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満月の夜  作者: 旅わんこ
12/15

File8 平和を求め戦うこと

 ついに現れた、イレイザー・ヴリトラ。

 彼と対峙する、クリシュナとエルメス。

 ヨルムンガンド、役人たち、ラングや兵士たちが固唾を呑んで見守る中、大陸の命運を賭けた戦いが、始まる。


 途端。

「うらぁ!」

 ヴリトラは、腰から左右のナイフを抜き、両手にそれを構え、エルメスの目の前を突破し、クリシュナに襲い掛かる。前触れもなく、目にも留まらぬ速さで駆け抜けるその様は、獲物を狩ろうと標的につかみかかる、獣のごとく。

「っ!?」

 クリシュナは、とっさに後方に回避する。その表情には驚きと焦りが見え、着地し、態勢を整えた直後、荒い息をつく。

 ――何? 何なの、あのスピード!

 ――強靭な脚力とバネ、そして前触れなしの急加速……

 ――あいつ、見かけ以上の化け物じゃない!?

 初手を外したヴリトラ。ギロッとした目つきで、クリシュナを見据える。今度こそ、獲物を駆るつもりのようだ。

「やるねぇ、なかなかの反射神経だ。だが、いつまで逃げ回っていられるかなぁ?」

 ナイフを構え、再びつかみかかるヴリトラ。だが、クリシュナは壁際に向かって走り、何と壁を斜めに走り、そのまま空中に身を躍らせたかと思うと、右腕の袖からワイヤーを伸ばす。そのワイヤーは、シャンデリアに絡みつき、クリシュナはそのまま宙を舞った。

「殺される前に、逃げる! わたしは盗むべきものを盗んだ。そして最後に、本当に水を盗めば、為すべきは終わる!」

 ワイヤーをリールで巻き取り、クリシュナはシャンデリアにぶら下がる。眼下では、銃を構える警備兵たちや、ナイフをしまいマシンガンをクリシュナに向けたヴリトラが、こちらを見上げている。

「手前ぇの盗みなんざ、俺様には関係ねぇ。お前はここで、死……」

 ……すると。

「行きなさい、満月の夜。」

 何とエルメスが、クリシュナに逃亡を促した。

「エルメス?」

「あなたは、改めてあたしが逮捕してあげる。あなたの死体なんて、あたしは見たくない。」

「……政府直属の探偵たるあなたが、泥棒であるわたしを、見逃すっていうの?」

「そうよ。あとからちゃんと追いかけて逮捕してあげるから、安心して逃げなさい。」

「………… ……そう。それでは、ありがたく。」

 クリシュナはそう言うと、空中で身を翻し、シャンデリアの上に登る。ラングも、エルメスを見やるだけで、警備兵に射撃の指示をしない。エルメスの判断に、行く先を委ねるつもりなのだろう。

 だが。

「………… ………… ……ざっけんなよ?」

 ただひとり、背筋も凍りそうな声で、小さくつぶやく。

「ヴリトラ……?」

「ふざけんじゃねぇぞ、この小娘。俺様は、せっかく合法的に人が殺せると思ってここに来たんだぞ……? 10年以上、殺してねぇんだぞ? それなのに、せっかくの獲物を、逃がしてたまるかよ。」

「ヨルムンガンドは大臣席を去り、彼は権限を失った。すなわち、満月の夜の合法的殺害許可および命令も、その効力を失った。よって満月の合法的殺害許可および命令は撤回され、あなたの出撃命令も取り消された。それに、まだあたしには、満月の夜を逮捕する『機』があるのだから、殺さないに越したことはない。」

 エルメスは、高らかに宣言した。満月の夜を、殺すことなく逮捕することを。

 それに驚くラング以下、警備兵たち。

 同様に言葉を失う、ヨルムンガンドや役人、大陸共同軍の士官たち。

 そして今回の標的たる、怪盗・満月の寄ることクリシュナ。

 誰もが驚きのあまり黙りこくる中、エルメスは堂々たる態度で、宣言した。

「いかなる理由があろうとも、あたし、政府直属探偵エルメス・スロックノールの誇りにかけて、対象たる怪盗・満月の夜は、命を保障したまま逮捕してみせる。」


 だが、その言葉に。

「………… ………… ………… ……ふっ。」

 ヴリトラは、エルメスをあざ笑うかのような笑みをこぼした。

「バーカ。」

「えっ……?」

 ヴリトラの意外なリアクションに、エルメスは驚く。

「俺様は…… 殺せればいいのさ。そう、17年前の戦争で、つ大陸の連中をそうしたように、この手で血祭りにあげられれば、それでいいのさ。だからな? 殺せる対象が満月の夜だろうと、たとえそうでなかろうと。」

 途端。

「……ッ!?」

 エルメスは、居すくむ。

 彼女に対し、狂気に満ちた視線を向け、ヴリトラはナイフを構えていたのだから。

「17年前のあの感触を味わえれば、誰でもいいんだよ。」

 途端。

「エルメス、避けて!」

 クリシュナが叫ぶ。

 何と、エルメスに向かって、ヴリトラは右手のナイフを繰り出していた。そう、何の前触れもなく、唐突に、突発的に、その凶刃は繰り出されたのだ。

「ッ!」

 エルメスはとっさに後退。剣を構えるラングの胸に、背中から飛び込んでしまう。

「大丈夫か、エルメス!?」

 左手で彼女の肩を抱くラング。そんな彼に、エルメスは、何とか、と答えた。

 そしてラングは叫ぶ。

「お前、どういうつもりだ、ヴリトラ!?」

「言っただろ? 殺せればいいんだよ。俺様は、満月の夜を殺すためにここに来た。それなのにその小娘は、生きたまま逮捕するために逃がすとか言い出した。その罪は重いぞ。俺様直々に、死刑を下す。そして満月の夜の代わりに、探偵エルメス、お前が俺様に、殺されろ。」

 そこに、軍服の男が叫ぶ。

「やめるんだ、ヴリトラ! 標的は怪盗・満月の夜のみのはず。それ以外の人間は殺すなと言ったはずだ!」

「黙れ。その満月の夜を逃がしやったんだ、この小娘も一緒だぁあああ!」

「ならば!」

 スーツの女性が、マギア・フィラフトを掲げる。

 そう、ヴリトラの首に設置された、神経断裂爆弾を使用するつもりだ。

「軍の命令違反とみなし、お前を……」

 その言葉に、続きはなかった。

 何とヴリトラは、一瞬にしてスーツの女性に詰め寄り、ナイフを振り上げた。女性の右腕に深い傷をつけ、フィラフトを起動させなくした。ナイフでは充分な切断力はなかったため、もしヴリトラが持っていた獲物が剣であったとしたら、女性の右腕は今頃、吹き飛んでいただろう。

「だらぁ!」

 そしてヴリトラは、右手に持ったナイフの柄を、女性の左側頭部に叩きつけた。女性は首をグキッと鳴らし、近くにいた役人の上にどさりと倒れこんでしまう。死は免れたようだが、脳、そして左首筋や肩の筋肉や筋が、異常をきたしていることだろう。

 そして、女性の手から、神経断裂爆弾のスイッチが零れ落ちる。ヴリトラはそれを、ブーツの踵で、強く踏み潰してしまった。これではもう、爆弾を起動し、ヴリトラを『処分』することは、できなくなってしまった。

「手前ぇらに殺されてたまるかよ。何が軍の命令違反だ。俺様はなぁ、戦いを、殺しを、楽しめればそれでいいんだよ。誰にも邪魔なんかさせるか。」

「貴様、ヴリトラぁぁぁぁぁぁあああっ!」

 軍服の男性が銃を構える。獲物は、魔導弾を使用したオートマチック式の拳銃だった。

 だが、彼が引き金を引く前に、ヴリトラは急接近。彼の腹部に、ブーツによる強烈な蹴りを見舞っていた。そのまま男性は、近くの壁に激突。腰から腹部のあたりに位置する背骨が砕けたか、股関節ではなく腹部で、胴体が折れ曲がっていた。

「何か、言ったか? え?」

 ヴリトラに蹴飛ばされた男性。彼は、内臓まで潰されたのか口から大量の血を吐き出し、意識はあるものの、しかし背骨が砕かれたせいで、起き上がることもままならない。


 惨劇が繰り広げられた。

 この男は危険だ。そう察したラングは、エルメスを抱えたまま大声で叫ぶ。

「本作戦責任者ラングより、この場にいる全員に告ぐ! 戦いに巻き込まれたくない者は早々にここを去れ! 満月の夜、死にたくなければお前も逃げろ!」

 途端、ヴリトラは、エルメスとラングめがけて、再びナイフを繰り出す。

 ラングは彼女の肩を強く押してヴリトラの攻撃を回避させ、自らもエルメスの反対へと飛びのく。そして、その場にいた兵士たち、役員たちも、逃げろ、逃げろと叫び、慌てふためきながら、大広間を去る。まともな思考、判断力を失ったヨルムンガンドは、大広間の護衛兵に両脇を抱えられ、最後に撤退する。

「小娘をかばうか、黒髪。ならば貴様も、ともに殺されろ。」

「へぇ? 『死ね』じゃないんだな。」

「ああ、そうとも。俺様は任務を楽しみたいだけなのだ。楽しみは多ければ多いほうがいい。」

 そしてやはり、大きな前動作もなく、ヴリトラはラングにつかみかかった。ラングは両手に握った長剣で応戦する。長剣はリーチが長く、ナイフを持つ相手には有利の武器。だが、ヴリトラは左右のナイフを巧みに使い、強引にラングのふところへともぐりこもうとする。

 ぶつかる刃。響き渡る鋭い音。ラングとヴリトラによる、熾烈な戦いが繰り広げられる。その様子を、クリシュナとエルメスは固唾を呑んで見守る。

「ひははははは! どうしたどうした、キレ者の団長さんよぉ? 口ばかり一丁前で、指揮ばかり偉そうに執って、剣の腕はその程度か? 笑わせるよなぁ。俺様には遠く及ばねぇよ!」

「冗談言うなよ。こっちも、ただ試験だけ受けて団長に成り上がったわけじゃないんだ!」

 ラングは強気に戦う。だが、実力は間違いなく、ヴリトラが上回っている。フットワークでヴリトラの左右に回避し、壁際に追い詰められることは避けているが、それでも、押されていることに変わりはない。

 クリシュナは叫ぶ。

「エルメス! このままだとラングが危ない!」

「分かっているわ!」

 そう答え、エルメスは思考する。

 ――下手に銃士隊を呼び戻したって、陣形が乱れれば余計な人的被害を生む。かと言って、このままだと、ラングさんはヴリトラに殺される。

 ――……そうね。ならば、こちらに有利な状況下に、敵をおびき出すのみ!

 エルメスはコートの中から、銃を抜いた。

「たっ!」

 エルメスは片手で構え、左手は空中に添え、ヴリトラの背中めがけて発砲した。ちょうど、ラングとヴリトラが目の前で並ばない状況下だからこそできた銃撃だ。

「あぁ!?」

 エルメスが放った銃撃魔法。それを、ヴリトラは難なく回避した。あとには、青白い閃光だけが、空中に奇跡を描き出すのみ。銃撃は大理石の壁に命中し、光の粒となって消滅する。

「この、小娘……!」

「ラングさん、外に出ましょう! 五稜郭にて、満月の夜対策にそろえた戦力を!」

 それだけ叫ぶと、エルメスは大広間の西側の壁に面する階段を駆け上がり、大広間から棟の西側に続く廊下へと逃げ出した。そしてそんなエルメスを、ゆらりと身を揺らしたヴリトラが、追いかけようとする。

「逃がすか!」

 だが、そんなヴリトラの足元、大理石の床に、魔法の閃光が命中。

 何とシャンデリアの上から、クリシュナが発砲していた。手にしているのは、魔導銃だ。

「貴様、満月の夜……?」

「人殺しが趣味とはたいそうなもので。あれかな。17年前、大陸共同軍の軍人として大陸間戦争に参加した際、敵を殺す手応えと感覚、血の臭いに取り付かれ、人格ぶっ壊れた、アレな人かな?」

「ヒャハハハハ…… おう、悪趣味結構ォ!」

 すると、ヴリトラはナイフをしまい、腰からマシンガンを抜き、そして自らのアークルを開放した。自らの意思を魔法デバイスにつなげると、シャンデリアめがけて乱射する。機構こそ魔法だが、撃ってくるのは実弾だった。

「ちっ!」

 クリシュナは、その銃弾が命中する前に跳躍し、大広間に飛び込むために割った窓の窓枠に飛び移る。そして赤いマフラーをはためかせ、窓の外から飛び出した。

 連続した銃声がやむ。大広間にひとり、ヴリトラが取り残される。だが彼は、仕留め損じたことを怒ることも悔しがることもせず、ただ、薄気味悪い笑みを浮かべるだけだった。

「ケヒヒヒヒヒ、ヒャハハハハハ……。」

 そしてゆらりと、操り糸を失った操り人形のように、やはり不気味な動きで、大広間の出口へと向かう。銃弾の切れたマシンガンを再び捨て、手に取るのはふた振りのショートソード。それは、錆と刃こぼれが目立つ、多くの人間を切り刻み、その血と肉で汚れきった、不気味な姿をしている。

「ヒャーッハッハッハァ…… みんなまとめて、血祭りに上げてやらぁ……!」

 彼の目に満ちているのは、もはや狂気などという言葉にとどまらない。

 もはや、発作や病気とまで呼べるレベルの、常軌を逸した殺人欲だ。


 オルドー庭園。

 五稜郭城壁。

「レグルス!」「無事だったか!」

 たくさんの同胞たちが出迎える中、アルカウス、エンシェントが、真っ先に駆け寄ってきた。

「ここにいる全員、中の様子は把握している。ラング、これからどうする?」

 エンシェントが問う。だが、ラングは立ち止まることなく、ふたりの間を割って突き進み、五稜郭城壁へと続く階段を上りながら、エンシェントに答える。

「了解だ、ヴァン。そうか、把握しているなら話は早い。満月の夜を標的から外す。政府直属の探偵スロックノールの判断により、満月の夜はこの場は見逃す。だが、今回のために呼ばれたヴリトラが、見境なく我々を殺そうとし始めた。だから!」

 自陣に帰還したラング。

 重要な部分のみを、拡声魔法によって、指示を下す。オルドー全域に、彼の声がこだまする。

「告ぐ! この俺、本作戦責任者たるラング・レグルスの権限により、新たなる標的は、殺人衝動に犯された、大陸共同軍所属イレイザー、ヴリトラとする。現在のヴリトラを危険人物Sクラスと認め、ヴリトラの殺害を許可、発令する。

 総員、持ち場に着け。その後、全指揮権は俺が再度掌握しょうあくする。Si vis pacem, para bellum.……平和を望む我が同胞たちよ、今こそ、戦いに備えよ!」


 オルドー中央棟、屋上。

 エルメスはそれまで空を照らしていたバイクのヘッドライトを元の位置にただし、シートにまたがった。そこに、クリシュナも現れる。ワイヤーをもちいた立体的アクションによる、華麗なる登場だ。

「エルメス! 水を盗むのはとりあえず後回しにする。殺人衝動に心を蝕まれたヴリトラを押さえ込むことが先決だ。このままだと、多くの人がヴリトラの餌食になる!」

「ええ、あなたの言う通りね。でも、それだけではダメよ。」

 すぐに行動に移せるよう、個人認証のロックは解除してある。エルメスはハンドルを握り、すぐさまエンジンを起動させる。そしてクリシュナは、エルメスの言葉に聞き返す。

「えっ…… どういうこと……?」

「押さえ込むなど生ぬるい。ヴリトラは、人を殺すことにためらいを持たず、いえ、殺すことを楽しんでいる、最悪の危険人物。ラングさんが発令したとおり、最悪の場合、殺すのみ。

 あなたも、自分の命が惜しければ、今一度、その覚悟を決めることよ。やつには、奇麗事など通用しない。」

「でも、それでも……っ!」

「あなたの望みは!」

 エルメスは、クラッチを握りながらハンドルを強くひねり、エンジンを高鳴らせる。その高鳴りがわずかに収まると、彼女は叫ぶ。

「……大陸に平和をもたらすことでしょう。ねぇ、クリシュナ?」

 何とエルメスは。

「えっ……?」

 満月の夜の正体を、自分の親友たるクリシュナであると、すでに見破っていたようだ。

「どうして、わたしの、満月の夜の正体を……?」

「親友だもの。そして、パパやラングさん、あたしと同じ、ひとつの理想を共有する者だもの。」

 そして、エルメスは狩猟帽の上から、目元にゴーグルをかける。

 呆然と立ち尽くすクリシュナ。そんな彼女に、エルメスは返す。

「たとえ、かたや政府直属の探偵、方や重罪人であろうとも、志すはひとつ。立場は違えど、共に戦いましょう。運命という、切り拓くにふさわしい難関に!」

「……うん。エルメス。」

 正体を、とっくのとうに見破られていた、満月の夜=クリシュナ。

 帽子を外して放り投げ、ゴーグルから茶色い遮光フィルムを剥がす。漆黒の髪が風になびき、凛とした目がエルメスの視線を受け止める。

「一緒にに、大陸の未来を拓こう!」


 オルドー庭園。

 オルドー中央棟の正門より、ヴリトラは現れた。そこに、ラングの指揮が飛ぶ。

「ラングより総員へ。以降、ヴリトラを標的と呼称する。槍術隊は指示あるまで待機。銃士隊1班、2班、5班、標的に照準合わせ。撃ち方用意。……撃て!」

 ラングの合図とともに、隊員はいっせいに銃撃する。いくつもの銃声が轟き、青、赤、様々な色の閃光が、ヴリトラに襲い掛かる。

 だが、ヴリトラはそこから動くことなく、ただ、不敵な笑みを浮かべているだけだった。

「ふっ……!」

 ――弱ぇなぁ。

 閃光は命中し、様々な色合いの光が炸裂する。その光で、ヴリトラの姿がホワイトアウトしてしまう。仕留められただろうか。ラングは、魔力アークルの光と煙で姿が見えなくなったヴリトラを、双眼鏡で見やる。

「命中確認。生死は、不明。」

「やりましたよ、団長。実弾にあらずとも、あれだけの銃撃魔法を食らって立っていられるやつなんて……」

 だが。

 銃撃魔法の煙の中から、歩いてくる者がいた。

 その人物こそ、まさにヴリトラだった。

 服こそ破れているが、その肉体には一切の傷を負っていない。皮膚が赤くなってはいるが、腫れていると言うほどでもない。

「レグルスより。標的の生死確認。状態、無傷……」

「なっ……?」

「これが本物の銃弾だったらとっくに死んでいただろう。だが、長時間の待機と緊張で疲弊した俺たちのアークル制御ではこんなものだ。……来るぞ、気を引き締めろ!」

 すると、その途端。

「俺様を舐めんじゃねぇぇぇぇええ!」

 ヴリトラは腰から2本の短剣を抜き、凄まじい速度で1班の陣に襲い掛かってきた。すかさず、ラングの指示が飛ぶ。

「1班槍術隊、迎え撃て! 3班と4班の銃士隊はそれぞれ、2班と5班の銃士隊に加勢。すべての班の槍術隊、人員配備完了し次第、標的を駆逐せよ!」

 そこからは、ヴリトラ対大勢の槍術隊の、凄まじい接戦となった。だが、1班はものの十数秒で全滅し、他の班から集まった槍術隊も、じわじわと戦力を削がれ続けている。

 そしてとうとう、ヴリトラは五稜郭城壁の階段を駆け上り、銃士隊員にまで襲い掛かった。ヴリトラは容赦なくふた振りのショートソードを振るい、銃士隊員を薙ぎ払ってゆく。ヴリトラを仕留めようとむやみに発砲して、流れ弾が仲間を襲ったり、ライフルの先端にある銃剣で迎え撃つも返り討ちにされたり、もはや五稜郭城壁はラングの指揮もむなしく、大混乱に陥ってゆく。

「くそっ……! こんなことになるなんて、想定していなかった……!」

 悔しがるラング。ギリッ、と歯を鳴らす。ならばと、自分の剣を手に、暴れまわるヴリトラを迎え撃とうとするが。

「待ってくれ、ラング。」

 そう声をかけるのは、エンシェントだった。

「ヴァン?」

「ここは、狙撃隊以外を撤退させよう。誰もいなくなった時、遠距離にて狙撃するんだ。」

「だが、遠距離からの魔法銃撃では、威力が……」

「これ以上、ヴリトラによる犠牲を出さないためだ。頼む!」

 迷っている暇はない。今もなお、ヴリトラの凶行に仲間が傷ついてゆく。すでに自陣では、たくさんの血が流れている。ヴリトラがラングの前まで迫っている。

 そしてラングは、決断した。

「くっ……! ………… ……レグルスより総員へ! 槍術隊、銃士隊は撤退! 動ける隊員は負傷者を救護!」

「させるか仕切り屋ぁぁ!」

 途端、ヴリトラは人垣を越え、壁を走り、ラングに襲い掛かった。彼の双剣はもちろん、腕まで血にまみれている。その緋色に染まった剣身を振りかざし、ラングめがけて振り下ろす。

「くっ!」

 紙一重のところで、ラングは長剣で受け止める。彼の顔に、ヴリトラがこれまで切り刻んできた者の血が降りかかる。さすがに、いい気分はしない。

「ケヒヒャヒャハハ……ァッ! 今度こそ、殺してやらぁーッ!」

「血の臭いにとうとう理性が吹っ飛び始めたか。あぁいいさ、相手になってやる。」

 そして五稜郭城壁の1班の陣で、ラングとヴリトラの壮絶な接近戦が始まった。

 方や確かな剣術と戦略に長けた有能な自衛団長、方や血の臭いと人を斬る感触を求めて暴れまわる殺人鬼。強さの質こそ違えど、その実力は共に高い。

 その様子を、オルドー中央棟の屋根の上で見守る、クリシュナとエルメス。ゴーグルから遮光フィルムをはがした今は、シールド越しにクリシュナの素顔が確認できる。彼女たちの得物は、形式こそ違えど、ともに銃。クリシュナは魔導式、エルメスはリボルバーだ。

 クリシュナが言う。

「ヴリトラに、生半可な銃撃魔法は効かない。それに、遠距離からだと威力が半減する。やっぱり、至近距離からの直接攻撃じゃないと、わたしたちの攻撃も通じないよね?」

「でも、いくら威力が低くても、数打てばダメージは蓄積するわ。あたしたちも加勢しましょう。乗って、クリシュナ。五稜郭まで、駆け抜ける!」

「うん!」

 クリシュナが銃をホルスターにしまい、バイクの後部座席へと乗り込むと、エルメスは再びハンドルを強く回し、クラッチをつなげる。勢いよくバイクは屋上を走り出し、東側の塔へと向かう。

 が……

「ねぇ、ところでエルメス?」

「何?」

「屋上と城壁(五稜郭)、橋か何か渡されてる?」

「いいえ。」

「じゃあ、どうやってここまで運搬したの? って言うかどうやって降りるの!?」

「飛ぶのよ。」


 途端。

 クリシュナは絶叫した。

「無ぅ~~~~~謀ぉ~~~~~うぉ~~~~~ッ!」

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