95.王宮炎上サバイバー系天女再来セレモニー<2>
国境を越え鋼鉄の国から塩の国に移動し終わると、どこか肌にまとわりついていた淀んだ空気が消えてなくなった感覚を覚える。
それをパレスナ王妃達も感じ取ったのか、「なんだか明るくなった?」などと言い合っている。
「塩の国は善の気に満ちています。人々が幸福で、清く正しく生きている証拠ですね」
私はそうパレスナ王妃達に説明する。
「肌で感じ取れるほどなのかしら?」
「それだけこの二つの国の差が激しいということです。あの様子では、鋼鉄の国の各所で魔物が発生していることでしょう」
パレスナ王妃の疑問に、私はそう答えた。
鋼鉄の国が悪気に飲まれていたのは、はたして独裁者の治世によるものか、敗戦による人々の意識の落ち込みようによるものか。
とにかく、この世界樹の世界においては、人類は善と悪の気に敏感なのだ。そして普段、善の気で満ちているアルイブキラの王城に住んでいては、あそこまで淀んだ悪気に触れることも少ないだろう。
「うちの王城はわざわざ善意を計測して数値化しているからねー。おかげで、不正とかとは無縁でいられているよ」
そう国王が誇らしげに答える。
アルイブキラは世界樹教を国教としているから、世界を善意に満たすことに積極的だ。
国民を幸福にし、善に生きるように促している。「衣食足りて礼節を知る」なんて言葉が前世にはあったからな。政治と善の気は密接に関わっている。
ちなみに先日、鋼鉄の国武装衆のカタツナがぽつりとこぼしていたのだが、鋼鉄の国では今、山賊が出現しているらしい。さすがにこれだけの騎士を連れた一行を襲うような、度胸のある山賊はいないようだが、行商人の被害は大きいらしい。
鋼鉄の国の併合後、どう国を立て直すか政治手腕が問われる状況だな。塩の国は他の大陸と繋がった土地を手に入れる代わりに、国費持ち出しで鋼鉄の国を救わなければならない。大変だ。
ああ、商隊をこちらの大陸に派遣している商人のゼリンには、帰ったら山賊のことを教えてやった方がいいな。
そんなことを考えながら、車内で雑談をして移動の間の暇を潰した。キリンゼラーの使い魔はいい加減移動に飽きたのか、反応がほとんど返ってこない。本体が使い魔に意識をさほど向けていないのだろう。
そうしているうちに、本日の宿泊先に到着する。
そこは、塩の国でも一番の名所と言われている場所。塩湖である。
日はまだ高く、今回は観光を兼ねてこの塩湖周辺を宿泊先に設定したようだ。
同行者達は皆、馬車やメッポーから降り、塩の国の外務大臣による案内で塩湖に近づいていった。
「ここが、世界樹でも有数の塩湖です。水に塩が大量に溶けており、塩水を沸騰させて蒸発させることで、塩を精製することができます。ただ、先日カタツナ氏が言っていたように、木材価格の高騰があるので塩湖での塩の生産は滞りがちなのですが……」
世界樹の上は風が弱く、塩湖には潮の満ち引きもないので、前世の地球であったような塩田は存在しない。この塩湖では、どのような手順で塩を精製するのかは知らないが、木材を大量に必要とするらしい。
これもまた、併合後のアルイブキラとの交易本格化で解決される事柄なのだろう。わざわざ外務大臣が見学をさせるわけだ。
「この塩湖では、塩水の中で生きる特有の生物が大量に生息しています。種を保護するため漁は制限されていますが、それでも結構な数の塩湖産食品が庶民の食卓に上っていますよ。特に貝がよく採れます」
「貝!」
「貝だと?」
「あの貝ですか?」
外務大臣の貝という言葉に、アルイブキラの面々がざわつく。そう、彼らにとって貝は特別なのだ。
「あの、よろしいかしら?」
パレスナ王妃が外務大臣にそう問いかける。
外務大臣は「なんでしょう」と得意げな顔をしてそれに答えた。
「貝ということは、お金の原材料がここで採れているということかしら?」
「はい、そうですね。採れた貝殻を貨幣の素材として、周辺諸国に提供しています。『幹』に認可された正式な国家事業です」
その外務大臣の答えに、「おおっ!」とアルイブキラの面々が盛り上がる。外務大臣は得意げな顔を続けている。
そう、この周辺諸国では、貝が貨幣となっているのだ。金貨や銀貨ではない。
アルイブキラの川にも貝は生息しているのだが、小ぶりで見た目が美しくないのだよな。その点、この塩湖の貝は大きくて、かつ白く美しい。
「当然、貝の密漁は厳しく取り締まられています。皆様も、塩湖のそばで貝を見つけても、拾ってはいけませんよ。ああ、あちらのお土産屋に貝のアクセサリーが売っていますので、後で是非ご覧になってください」
その言葉を聞いて、一塊になっていた侍女の集団がきゃあきゃあと騒ぎ始める。貴重な貝を使ったアクセサリーだ。物によっては宝石を上回る価値があるだろう。そして、さらに貴重な真珠のアクセサリーなんかもあるんだろうな。
この場に居るアルイブキラの面々は皆、騎士も含めて貴族階級にあるが、それでも貝は魅力的に映っているのだ。いや、むしろ装飾品の素材として貴族の方が貝に目がないのかもしれない。
そうして、一行はさらに塩湖に近づいていった。
陸地から塩湖の上に伸びている桟橋が複数あり、その桟橋が集まって水上拠点となっている場所に案内される。
ふーむ、ここはもしや……。
「ここは、市民が塩湖の魚を獲ることを許されている、釣り堀です」
その外務大臣の言葉に、国王が強く反応した。
「王女殿下から、国王陛下は釣り堀事業に強く関心を抱いていると聞き及んでおります。是非見学していってください」
「そこは見学と言わず、是非、釣ってみたいなぁ」
「ええ、問題ありませんよ。夕餉の時間までまだまだ余裕がありますので、皆様も釣りを楽しんでいってください。もちろん、お土産屋に寄っても構いませんよ」
そんな会話を国王と外務大臣が繰り広げた後、場は解散となり各々自由な時間を過ごすことになった。
とは言っても、皆、職務がある。私達侍女は順番に休憩することとなり、休憩の時間が来るまでは主人に侍ることになる。
私は最初に休憩をもらったので、ククルやカヤ嬢達への土産として貝のアクセサリーを買った。だが、悩むこともなく即決で買ったので、まだ休憩時間は余っている。かと言って、釣りをする時間があるほどではなく……。
桟橋が格子状に架けられてできている釣り堀の上を私はぶらぶらと散歩することにした。
釣りに挑戦している人達は慣れていないのか、釣り堀の説明員に手助けを受けながら糸を水面に垂らしている。
そんな中、釣りもせずただぼんやりと塩湖を眺めている一人の男がいた。カタツナである。
「アルイブキラの侍女か」
私の視線に気づいたのか、こちらに振り向いて彼はそう言った。
「カタツナ様は釣りをしないのですか」
彼の隣に行って、私はそう話しかけた。やることもないし、雑談タイムだ。
「釣りはやったことがなくてな。狩りは得意なのだが」
武装衆は鋼鉄の国で魔物退治を担う集団だ。野獣を狩るのもお手の物だろう。
「そうなのですか。やってみれば意外と楽しいですよ」
「……カヨウ夫人は水を嫌っておってな」
塩湖を見ながらカタツナがぽつりとそんなことを言いだした。
「だが、風呂は好んでおった」
水を嫌い、風呂を好むか。まあ、天使や悪魔ってそういうものだからな……。
体温を下げる水浴びは避けるが、体温より高い熱い風呂は好む。彼らは熱で動く存在だ。
「ゆえに拙者らはカヨウ夫人の風呂焚きのために薪を持ち寄ったのだが、慈悲深いカヨウ夫人からは、民が苦しんでいるのに自分はそのような贅沢はできぬと、慈悲深き言葉をいただいたものだ」
カヨウ夫人のことについて、カタツナは饒舌に語る。私はどう答えればいいのだろう。
そう思っている間にも、話は続く。
「だが、夫人は別に不潔な姿を見せていたわけではなく、むしろ清らかで美しい姿を常に見せていた……」
天使や悪魔は生物のようで生物じゃないから、皮膚から垢とかの老廃物が出ないんだよ。
そりゃあ、砂埃を浴びたら洗わなければならないが……。
私がそこまで考えたところで、カタツナは横に立つ私に向き直って、言った。
「なあ、アルイブキラの侍女よ。否、殺竜姫よ。カヨウ夫人を我らのもとへと返してもらえぬか?」
久しぶりに聞いたな、殺竜姫って二つ名……。
「夫人は跡形もなく消し飛びましたので、無理です」
私は、そうはっきりとカタツナに答えた。そう、カヨウ夫人はネコールナコールと同化するのを拒否し、自爆して跡形もなく消滅したのだ。
実は生きて……などということもない。あのとき、カヨウ夫人の周囲には厳重な結界が幾重にも張られていたのだ。姿をくらますことなど不可能だ。
「それがおぬしらの答えか」
「事実ですので」
死者は帰ってこない。天使や悪魔は魂すらも持たないので、死を迎えると完全に消滅する。
「そうか……」
そう言って、カタツナは私のそばから去っていった。
慰めの言葉なんてかけるような仲でもないし、私はどうすればよかったのだろうか。
◆◇◆◇◆
「エイテン名物塩釜焼きです」
釣り堀での休憩時間を終え、塩湖のそばに建てられた高級宿で夕食を取ることとなった。
国王夫妻には専用の個室が用意され、そこに料理が運ばれてくる。私は主人であるパレスナ王妃の補佐だ。ほとんどの仕事は侍女のフランカさんがやってくれるから、私はパレスナ王妃の後ろでじっと立っているだけの仕事だが。
「これが塩釜焼きかー。初めて見るね」
国王が、出された料理を前に、ワクワクした様子で待機している。
一方、パレスナ王妃はどこか引いた感じだ。私は彼女の後ろに立っているので、表情は見えないのだが。
「ええっ……これって、塩の塊じゃないの?」
そうパレスナ王妃が言う。やっぱり引いていたようだ。
そんなパレスナ王妃の反応を見て、面白そうに外務大臣が答えた。
「ええ、塩湖で獲れた大振りの魚の周りを塩湖産の塩と向日葵麦粉を混ぜた物で覆い、オーブンで焼き上げた料理です」
「塩の塊を食べるの?」
「そんなことはしませんよ。こうするのです」
外務大臣が、個室に料理を運んできた料理人に目配せすると、料理人は塩釜焼きの皿の横に置かれていた布包みの布を取った。
中から出てきたのは、トンカチだ。
「えっ?」
「ふふっ」
それぞれ、パレスナ王妃、国王の反応だ。国王はどうやら塩釜焼きがどのような料理かを知っているようだった。
「これを……こうします」
料理人がトンカチを手に取ると、塩釜焼きに向けてトンカチを振るった。
すると、塩の塊が砕けて割れる。料理人が砕けた塩の塊を手で避けると、中から魚が顔を出した。
「わあっ!」
粋な演出に、パレスナ王妃が歓声を上げた。
塩の塊は避けられ、塩の中で蒸し焼きになっていた大振りの魚が皿の上で存在を主張する。その魚を料理人がナイフで切り分けていき、小皿に魚の身がより分けられ、国王夫妻の前に提供された。
魚は慣れていないと綺麗に食べるのが大変だからな。料理人がわざわざ身をほぐして小皿に分けてくれるのは、いかにも貴人らしい食し方だろう。
国王とパレスナ王妃は食器であるトングを手に取り、小皿の魚の身を口へと運ぶ。
「……塩の塊の中にあったのだからしょっぱいのかと思っていたけれど、そんなことないわね。ちょうどよい塩加減だわ」
「ハーブの味が利いていて美味いね。今回の塩釜焼きは魚だったけど、肉のもあるんだっけ?」
「ええ、肉の塩釜焼きは、併合式典の食事会でも出される予定ですので、楽しみにしてください」
それぞれ、パレスナ王妃、国王、外務大臣の台詞だ。外務大臣も席に座って一緒に夕食を口にしている。塩の国による接待だな。
「それは楽しみだねぇ。ねえ、キリリン、塩釜焼きって食べたことある?」
と、国王から話題を振られる。私は素直にそれに答えた。
「ありますよ。塩の国では、庭師としてそこそこ働かせてもらいましたので。あと、前世にもありましたね、塩釜焼き」
「へえー、地球にもこの料理あったんだ」
「鯛という、めでたいとされる海の魚で作られることが多かったですね。結婚式の料理とかに出ます」
「ほう、めでたい魚ですか」
私の言葉に、外務大臣が反応する。
「特別な食材を特別な料理法で。ふーむ、まだまだ塩釜焼きには可能性が残っていますね」
そう感心したように外務大臣は言う。
どうやら、侍女が口を挟むこと自体には、嫌な顔をしていないようだ。
その後、酒も入り和気あいあいと外務大臣との会食は進んだ。
話題も頻繁に私の方へと振られ、その都度私はそれに答えていた。
話しかけてくる側は酒に酔っていても、私は素面なんだけどなぁ。
フランカさんに助けを求める顔をしてみたのだが、知らんぷりをされた。冷たい。
「しかし、カタツナさんも呼べばよかったのに」
国王が、外務大臣に向けてそう言った。
それに対し外務大臣は。
「誘ったのですがね。カタツナ氏は仲間と一緒に食事を取ると言われて、断られました」
「ありゃ、それは残念ー」
ふむ、カタツナか。
「陛下、カタツナ様と言えば、先ほど釣り堀でこんなことをおっしゃっていました」
私は、カタツナとした会話を一通り国王に報告した。
すると、国王はピリッとした雰囲気に変わる。
「カヨウ夫人を返せ、か……亡骸は存在しないから、不可能だけれど……」
そう考え込むように言ったかと思うと、一転、雰囲気が砕けた。
「ま、なるようになるさー。それより、もっと飲もう飲もう」
「ほどほどにしておきなさいよー」
パレスナ王妃の忠告も半ばスルーして、国王はさらに酒をあおった。
こりゃ、ダメだな。今の報告も、明日ちゃんと覚えているのやら。言葉には出していないが、よっぽど釣り堀を見られたのが嬉しいんだな。
国王となってからは珍しい彼の酔う姿に、私はどうしたものかと内心で溜息をつくのであった。外務大臣は笑っていたので、気分を害した様子がないのが救いだ。




