71.ナウプリンティング
新年の催し物も一通り終わった、初春の一月某日。
パレスナ王妃が王族代表として、あちらこちらに引っ張りだこになる用事も終わり、ただいまパレスナ王妃は自室で勉強中だ。
科目は農学。教師は、なんと先王である。
「であるからして、土中のラーストリスは主に茎と葉の生育に必要となり――」
正直文系の私には何を言っているのかさっぱりだ。なので、私達侍女はパレスナ王妃を放っておいて刺繍のお時間だ。
先日、王妃用の日用品として、無地のハンカチや手ぬぐいが大量に用意されたので、皆でそれに刺繍を施していくのだ。
本日の侍女は私を入れて六人。王妃付きの侍女は全部で七人いるが、一日ずつ休暇を取っていくようになっている。フランカさんとビアンカの親子は同日に休暇を取るので、七人の侍女全員が揃うのは一週間に一日だけだ。
ちなみにこの国の一週間は、偶然にも前世と同じ七日間だ。覚えやすくて助かる。
「ハンカチは全て、最高級のスパイダーシルクなのですね。白が美しいですわ」
皆が手に取るハンカチを眺めて、そう感嘆の声を上げるのは侍女のメイヤ。最近、侍女宿舎でも何かと一緒に行動することの多い子だ。
ちなみにスパイダーシルクはティニク商会が独占的に提供する織物で、ここ十数年でこの国に広まった至極の一品だ。本来ならば寒冷地にしか生息しない、氷蜘蛛の糸を紡いで作られている。
周辺国を探してもスパイダーシルクを提供できるのはティニク商会のみであろう。ぼろい商売である。
「私もスパイダーシルクのハンカチ少しは持ってるけどー、最高級品となるとー手に入れる伝手すらないなー」
そうゆるい声でぼやくのは、リーリー。メイヤと特に仲の良い子で、以前メイヤに誘われて王都のレジャー施設、ティニクランドに行ったときも、一緒に付いてきた子である。ちなみに私とフランカさんを除いたここの侍女達の中では、十七歳で最年長である。
「王妃様の披露宴の時、キリンさんが着ていたドレス、その最高級スパイダーシルクだったわね」
そんな指摘をしてきたのは、サトトコ。目端の利く子だなぁ。披露宴で彼女達と会ったのは一回だけで、しかもそのとき私と話をしたのは知り合いのククルだけで、サトトコとは会話も交わしていないのだが。
「えー、キリンさん、そんなすごいの着てたのー」
リーリーが驚きの声を上げる。今、パレスナ王妃は先王と勉強中だから、あまり大きな声を上げないようにな。
「一年目の侍女の稼ぎでそのようなものを買えるとは思えないので、庭師時代の蓄えかしら?」
サトトコ、半分正解だ。
私がもう半分の補足を入れようとすると、メイヤが先に口を開いた。
「キリンさんは、資産家なのです。ティニク商会に多くの商品の権利を貸しており、ロイヤリティを受け取っているのですわ。このスパイダーシルクもキリンさんが発見したのですよ」
「お、おう。よく知っているなメイヤ」
私のことをこんなにも知られているとは、ちょっとびっくり。さすがはみんなの解説役だ。
「そういえばー、ティニクランドの優待券とかも持ってたよねー」
「最高級のスパイダーシルクのドレス代をぽんと出せるとか、どれだけの資産持ちなのかしら……」
そんなリーリーとサトトコ二人のコメントに、私は言葉を返す。
「私が儲かっているということは、ティニク商会はもっと儲かっているってことだぞ」
「そこらの上級貴族よりも影響力がありそうですわね、ティニク商会……」
メイヤがそんなことをぽつりと呟き、侍女達がうんうんと頷いた。ちなみに話に入ってきていないフランカさんは、ビアンカに刺繍の指導をしていた。
お金の話をずっとするのもなんなので、話題を少し修正しようか。そう思ったときのこと、部屋にノックの音が響いた。
「入ってもらってー」
そうパレスナ王妃から指示が飛び、入口に一番近いところにいたメイヤが扉を開ける。
扉の向こうにいたのは、銀色の髪を肩ほどで切りそろえた少女であった。彼女は王妹のハンナシッタ、通称ナシーだ。
「おお、父上もいたか。邪魔するぞ」
ナシーがそう言いながら部屋の中に入ってくる。
彼女の後ろには、天使のヤラールトラールが無言で追従していた。この天使ヤラはナシーの護衛である。
「ナシー、いらっしゃい」
「ナシーか。この通り、パレスナは勉強中でな」
パレスナ王妃が歓迎の言葉を投げかけ、先王が勉強に使っていたテキストをナシーに見せる。外部持ちだし厳禁と赤字で書かれた農学の分厚いテキストである。
「そうか。まあ、勉強は後にして、ちょっと私の用事を済まさせてくれ」
「むう……」
ナシーがそう先王に言い、パレスナ王妃の前に立つ。パレスナ王妃と先王は、部屋に備え付けられた来客用の席に座っている。ナシーも椅子を引き、先王の横に座った。
「これを見てくれ。魔法宮より届いた、刷り上がったばかりの見本だ」
ナシーは入室したときからずっと手に持っていた、一冊の本をテーブルの上に置いた。
その題名を見るために、私達侍女は刺繍を放って来客席に近寄っていく。テーブルの上に置かれた本の題名は、『天使の恋歌』。ナシーが執筆した新作の恋愛小説だ。
その表紙には、題字の他にフルカラーで描かれた絵が印刷されていた。画家パレスによる表紙絵。すなわち、パレスナ王妃の絵である。
「できたのね! 私の描いた挿絵の本!」
そう言って、パレスナ王妃が満面の笑みを浮かべた。
「むう、これは見事な絵だな……」
先王が感嘆したように言う。表紙には、一人の天使が色彩豊かに描かれていた。名画といって過言ではない。書店で平積みされた暁には、衆目を集めるのは確実だった。
それを見ながら、ナシーが言う。
「今回の作品は、結構な自信作なのだ。こんなに良い表紙を描いてもらえて、本当に嬉しい」
「表紙だけじゃなく、挿絵もばっちりよ」
「そうだな」
ナシーが本をぱらぱらとめくり、とある挿絵ページで手を止めた。モノクロのイラストだ。パレスナ王妃は結婚前、後宮で毎日のようにモノクロイラストの練習をしていた。その成果が実ったのだろう。
「ふむ、自信作か。ナシーの本は売れているのか?」
そう先王が娘のナシーに尋ねる。
「若い女性を中心にそれなりに売れているはずだよ。なあ、君達、ハナシーという作家の恋愛小説は知っているか?」
ナシーが、私達侍女に尋ねてきた。その言葉を受けた侍女達はというと。
「ハナシーですか。うーん……」
と、頭をひねっている。まあ、作家名で言われてもぴんとこないだろう。私はナシーに助け船を出してやる。
「『ミニーヤ村の恋愛事情』の作者だ」
「ミニーヤ村! 知っていますわ! 王城侍女のカヤさんに薦められて読みました」
「私もー。カヤに薦められて読んだー」
「カヤに教えられて読んで、面白かったので自分でも買いました」
カヤとは、侍女宿舎で私と同室の王城侍女である。カヤ嬢、どれだけみんなに薦めているんだ……。
「そ、そうか。そのカヤという者には感謝しないとな……。その作者のハナシーが、私のペンネームなんだ」
ナシーが表紙を侍女達に見せながらそう言った。
「王妹殿下が恋愛小説家! 皆目知りませんでしたわ!」
「言われてみれば、貴族の事情とか詳しく書かれてたかもー」
「サイン会のご予定とかはあるのかしら……」
侍女達の反応に、ふふんとナシーは上機嫌になる。
「趣味が高じて人様の目に触れる商品となるとは、面白いものだな」
そう先王が言うと、ナシーは言葉を返す。
「父上も趣味の盆栽では、その道の人の間で評判が高いではないですか」
先王、盆栽やってるのか……。
「うむ! 最近では、自分に生えている枝を剪定して、見栄えがよくならないか挑戦中なのだ!」
樹人化症を患う先王による病人トークが炸裂し、私達はどう反応していいのか言葉に迷った。ジョークと見なして笑うのも、不謹慎に思えるからなあ。病気の扱いって難しい。
「ま、この見本はパレスナに進呈するから、貰ってくれ」
先王の言葉をスルーして、そうナシーが言う。
「ありがとう! 草稿は何度も読んだけれど、挿絵込みは初めてだから後でじっくり読ませてもらうわ」
「ナシー、俺にはないのか」
「自分の父親に自作の恋愛小説を見せるのは、ちょっとな……」
先王の要求に、ナシーはそう困ったような顔を見せた。ナシーは今年で十八歳。思春期は過ぎたとは言っても、まだまだ難しい年頃なのだ。
先王は娘の拒絶に、ショックを受けたような顔をしている。
「それよりも、今、魔法宮ではこの本の印刷の真っ最中なのだ」
先王の様子を無視して、ナシーが言う。
「どうせだから、印刷されている様子を見学しにでも行かないか」
ナシーのその言葉に、パレスナ王妃は「面白そうね」と快諾した。
印刷か。カードゲームや推理小説、漫画本をティニク商会に提案してきたが、そういえば印刷の様子を見たことはなかったな。
イラストのカラー印刷すら可能な印刷技術、どのようなものか結構気になる。
私は、ナシーとパレスナ王妃に、自分も連れていってもらうよう頼むことにした。
◆◇◆◇◆
王城の敷地内にある魔法宮。赤の宮廷魔法師団が詰める、一流の魔法使い達の部署である。
そこに、ナシーと天使ヤラールトラール、パレスナ王妃、先王、そして侍女六人全員がやってきていた。思わぬ大所帯である。
そして魔法宮に居た宮廷魔法師のお偉いさんに、ナシーが印刷の様子を見せてくれと頼み込む。
「んんー、印刷技術は、『幹』から借り受けている技術の中でも、特に高度なものなのだが……」
印刷は秘するべき技術として、部外者にはおいそれとは見せられないものらしい。
まあ、そりゃあそうか。地上世界は、道具協会によって文明技術が管理されている。本のカラー印刷は明らかに突出した技術であり、一般には広められない高度な技術の塊であると予想できた。
だが、ナシーは食い下がる。
「そこをなんとかできないか」
「んー、どうするかね……」
そう言いながら、宮廷魔法師は何やら私の方をちらちらと見てくる。
ううーん、これは……。
私は前に出て、宮廷魔法師に向けて侍女の礼を取った。
「どうにか、お願いできませんか」
そう私が頼み込むと、宮廷魔法師はにこりと笑い、そして言葉を返してくる。
「私のことは、おじさまと呼んでくれたまえ」
……はあ。まあそれくらい構わないが。
「おじさま、どうかよろしくお願いします」
「うむ、おじさまに任せたまえ」
宮廷魔術師は紙を取り出しさらさらと文字を書くと、勢いよくそれに魔法印を押し、ナシーに紙を渡した。
そして、棚から何かを取り出し、私達にそれを配ってくる。
ペンダントだ。魔法でそれを精査すると、どうやらこれは通行証になっているようだった。
「それを首から掛けておくように。印刷所は地下十二階だ」
そう促され、私達は首にペンダントをかける。
無事に見学は許可されたようだ。
「おじさま、ありがとうございます」
そう礼を言っておく。
「いいともいいとも。今度、暇なときにでも魔法宮に遊びに来なさい。美味しいお菓子を用意して待っているよ、ウィーワチッタ君」
「はい」
私は塔の魔女の弟子である。そしてその塔の魔女は、なにやらこの国の年配魔法使い達に人気だったようで、私はその人気を何故か引き継いでいるようだった。
魔女が生きていたのは二十年も前だが、二十代の魔法使いにも私が人気の様子なのは、いまいち理由が解らないのだが。
「不老の術式、いつ見ても美しい……」
そううっとりと言う宮廷魔法師。うーん、この身にかかっている魔法式も、一流の魔法使いから見てみるといいものに見えるようだな。まあ、表層に見える魔法式はあくまで一部だけなので、真似されるということはないのだが。
そうして私達は、魔法エレベーターのある部屋へとやってきた。
ナシーが担当の女性にそれを見せると、女性は「下へまいりまーす」と言いつつ魔法陣を起動させる。
部屋が地下へと降りていき、そして止まる。
「うっ、なんですのこれ」
「体がー、ふわってしたー」
初めて体験するエレベーターの感覚に、侍女達は戸惑っているようだ。
「地下十二階です。ご利用ありがとうございましたー」
困惑する侍女達を追い出すように、女性がそう言う。
魔法エレベーターの部屋を出た私達は、広い空間へと足を踏み入れた。
空間の中央ではなにやら魔法設備が動いており、まばらに立つ宮廷魔法師の制服を着た魔法使い達がそれを監視している。
そんな魔法使いの一人が、私達を見つけてこちらへと寄ってきた。
「おやおやー、見慣れない人達……って、魔女姫様に王妃様じゃーん!」
「王妹と先王もいるぞ。これ、見学許可証だ」
ナシーがそう言いながら、上の階で受け取った紙を男性魔法使いに見せる。
「げえ、なにその要人集団。所長ー。所長ー。お客さんだよー!」
男性魔法使いが、そう言いながらどこかへと駆けていく。
そして、一人の少女を引き連れて戻ってきた。
「なによ、見学? この部署にどうやって見学取り付けたのよ」
「それよりも所長、魔女姫様ですよ! 魔女姫様!」
「魔女姫ー?」
宮廷魔法師の制服に身を包んだ、赤髪の少女が、こちらをまじまじと見つめてくる。
「ふーん、あんたがセリノチッタの弟子?」
セリノチッタとは、師匠の名前である。
「はい、キリン・セト・ウィーワチッタと申します」
一応、今は侍女の格好をしているので、敬語を使っておく。相手は魔法宮のお偉いさんだろうからな。
「へー、話通り、子供のままで成長止まってるんだ。確かに、いまいましいあの女と同じ術式ね」
少女がこちらに寄ってきて、ぺたぺたと私の顔を触る。
そんな少女に向けて私は尋ねる。
「師匠とはお知り合いですか?」
「セリノチッタが魔法宮にいた頃、私の上司だったのよねー」
師匠が塔の外にいた頃って、何十年前だそれ。見た目通りの年齢じゃないなこの人。
「左様ですか。師匠の経歴は、私はあまり知らないのですが……」
「お高く止まったいやらしい女だったわよー。ま、それと比べたらあなたはまともそうね」
「それは……師匠がご迷惑をおかけしたようで」
「ま、何十年も前のことだからいいわ。それよりも、見学ですって?」
少女がそう言ってナシーの方へと向く。
「ああ、私の書いた小説が印刷される様子を見に来た。これが許可証」
ナシーが少女に紙を見せながらそう言った。
「ああ、あの殿下の小説ねー。あれ、部数えげつないわね。しかも二ヶ国語って、どんだけ展開するのよ。推理小説ですらまだ外国用は刷っていないのに」
「ああ、ハイリン語版は、私が自ら翻訳したのだ。部数はゼリンに任せているから、よく知らないのだが」
「そのゼリンのせいで、印刷部門はすっかりフル稼働よ。忙しいったらないわ」
まあ、ゼリンのティニク商会は小説に漫画にカードと、印刷技術使いまくっているからな。その分、魔法宮は儲かっているのだろうが。
「設備投資は道具協会の監査がうるさいし、やんなっちゃうわー」
私の頬をむにむにといじりながら、少女が言う。その様子を、先ほどの男性魔法使いがうらやましそうに見てくる。
私をいじるのがうらやましいのか、少女にいじられるのがうらやましいのか、どちらだろうか。
「道具協会と顧客の板挟みなのよ。魔女さん、この苦労わかる?」
「それはなんとも……おつかれさまです、所長さん」
「そう、おつかれなのよー。あ、私のことはお姉様と呼ぶように」
「……おつかれさまです、お姉様」
「やーん、この子素直で可愛いー。本当にセリノチッタの弟子なの?」
今の私は仕事中。王妃様の侍女なのだ。優雅に対応するのだ。たとえ頬をむにむにされていようとも。
「そろそろ案内してくれるか?」
私がむにむにされていると、ナシーがそう少女に催促した。
「はいはい、十名様ごあんなーい。って、十人って多いわねー」
それは本当にすみません。なんだか侍女が全員付いてきてしまったのだ。
まあ、普通じゃ絶対に見られない光景だ。気になるのも仕方がないだろう。
「『天使の恋歌』はこっちね。まずは表紙の印刷」
横幅二メートルほどある台に案内される。台の端には予め裁断された無地の紙が束になって載せられており、それが移動用の魔法陣によって一枚ずつ横に送られる。すると、移動した紙の上で魔法陣が光り、瞬く間に表紙と背表紙、そして裏表紙が描かれた。
ううむ、この一瞬で印刷が終わったのか。
魔法陣の魔法式を見るに、インクは下の台の中にあるようで、そのインクが魔法陣によって上部へ移動、紙に吹きかけられ印刷完了。そして即座に乾くようになっているようだ。
印刷された表紙は、横へとまた移動し、用意された箱の中に積まれていく。
「フルカラー印刷だから、ちょっと時間がかかってるわねー。ま、それでも午前中には全部印刷終わるでしょ」
一瞬で印刷されているようにしか見えなかったが、これでも時間がかかっている方なのか。
「次行くわよー。こっちはモノクロ印刷」
束になった少々不揃いの紙が、魔法陣によって次々と横に送られ、紙の上で魔法陣がちかちかと光ると文字が印刷されていく。印刷が終わった紙は魔法の刃によって裁断されて、また束ねられていく。
めまぐるしく動くその様子に、一同は目を回している。
私は、この印刷魔法陣とでも言うべき設備に、素直に感心した。
「すごいですね、この魔法道具は」
「あら、魔女さんは解るかしらこの素晴らしさが。どこがすごい?」
私の賛美に、にやりと笑う少女。
「機械部分が台以外一切なく、全て魔法陣で構成されている。部品の摩耗や消耗とは無縁で、いつまでも動きますね、これは」
「いいところに目を付けるわねー。そう、旧来の印刷、例えば活版印刷は版の消耗が付きもの。でも、この魔法陣印刷機は、紙送りから印刷、裁断まで全部魔法陣で行なっているから、消耗知らずで故障知らずなのよ! お高いだけあるわね」
「お高いですか」
「『幹』の最新印刷機だから、お高いわよー」
しかし、活版印刷なんてものも知っているんだな。所長だけあって、印刷には詳しいのか。
活版印刷なんて、『幹』からすると何千年も前の古い技術だろうに。『幹』や魔法宮とは関わりのない新聞などの印刷物は、もしかしたら活版印刷を使っているのかもしれないが。新聞と言っても、瓦版みたいなやつだ。
「ま、ゼリンのやつのせいで製本はフル稼働だから、とっくに元は取れたけれど。今はばっちり技術料を取ってやっているわ。道具協会にいくらか持っていかれるけどねー」
技術料か。そのおかげでいまいち本が値下がりしないんだけれどな。まあ、秘するべき最新技術を使っているのだから仕方がないか。
印刷技術は道具協会の監視対象技術だから、市井の一般人がこの最新技術を使って勝手に印刷所を開設するというわけにもいかないしな。
「この国の製紙技術が高ければ、もっと効率は上がるんだけど、そこは道具協会の都合上仕方ないところね。さ、次行きましょうか」
私の相手をして気を良くした少女によって、私達はさらに次の工程に案内される。
「最後は、表紙とモノクロページを接着剤で貼り合わせて、本の完成よ」
これもまた魔法陣によって束ねられた紙がぴかっと光り、完成した本が積み上げられていく。
ここまで一切人の手は加わっていない。全自動である。ただ、チェックは人力なのか、完成した本の山から数冊抜き出して、落丁がないかの確認を魔法使いが魔法で行なっている。
その魔法使いも宮廷魔法師の制服を着ている。本のチェックはとてもアナログで、わざわざ魔法宮まで登り詰めた魔法使いがやるような仕事には思えない。しかし、ここの印刷技術は秘匿技術なので、魔法宮の人間以外に任せるわけにもいかないのだろう。ゴーレムに任せるのは……最終確認なので人力が必要か。
「以上、本の印刷でしたー。どう、このすごさわかってくれた?」
少女が私以外の一同にそう言葉を投げかける。
「本って、こんなに早く完成するのね」
そう驚きの声を上げるのは、侍女のサトトコだ。その言葉を受けて、少女はそうでしょうそうでしょうと嬉しげだ。
ちなみに他の侍女の反応はというと。
「すごかったですわ。でも、すごかったことしかわかりませんでしたわ」
「すごかったけどー。すごすぎてなにがなんだかー」
まあ、常人の理解の範疇を超えた技術だから、そういう反応も仕方がないか。
一方、パレスナ王妃は着眼点の違うコメントをする。
「表紙、私の描いた絵の通りしっかり色が出ていたわね」
「あら、王妃様があの表紙描いたの? 色の正確な抽出は自信があるわよー。カードの印刷で散々やったからね、そういうのは!」
まあ、カードは一枚一枚別のカラーイラストだからな。経験は溜まるだろう。
「高い予算をつぎ込んだだけあるな。見事な製本である! 後は、完成した本が、いかほどの値段で国民の手に渡るということであるが」
そう言って先王がぎろりと少女を睨み付ける。だが、少女はどこ吹く風といった様子でそれを受け流す。
「道具協会への上納金がありますから、そうそう安くはなりませんよ。ま、道具協会的には娯楽が世に溢れてほしがっているようですから、そこをつつけば安くなるんじゃないでしょうか。私の仕事じゃないですけどー」
「そうか。息子に話を通しておく」
先王はそう言って引き下がった。
一方、本の作者のナシーはというと。
「なんだかよくわからなかったが、本がしっかり完成しているようなのでよし!」
と、アホっぽいことを言っている。これでも化学の分野に関しては、王族の名に恥じないエリートなのだがなあ。
ちなみに彼女の護衛の天使ヤラは、常時興味なさげだった。火の神的には印刷技術は興味の対象外のようだ。まあ、天界に本を取り込んでも火で燃え尽きるだけだしな。
「私、カードの印刷が見たいです」
そう言うのは、最近トレーディングカードゲームにはまった侍女のビアンカだ。
「あら、ちっこいの。あんたカードに興味あるの?」
「先々月に始めました!」
「カードはねえ、今日は印刷してないのよ。あれは絵柄と文字が違うのがたくさんあるから、設定面倒なのよねー。その分、ふんだくってやってるからいいんだけど」
前世では、札束を刷っているに等しいとまで言われていたらしいトレカの印刷だが、少女的には面倒な作業のようだ。
まあ、カードは今のところ印刷代からくる単価の高さゆえに、一般人向けというより貴族や富裕層向けの遊戯だ。それゆえ大量印刷して大儲けというわけにはいかない。一般人が買い求めるようになるには、カードの元締めの一つである世界樹教による普及活動に期待するところである。
「残念ですー」
カードの印刷が見られないと聞いて、すごすごとビアンカが引き下がる。少女はそんなビアンカの頬をむにむにといじくりながら、言う。
「しょうがないわねー。お土産に裏面だけ印刷した無地のカードをあげるわ」
「わー、なんですかそれ、面白そうー」
「ペンで好きなイラストとテキスト書いて、『わたしのかんがえたさいきょうのカード』を作りなさい」
「わーい。ありがとうお姉さん!」
「私のことはお姉様と呼ぶように」
なんだか知らない間にビアンカが懐柔されている。
そんなこんなで、印刷所の見学は無事に終わった。
ビアンカ以外の三人の侍女達もちゃっかり無地のカードをゲットして、「宿舎のみんなに自慢できる」とほくほく顔だ。
今日休みを取っている侍女の子も確かカードゲームをやっていたはずなので、これは荒れるな……と感じ取り、私は彼女用に一枚余分に無地のカードを確保しておくのだった。
まあ、印刷所を見たかったと言われたらどうしようもないのだが。
そして帰り際、魔法宮の一階にて。
「魔女さん、お菓子あげる」
「魔女姫ー、持っていって」
「俺も俺も。どうぞどうぞ」
まるで親戚の子供に対するように大量のお菓子を持たされた。
さらには。
「また来るように」
と、宮廷魔法師のお偉いさんに念を押されるのであった。
「キリン、あなた彼らに何かしたの?」
そう不思議そうに、パレスナ王妃が言うのだが。
「……さあ?」
と、私は答えるしかない。
魔女の弟子というだけでここまで人気になるのも、どうにも不思議なのであった。




