無責任な人たち
文化祭1日目、早朝のことだった。
「お兄ちゃん! 早く来てよ!」
妹の香織に引っ張られて、僕はボランティア部が企画展示している一階の一年D組の教室に入った。(月曜日と同じパターンだ!)君も慌ててついて来た。
少し息を切らせてる僕らの視界に飛び込んだのは、太い黒マジックで落書きされている展示物の数々だった。それらはボランティア部員が模造紙に写真を貼ったり文章を書いたりしたもので、ボードに掲示されている。模造紙に貼ってある写真には、部員たちが障がいのある子どもたちが座っている車椅子を押していたり、彼らの食事の介助をしている様子が映し出されているものだ。それらの展示物に『バカ』や『クズ』、『偽善者』と罵る言葉が書きなぐられている。ある模造紙には下手な字で『死ね!』と書かれていた。
香織を含めたボランティア部員は呆然とその光景を見つめている。僕もあっけにとられ、自分の心臓の音がやけに大きく聞こえる。
「とりあえず片付けようか?」
ボランティア部の部長の西川さんが疲れた声でそう言った。数名の部員たちはその声に促されて、落書きされた模造紙を展示ボードから取り外した。
「お兄ちゃん、葵先輩、こっち! こっち!」
香織が教室の隅から手招きしている。妹の指図どおり僕らはその場所に歩み寄った。そこには訪問者体験用の車椅子が設置してあった。
「ここ見てよ! ここ!」
香織は珍しく険しい顔をして車椅子の座席を指差した。深緑色のレザー製座席には×印がくっきりと刻まれていた。これは明らかに鋭利な刃物で傷つけられている。
「×印」
君はぼそっと呟いた。
「どうしたの?」
大柄な西川部長が香織に心配そうに訊いた。
「部長、こっち来てください。車椅子もやられているんです!」
「えっ」
「うそぉ」
西川部長や他の部員も、全員車椅子の周りに集まった。
「ひどい」
「どうして、こんなことするの!」
当然部員たちは更にショックを受けてしまい、なかには涙を流している女子もいた。
文化祭当日とは思えない沈み込んだ空気が僕らの周囲を包んだ。しかし僕は文化祭実行委員として、やらなければならないことがあった。
「西川さん、ボランティア部の企画展示、どうする?」
文化部の企画運営に関しては、会場係の僕らが責任を負っているのだ。
「うーん、みんなの意見を聞いて顧問の先生にも相談してみるけど」
ふくよかな西川さんは相当エネルギーを使ったようで、汗ばんだ額を白いハンカチで拭っている。
「部長、やりましょうよ! せっかく準備してきたし、こんなことで中止になったら、それこそ犯人の思う壺ですよ」
香織は怒りを含めた瞳で頬を紅潮させ叫んだ。僕の妹は負けず嫌いな性格だった。
「うん、やろう」
「うん」
他の部員たちも香織の意見に賛同した。沈み込んだ雰囲気が少しずつ明るくなったようだ。
「じゃあ、みんな、展示物は作り直そう。まだ使える写真もあるし、駄目になった写真はパソコンからプリントアウトして。それから車椅子はもう一台学校にあったと思うので、誰か手配してきて」
西川部長も少し落ち着いたようだ。
「西川さん、何か必要なものがあるのなら言ってね。実行委員会の備品とかも使っていいし」
「ありがとうございます」
君の言葉に西川部長は少し安堵したようだった。
僕らが生徒会室に戻ると、実行委員の面々が心配そうに訊いてきた。僕は被害状況と部員の様子、そしてボランティア部は展示物を作り直しながら企画展示は行うことを報告した。
「数日前のポスターの件といい、今回のボランティア部の件といい、犯人は校内の人間、それも胴一人物じゃない?」
いつも穏やかな諸星さんも怒っていた。
「でしょーっ雪乃! 私は前のポスターの事件からそう思っていたんだ」
君は意気込んで返答したが、そのあと何事か考え込んでしまった。(おそらく犯人のことを考えているのだろう)
「それはそうと大野君、このことについて全校放送したほうがいいと思う。今回の事件をみんなにちゃんと伝えて、注意を喚起すべきだわ」
さすが宮田さんは現実的な対応を考える。
「えーっ、そんなことしたら、みんなビビッちゃうんじゃねーか」
「正確な情報を伝えないほうが不安になるわよ」
「めんどくせえなあ。俺がその原稿書くのかよ」
「それだったら、私が河村君と秋山さんから事情を聞いて、原稿作って雪乃に放送してもらうから、それでいい?」
「ああ、ああ、それでいーよ。だいたい会場係がちゃんとしてねーから、こんなことになるんだろ」
「それ、どういうことだよ!」僕は頭に血が昇った。
「大野君、そんな言い方ないでしょ! 今回のことは不可抗力なんだから」
諸星さんも少し感情的になっている。
「ハイハイ、わかった、わかった。俺はメインステージのチェックとか、バンド出演とかで忙しいんだよ。宮田、あとは頼むわ」
無責任な実行委員長は取り巻き連中といっしょに出て行った。出て行く途中、大野と喋っていた副委員長の小杉がチラッと僕を嫌な目で見た。
「なんなの、あいつーっ!」諸星さんはまだ怒っていた。
「大野君が大切なことは自分のステージのことだけなのよ」宮田さんは親友の感情に影響を受けることなく冷静に分析していた。
僕は諸星さんのフォローと宮田さんの冷静さで、少し落ち着くことができた。しかし君はまだ何事か考え込んでいた。
それから僕たち四人は緊急校内放送用の原稿をつくった。二十分後には諸星さんの芯のある声が全校に響いた。




