93.都市と回廊
氷蜘蛛の露見があって一夜明け、その日も朝から移動である。
昼は何事も無く街道沿いの村に着き、昼食を振る舞われ、食休みもなくさらに移動である。
そうして午後過ぎ。今日の宿を取る町が近づいてきた。
ホドラント領で一番大きな町であり、領主であるハレー家の屋敷がある領の中心地だ。
石壁で囲まれたその町、いや、都市に近づくにつれ、いい加減移動に飽きてきた様子のパレスナ王妃が元気になってくる。
「今日は領主の館に泊まれるのよね。食事に期待ね」
一日中、車の中で会話をしながらじっとしていなければならないため、パレスナ王妃にとって食事は唯一と言っていい楽しみになっているのだろう。
「道中の食事は麦粥を覚悟していたけれど、思ったよりもパンを食べる機会があったわねー」
「我が国は人口が多いからね。そこらに村があるから休憩場所には困らないよ」
パレスナ王妃の台詞に、国王がそう言葉を返した。
「私、粥が苦手なので助かりますー」
本日の同乗者、幼い侍女のビアンカがそう話に乗ってくる。
国王専用車へ同乗する侍女は、主に王妃付き侍女の中から選ばれる。おそらく、パレスナ王妃を会話で飽きさせないための国王の配慮だろう。
そんな国王が言う。
「俺っちは粥も嫌いじゃないけどね。いざとなればキリリンに任せれば美味しく作り直してくれるよ」
「いや、私はそんな、専属の料理人より美味しい料理が作れるつもりはないですが」
無茶ぶりをしないでいただきたい。
「えー、でも、昔近衛のメンバーと一緒に野営したとき、めっちゃキリリンの料理美味しかったじゃん」
「うーん、あれは遠征途中の野営というシチュエーションが、料理を美味しく感じさせていただけではないですか?」
国王の言葉に、私はそう返す。あの時代はよく国王と一緒に国内を巡ったものだが、みんなで仕留めた野生動物をその場でさばいて料理したとかだから、気分が高揚して楽しく食べられたのだと思う。
そんな感じで雑談を交わしていくうちに、一行は石壁を越え都市の内部に移動。領主の館へと向かう。
国王と王妃は領主に丁寧に迎えられ、そして同行してきたファミー嬢が領主と再会の抱擁を交わす。
ホドラント領の領主は、ファミー嬢の兄なのだ。
「自慢の妹がこうして陛下の案内役を立派に勤め上げて、感無量だ」
領主がそう言うが、ファミー嬢は弱々しい声で否定の声を上げた。
「いえ、……実は、わたくしがご案内したのではなく、逆に陛下達に連れてきてもらったのです。お兄様、お父様とお母様はご在宅ですか?」
「あ、ああ、離れに居る。父上は陛下にご挨拶したかったようだが、腰の調子が悪いようでな。母上も看病をしている」
「今回、わたくしが陛下にここまで同行させていただいたのは……婚約を知らせに参ったのです」
「婚約だと!?」
物凄い大声で、領主が叫んだ。
「婚約など、私は聞いておらんぞ!」
「はい、初めてお伝えしました……。わたくしにプロポーズしてくださった方が、自らお父様とお母様に挨拶したいと……」
「プロポーズ……! 来ているのか!? どいつだ!」
領主は、周囲をキョロキョロと見回す。
すると、領主の館に帯同していたメンバーの中から、一人の青年が前へと出てくる。線の細い、いかにも文官といった感じの青年だ。
その青年は、領主の前で貴族の礼を取る。
「はじめまして。僕は――」
「貴様かー!」
突然、領主が青年に詰め寄り、胸ぐらを強くつかんだ。
「貴様が、私の最愛の妹をたぶらかしたのかー!」
「お、お兄様、何を……! みんな止めて!」
ファミー嬢の叫びに、使用人達が、わっと領主の周りに詰めかける。
そんな様子を見て腹を抱えて笑っているのは国王だ。
ううーん、国王にツッコミを入れてやりたいが、今の私は侍女の職務中なのでできないな。
「それにしても、この様子でよくファミーを後宮に引っ張ってこられたわね。領主が溺愛して離さなかったのではなくて?」
と、彼らの騒ぎを冷めた目で見ながら、パレスナ王妃が言う。
後宮は国王との長期的なお見合い会場だった。つまり、後宮入りした時点でファミー嬢は王妃になった可能性もあったわけだ
その疑問に国王が答える。
「ああ、今回の後宮は最初から、パレスナが王妃になることが決まっていた状態で人を集めたからね。領主も嫁に出さず、王宮で働かせる人脈作りのためと解って送り出してきたんだよ」
「そうだったのね」
「本当は王宮で働かせるのも反対で、ずっと手元に置いておきたかったみたいなんだけどね。でも、さすがにそれはいけないと、先代領主のお父上が止めに入ったんだ。妹離れをさせたわけだね」
そんな会話をパレスナ王妃と国王が繰り広げていると、領主に詰め寄らず静観していたこの館の家令らしき人物が、こちらに近づいてきた。
「我が主が大変失礼をしております。あちらはまだしばらく時間がかかりそうですので、客間にご案内させていただきます」
家令はそう言って、私達を館の奥へと案内しだした。
「あっちはいいのかい?」
国王が家令にそう尋ねるが……。
「はい。ここぞという時の妹様はお強いですから、きっと主を押しのけて先代様のもとにご挨拶に行きますよ。それよりも、国王陛下をお待たせしたままにするわけにはまいりません」
強いファミー嬢って、ちょっと想像できないんだが……。
そんな家令の小粋なトークを聞きながら、私達は広めの部屋へと案内された。
用意されていた椅子に国王とパレスナ王妃は座り、一息入れたところで家令が国王に向けて言った。
「本当は主がご案内せねばならぬのですが……実は、この都市の名士達が、国王陛下にご挨拶をしたいと訪ねてまいりまして。謁見の許可をいただけますでしょうか」
「ああ、構わないよ。夕食までまだ時間があるだろうからね」
そうして、その後は続々と訪ねてくる地元の名士との顔合わせを国王とパレスナ王妃はこなしていった。
魔法捜査官、生活扶助組合の支部長、麦粉ギルドのギルド長、大学の学長と訪ねてきた面子の役職は様々。こういった人々と渡りをつけるのが、きっと政治では大事なんだろうな。私にはついていけない領域の話だ。
そして謁見の時間は終わり、名士達も招いた上での夕食の場、そこにはニコニコ顔のファミー嬢が居た。
「ご両親への挨拶は済ませたの?」
そうパレスナ王妃が尋ねると、ファミー嬢は満面の笑みで答えた。
「はい。お父様は婚約を認めてくださり、来年の春に式を挙げることとなりました」
「一年後? ずいぶん待つわねー」
「お母様が言うには……結婚前の恋人期間も楽しむように、だそうでして……」
「それはまあ、確かにそうね」
そんな会話の間中、領主はムスッとしたままであった。
むむむ。国王が同席して地元の名士達が集まっているのに、その態度は良いのだろうか。
私はそう思っていたが、領主へ声をかける者は誰もいなかった。そっとしておいてあげたのだろう。みんな優しいな。
そうして食事は終わり、名士達は帰宅していった。
私達は本日、この領主の館に泊まることになるのだが……。
「君、今夜は共に酒を飲もうではないか。ん?」
領主が、ファミー嬢の婚約者の青年にからんでいた。まあ、彼とファミー嬢は塩の国まで同行するわけではなく、ここでお別れだ。酔い潰れたとしても問題はない。
私達は彼を生贄に捧げて、柔らかいベッドの上でぐっすりと眠りにつくことにしたのだった。
そして明くる日、朝食の場に居たのは、すっかり意気投合した領主と青年の姿だった。
「こやつなら妹を任せられる!」
とか、本当に何があったのだろうか。
そんなことがありつつも、私達の旅は続く。
◆◇◆◇◆
そうして王都を出発して幾日か経った今日、ようやく私達は国境へと辿り着いた。
この国、アルイブキラは世界樹の葉である大陸一つを丸ごと領地にしている。その広さは、うーん、日本の本州くらい? いや、北海道くらいかもしれない。ともかく、前世の地球基準で考えるとさほど広くはない。
しかし、世界樹の世界においては、一枚の葉丸ごと一つを領土にしている国は大国扱いである。
そんな感じで、この国は世界樹の葉っぱ一枚丸ごとの国であるわけだが、では、隣接する国がないのに国境とはなんだということになる。
大陸は葉なので、枝にくっついている。葉と枝をつなぐ部分を葉柄というのだが、世界樹にもしっかり葉柄は存在している。世界樹は神代から生きる植物でありながら人工的な宇宙船でもあるため、葉柄にもしっかりと人の手が加えられている。
葉と別の葉を行き来するための葉柄と枝の道。『枝の回廊』という場所が、国の端につながっているのだ。
『枝の回廊』は、普段は国を移動する旅人が使う道であり、有事には軍隊も渡っていく重要な場所である。
それゆえ、管理は世界の中枢機関『幹』が行なっており、ここでの争いごとは固く禁じられている。
私達はそんな『枝の回廊』に、アルイブキラ側の関所を通って進入した。
「パレスナ、窓の外を見上げてごらん」
前にゆっくりと進む国王専用車の中で、国王がパレスナ王妃にそう声をかける。
「なになに? えっ、なにこれ!? 空が!」
『枝の回廊』の風景に、パレスナ王妃が驚きの声を上げる。
そう、枝の回廊には空がないのだ。正確には、人間の住む土地に展開されている幻影の青い空がない。代わりに見えるのは、世界樹の枝と、ここより上にある葉の大陸の底面だ。それと、その隙間をぬって宇宙が見えている。
本当なら、アルイブキラに居てもこの光景は見えてもおかしくないはずだ。しかし『幹』は、人間の暮らす場所には惑星と同じ青い空の幻影と、人工の太陽と人工の月を見えるようにしている。
何故、そのような幻影を見せているのか、私は知らないのだが……。この世界樹に人々が避難した二千年前は、もしかしたら皆、滅びた惑星の光景が忘れられなくて、幻影の空を作ることで故郷を懐かしがっていたのかもしれない。まあ、雲や星空を再現していない、半端な幻影の空ではあるのだが。
「これは絵に描かなくちゃ! キリン! 紙と鉛筆を出して」
「はい、少々お待ちください」
私は、パレスナ王妃から預かっていた荷物から紙束と鉛筆を取り出し、前の席に座っている彼女へと渡した。
ただ、スケッチするとなると少々問題があるな。
「ここからは、高速移動となります。風景もそれに伴い後ろへと流れていきますので、上空はともかく周囲を描くのは難しいですよ」
そんな私の言葉に、パレスナ王妃は疑問の声を上げる。
「えっ、高速移動って、わあ!」
先ほど言ったとおり、窓の外の風景が勢いよく後ろへと流れていく。
「なにこれ? どうなっているの?」
「大雑把に言いますと、とても大きな板の上に私達は乗っていて、それが目的地まで運んでくれます。『枝の回廊』用の乗り物ですね」
『枝の回廊』をまともに移動しようと思うと、とても長い時間がかかる。そうなると、回廊の途中で泊まる必要も出てきて、ゴミや汚物が周囲にぶちまけられる。
だが回廊は土の地面ではなく人工物だ。ゴミや汚物は自然に還らない。そのため、汚れを防ぐという理由で『幹』が高度な移動手段を回廊内限定で展開しているのだ。
「今日中に隣の大陸まで着きますよ」
塩の国と鋼鉄の国がある葉の大陸は、アルイブキラと同じ枝にある大陸だ。そう遠くはない。
私達はしばしの間、この独特な風景を楽しみ、そして飽きてきたらまた雑談をして時間を過ごした。パレスナ王妃はずっと絵を描いていたが。
やがて、高速移動は終わりの時間を迎える。
動く板の上で休止していた一行は、行進を再開した。
『枝の回廊』の終着点、隣の大陸の国境に到着である。そこには関所と、少し離れて巨大な砦が築かれていた。
『枝の回廊』では争いごとが禁止なため、関所を要塞化することは禁止されているのだが、『幹』に決められた建設禁止区域のぎりぎりにその鋼鉄の国の砦は建てられているのだ。
関所を通過し、上空は再び幻影の空へと変わる。
すると、前方に旗を掲げた騎馬集団が待ち構えていた。鋼鉄の国の軍勢、ではない。掲げられているのは、鋼鉄の国の旗だけでなく、塩の国の旗もある。
塩の国が用意した案内役兼護衛らしい。
そんな彼らから、一斉に声があがった。
「ようこそ、鋼鉄の国、ハイツェンへ!」
塩の国の首都までの旅は、これでようやく半分の行程が終わった。
ここからは、かつての敵国ハイツェンを通ることとなる。はたして何事も無く私達は併合式典を迎えられるだろうか。
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