74.ティーパーティ
塩の国エイテンの第三王女ハルエーナが、こちらの国に戻ってきた。彼女は、塩の国の親善大使として月の半分をこの国で過ごすことになっている。
本日は、その王女の訪問に合わせ、パレスナ王妃主催による歓迎のお茶会が開かれる予定だ。
お茶会の舞台となるのは、王城内にある植物園である。この植物園では年中薔薇が咲き乱れており、王妃がお茶会を開くのに相応しい立地だ。
今回のお茶会の参加メンバーは、かつて後宮に詰めていた王妃候補者達。現在、王妃との顔つなぎのために面会を希望する貴族は多いが、今回は身内のお茶会ということで後宮関係者以外の参加はない。ハルエーナ王女の歓迎会というよりは、早すぎる同窓会だな。
植物園の中にある東屋にテーブルが用意され、椅子が並べられている。そこに、春物のドレスを着込んだ令嬢達が優雅な姿勢で座っている。
前回全員が集まった後宮解散のお別れ会からひと月弱。久しぶりというほどでもないが、令嬢達は再会を喜んでいた。
そして、私達侍女一同は、令嬢達にお茶を用意し、お茶菓子を配っていく。
このお茶菓子を作ったのは、お茶会の参加者の一人であるトリール嬢だ。
彼女はこの春、王宮菓子職人の副職人長に就任した。
十六歳とまだ若いが、その菓子作りの腕前はすでに熟練の域にあり、パレスナ王妃だけでなく国王もその味に魅了されているほどだ。
そんな彼女が、お茶菓子を前にした令嬢達に向けて言う。
「今日のお菓子は新作菓子のジュース揚げですよー」
白磁の皿の上に載せられているお茶菓子は、茶色い揚げ物だ。上にはベリーソースだろうか、紫の液体がかけられている。
「ジュースを……揚げる?」
猫を膝の上に載せたハルエーナ王女が、不思議そうにお茶菓子を眺める。
そんな彼女の反応に、トリール嬢は満足そうに笑みを浮かべ、解説を始めた。
「麦粉にフルーツジュースを混ぜて、さらに蟻蜜を足して揚げましたー」
それはなんともまあ、カロリーが高そうなお菓子だ。ドーナッツの一種か。見た目は沖縄名物サーターアンダーギーっぽい。
お茶菓子なので皿に載った数は多くない。そのため、食べ過ぎて太る心配はしなくていいだろう。もしも、間食としてもりもり食べた場合は、デブ一直線だろうけれども。
「ん、甘くて美味しい」
早速、ハルエーナ王女がお茶菓子を口にした。この国のお茶菓子は甘くないものが多いのだが、トリール嬢の作るお菓子は甘いものが多い。
この国は農業大国なので砂糖の原材料は作り放題だし、花畑を作って羽蟻による養蜂ならぬ養蟻も盛んである。トリール嬢が王宮菓子職人になったことで、今後は甘味文化が花開くことがあるかもしれない。
「名前はジュース揚げでいいのかしら? 固有の名前はつけていませんの?」
ミミヤ嬢が、目を輝かせながら言う。
彼女は新しもの好きだから、新作菓子に関心を持ったのかもしれない。
「知らない人がジュース揚げって聞いたら、液体を揚げるとはどういうことだって興味を引かれるから、この名前でいいって職人長が言ってましたー」
王宮菓子職人の職人長か。パレスナ王妃へ挨拶に来たことがあるが、五十歳ほどの体格のいい男性だった。菓子作りって粉を捏ねるとかで腕力使うから、意外と筋肉質になるんだよな。
そんなこんなで新作菓子の感想を令嬢達は口々に述べ合い、やがて話の内容は皆の近況へと移る。
「ハイツェンの状況はどう?」
と、パレスナ王妃がハルエーナ王女に尋ねる。ハイツェンとは鋼鉄の国と呼ばれる鉱物産出国のことで、ハルエーナ王女の母国エイテンに併合されることが決まっている国だ。
ハルエーナ王女は、渋面を浮かべてその問いに答えた。
「鉱山奴隷がいた」
「えっ」
場が一瞬ざわりとした。驚きの声を上げたのは、令嬢達だけでなく、周りに侍っていた侍女達もだ。
「隠し鉱山があって、働かされている人達が奴隷の扱いをされていた」
本当に嫌そうな顔でハルエーナ王女が言った。
本当だとしたら大変な事実だ。
人を奴隷にすることは禁止されている。それはこの国だけの決まりではない。全世界での決まりだ。
人は善に生きなければならない。最大宗教の世界樹教の教えであり、世界の中枢『幹』の基本方針だ。
人が善意を生み出して生きれば世界はよく回り、悪意を生み出せば世界に溜まるよどみとなって、魔物や災厄の獣のもととなる。奴隷となり虐げられる者は、悪意を生み出し続ける存在になる。故に、奴隷制度はこの世界にはないのだ。
だが、世の中にはその流れに逆らう悪人がいるようだ。人を奴隷にしたことが露見したら、世界的な重犯罪者として扱われるというのに。
「世の執政者達が貧民を生み出さないよう苦労しているというのに、貧民どころか奴隷だなんて……」
そうぼやくのはパレスナ王妃の叔母であるモルスナ嬢だ。彼女は王都で働く法服貴族のため、執政者の苦労というものを知っている。
貧すれば鈍するという前世の言葉が示すとおり、貧民もまた悪意を生み出す存在だ。
ゆえに執政者は、貧民が生まれないよう奔走することになる。
この国の王都の人口は多いが、いわゆるスラム街的なものは存在しない。まあ、この国が豊かという点も大きいのだが……。
「あー、やだやだ。暗くなっちゃうわ。別の話題にしましょ」
パレスナ王妃が話を打ち切った。まあ、確かに令嬢達のお茶会の席で引っ張るような話題ではなかったな。
「みんな後宮から出て婚約者も作れるようになったけれど、どんな感じかしら?」
そうパレスナ王妃が、新しい話題を皆に振った。
後宮は王族による長期的お見合い会場だ。後宮に呼ばれるという事実だけで、素晴らしい人物だという評価を貴族社会からされ、縁談が多数舞い込むという。
「そういうお話は、よく来ますわね」
「ミミヤ様は、元々引く手あまただったのではー?」
「まあ、そうですわね」
ミミヤ嬢とトリール嬢がそんな言葉を交わす。
「というか真っ先に結婚したパレスナから、勝者の余裕のようなものを感じて、イラッとくるわね」
王妃相手にそんな軽口を言ってのける、王妃の叔母。王族相手といえども、身内だからよいのだろうか。
そんなモルスナ嬢の言葉をさらっと流して、パレスナ王妃はファミー嬢の方へと向く。
「ハルエーナはまだ幼いからそういう話はないとして、ファミーはどう?」
「えっと……」
話しかけられたファミー嬢は、視線を上に彷徨わせ、儚い声で言葉を紡いだ。
「実はわたくし、王宮の書記官の方と、お付き合いすることとなりまして……」
「まあっ!」
令嬢達が色めき立つ。
「お付き合いってことは、もしかして縁談とかではないのかしら?」
「はい……」
パレスナ王妃の問いにファミー嬢が答え、またもや「まあ!」と周囲から声が上がる。
ファミー嬢は侯爵家の令嬢だ。現侯爵の妹で、いわゆる上級貴族と呼ばれたりする家の出である。そんな令嬢が、お見合い婚などではなく恋愛をするのは、そこそこにインパクトがある話だ。
「本を運んでいるときにお手伝いしていただいたご縁で、よくお話しするようになったのです……」
一同の視線がファミー嬢に集まっている。給仕の侍女達も興味津々だ。ただ一匹、ハルエーナ王女の猫だけは、暇そうに尻尾をゆらして目をつぶっている。
「本好きな方で、私的な本の貸し借りもしていたのですけれど、休日に書店巡りを誘われまして……」
「デートの誘いね!」
パレスナ王妃が楽しそうに合いの手を入れる。
「はい。その書店巡りの最後に告白されまして、お付き合いを始めることとなりました」
そこまで言ってから、ファミー嬢は恥ずかしそうにうつむいた。……恥ずかしそうであるが、言いよどむことなく言ってのけたということは、誰かに自慢したかったのかもしれない。
貴族は貴族同士で結婚する都合上、恋愛結婚が少ない。大抵、格の釣り合う家同士で縁談を組むものだ。
貴族が普段一箇所に集まるという場が、騎士団と王城くらいしかないというのも大きい。
だからこそ、貴族の子女は恋愛結婚というものに強い憧れを持っている。そんな中、後宮が開かれる前に国王と恋愛をしたパレスナ王妃は、全国の貴族令嬢達の憧れの的なのだ。ということを侍女宿舎で同室のカヤ嬢が言っていた。
「いいネタになったわ」
そうにっこりと笑うのは、プロの漫画家という肩書きを持つモルスナ嬢だ。
彼女の描く漫画は、貴族令嬢が恋愛をする少女漫画である。ファミー嬢の体験談は、言葉通りそんな漫画のいいネタになるのだろう。
その後も令嬢達はファミー嬢から話を聞き出し、恋人である相手の経歴などが語られた。個人情報の保護なんて概念は無かった。
そしてそんな話も一段落し、今度はハルエーナ王女がパレスナ王妃に尋ねた。
「パレスナは、国王との新婚生活はどう?」
「あ、聞いてくれる? 実は、今度旅行に連れていってあげるって言われたの」
なぬ? 私、侍女なのにそんな話聞いてないぞ。
「キリンから聞いたハネムーン……ええと、新婚旅行の話を昨夜したら、連れていってくれるって」
ああ、昨夜急に決まった話なのかね。そりゃあ私も知らないわ。
「旅行? 視察や外遊ではなくて?」
モルスナ嬢がそう尋ねる。それにパレスナ王妃が答える。
「ええ、旅行よ。珍しい場所に遊びに行くって」
旅行かぁ。当然、侍女の私もついていくことになるよな。
侍女として遠出するのは未経験だ。大丈夫だろうか。侍女歴の長いフランカさんがいるから大丈夫か。三十路の私は侍女歴半年。歳の割には役立たずだ。こういうとき年長者がいるのは助かるな。
なお、パレスナ王妃は旅行に行くということ以外、何も話を聞いていないらしく、どこに行くかも不明のようだった。
「エイテンにも遊びに来てほしい。いい国」
そうハルエーナ王女が皆に向けて言った。
「塩の豊富な国の料理、気になりますねー」
そう興味を示すのはトリール嬢だ。
この国は塩が稀少なため、一般料理は塩の使い方が大雑把で、貴族料理は薄味料理となかなか微妙だ。
その点、塩の国エイテンは様々な塩の使い方をした料理が特徴である。肉料理や魚料理は絶品だし、塩釜焼きなんかもある。
ただ、野菜は微妙だ。土壌が塩で汚染されているため、農業に適していない国なのだ。穀物は輸入でまかなっているため一応揃っているが、新鮮な野菜は乏しい。
この国と塩の国を足して二で割れば、ちょうどよい塩梅の料理大国になるのだがな。塩の国から塩の輸出量が増えれば、この国の料理もよくなるだろうか。
「エイテンには、併合の式典のときに向かうと思うわ。式典、やるわよね?」
そう尋ねるのはパレスナ王妃だ。
それに対しハルエーナ王女は、「やる」と端的に答えた。
隣国の大きな式典ともなれば、この国の国王夫妻も参加せざるを得ないか。パレスナ王妃の結婚披露宴に、エイテンの国王もきていたしな。
「隣の大陸の言葉、式典までに話せるようになっているかしら……」
パレスナ王妃が不安そうに言う。
「世界共通語を二年もかけずに習得したんだから、大丈夫じゃない?」
モルスナ嬢がそんな言葉をかける。そう、パレスナ王妃は、王族に必要となる世界共通語、『幹』の言葉をマスターしている。
正直、隣の大陸の言語より習得が難しい言語だ。だから、私はあまり心配していない。勉強し続ければ問題なく覚えきれることだろう。なお、その間、趣味の絵画の時間はなくなる。頑張れ。
「あの、わたくしでよければ勉強に協力しますので……」
本を読むために隣の大陸の言語を習得したというファミー嬢が、そうパレスナ王妃に言うが、王妃は「大丈夫よ」と笑みを浮かべた。
「うちにはキリンっていう立派な教師がいるからね」
令嬢達の視線が私に集まる。私はそれに目礼で答えた。
「確かに、優秀な庭師は世界中を股にかけると言いますわね」
「キリン、うちにも一人ほしいわ……」
「お菓子のアイデア用に一人ほしいですー」
などと、彼女達は思い思いの意見を述べた。さすがに元庭師だろうがなんだろうが、一人一人に行き渡るように分裂したりはできないぞ。
そんな調子で会話は弾み、やがてお茶会は終了となった。
だが、すぐさま解散とはならず、皆で春の植物園を散策しようという話になる。
そこにフランカさんの夫だという園丁がやってきて、彼の先導でゆっくりと薔薇の咲き乱れる植物園を歩いていく。
「綺麗」
ハルエーナ王女が薔薇に顔を近づけながら端的にそう言った。
塩の国は土壌の関係上、このような巨大な薔薇園を作ることは困難なのかもしれない。
「見事な園ですわね。どうせなら楽士でも連れてくるのでしたわ」
そんなことを言うのは、ミミヤ嬢だ。花盛りの植物園で音楽鑑賞か。優雅でいいな。
「あら、音楽なら聞けるわよ。キリンー。何かここに相応しい音楽演奏して」
唐突にパレスナ王妃が私に向けてそんな無茶ぶりをしてきた。
「ええー……、急にそんなこと言われましても」
「できないの?」
「できますが」
音声魔法を使えば、いつでもどこでも音楽は鳴らせる。
そのことは後宮にいた令嬢達ならば、大体知っているだろう。
さて、薔薇の咲く植物園に相応しい曲か。『野バラ咲く路』……いや、野バラって感じではないな、この管理された薔薇は。
ではあれだ。『The Rose』を鳴らそう。歌声付きでだ。
音声魔法を発動し、伴奏を流す。鳴らす楽器はピアノのみだ。そこに、私が普段会話に使っている音声で歌を流す。
ゆっくりとしたバラード曲だ。今ののんびりとした歩みにはちょうどいいだろう。
私の流す音楽と歌声に、一同は耳を傾ける。
『The Rose』は前世の米国映画、『The Rose』の主題歌だ。女性ロックシンガー、ローズの人生を描いた古い映画で、主題歌はカバーなどもされてまあまあ有名だった。
穏やかなピアノの伴奏が、令嬢達とおまけの猫の一団の間に響きわたる。
やがて、曲はゆっくりと終わった。そして。
「キリンさん」
ミミヤ嬢が私に近づき、両肩に手を乗せて掴んできた。
なんだろうか。雅ではないという苦情だろうか。いや、この曲は名曲のはずだ。文句なんて出ないはずだ……。
「その曲も、異世界の曲だったりしますの?」
「え、ええ……。演劇のようなものの主題歌で、曲名は『薔薇』です」
「是非、楽譜に書き起こしましょう!」
ぐっと両肩を掴む力が強くなる。
そこまでか。そこまで気に入ったのか、この曲。
「パレスナ様、キリンさんをしばらく貸してくださる?」
「えー、一日だけよ?」
「では、明日一日で楽譜にします」
……急に身を売られたぞ私。王宮侍女が一日とはいえよそに出向とはいやはや。
周囲の令嬢達はそんな私達のやりとりをただ笑って眺めていた。
そうして優雅なはずの薔薇の散策は、なんだかよくわからないうちに終わった。
そして翌日、丸一日ミミヤ嬢の住む王都の屋敷に貸し出された私は、『The Rose』だけでなく様々な地球の歌を演奏させられたのだった。
とうとう音楽方面でも、地球文化による侵略が始まってしまったか。
もしミミヤ嬢が今回の歌を広めたら、王都のレジャー施設ティニクランドのカラオケ設備へ曲の登録をすることも考えようか。
別にこの国の音楽文化が、地球よりも劣っているというわけではないのだが……、ミミヤ嬢は新しもの好きだからな。彼女は周囲の貴族への影響力が高すぎる。
地上の文明を勝手に進めるのは駄目だが、文化ならいくらでも侵略しても構わないはずだよな? ちょっとだけ心配になってきた私であった。




