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月明かりの教室

夜十時を過ぎるとさすがに学校に残っている生徒はほとんどいない。生徒会室に残っているのも実行委員会の主な役職の連中だけだ。

「じゃあ私帰りまーす」

 君は生徒会室に残っている大野たちや宮田さん、諸星さんに声をかけた。

「お疲れーっ。河村君、葵をちゃんとまっすぐ送ってあげるのよ」

「ああっ?」

「途中で変なところへ寄り道しちゃダメだぞうーっ」諸星さんは僕をからかうことに喜びを感じているらしい。ただ彼女が醸し出すやわらかい雰囲気の中に一瞬、大野が咎めるような視線を僕に投げかけた。

「秋山さんを送ったら、またこっちへ帰ってくるし」

「もういいんじゃない? 河村君たちはさっきも見回りをしたし」

 諸星さんはいろいろ言っても優しいのだ。

「そうね。私たちもそろそろ帰るし、あとは宿直のおじさんに任せたら。ねっ大野君」宮田さんの言葉に大野は黙って頷くだけだった。

「それじゃお先にーっ」

 そう言って僕たちは部屋を出た。それから帰るような振りをして各学年の教室がある校舎へ急いだ。そして静かに三階まで階段を歩いてのぼった。僕たちは君のクラス、つまり3年B組を覗いたが、他のクラスと同様で誰もいなかった。

 灯りのついていない教室は暗く、三日月の僅かな光が廊下側の窓を通して射し込んでいるだけだった。生徒の学習机を六つほど寄せ集めてつくった臨時テーブルの白いシートが僅かな月明かりをぼんやり反射させている。

「人のない教室って怖いねーっ」君は僕の学生服の袖口を掴みながら、言葉とは裏腹に嬉しそうだ。

「そうかな」僕は平然とそう答えたが、実は暗い場所が好きではない。暗い夜道など歩いていると、ときどき背中に何やら得体の知れないものを感じるときがある。だから一人では夜の教室なんかに絶対に入らない。しかし勿論そんなことを今ここで言うわけはいかない。

 僕たちは仄かに月明かりが射し込んでいる窓際の椅子に座った。

「秋山さん、本当にこんなに遅くなってもいいの?」

「うん、大丈夫。こんなに遅くなるのは今日が最後だしね。それに弟も自分でできることがかなり増えてきたんだよ」

「そうかぁ。でも犯人があの場所に来る確証はないよ。あくまで僕の推測だから」

「うん、それでもいいよ」やはり君の声は夜の闇を怖がってはいない。

「ヒグチの奴、ちゃんと起きているかな」

「いくらヒグチ君でも、隠れている場所では眠れないでしょ」

「いや、あいつは眠る。あいつはどこだって眠ることができるんだ。鈍いというか図太いというか」

「ある意味それって凄いよね」

「確かに、一種の才能かもしれない。けど秋山さんもある意味図太いっていうか強いよね」

「えっ、私もヒグチ君と同じ野人なの?」

「いやいや」僕は慌てて否定した。

「ヒグチとは別な意味で、内面的に強いっていうか、ちゃんとしているって思うんだ」

「ううん、私は強くないよ」

 君の声が明らかにトーンダウンしたので、僕はびっくりした。

「どうしたの?」

「河村君が私のことをしっかりしているって思うのは、私が強いからじゃなくて・・・・・・私が他人に対して諦めているからだよ」

「えっ?」

 僕は君の言っている意味に戸惑い一瞬息が止まってしまった。

 君は夜空の高い位置にある三日月をしばらく見上げていた。それから僕を真っ直ぐ見つめた。僅かな月の光の中、君の瞳はとても頼りなげに見えた。

「私の親は私が小さいころ離婚したけど、父さんとはずっと会っていたんだ」

「あっ、う、うん」僕は混乱していた。

「毎年、クリスマスイヴの夜に、父さんと食事してプレゼントをもらうのがすごく楽しみだった」

「・・・・・・」

 君は僕の顔から目を離して再び三日月を見上げた。秋の夜空にある三日月の光は儚げで、今にも消え去ってしまいそうだった。

「私が中学三年のときも、クリスマスイヴに父さんとデートした。その日はとても寒くて粉雪が降っていた。父さんは素敵なレストランで待っていた」

 君の声が二人だけの教室に静かに響いた。

「美味しいフランス料理が出てきて、私は嬉しくていっぱいいろんな話をした。父さんは最初いつもように楽しそうに聞いてくれた。だけど時が経つにつれ、いつもの父さんと違ったような気がしてきた。そして別れる時刻が近づいたとき父さんはやたら緊張して私に言ったんだ。『今日は葵にどうしても言いたいことがある』って」

 いつからか君の声は小さく震えていた。僕はこれまで、こんなに悲しい君の声を聴いたことはなかった。

「私が『えっ、何かな?』って訊くと父さんは少し困った顔で言った。『葵も大きくなったし、今日で父さんと会うことをおしまいににしよう』って。私は驚いて、『それどういこと』って訊くと、父さんは『今度、再婚するんだ』って恥ずかしそうに答えた」

 僕はただ黙って君の話を聞くしかなかった。

「私はそのとき悲しいとか淋しいというより、ああ私と父さんの繋がりって結局そんなもんなんだって思った。そのあと父さんは何か言ってたけど、私の耳には何も聞こえなかった。目の前の男の人はもう父さんじゃなかった。あのクリスマスイヴの夜、私は何かとても大切なものを無くして、それまでとは違った人間になったんだ」

 君は澄んだ瞳でずっと三日月を見上げていた。そして右手で僕の左手を握っていた。君のその右手は冷たかった。僕が途中から両手で包んで暖めようとした。だけどぼくの手のひらにある温もりは君の手には伝わらず、その温もりは何処かへいってしまった。

「ねえ河村君、大切なものは本当に一瞬で無くなるんだね」

 僕は知らない間に涙を流していた。どうしてこんなに涙が溢れるのだろうと思うくらい・・・・・・。

「ごめんね、変な話をして」

 君は僕の方を向き、何かをこらえるように無理やり小さく笑った。

「いや、そんなことはない」

 僕は涙を拭きながら、それだけしか答えることができなかった。

 十月の深く暗い空を流れる雲が三日月を覆った。夜の教室は闇に包まれ、僕たち二人はその闇に同化しているような感覚に陥った。僕にとってこの世界で確かなものは、君の小さくて冷んやりした右手だけだった。

 灰色の雲は流れ続け再び三日月が現れた。その薄い光を浴びた君は、泣き出しそうな少しだけ笑ったような表情を浮かべている。

 僕はゆっくりと君の肩を抱いた。

 君は僕の胸に顔を埋めた。そして深く熱い息をついた。

 いったい僕たちはどれくらいの間、抱きあっていたのだろう? 夜の教室は深い海の底のように闇に閉ざされ、時折僅かに白い光が射し込む。それを何回か繰り返し、時は静かに進んでいった。



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