナードの前で張っていようかと思い移動している最中、そいつを見つけた。しかも都合良く一人だった。
これは神が与えたチャンスだと思い、魔力封じの枷が届くまでの時間稼ぎに持って来ていた睡眠薬で眠らせる事に成功したのだ。
これで報復が出来ると思うと自分の中で嗜虐性が高まっていくのを感じた。
「チッ。一人殺られちまったな。だがまあ、こいつの分も俺達で楽しんでやろうぜ」
「おう。しかし、夜まで寝させるには多すぎやしねえか?」
最初に現れた男二人の内一人が死んだ相棒を残念そうに見つめて、しかし次の瞬間には地面に倒れ寝息を立てているクリアを見て下卑た笑みを浮かべる。それに新たに登場した男の一人が応じて尋ねる。
「俺が入手した情報によると、こいつは新人だが凄腕って話だ。念には念を、ってヤツだな」
「そうかよ。とりあえず、計画は成功したんだな。こいつは袋詰めにして運ぶぞ」
男二人の会話を聞いていた残り四人が大きな袋を持って来て、クリアをその袋に詰めて一人が背負う。
「へへっ。恨むならあの野郎を恨みな」
男はニヤリと笑うと、六人でゾロゾロと小道へと入って行った。
▼△▼△▼△▼△
「……ぅん」
「へへっ。目ぇ覚めたみたいだな」
「っ……」
クリアは目を覚ますと、自分が暗い部屋の中に居る事が分かり、しかも直ぐ傍から知らない男の声がして素早く周囲を見渡して状況を確認する。
……私、そうだ。薬で眠らされて……。
暗い部屋で十人の男達が自分を囲むように立っていて、下卑た笑みを浮かべて見下ろしている。
「……」
クリアは気丈にもキッと男達を睨み上げるが、それが更に男達の嗜虐性を刺激する。気丈な女程、モノにした時の達成感に似た感情の昂ぶりが激しいのだ。
「へへっ。お前結構美人じゃねえかよ。きっとあの野郎は毎日抱いてんだろうな。チッ、羨ましい限りだぜ」
クリアが最初に遭遇した男が、苛立たしげに舌打ちしながらもニヤリとした笑みを浮かべる。
……あの野郎? クレトの事……?
「そう言うなよ。これから俺達も楽しませてもらうんだぜ? ほらよ、魔力封じの枷だ」
ジャラ、と他の男が持ち出したのは無骨な金属製の枷だ。
……っ! クレト、クレト助けて……っ!
クレトを狙って自分を狙ったのだと分かったクリアが憤りを感じたが、魔力封じの枷と言うモノを見せられて恐怖を感じ、クレトの部屋に残しておいた自分の身体から切り離した水を口に変え、クレトが居る事を祈って助けて欲しいと言う事を叫ぶ。
精霊と言えどクリアも女なので、男達が自分に何をしようとしている事ぐらい分かる。精霊として過ごしてきた今までの人生で一度も男と言うモノに興味が湧かなかったので(それ以上に厳しい生活を送ったと言う事もあるが)、勿論初めてである。そう言うことに耐性がないので、心に恐怖が芽生え、身体が動かなくなっていく。
ガチャリ、と。
恐怖に支配され微かに震え始め言う事を聞かない身体に枷が嵌められる。
左手首に嵌められたそれが、クリアを無力な少女へと変える。
心が恐怖と絶望で埋め尽くされたクリアを見下ろして、男達は嫌な笑い声を響かせ、クリアに手を伸ばしていく。ゆっくりとクリアを怯えさせるためか、ジワジワと時間をかけて手を伸ばしていく。
恐怖のあまり、悲鳴を上げようとしても喉が詰まったようになって声が出ない。
……いやっ、いやぁ!
クリアは声が出ない代わりに、僅かに身を捩じらせるが、その程度の男達の欲望が止まる訳がない。
「……へへっ」
「……っ!」
男達がクリアの身体に触れる――直前。
バリバリバリッ!!
雷が天井を破り、クリアの近くに落ちた。
いや、雷ではない。外套を着て、左手に鋼の剣を携え雷を全身から迸らせる人物。
「……外套の、剣士……!?」
その井出立ちは、男達も知っていた。元冒険者だけあって崩れ落ちてきた天井の瓦礫の下敷きになるようなことはなかったが、巷で噂になっている外套の剣士の強さは誇張され最強の冒険者とまで言われる程になっている。
「……ああ、悪い。邪魔するぜ」
外套のフードを外して月明かりに照らされた濁った髪と瞳を晒し、何の感情も込められていない瞳で周囲を見据えた。