64.会者定離センドオフ系終戦記念ウェディング<2>
日は瞬く間に進み、とうとう結婚式前日となった。
光陰矢のごとしとは、よく言ったものだ。パレスナ嬢の勉強を見たり、披露宴の出し物の練習をしているうちに、気がついたらこの日になっていた。
いよいよ明日は本番だ。確認作業に忙しい……わけではなく、別な仕事で午前の薔薇の宮は忙しかった。
それは、引っ越しだ。
結婚式後も退去猶予期間としてしばらく後宮は開いているが、他の令嬢達と違って、パレスナ嬢の場合は婚姻の儀式を終えた瞬間王族になる。したがって、結婚後はその日から王宮の王族居住区、すなわち内廷に住まなければならない。
なので、今日中に引っ越し準備を終え、そのうえで今日はここで過ごし、明日結婚式後に内廷に住み始めるという慌ただしいスケジュールとなる。
幸い、荷物はすでに内廷に運びこんでよいことになっているので、下女を使って後宮から王宮へと荷物をどんどん運び出している。
そして現在は、アトリエの荷運び中だ。
「きゃー、この絵、カードで見たことある」
「本当? あ、確かにカーリンさんが使ってるの見たことあるー。すごーい」
有名な画家先生のアトリエとあって、絵を運び出すときにも下女はわいわいやっているようだ。パレスナ嬢は上級貴族なので、お金を稼ぐために絵を無理に売り出す必要がなく、描いた絵をそれなりの数、手元に残していたりする。
そんな絵が布に包まれ、木箱に梱包されていく。ダンボールが存在しないのは不便だな。
そして、その作業を侍女の私は監督役として見守っていた。
「とうとう台車に載らない机と棚が残ったかー」
「これ王宮まで手で運ぶの? 辛くない?」
「明日以降なら男手が後宮に入っても問題ないのにー……」
下女達が弱音を吐いている。
名目上は結婚式後に後宮解散となるため、明日から男子禁制は解除される。他のお嬢様達は引っ越しをゆっくりするのだが、その引っ越し作業には男の下男達も駆り出されることになる。
ちなみに男達がお嬢様達に不埒な真似をしでかさないようにするため、王宮からは女性の護衛が用意されるようだ。もちろん、お嬢様方が男と顔を合わせたくないなら、引っ越し作業は下々に任せて王都の屋敷に引っ込んだっていい。
だが、後宮解散前の今日は、下女達のみでこのアトリエの荷物を後宮から運び出さなければならない。
王宮から先は男も立ち入れるため、後宮入口から内廷の国王夫妻の私室まで荷物を運ぶのは下男達が行なっている。なので一応、完全に女手のみでの引っ越しというわけではない。
作業を見守っているうちに、細かい道具類や絵画は木箱に梱包され、すでにアトリエからは持ち出されている。
ちなみにここで描かれたナシーの新作小説『天使の恋歌』の挿絵は、すでにゼリンへの納品が済んでいる。あとは本の刷り上がりを待つのみだ。新王妃が挿絵を描いた作品として、一部で有名になったりするのだろうか。まあ、文を書いているのは王妹なのだが。
「いやー、きついですね。掃除下女の仕事じゃないですよこれ」
と、下女のカーリンがどこからともなく現れ、私に話しかけてきた。
「下女総動員か」
「いえ、明日の披露宴のために、城下のダンスホールの方にも結構駆り出されています。総動員だったらこんな小さな宮殿の引っ越しなんて、すぐに終わっていますよ」
そうだよなぁ。結婚式前日に引っ越し作業とか、何か間違っている気がするんだよな。
「キリン様、力持ちなんですから手伝ってくれたりしません?」
「しないな。侍女の仕事じゃないよ。それに今は侍女のドレス着ているし」
侍女のドレスは、下女のような汚れても構わないような服装ではない。前世のイギリス、ヴィクトリア朝時代の使用人であるメイド。その業務内容である掃除洗濯料理家事は、おおよそ侍女ではなく下女の仕事なのだ。
そんな今の私の仕事は、下女達がちゃんと仕事をしているのかの監視役だ。
下女がうっかりものを壊してしまったとかいうときに、下女に重い責任がいかないように業務上の過失として処理したりもする。あと、王宮で働いているのはそれなりに良家の出なのでいないと思うが、窃盗を防ぐとかの目的もある。
なので、力仕事に手を貸さないのも仕方がないことなのだ。
「でも、後宮で開かれたお茶会では、テーブルを運んだりしたって聞きましたよ」
「あのときは人手が足りなかったからな」
カーリンの追及に、そう言葉を返す私。ダブルスタンダードだって別にいいのだ。私は今あまり動きたくない!
何故なら今日はドレスの試着をするから、汗をかきたくないのだ。いくら剛力の魔人でも、動き回ればしっとり汗ばむくらいはするからな。
「それよりもカーリン、私と話しているがみんなを手伝わなくていいのか」
「非力なので、重たすぎるものは持ったら落としてしまいます。もう出る幕はないです」
下女達がえっちらおっちら机を外に運び出していく。大変そうだなぁ。
正直、アトリエの中身なんて明日から急に必要になるものではないから、引っ越しは部分的に後日でいい気がする。融通が利かないものだな。
「それよりも、明日の披露宴楽しみですね。久しぶりにドレスなんて着ますよ」
「なんだ、カーリンも参加するのか」
「うちの親父がお呼ばれしていまして、娘としてその随伴に」
「ゼリンもすっかり豪商だからな。成してきたことを考えると、貴族に推挙されてもおかしくはないが」
「父さんは、そういうのには興味ないと思います」
「だよな。あいつは商売に命懸けてるからな」
そんな会話をしているうちにアトリエはすっかり空になった。そこらに絵の具がこびりついていたりするが、掃除は後日とのことで、引っ越し作業は終了となった。
寝室のベッドや厨房の調理器具などが残っているが、そちらは内廷に運ぶ必要がないので、パレスナ嬢に処分の意思がないなら宮殿に置いたままになる。次に宮殿に入る主が必要に応じて入れ替えるであろう。
私はカーリンと明日の再会を約束して別れ、午前の仕事を終えることにした。
午後からは針子室の針子を呼んで、ドレスの最後の総点検だ。婚姻の儀式に従者として参加するので、私も針子の点検を受ける。はたして大丈夫かね。
◆◇◆◇◆
侍女宿舎の自室でドレスを着る。髪型もいつもの三つ編みではなく編み上げスタイルだ。カヤ嬢からの厳しいチェックを受け、私自身も魔法で鏡を周囲に浮かせて確認だ。うん、問題なし。肩と背中が大胆に出ているが、そのうち慣れるさ。
そして、この日のために購入していた化粧品を取り出し、カヤ嬢のレクチャーを受けながら化粧を施す。うーん、鏡に超絶美少女が映ったぞ。化粧ってすごいな。
「まさに妖精がこの世に現れたようですわ」
カヤ嬢がそう称賛してくる。お世辞なのか本音で言っているのか、どちらだろうか。
「私にとって、妖精は珍しいものではないのだけれどね」
私はそう言いながら、妖精魔法で指先に小さな妖精を召喚してみる。私の魔力を受け取った妖精は、嬉しそうに指の周りを飛び回った。
それを物珍しげに見ながら、カヤ嬢が笑みを浮かべて言う。
「さながら、妖精の姫でしょうか」
「さすがにそれは言い過ぎだよ。でも、自分に自信が持てそうだ」
私は元男だが、それでも自分が醜くないというのは嬉しいことだからな。
そして、女として着飾るのにもいい加減慣れてきたところだ。ドレスだろうが水着だろうが着てやろうではないか。
「では、行ってくるよ」
「ドレスを汚さないようお気をつけて」
カヤ嬢と挨拶を交わし、私はドレス姿のまま後宮へと向かった。
空模様は晴れ。今は雨期だが、天候操作されている。国王の結婚式を祝い、今日から三日間は王都周辺に雨が降らないようになっているのだ。
前日から晴れなのは、当日雨で足元がぬかるまないようにという配慮だな。三日目は野外での大披露宴だしな。
ただ、昨日は雨だったので足元が少し湿っている。ドレスに泥が跳ねないよう、魔法で保護をしておく。
そうして後宮を歩いていたところ、侍女を引き連れたハルエーナ王女と鉢合わせた。腕には天使猫を抱えている。
「ん、キリン、こんにちは」
「はい、こんにちは。お出かけですか?」
「久しぶりに晴れたから散歩」
「左様ですか」
そうやって私達は挨拶と礼を交わした。
「キリン、ドレス似合ってる」
「ありがとうございます。今日は針子からドレスの確認を受けるのです」
「そう。似合っているから大丈夫だと思う」
「だといいのですが」
ハルエーナ王女とそんな会話を交わす。後宮も明日で解散だ。すぐに退去するわけではないが、別れの時は近い。
「今も猫を連れていますが、国元に連れていくのですか?」
「うん。後宮から連れていく」
「うむ、上位存在からも新たな体制になる国を見られるなら、見るべしという指示を受けておる」
私達の言葉を受けて、王女の腕に抱えられた天使猫がそう言った。
さらに天使猫は言葉を続ける。
「別にこの国に留まってもいいようじゃがな。妾としては、炎の樹まで行って、胴体を生やしに行きたいところじゃが……」
「胴体生えるのか?」
「四肢欠損を治した実績はあるようじゃのう」
私の疑問に、そう答える天使猫。
ちなみに炎の樹とは、天使や悪魔が生えてくるパワースポットだ。天使達の主成分は炎と植物だってことだよなこれ。不思議生物である。
「炎の樹は遠いから行っちゃ駄目」
「ハルエーナはこの様子なんじゃよなぁ……。人ではない動物一匹の旅になんの危険があるというのか」
「お前、旅を舐めてると、魔物に食われて終わるぞ」
小さな動物など、魔物や肉食獣の格好の餌食だ。起きている間は火の魔法で撃退できるとしても、天使だって眠るのだ。まともな野営ができないと、寝ている間にぱくりだ。
「できれば、お前はハルエーナ様についてやっていてくれ。護衛くらいできるだろう?」
「まあ、任せるがよい。養ってもらっている恩くらいは返すのじゃ」
いつかは炎の樹に行くのだろうが、今はハルエーナ王女についてやっていてほしい。彼女も別れが連続すると辛いだろうからな。
「では、薔薇の宮に向かいますので、この辺で失礼します」
「うん。また明日」
そう言って私達は別れた。
そして薔薇の宮まで歩いていき、中へと入る。広間に詰めていたフヤと目礼を交わし、パレスナ嬢の私室へ。
「おかえりなさい。想像以上の姿ね、キリン!」
パレスナ嬢がそう私を迎え入れた。そこまでいうほどコケティッシュなのだろうか、今の私は。
「大人っぽくていいですー。でも、私も可愛いでしょ!」
そうビアンカに言ってくる。彼女は、言葉通り可愛らしいドレスに身を包んでいた。私のように化粧はしていないようだが、それがかえって年齢相応の素の可愛らしさを演出しているように見えた。
「可愛いですよ、ビアンカさん」
「えへへ」
「年頃の男子達の視線を釘づけにできそうです」
「そうかなー。えへへ」
私の言葉に照れるビアンカ。そんな様子をシックなドレスに身を包んだ母親のフランカさんが、微笑ましい表情で見守っていた。
そんな会話をしているうちに、やがて薔薇の宮に針子達がパレスナ嬢の花嫁衣装を持参してやってきた。
侍女の私達は、針子達の指導を受けながらパレスナ嬢の衣装の着付けを行う。
まずは婚姻の儀式の衣装。
ひらひらふわふわした青色のドレスだ。頭には、青い薔薇が飾られたヘッドドレスをつけている。
ドレスのサイズはぴったり。針子さんの腕がいいのだろう。
「じゃ、あんた達、横に並んで並んで」
以前もここに来ていた年配の針子さんが、私達にそう指示を出した。ファッションチェックのお時間だ。
「うーん、あんた」
私は針子さんに指を指される。どきりとした。
「せっかくの大人っぽい格好なのに、装飾が足りないねえ。そのペンダントだけなのかい?」
「ええまあ」
私が身につけていいる装飾具は、師匠の魔女から受け継いだ魔法のペンダントのみだ。それ以外は特に何も持っていない。
戦闘用のエンチャントがなされた、無骨な装身具はいくつかあるが、このドレスには合わないだろう。
「仕方ないね。これあげるから、頭を飾っておきな」
針子さんはそう言って、私に薔薇の髪飾りをつけた。薔薇か。パレスナ嬢とおんなじだ。
それを見たビアンカが、羨ましそうに言う。
「薔薇、可愛いですねー」
「おや、あんたもつけるかい?」
「わーい」
「うん、可愛い可愛い。薔薇の宮らしいんじゃないかい」
ビアンカの髪も薔薇で飾られた。
「ほら、あんたも」
「いえ、私は……」
針子に薔薇の髪飾りをつけられそうになって拒否するフランカさんだったが、結局押し切られていた。
「いいわねー。みんな薔薇! こういう統一感って好きよ。絵に描きたいくらい」
そう言ってパレスナ嬢は笑った。
そして次は、一回目の結婚披露宴用の衣装だ。ウェディングドレスである。
今は雨期ということもあって、ジューンブライドって感じだな。9月だけど。
「新鮮でいいねぇ。新しいデザインに、会場中の注目が集まるさね」
「うっ、目立つのは苦手なのだけれど」
針子さんの言葉に、そうぼやくパレスナ嬢。
「今更なに言ってんだい! 大披露宴は何千人も人が集まるんだよ!」
そう言われてしょんぼりとするパレスナ嬢。するとさらに、針子さんに「本番では笑顔を絶やすんじゃないよ」と注意を受ける。
花嫁って大変だなあ。
そうしてウェディングドレスの確認作業を終え、さらに大披露宴の衣装も着て確認を終えた針子さん達は、満足した様子で針子室に帰っていった。
花嫁衣装を脱いだパレスナ嬢は、いつものドレス姿に戻っている。
私もドレスを脱ごう。パレスナ嬢の私室で、私達侍女三人は侍女の衣装に着替えた。
さて、思いのほか早く終わったので、就業時間まではまだ時間もある。
しかし、私物はおおよそ内廷に運んでしまったので、パレスナ嬢は手持ち無沙汰になった。紙と鉛筆すらない。
「キリン、何か面白い話をしてちょうだい」
お嬢様のお話係としての仕事をいただきました。
話か。そうだな、結婚前日なので結婚関連について。
「前世では、ハネムーンという文化がありました。結婚した夫婦が、結婚式を挙げた後に二人で旅行に行くというものです」
新婚旅行だ。ハネムーンは日本語で言うと蜜月。結婚したらひと月は蜜のように甘く二人でいちゃいちゃしろってことだな。
パレスナ嬢はそれを聞いて、にっこりと笑った。
「旅行、いいわねー」
「外国に行くというのが定番でした。それも、常夏の国に行って水泳などを楽しむのです」
「なにそれ面白そう」
「パレスナ様も、最初は王妃の顔見せとして陛下との外遊や領地訪問が増えるのではないでしょうか」
「そのあたりの予定は聞いていないのよね」
ちなみに、成田離婚という言葉も存在するのだが、ここでは言わないでおこう。明らかに余計な情報だ。
そうそう、悪い結婚用語といえば、あれがあった。
「他には、いい言葉ではないですが、マリッジブルーというものがありました。結婚を間近に控えて、突然結婚生活への不安や憂鬱を感じるというものです。パレスナ様は大丈夫ですか?」
「憂鬱? そういうのはないわねー。陛下との生活が楽しみ!」
問題ないようで何よりだ。
「私はありましたね、その『マリッジブルー』」
既婚者であり一児の母でもあるフランカさんが、そう言った。
「私が結婚したのは十四歳と若く、本当に妻を務められるのかと不安になったものです」
「そうだったのね。意外ねー。今では立派な母親だから、その様子が想像できないわ」
フランカさんの言葉に、そうコメントするパレスナ嬢。
「まあそんな私も今は、夫を地元に置いて、こうしてお嬢様の侍女などをやっているわけですが」
「そうよ、フランカの夫、どうするのよ。ビアンカもずいぶん会ってないでしょう」
「大丈夫ですよ。王城の植物園に就任が決まりました。あ、キリンさん。私の夫は園丁なんですよ」
なるほど、そうだったのか。本来の意味での庭師ってやつだな。
平民の仕事に見えるが、フランカさんの夫ということは貴族のはずだ。王宮の植物園ともなると、園丁も貴族か。責任者とかの立場なのかな。
「それはよかったわね。ビアンカ、お父さんに会えるわよ」
「そうですねー」
ビアンカに話を振るパレスナ嬢だが、ビアンカの感動は薄い。
子供にとっての父親なんてこんな扱いなのか……。
頑張れお父さん。
「それで、キリン。結婚についてまだ他になにかあるかしら」
「そうですね。前世の結婚式にはブーケトスという文化がありまして、これに似た風習が上の枝の大陸にも――」
そうして、午後は歓談して過ごすことになった。
いよいよ明日は結婚式。楽しい式になってほしいものだな。




