聖泉の精霊はぼっちに微笑む
やっとヒロインが登場します
……。
…………。
……あれれー? おかしいなー?
俺は意識が浮上してくるのを感じて、高校生なのに変な薬飲まされて小学生になってしまった超高校級の名探偵がふとしたヒントを言う時に使う惚けた口調で思った。
……意識を取り戻したばかりで混乱しているようだ。二つが合体してしまっている。
背中に固い地面を感じているので、仰向けに寝ている状態か。何かサラサラした水のようなモノに頭以外の全身を覆われて、身体が冷え切っている。……そこは普通、暖めるべきだと思うんだが。
……俺は、泉に溺れて死んだ筈なんだが。だとするとここは死後の世界だろうか。異世界であまりにも早く死んだため、神とやらが亜空間に召喚したとかだろうか。
……だとすれば、酷い神だ。まさか生き返らせるヤツに水の塊のようなモノをくっつけるとは。
サラサラしてひんやりとした感触は、水のそれに近い。
「……」
俺は意を決して、薄目を開ける。……そこは、水地獄だった。
「……雷をくらいたくなければ退け」
俺は全身を水色の半透明のモノに覆われているのを見て、低い声で呟く。頭は俺の視界に入らなかった。
「……あら。目覚めたのね」
どこか面白いと思ってそうな声音だが、どことなく艶っぽい。
湿った声が俺の左耳の直ぐ近くから聞こえ、ゾワッと産毛が逆立つのを感じる。水はスルスルと俺から離れていき、仰向けに寝ている俺の脚の右側に女座りした形で人型を取っていく。
「目を閉じていると整った顔だと思ったのだけれど……。目を開けるとそうでもないわね。気のせいだったのかしら?」
水はボヤけた美女の姿を取ると、怪訝そうに眉を寄せながら俺の太腿辺りにのめり込んで座った。……身体が水で出来ているのか。俺の太腿をひんやりとした水が覆う。
だから、暖めさせてくれって。
「……余計なお世話だ」
俺は姿形は美女と言えど、本来の姿は泉の精霊とか何だろうと思っているので、目を見つめられても何とも思わない。例えひんやりとしたしなやかで細長い指が俺の頬をなぞろうとも、ドキッとしたりなんてしない。例え水の衣を纏っていて全裸でないように見せているとしても、その豊満な胸元にドキッとしたりなんかしない。
「でもその腐った瞳、嫌いじゃないわ」
水の美女はフフッと微笑む。……急に微笑むんじゃねえよ。ちょっとドキッとしちまっただろ。ちょっとだけだが。
「……ってか、誰だ」
俺は手に雷を纏い美女を払い除ける。
美女は名残り惜しそうに(?)雷を纏った手を避けて離れていく。
「私はそこの泉に住む精霊。水の精霊・ウンディーネの更に上位、聖泉の精霊・クリアよ」
……精霊とか言われてもイマイチピンと来ないんだが、ウンディーネってのは分かる。四大精霊って呼ばれている水の精霊だ。こっちの世界でもそうかは分からないが。
因みにアクセントはクだ。
「……そうか。じゃ」
俺は自己紹介を受けて人間に似た意志を持つヤツと関わる気なんて更々ないので、さっさと立ち去ろうと踵を返す。
「待ちなさい」
だがクリアは水の触手で俺の脚を絡め取る。……転ぶのはカッコ悪いので、仕方なく立ち止まる。
「……そうだな。助けてくれてありがとうございました」
俺はそう言えば一応助けてくれたので礼を言っていなかったかと思い、何の用かも聞かずに振り向き深く頭を下げて礼を言って再び踵を返そうとするが、まだ離してくれない。……雷を受けないと分からないようだな。
「……何の用だ?」
俺はこれ見よがしに溜め息をつき、クリアに向き直って聞いた。
「いいえ、別に大事な用と言う訳でもないわ。でもただ一言お礼を言いたかったのよ。さっきまでここにアンファルのヤツが眠っていたでしょ?」
俺はクリアに言われて、周囲を見渡し再度状況を『観察』する。再度と言ったのは、落下の際に一応『観察』は終えていたからだ。音楽プレイヤーとイヤホンの事ばかり考えていて特に気にする事もなかったが、今から考えてみれば結構重要な事なのかもしれない。
泉の周辺が泥っぽい地面になっている。泥はアンファルの影響だろうが、木々が全くなかった。アンファルがここに眠っていた事は明白だろう。
事実、アンファルの森の主と思われる巨大な泥の巨人――アンファルがいたと思われる地面の下に(厳密には身体の下にかもしれないが)、上位精霊を名乗るこいつが居たのだ。
どう考えても、おかしい。
精霊ってのがどう言う場所に宿るかは分からないが、こんな綺麗な泉だと言う事から、ここはモンスター憩いの水の飲み場だった可能性もある。
だが、アンファルの身体の下にあったのだ。
それは何故か。そこにこの森の微妙な変化が現れているのかもしれない。
「アンファルは約百年前に突如として現れ、森を荒らし住み着いていた精霊を喰らい、そして当時精霊とモンスターの憩いの場であった私の住処を自分の身体で塞ぎ、三種のモンスターに自分が征服した森を守らせていたのよ。三種のモンスターが倒された時、自らが制裁を下し再び三種のモンスターを召喚すると、眠りに付く。そんな事を今までで三度、繰り返してきたわ」
クリアは俺が周囲を『観察』したことのを見てから、ポツリと事情を説明し始める。……つまり何か? 元々この森の主は自分であってアンファルではなく、アンファルを倒してくれたから礼を言いたいって事か? 随分と勝手な主張だが、それなら筋が通っている。だが同時に疑問もいくつか残る。
何故、アンファルが現れたのか。何故、この森を乗っ取ったのか。何故、モンスターがモンスターを召喚出来るのか。
正直俺には全く見当も付かない。予想するにしても、人間が何らかの目的を持ってこの森を自分の支配下にあるアンファルを送り込んできたとかだ。その予想でも、更に何のために、等の疑問が起こる。……つまり、俺に解決は出来ないって事だな。
「……いくつか質問して良いか?」
だが、俺はこの世界の事を少しでも多く知るために、もし俺の適当に立てた予想通りだった場合等のために、聞きたい事を聞く事にした。
「ええ、あなたは私の命の恩人だもの。私に答えられる事なら何でも答えるわ」
クリアは特にドギマギしない俺に見据えられて真剣な表情をしながら、俺の言葉に頷いた。……それはお互い様なんだが。まあ百年耐えてきたクリアにとっては、特に俺の命を助けたこと等些細な事なのかもしれない。
「……アンファルは何で現れたか、分かってないんだな?」
じゃなければ突如として、なんて言葉は使わないだろう。
「ええ。いきなり物凄い魔力が現れたかと思えば、当時はまだ小さかったこの森を覆う程に大きなアンファルが現れて、森のモンスターと精霊を蹂躙し始めたの」
ギリッ、と森を守れなかった悔しさからか、歯軋りをして言った。
「……そこで二つ目の質問だが、精霊って食べられたり実体があるものなのか?」
俺の知る精霊は、実体がなく普通の人間には見えない(エルフとかその辺だけが見える)存在で、精霊の力を借りた精霊魔法を使う時に力を貸してもらう存在で、万物に宿り自然の調和を守る存在だと思うんだが。
そして、こいつみたいな上位精霊が実体を得る事が出来る。
「いいえ。例えその生命器官の中枢が魔力で動いているモンスターであっても、何やらモンスターや精霊には理解出来ない研究で精霊を支配する技術を持つ人間であっても、精霊を喰らうなんてことは出来ないわ。アンファルはこの地に百年前からしか存在していない、たった一体の巨大な泥のゴーレムモンスターなのよ」
クリアは俺の言葉に頭を振って否定する。……つまり正体不明のモンスターって事か。ってかあいつ、ゴーレムだったんだな。俺の知るゴーレムって、レンガで作られた壁役モンスターか、岩等を繋げて出来た巨人かのどっちかだが、あんな泥の巨人もゴーレムと呼ぶのか。まあこいつの話じゃあ新種らしいし、姿が似ているヤツの分類にしたんだろう。地球で言えばウナギと似ているが生態は全く違うデンキウナギと同じ感じだろうか。
「……あれはゴーレムなのか?」
「便宜上ゴーレムと呼んでいるだけよ」
クリアはそう言って肩を竦める。生態を調べるにしても、俺が倒してしまったのでもう無理だ。
アンファルを召喚する事は出来ないが、アンファルの身体を作り出す事は出来るかもしれない。
「……精霊ってどうやって増えるんだ?」
クリアの話によると、精霊同士は干渉出来るらしい。なら半分が精霊で出来ているハーフだったら喰えるんじゃないかと思ったのだ。
「自然から生まれるのと、進化……後はこ、交配よ」
交配の部分だけ顔を赤くして恥じらった。……別に恥じらうような事でもないだろうに。十代男子なら夢見るその行為は、俺にとって苦痛でしかなかった。尤もあれは特殊な状況だったとは思うが。
「……上位精霊は実体化出来るんだろう? ならモンスターと交配出来るんじゃないか?」
ゴーレムと水の上位精霊との交配ならああ言うヤツが生まれても不思議ではない。
「上位精霊を捩じ伏せるようなゴーレムはいないわ。水の上位精霊ともなればゴーレム程度、簡単に倒せるわ」
クリアは俺が聞きたい事を悟ったのかそう答える。……さっきまで見せていた恥じらいは一瞬にして消え、どこか呆れているようにも見える。呆れる意味が分からない。俺とした事が、『観察』を誤ったな。
「……ゴーレムって繁殖するもんなのか?」
「明らかにしないでしょ。あんな身体してるのよ?」
クリアが今度こそ呆れて言った。……それもそうか。じゃあ、そう言うゴーレムを作ったって事なのか?
「……モンスターがモンスターを召喚する例はあるのか?」
「あるにはあるけど、いずれも下級モンスターを召喚する例よ。しかも自分と同じ系列のモンスター」
なるほど。全く違う系列のモンスターを召喚したのが更に例外を強調している。と言う事は、だ。人造ゴーレムに組み込まれたプログラムなのか。三種が倒されたら起きて敵を倒し新たに三種を召喚する。
「……じゃあ、一番可能性が高いのは精霊を操る技術を手に入れたって言う、人間の仕業か。精霊を喰らって力にする技術でも開発して、それを元にゴーレムを作製したが原形を保てず泥と化したか、水の精霊――お前を封じるために泥のゴーレムをしたか――いずれにしろ、人間の仕業だって事には変わりないだろうな」
……これだから人間は嫌いなんだよ。
俺はいつもの無表情の中で、思いっきり舌打ちしてそう思った。
「人間なのに、変わった事を言うのね」
何故かクリアが驚いたような顔で微笑んでいた。……何だ? 俺はただ単に俺が思った事をそのまま述べているだけなんだが。
「人間が嫌いな人間なんて、珍しいわ」
クリアはそう言うと、面白いと言う風に微笑む。……俺とした事が、口に出していたのか。とんだ恥を晒してしまった。独り歴十七年程にもなる俺が、本音を晒してしまうとは何たる失態だろうか。もしかしたら女子とこんなに長く話したのは久し振りだったから油断していたのかもしれない。気を引き締めないといけないな。
「……人間が嫌いな人間だっている。人は誰しも独りだ」
俺はそう言い、雷を全身に纏う。……そう言えば、すっかり力が入るようになっている。虚無感と脱力、倦怠感が半端ない状態だったのに、気付けば元に戻っている。
「無駄よ。知っているかしら? 水は確かに雷が効くけど、純粋な水は電気を通さないのよ」
「……それくらい知ってる。自分が純粋な水で出来ているから効かないとでも言いたいのか?」
こいつの言う通り、水は本来絶縁体だ。だが純粋な水なんて地球上には存在しないも同然。水道水等の不純物が混ざった場合、導体になってしまう事がある。塩なんかが良い例だ。
「そうよ。だから止めておいた方が良いわ」
クリアは余裕そうに微笑む。……ふ~ん? そんな事を言っちゃって良いのか?
「……じゃあ試してみるか? 落雷」
俺は聞いて、答えを待たずに攻撃を仕掛ける。空から良い天気だと言うのに、雷が落ちてきてクリアの身体を貫く。
「ああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
落雷をまともに受けたクリアは、絶叫を上げる。……地球の落雷なら一瞬だから直ぐ倒れるんだが、どうにも即死攻撃にはならないようだ。落雷はクリアの身体で帯電する。
「……ふ、ふふふっ……!」
落雷が終わり帯電する雷でダメージを受けている筈のクリアが、フラフラと俺の方に歩み寄ってきた。……しぶといな。無理してるのが見え見えなんだが、よく耐えていると思う。
「……ほら、効かないでしょ?」
帯電した雷を受けながら、フラフラと歩いてきて俺の身体に倒れ込んでくる。
……何、だと……っ!? 柔らかい!? ……いや、そんな訳はない。こいつの身体は水で出来ている筈だ。俺の胸元に当たる二つの膨らみが柔らかいなんて、有り得る訳が……っ!
ここに来て、一番の動揺を齎す出来事だった。
「……」
俺は内心驚き焦りながらクリアの顔を見ると、頬を赤らめどこか恍惚とした表情で、どことなく嬉しそうだった。……おい。まさか、Mだから耐えられるとかそう言う事なのか?
俺はあまりの艶かしさに、雑な『観察』をしてしまう。
「ねえ。私を連れて行って」
クリアはそのまま俺の耳元に顔を寄せると、濡れた声で囁いた。
「……」
……俺は迷った。どうやってこれを切り抜けるかで、だ。連れて行くか行かないかではない。
「……離れろ、水の化け物が」
いくつかの選択肢を思い浮かべたが、結果として攻撃して引き剥がす事にする。
言葉の刃で、縦に真っ直ぐ切り裂いた。
「嘘……」
クリアは呆然と呟いて、刃をくらった反動で後ろに倒れていく。
「……何て、言うと思った?」
だが水の化け物は、手を伸ばすと俺の身体を掴んだ。
……敢えて水の化け物と言ったのは、その方が適切な表現だと思ったからだ。
視えない刃に身体を切り裂かれたが、全身を液体に変え水で出来た手で俺の肩を掴み、真っ二つになった顔で笑う。……何のホラーだよ。
「私の身体は純度の高い水で出来ているのよ。だから雷も軽減出来るし、物理攻撃も無効化出来るわ。どう? これでもまだ、逃げられると思っているの?」
そう言って段々と元の人型に戻っていくクリアは、俺の首の後ろで手を組み腰に脚を回してくる。
抱き着かれた形だ。
「……勝手にしろ」
俺は全身から最大限の雷を放ってクリアに攻撃して引き剥がし、さっさと踵を返して森の外へと歩いていく。
「ありがとっ!」
だが雷を軽減出来ると言うクリアは大したダメージもなさそうに、顔をパァと輝かせて俺の右腕に抱き着いてきた。
……関わると、面倒なタイプだったか。
俺は鬱陶しく思いつつも絡み付いてくるせいで払えずに、堂々と溜め息をついた。