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美しい弧を描く君の右足

「アリガトウ」

 君はくぐもった声で囁くと、僕の胸からゆっくりと顔を離した。

「河村君、ごめんね・・・・・・」

 君はそう謝るとすっと立ち上がった。それから両手を大きく上に伸ばし、「ウーン」と唸りながら背伸びをした。

「ちょっと不自然な姿勢のハグだったね」振り返りながら、君はいつもように悪戯っぽい笑顔を見せてくれた。その微笑みは僕の胸の奥にある痛みを癒してくれる。

 僕と君が行き場のない緊張から解き放たれつつあったとき、僕のケータイの着信音が闇の静けさを切り裂いた。 

 ヒグチからのメールで『来た』とだけ送信されてきた。

「秋山さん、犯人が出た!」すると君はいきなり駆け出し、教室の隅からなぜか竹刀を持ってきた。

「はい、これ護身用にね」

 君は嬉しそうに竹刀を僕に手渡した。僕は急な展開に内心激しく動揺しつつ、その竹刀を受け取った。

 それから僕たちは足音を立てないように、しかも急いで下の階の2―Aの教室に向かった。この教室では自然環境部が企画展示している。僕はヒグチにこの教室に隠れているように頼んだのだ。

 僕らは息を殺して2―Aの教室の入り口ドアに近づいた。暗い教室の中から「シュッー、シュッ」という変な音がする。僕は右手を伸ばして教室の灯りのスイッチを押した。

「ワッ」と君が小さく叫んだとき、右手にペイント用のスプレーを持っていた犯人が振り向いた。そいつは学生服を着ているが、顔には悪役レスラーのような黒い覆面をしていた。

「真一!」ヒグチが隠れた黒い布から飛び出してきた。それに気づいた怪しげな犯人は逃走しようとして、僕らのいる入り口ドアに突進した。

「葵ちゃん!」僕は君をかばおうとしながらも、犯人を逃がすまいとドアのところに立ち塞がった。しかし覆面男はお構いなしに強行突破しようと僕の胸めがけてタックルしてきた。

「ウゲッ」僕は胸全体に激しい衝撃を感じ後ろにひっくり返り、左手の竹刀はどこかへどこかへ飛んでいってしまった。右胸に激しい痛みが走り上手く呼吸ができない。

 しかし犯人も僕にぶつかった弾みで転倒していた。奴が立ち上がろうとした瞬間、僕は必死でその左腿に抱きついた。犯人は慌てて僕の手をほどこうともがいた。

「河村君、そのままで!」君の張り詰めた声が聞こえた。

 そして次の瞬間「ハッ!」という呼気とともに、白い右足が美しい弧を描いて犯人の左こめかみに炸裂した。

「バゴッ」という鈍い打撃音とともに、僕がしがみついた身体は急に力が抜けていった。そして犯人は僕に覆い被さるように崩れ落ちた。

「すげえ」ヒグチが呆れたように君を見ていた。

「ヒグチ、早くこいつをどけろよ」僕は異常な緊張が解けたためか身体に力が入らなかった。ヒグチが面倒臭そうに失神した犯人の身体を僕から離した。それから僕は君の手をかりて、ようやく立ち上がることができた。下の階段からバタバタバタと複数の足音が聞こえてきた。

「秋山さん、河村君、大丈夫?」

 宮田さんが心配そうに声をかけてきた。そのあとに大野、藤本それから少し遅れて諸星さんがやってきた。

「おう遥、こいつが犯人だ。俺の展示写真を赤いスプレーで駄目にしやがった」

 僕の作戦はヒグチを通じて宮田さんにだけ知らせていたのだ。

「河村、こいつのマスクをとっていいか?」

 大野が珍しく神妙な顔をして僕に尋ねた。僕は痛む胸を押さえながら頷いた。大野がゆっくりとマスクを剥ぎ取っていくと、そこから現れた顔は副委員長の小杉だった。

「小杉、お前・・・・・・」

 実行委員長の大野は絶句し、藤本も諸星さんも驚きのあまり息を呑んだ。

「うーん」君のハイキックで脳震盪を起こした小杉がゆっくと目を開けた。視線は定まらず意識もまだ朦朧としているようだ。

「小杉! お前が犯人なのか?」

 逆上した大野は寝ている小杉の襟首を強引に掴み上げ問いただした。

「ちょっと大野君止めなさいよ。小杉君はまだ目の焦点が合ってないじゃない」諸星さんが呆れたように大野を制止した。

「うっ、イテテテッ」小杉は左手を左のこめかみに当てながら、ゆっくりと身体を起こした。それから胡坐を組み、ぼんやりと周りの人間を見ながら呟いた。

「俺が、やったよ」

 奴は疲れた声でそう言うと、つまらなさそうな顔をした。

「何でそんなことしたんだよ! お前、副委員長だろ」

「副委員長? フン」

「何だよ、その顔!」大野は顔面を紅潮させ再び小杉の襟首を掴み上げた。

「もうーっ止めなさいよ」またも大野をなだめた諸星さんは腰を屈めて小杉に問いかけた。

「小杉君、私も訊きたいわ。どうして、あんなことしたの?」

 小杉はチラッと諸星さんの瞳を見て顔を俯けた。それからしばらくしてポツリと言った。

「制裁だよ」

「エッ、どういうこと?」諸星さんはその言葉が聞き取れなかったのか、再び問いかけた。

「大野の代わりに俺が制裁してやったんだよ」

「小杉、お前、何言ってんだよ」大野の顔は今度は蒼白となった。

「お前、よく言ってたじゃん。河村と秋山はいちゃいちゃしてるから、罰が必要だって」

「小杉ィ、お前ーっ!」

 またまた小杉に襲いかかろうとした大野を今度は藤本と宮田さんが引きとめた。

「何が実行委員長だ。偉そうなこと言って、自分じゃ何もできねーくせに」 

 小杉のトロンとした顔つきが変わってきた。

「お前の歌は下手糞すぎて、吐き気がするほど気持ち悪いんだよ!」

 小杉は自分の感情がコントロールできないのか、甲高い声で叫んだ。そのあとハアハアと荒い息をついた。小杉の罵倒にショックを受けた大野はその場に突っ立ているだけだった。

「もうー、何なの? あなたたち三人組は」

 諸星さんは両腕を腰に当てて呆れていた。

「藤本君、小杉君が落ち着くまでいっしょにいてあげたら?」

 宮田さんの落ち着いた声に、小柄な藤本は無言で頷いた。

「大野君、今日はもう帰ったら? それとも、まだここにいる?」

「ああ、うん・・・・・・」

 さすがに脳天気な大野も深刻そうな顔つきをしている。

「私たち、ツヨシのところの被害を見て帰るから」

「おっ、遥、ちゃんと心配してくれるのか?」

「実行委員会として責任があるからね」

 僕たちは大野たち三人組を残して2―Aの教室に入った。そして自然環境部の被害対応の話し合いをしているうちに、三人組の姿は消えていた。



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