聖泉の精霊は姿を消す
クリアを冷たく突き放した翌朝。
俺は目を覚ますと、部屋にクリアが居ない事に気付く。だが特に気に留めずに風呂に入って服を着替えて部屋を出ると、メランティナがキッと俺を睨んできた。
「クリア、泣いてたわよ?」
だが俺がいつもの無表情で居ると、メランティナは悲しそうな顔でそう言った。……お節介は要らないんだが、一応聞くべきなのか。
「……いつ出て行った?」
「今日の朝早くよ。私を無視して涙流しながら走って出て行ったわ」
メランティナは今日の朝食を盆で持って来ながら言い、盆をテーブルの上に置き俺がその前の椅子に座ると、頭を撫でてきた。
「何かあったんでしょ?」
メランティナが聞いてくるが、話すつもりはない。頭は冷えれば帰って来るかもしれないしな。帰って来なくても、別に不利益にはならない。これから先の儲けを考えれば不利益にはなるが。
「言わなくて良いわ。でも、少しは年上を頼る、甘えるぐらいはしても良いんじゃない?」
メランティナは優しく微笑んだ。
……そう言えば、誰かに甘えた事なんて、頼った事なんて、あっただろうか。
メランティナに言われて考える。……物心付く前は甘えたりしたんだろうが、物心付いて親が俺をどう思っているかに気付いた時から、俺はそんな事微塵も考えないんじゃないだろうか。大体ぼっちに「他の誰か」が居る事自体有り得なかった。つまり俺は何事も独りで行ってきた、と言う事だ。もちろん学生なので親の力を借りながら、だったが。
俺は一瞬頭を過ったメランティナの手を払って拒絶すると言う選択肢を外し、しかしいつまでも頭を撫でられては(傍に立って色気の多い身体を近付けられては)堪ったもんじゃないのでどうにかして離れさせなければならない。
「……年上も、悪くないもんだな」
「えぇっ!?」
俺がそう呟くと、メランティナは撫でる手を放して驚いた。……よしっ。まず第一段階は成功。
「……何だ?」
「えっ、いや、えーっと、私、未亡人だけど心に決めた人が……」
慌てた様子で見当違いの言い訳をするメランティナを見て、第二段階も順調だと分かる。
「……そんな事は知ってる」
「えっ、その、そうよね。でもと言う事はそれでも私を……」
ゴニョゴニョと尻すぼみに小さくなっていくメランティナの声を完璧に聞き取りつつ途中から無視し、
「……皿、片付けてくれるか?」
俺は一刻も早くここから出たいので、ゆっくり味わいたいが詰め込むように平らげた盆を手渡す。
「早っ! ごめんなさい、私とした事が……きゃっ!」
メランティナは驚いていたが盆を受け取ろうと手を伸ばしてくる。俺はわざと盆を持つ俺の手と触れさせ、メランティナは慌てて手を引っ込める。……顔を赤くし、可愛らしい声を上げた。
「……どうかしたか?」
俺は何でもない事のように尋ねる。
「い、いえ。ごめんなさいね、取り乱しちゃって」
俺がいつも通りなので少し落ち着いたのか、少し微笑んで盆を受け取り、カウンターの奥厨房の方へと歩いていく。
「……じゃあ、行ってくる」
俺は作戦が成功して一安心し、席を立って宿屋メナードを出る。
「行ってらっしゃい、あ・な・た。……きゃっ♪」
後ろからそんな声が聞こえて、振り返りたくなるのを我慢してガン無視した。……性質の悪い冗談は止めて欲しい。さっきまで「未亡人だけど心に決めた人が」とか言ってたのに、重い冗談だ。
……いや、作戦失敗だな。最後に「冗談だ」の一言でも付け加えておくべきだったかと思いつつ、例え俺がメランティナに気があると思われてもメランティナがその気にならなければ問題ないか、と思って振り返るような事はしなかった。
どうせ俺、モテないしな。
と言う訳でギルド集会所に行って、とりあえずミリカにクリアが来なかったか聞いてみたんだが。
「クリアさん? 見てないですよ? 私よりユニの方が早かったので、ユニに聞いてみれば、今日ここに来たか分かりますが」
ミリカにそう言われ、せっせと書類整理に勤しんでいるユニに尋ねてみたのだが。
「クリアさん、ですか? 今日はまだ見てませんけど……。ナヴィさんなら三時間程前にクエストに出掛けられましたけど、クリアさんは知りませんね」
ユニは少し申し訳なさそうな顔をして言った。……ふむ。憂さ晴らしにクエスト受けて八つ当たりしに行ったんじゃないのか。
「クリアさん、居なくなったんですか?」
ユニが心配そうな顔をして俺を見上げてくる。
「……ああ。だがその内戻って来るだろ」
俺は頷き、しかし気休めを言いつつクエスト掲示板に向かってCランクのクエストをいくつか接ぐと、ミリカへと持って行く。
「今日はクリアさんを探すからクエストは受けないんじゃないですか?」
「……クエストを受けないと生活が成り立たないからな」
俺はジト目で言うミリカにしれっと答えた。
「そうですか。クリアさんについては私達の方からも何か情報があれば知らせますので、ご武運を」
ミリカは嘆息混じりにそう言って俺を見送る。……何か呆れられてないか? まあ、気のせいだろう。最近分かった事だが俺の『観察』には誤りは多いからな。特に相手が女の場合の感情とか。俺には理解出来ない事は、『観察』しても理解出来ないんだろう。
「……」
俺はミリカに見送られて、ギルドを後にする。……チッ。面倒だが、四つの門の衛兵に聞いてみるか。
俺は人気のない場所で外套を羽織ると、雷を纏って屋根の上を跳び、四つの門を素早く見回った。




