表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
満月の夜  作者: 旅わんこ
3/15

File1 クリシュナとエルメス

 ミミル国。

 大陸の中央に位置する国だけあり、国全体を見て、とても発展している。

 各地に点在する、鉄骨を組み合わせた塔のような建物は、魔導信号を飛ばすのに使う情報通信のかなめ。民家やアパート、高層建築物を建てるのも、木材は床と内壁にしか使わず、鉄骨に断熱合成粘土を主に使っている。

 近年では、世界樹を環状に取り囲む、『英知の庭園ヴァイスガルテン』という空中巨大都市まで建造してしまうのだから、この国の建造文化は凄まじい。

 国の中央にミミル湖を保有しているため、この国は『潤水じゅんすい国家』という別名で他国から呼ばれることがあり、あるいは自称している。大きな通りには、「潤水国家ミミルに生きる、幸せと喜びを!」という横断幕や看板が掲げられている。

 そんな、進んだ文化と有り余る水に恵まれたこの国で、この国を、ひいては大陸全土を巻き込む大騒動が、はじまろうとしている。


 北東に位置する州、アクアリウス。

 その首都、サダルメリク市。

 建造技術が進んだミミルの中にもやはり、青々とした自然や、風情のある田舎町はある。このサダルメリクの第3地区は、大河に面するダウンタウン。

 ひと昔前の木造に塗り壁の民家が立ち並び、道路はレンガを敷き詰めた程度であまり舗装されていない。それでも、近代の家具や魔法機器を取り入れる家や店も多くあり、田舎町とはいえ、それなりに生活に不自由はなさそうだ。

 さて、ここサダルメリクの大きな市場、サダルメリク商店街に、とあるジャンク屋がある。そのシャッターを開けて姿を現したのは、黒髪の少女。

「っくぅ~~~っ! やっぱ、朝の空気は涼しいなぁ~!」

 その少女は、道路に出て、思い切り伸びをする。やや長めの前髪を五分五分に分け、ボブカットの髪を耳のうしろにてピンで留める。くりっとした元気そうな目つき、小さなあごと、やや幼さを残すも整った顔立ち。瞳の色も、髪と同じく、黒だった。

 服装は、上から、チェック模様の黒いキャスケット(風船のように膨らんだ大き目の鍔つき帽子)、くすんだ色のTシャツ、腰にベルトを巻いたオーバーオール、前掛けのように垂れ下がった胸当てとサスペンダー、茶色のエンジニアブーツといった具合。

 腰の右側には、工具をたくさん詰めた革製のポーチが、ベルトから垂れ下がっている。ポーチと合わせ、エンジニアブーツは、使い古されて傷とこすれが目立ち、しかし手入れが行き届いているのだろう、ツヤと色、味が出ている。

「よぉーっし! 今日も1日、がんばりますか!」


 少女がジャンク屋の作業場で朝食を摂っていると、ひとりの青年がやってくる。

「ごめんくださぁーい。」

「はーい。修理のご依頼でしょうか?」

「いえ、新聞です。今日からこの地区の担当になった者です。はじめまして、どうかお見知りおきを。」

 作業台の上に、サラダとパン、そしてマーガリンが乗った皿を置き、少女は立ち上がり、新聞屋の青年のそばに駆け寄ってきた。

「あれ? マディスおばさんは、どうしたんですか?」

「あぁ、はい。社長がもう退任しちゃったんで、マディスさんが新しい社長なんです。」

「そうだったんですか。マディスおばさん、お元気ですか?」

「はい。新社長はもう、役職が代わっても相変わらず元気そのものですよ。社長なんてしないで、現場で働きたいって言ってる程だから。」

 その青年の言葉に、少女は「あははは!」と愉快そうに笑う。

「そうでしたか。よかった、病気とかで休んだんじゃなくて。」

「あの人に限ってそんな。……ところでお宅は、レグルスさんでよろしかったんですよね?」

 青年が新聞を取り出し、地図と名簿を確認する。

 そして、少女は元気よく答えた。

「はい。あっ、名刺を。わたしは、ここ、レグルス工房の職人をしています、クリシュナ・レグルスといいます。新規注文から魔法デバイスの修理や加工、魔法のプログラミングなど、何でもござれ。ご注文をお待ちしております!」


 少女、クリシュナ・レグルス。

 年齢、16歳。

 職業、学生にして、レグルス工房の魔法機器職人。

 学校に通いつつも、その放課後は職人として、受けた注文をそつなくこなしてゆく。週に5日ある学校には3日しか通わず、そのうち1日は早退し、その代わりにほかの生徒よりも多めのテストや、レポート提出などで免除してもらっている。

 彼女が手がける仕事は、簡単な金属加工から、型が落ちた魔法機器の安価買い付けと販売、魔法機器のメンテナンス、壊れた機器の修復、魔法プログラミングといったもの。最初は、魔法機能の移植などをしていたが、今ではその機能を自作するほど、腕を磨いている。

 また、提携している企業の、特に魔法通信機器の定期メンテナンスをしたり、ラボではフォークやスプーン、カップといった、手作り日用品の販売をしたりもしている。日用品は、かわいらしい装飾も施されているため、クリシュナの作品は、主婦や子どもたちに人気だ。

 そして、この日も学校へのレポート提出を終え、提携企業にお邪魔し、自宅兼ラボに帰宅。

 ラボを開くと、棚と商品を展開。レグルス工房、営業開始だ。

 2階を経由し、屋上に向かう。アンテナの調整をすると、またラボに戻り、ラジオをつける。今日も、流行の音楽が流れている。そのラジオから流れる曲をBGMに、クリシュナは金属加工に使う机に向かい、主な金属加工装置である旋盤に、たくさんの切削工具をセット。各工具の長さを測り、それをマギア・フィラフトに入力すると、エプロンとゴーグルをかけ、飛び散る金属破片に気をつけながら、金属を削ってゆく。

 そして30個作り上げたのは、拳銃に使う薬莢。クリシュナは、丁寧に鋭い部分にヤスリをかけてゆき、その中に何かを詰め込んでゆく。だが、火薬は使わない。

 そんな、撃てど撃てない銃弾がすべて出来上がったところで、入り口から声がかけられた。

「ごめんください。クリシュナ、いる?」

「あっ、うん! どうぞ、エルメス!」

 マスクを外し、クリシュナは振り返る。開きっぱなしの入り口のそばにいたのは、インバネスコートに狩猟帽、かぼちゃパンツにエナメルの靴という姿の少女。

 名前を、エルメス・スロックノール。クリシュナより指ふたつ分背が高く、煌びやかなブロンドの長い髪と、深い色合いのやはり金色の瞳を持つ。肌は色白で、顔立ちは整っており、洗練された人形のようなたたずまい。そして立ち振る舞いも、とても上品なものだ。

 彼女はクリシュナとは学校の同級生であり、また親友でもある。探偵としての身分証明であるスターバッジは、ペンダントのようにして胸に掲げている。

「銃の定期整備を依頼しに来たのだけれど、いいかしら?」

「そっか、そろそろだったね。うん、構わないよ、そこに座って。」

「では遠慮なく。……これ、依頼品ね? ずいぶん多いわね。」

「あぁ、それね。できたてホヤホヤだよ~。」

 エルメスが見たのは、『大陸共同軍一尉 ヴァン様のご依頼品』と書かれた木箱の中に詰め込まれた銃弾。

「成る程、いい構造の『魔導弾マギア・バレット』ね。このていねいな作りは、量産型ではできないわ。」

 マギア・バレット。魔法マギアという古い言葉と、銃弾バレットの複合単語で名付けられた銃弾。

 薬莢の中に詰め込んだのは、雷管、実弾、火薬などではなく、雷管の代わりにアークル伝達雷管、真珠のような大きさと形状のマギア・フィラフト、ホローポイント弾(先端がカルデラ状にへこんでいる)のようだが先端にビーズのようなフィラフトが埋め込まれているという設計になっている。

 マギア・バレットは、実弾を発射するのではなく、使用者のアークルを凝縮し、撃ち出す、そのための銃弾だ。通常の銃弾と同じサイズであるため、リボルバーやオートマチックにも使え、エルメスも使っている。

 他にも、今しがた作ったばかりの銃弾のほか、紙製、樹脂製のクリップもある。あとでそれにはめ込むのだろう。クリップは、シリンダーと同じ円周の円盤をくりぬいて作られた、銃弾を固定するための道具だ。

「……成る程、クリップが金属製でないのは、火薬を使わない魔導式マギア・バレットは、熱によって融けたり焦げたりする心配がないからね? だから、樹脂でも厚紙でも代用可能。魔導式には非金属、実弾には金属っていう風に使い分ければ、ほんのわずかかもしれないけど、コスト削減にもなるし、軽くなる。そうでしょ?」

「なっ!? どこにも出回っていない、レグルス工房オリジナルのそれを一発で見抜くとは! さすが探偵。まさにその通りだよ。誰にも言っちゃダメだよ、特許出願中なんだからね?」

「もちろんよ。交換条件ではないけれど、あたしのも今後、そういう風にしてもらえる?」

「オッケー、ご注文承りました。じゃあ、銃貸して? 早速、整備するからさ。」


 クリシュナは、エルメスから銃を受け取ると、彼女が所持する銃の定期整備を始めた。

 一度分解し、たまった埃や爆薬の残りカス(エルメスは実弾を使うことを許可されている。たまに訓練のために撃つ。)を丁寧に取り除き、錆び付き防止の油を引き、組み立てる。一連の流れはスムーズに進み、ビスの閉まり具合を確認した後、引渡しとなる。

 最後にギャラを受け取り、エルメスの依頼は、無事終了となる。友達のよしみもあり、クリシュナは少しだけ割り引いた。

「お邪魔したわね、クリシュナ。じゃあ、あたしはこれで。」

「あー、待ってよ。一緒にお茶とか、どう? アグロティスさんから、収穫したばかりのお米と新鮮な野菜、もらったんだ。わたしのお手製、野菜の生春巻きにして、一緒にいかが?」

「お茶に生春巻き…… おもしろい組み合わせね。依頼があるまで、ご馳走になるわ。」

 こうしてクリシュナは、エルメスと一緒にお茶と生春巻きをついばみ、店番を続ける。

 メンテナンスや修理の依頼はさっぱり来ない。その代わりに、クリシュナお手製の食器や、仕入れた魔法機器なら、たまに売れてゆく。


 春巻きとお茶がなくなったところで、エルメスとのお茶会もお仕舞いとなり、ふたりは椅子を立った。エルメスは、狩猟帽とゴーグルをかぶっている。

「ありがとう、おいしい春巻きだったわ。野菜は新鮮が一番ね。」

「こちらこそどうも。また食べたくなったら来てちょうだい!」

「考えておくわ。じゃあね?」

 顧客の言う『考えておく』。それはやんわりとした拒否、よくて今すぐは決められないという、相手を傷つけることのない意思表示に使われることが多い。

 だが、エルメスの『考えておく』は、どこか期待できそうだった。おいしそうに春巻きを食べてくれた、彼女の表情を見ていれば、クリシュナにはそう思えてならない。

 そしてクリシュナは、高らかに唸るエンジンのバイクにまたがり走り出したエルメスを、姿が見えなくなるまで見送った。あとには、エルメスのバイクが響かせたエンジン音が、小気味よく残響していた。


 その日の晩。

 スロックノール邸。

 ここ、エルメスの家は、広い庭とレンガの塀に囲まれた、そして左右対称の豪邸だった。門から邸宅まではタイル敷きの道があり、たまに色の違うタイルがあり、規則的に並んでいる。

 邸宅の右隣にはガレージがあり、ガレージと車両専用の扉までは、やはりタイル敷きの専用道路がある。庭とタイルの道は柵などで隔たれておらず、庭がとても広く感じられる。シンメトリーを保つため、邸宅の左隣にガーデニング用の花壇とひな壇の鉢植えもあり、とても華やかだ。

 エルメスは帰宅するなり、ガレージに入ると漆黒の乗用車の隣にバイクを止め、ゴーグルと一緒に狩猟帽を外した。バイクは、鍵を使う代わりに、個人認証式マギア・フィラフトに手をかざすことで、機動/機能停止させることができる。

「パパ、ただいま。」

 エルメスはそう言い、玄関で屋内用の靴に履き替える。靴と言っても、サンダルだが、赤いエナメルの帯に、真紅のバラの花飾りが添えられている。

 玄関からすぐ、ダイニングとリビングを兼ねた大きな一室で、エルメスがパパと呼んだ人物が、新聞を読んでいた。

 彼の名を、アーサー・スロックノール。アクアリウス州知事にして、元・探偵。エルメスに探偵としてのいろはを教え込んだのも彼である。

 エルメスはテーブルの上に、ゴーグルを巻いた狩猟帽を置き、すぐさまメイドが出してくれる紅茶を取る。

「お帰り、エルメス。遅かったな。」

「いつものところに寄ってきたの。彼女の手料理をご馳走になったから、ご飯はちょっと遅めにお願い。アイリーンさん、紅茶は香りが控えめなものがいいわ。」

 スクールバッグにしている革カバンを、どさりと隣の椅子に置き、自分に近い位置の椅子に座る。アイリーンと呼ばれたメイドは、ティーポットを置くと、エルメスのカバンと狩猟帽を手に取り、彼女の部屋に運んで行った。

「下町工場のレグルスか。あそこの女職人の兄、ラング・レグルスには、私も世話になっている。最近会っていないが、彼は元気だろうか。」

「ええ。最近会ったのは、1週間くらい前だったかしら、とても元気よ。『自衛団』のお仕事がお休みだったみたいで、クリシュナのラボで慣れないレジをやっていたわ。」

「そうか、元気そうで何より。」

 そう言って、アーサーは新聞をたたみ、テーブルに置く。そして戻ってきたアイリーンに、少し濃い目の紅茶を頼み、今度はテーブルの中央に置かれたビスケットをつまんだ。その様子を一瞥したエルメスは、少しだけ顔をしかめる。

「シナモン入りのビスケットね。よくそんな、香りの強いものが食べられるわね、パパ。」

「シナモンは、リラックスさせる効果がある。それに、独特の香りと苦味は、確かに子どもにはきついかもしれない。いつか大人になったとき、お前もシナモンのよさが分かろう。」

「いえ、そうではなくて…… シナモンの香りは好きよ。好きだけど、メアリー菓子店のシナモンは、少しきついと感じるの。」

 ――あと、そろそろ17になるのに。

 そう、少し控えめな態度で、エルメスは父に文句を言った。

「分かった。ミス・メアリーにも、少し香りを薄くしたものを作ってみないかと相談してみるよ。」

「ありがとう、パパ。」

 こうして、アーサーとエルメスの会話は、お茶とともに弾んだ。


 自室にて。

 入浴を済ませ、ネグリジェ姿でベッドに身を放り投げたエルメスは、これまでのことを回想する。

 怪盗・満月の夜が現れ、今に至るまでのことだ。

 ――怪盗・満月の夜……

 ――政府や、あたしたち探偵の敵にして、通称、義賊。

 ――盗むものは決まって、悪徳組織が不法に得た金銭や、彼にとってどんな得があるのか分からない、しかし国にとって貴重な財産ばかり。それをあなたは、誰かの笑顔のために盗みを働くと言う。

 ふう、とため息をつくエルメス。

 右手の人差し指を宙にかざす。赤い宝玉を持つ指輪は、リモコンの役目を持つマギア・フィラフトだ。

 ベッドの天蓋の中央にある魔法のランプを指先ひとつで起動させ、逆に室内の照明を消す。天蓋のランプもあまり明るくないため、部屋は、すぐに薄暗くなってしまう。

 ――あなたのしていることは、間違いなく犯罪。だけど……

 ――それが、国民の娯楽であることも、認めざるを得ない事実。

 2度目の、ため息。

 秋のはじまり。残暑がわずかにけだるさを生む。

 エルメスは体をゴロゴロと転がし、薄い羽毛布団に包まる。そして枕を調整して、まぶたを少しだけ閉じる。

 ――人々が『義賊』と呼びたたえる満月の夜。あなたの目的は、一体何なの……?




 それは、今から1年半前の出来事だった。

 クリシュナとエルメス、当時14歳、大陸共通の教育課程、ギムナジウム(高等教育部。10歳から通う、8年ないし9年制の大学進学向け教育)4年生だった頃、『ミミル国営新聞』の一面に、とある事件が掲載された。

 それは、次の通り。


 ――――――――――――


 ――謎の泥棒、満月の夜と名乗る人物、銀行を襲う!――

 昨晩、すなわち大地の暦、第とおの勇神の日(4月10日火曜日)ネメア州コル・レオニス銀行に強盗が入り、全金銭および、歴史ある冠『獅子王の宝冠』が奪われた。

 強盗は、盗んだ金庫の全てに、サインを入れた金属製のカードを残しており、そのカードには『怪盗・満月の夜参上いたしました』と、本人直筆と思われる、いぶし液によるサインがされてある。

 怪盗・満月の夜は、犯行の5日前にすでに予告文を銀行に送りつけ、獅子王の宝冠を用意せよ、答え無き場合、こちらで所在を突き止め是が非でもいただく、と述べている。

 犯行当日、レオニス銀行には厳重な警備が敷かれた。にもかかわらず、怪盗・満月の夜は、トラックにも積みきれないほどの金銭を一瞬にして奪い去り、更に、銀行の屋根に上って、金庫にて厳重に保管されているはずの宝冠を夜空に掲げ、成功を宣言。ネメア州自衛団が追いかけるも、満月の夜は屋根伝いに飛び、行方をくらました。

 ネメア州自衛団は、満月の夜の犯行手口を解明するとともに、犯人の行方を追っている。


 ――――――――――――


 ……その記事が掲載された直後、当時の国民は、騒然とした。

 ミステリー小説にあるような大泥棒が現れたとか、世の中を引っ掻き回して何が楽しいのかとか、驚愕のほかに批判的な言葉が多く飛び交った。あるいは、ミステリー小説に感化された愚か者がただ目立ちたいだけだとも。

 そして、国の直属の防衛組織、自衛団の大きな汚点としても取り上げられ、自衛団、そしてコル・レオニス州の役人たちが、国民からいっせいに批判を浴びた。子どものお遊びのような泥棒に、一体何をやっていたのだと。


 しかし。

 その後も、怪盗・満月の夜は、名前以外の一切のプロフィールを明かさないまま、必ず数日前に予告文をターゲットの管理者に送りつけ、そしてそれを盗んでいった。それも、現れる日は決まって、満月が輝く日の夜、深夜0時きっかりだった。

 ある時は、とある銀行の金庫。満月の夜が盗んだのは、やはり宝石や現金。だが、のちに分かったことだが、満月の夜が狙った銀行は大抵、大企業との癒着があり、いろいろと汚い手段で金銭を得ていた所ばかりだった。満月の夜は、それを『還元する』と称し、盗み出していた。

 狙った銀行が破綻したあと、口座の持ち主に確かに全額還元し、余ったお金は懐に納めることなく、ボランティア団体に寄付したという。その時点ですでに、別の犯行を1件終えていた。

 またある時は、ディケオス州の一流流通企業の金庫だった。そこから盗み出したのもやはり、現金と宝石、数々の魔法機器とそれを搭載した武器という武器。何でもその流通企業は、裏のルートにて大量の武器と政府から盗んだ情報などなど、様々なものを犯罪組織に流していたことが分かった。

 また別の日は、17年前の戦争で使われた、敵軍、終焉の魔女リンドワームの三叉の槍『トリアイナ』、大陸側に味方した魔族の王ナーガラージャの武装『漆黒の鎧』が盗まれた。どちらも、国立大陸歴史館に保管されていたもので、貴重な文化財であった。これには政府も怒り心頭だったが、どういうわけか、それらは盗まれたときと同じ状態で、厳重に梱包されて返還されたのだった。

 そして、それらの事件のあと、かつての名探偵アーサーの娘にして探偵の資格を得たばかりの新米探偵エルメスを、政府直属の探偵として、満月の夜の逮捕のために導入した。

 また、エルメスが満月の夜と初めて邂逅したその事件こそ、満月の夜を、大多数の国民の注目を一気に集め、その名を知らしめるきっかけとなった、神にも為しえないであろう、奇想天外な出来事だった。




 ――そう、あの事件。

 ――あの日、満月の夜は。


 自室にて、一度ベッドの上に放り投げた体を、エルメスは起こし、再び部屋の照明を灯し、机の上にあった『エルメス事件簿』の、とあるページを開く。

 それには、こう題されていた。

 ――「誰にも盗めないものを、盗んでしまった。」


 『怪盗・満月の夜 夜空に輝く満月を盗む。』

 ……と。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ