約束
翌日、小杉は学校に来なかった。だから大野たちのバンドは演奏できなくなった。けれども宮田さんが他のバンドの演奏時間を延ばすことで調整し進行に何ら支障はなかった。こうしていろんなことがあった僕らの文化祭は終わった。
月曜日は文化祭の振り替え休日だったが、実行委員会のメンバーは小杉を除いて登校していた。午後一時から宣伝物の後片付けをして、午後二時から会議が開かれた。そこでは文化祭二日目の反省、それから来週の最終実行委員会に向けて各専門部が用意すべきことの確認が行われた。
三時前に会議が終わると諸星さんが僕らの席にやって来た。
「ねえねえ、葵、河村君。今日の五時からカラオケボックスの『オン・アンド・オフ』で打ち上げしない? メンバーは私と遥とヒグチとお二人さんと・・・・・・」
「雪乃、それと?」君はニヤニヤ笑いながら諸星さんに尋ねた。
「デへへへー、私の彼氏も呼んじゃいました!」いつもさっぱりとした受け答えの諸星さんも、さすがに顔を赤くして照れていた。
「うん、行く、行く、行くよ。ねっ河村君?」
「OK]
午後五時に再び会うことを約束して、諸星さんと別れた僕らは校舎の屋上に上がった。そこにある四台の古ぼけたベンチには、今日は誰もいなかった。もちろん屋上の他の場所にも人影はない。
九日前に君と見た空と違い、今日は白く薄い雲が広がっていた。
僕らはお互いのデイバッグをベンチの隅に置き並んで座った。
「小杉君、今日も来なかったね」
「うん」
「大野君たち、ちゃんと話したのかな」
「わからないな」
僕らはぼんやりと白っぽい空を眺めていた。
「ねえ河村君、どうして犯人が彼だと思ったの?」
「いや、あいつが犯人だと思ったわけじゃないんだ。ただあいつの視線がやたら気になった」
「視線?」
「小杉、時々僕を見ていたんだよ。そのときの目つきが、なんか変に胸に引っかかって」
「そっかあ」
「あいつ、僕が秋山さんといっしょにいることに嫉妬して、僕を困らせようとしたんじゃないかな。だからヒグチの自然環境部に狙いをつけると推測した」
「ふーん、なるほど」
「でも、どうして小杉があんなことしたのか、本当のところはよくわからない。あいつ、大野に対してもブチ切れてたし」
「そうだね、やった本人もその理由がわからないかもしれないね」
君は静かにそう言った。
僕は空を見上げると白い雲はかなり高いところにあった。そしてそれらの雲は空に貼り付いているかのように、同じ場所に留まっている。
秋の風が吹き、君の前髪が少しだけ揺れた。
「ねえ、秋山さん、あいつのやったこと、やっぱり許せない?」
「うーん、そうだね。ちゃんと謝ってほしいとは思うけど」
「けど?」
「一昨日の夜、小杉君の顔を見たら、何だか・・・・・・」
話はそこで途切れてしまった。
僕は小杉のことを話していると徐々に辛くなってきた。おそらく君もそうだったと思う。
「今日は秋の空だ」君はいきなりそう言った。
「うん」
「秋の空は、少し淋しいね」
「淋しい?」
「うん淋しい。夏の空は、よし頑張るぞーって感じだけど」
「ヘェー」僕は訳もわからず納得した。
「秋山さんって結構淋しがり屋なんだ」
「うん、そうみたい」君は涼しげな笑みを浮かべ、小さく何回も頷いた。
「私はね、親がいないから、ちょっと前まで自分一人で生きていくんだって、弟をちゃんと守れるようになるんだって、自分に言い聞かせていた」
君は祈るように両手を膝の上で組み、コンクリートの床に目を落とした。
僕は少しぼやけている遠くの街並みを眺めた。
君は顔を上げ再び語り始めた。
「でもね、夜、家族が眠って自分一人だけが起きていると、時々すっごく変な感じになることがあったんだ」
「変な感じって?」
「あのね、身体中のネジが解けて、自分がバラバラになって、この現実世界からどこか知らない場所へ吹き飛ばされるみたいな感じ。ねえ河村君はそんな感覚ってわかるかな?」
「いや、ごめん、多分わからない」
「わからない? まあ、そうだね」君はそこで話を区切ると、座りなおして前かがみになった。それから小首を傾げ僕を見た。
「それでね、その変な感じになっちゃうとアパートの前の空き地で身体を動かすの。空手の型とかすると、自分がちゃんとここにいるんだって、結構落ち着くんだ」
「空手?」
「うん私、中学三年まで空手やってたの。本気で当てるやつ。あれっ、話してなかったっけ?」
道理で小杉を一撃でノックアウトしたわけだ。僕は一昨日のその場面を思い出し、自分自身の対応にがっかりした。
「どうしたの河村君、暗い顔して」
「小杉を捕まえたとき全然役に立たなくて、カッコ悪いなあって」
「カッコ悪いって誰が?」
僕は自分を指差した。
「河村君はカッコ悪くないよ。逆にすごくカッコよかったよ」
「エッ?」
小杉にタックルされて無様に転んだ僕が、なぜカッコいいのだろう?
「それから私ね、最近さっき言った変な感じにならないんだよ。どうしてだか、わかる?」
「いや何だろ。わからない」
「フフッ、わかりませんかぁ」
君は僕を見つめながら楽しそうに笑った。左の前髪が君の左の瞳を半分隠している。素敵な君はやはりミステリアスだ。
「あっ、飛行機!」
僕の隣に座っていた十七歳の少女は立ち上がり空を見上げた。銀色の機体は東から西へゆっくりと大空を横切っている。
「今日は飛行機雲ができないな」
僕も立ち上がって飛行機を目で追った。
僕たちはしばらく黙って空を見上げていた。
「河村君、いつか二人っきりでどこか、誰も知らないところへ行きたいね」
「うん」
「約束だよ」
「わかった」
君の言葉は僕の想いでもあった。
僕らが見つめ続けていた銀色の機体は、白い十月の空に吸い込まれていった。




