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6.私の仕事

 王城付き侍女の仕事は多岐に渡る。

 大雑把に仕事内容を言うと、王城で役職に就いている人の身の回りの世話をするというものである。

 が、この身の回りの世話というのがなかなかに統一性というものが見いだせないのだ。


 例えば、私が最初に覚えたのはお茶淹れ。部屋で働いている官僚の休憩時間に合わせて、お茶(のような飲み物)を出しに行く。

 似た仕事としては食事の手配がある。王城には食堂があるが、専用の執務室を与えられるような高官は、直接執務室や私室に食事を運ぶ。王族ともなると専用の毒味役の侍女が食事を徹底的に管理している。

 なお、当然のことながら調理を行うのは侍女の仕事ではない。


 他には、城に住居を持つ者の寝室の管理がある。

 寝室の掃除を行うのは下女の仕事だが、侍女はそれを監視する役割を与えられる。下女による私物の盗難を防ぐためだ。

 ベッドメイキングは下女ではなく侍女の仕事だ。シーツの洗濯を行うのは下女達の仕事なのに、シーツを敷くのは侍女の仕事なのである。境界線がわからない。


 官僚の使い走りは侍女の仕事である。下女は平民。侍女は貴族。官僚は貴族。なので官僚が指示を出すのは侍女相手なのだとか。

 その理屈はよくわからない、が、たくさんいる下女一人一人の顔と名前を官僚の方々が覚えるのは大変なのはわかる。下女達に指示を出すのは彼女達の上司である侍女の役目だ。

 使い走りとして伝言を頼まれることもあるが、メモを取ることは許されていない。一字一句間違えずに伝言を覚え、広い城内のどこかにいる伝言相手に言葉を伝えなければならない。これをできない侍女は結構いるのだとか。私はこういったお使いは『庭師』時代で慣れているので、いざ官僚付き侍女になってもこれについて問題はないだろう。


 他にも、靴の手入れや服の管理、着付けの世話といった貴人達の身だしなみを整える手伝いをする。

 私は見習いの身なので、まだ実際に高官達の身だしなみの世話をしたことはない。

 先輩侍女を練習相手にして絶賛特訓中だ。


「キリンお姉様、本当にこれが何かわからないのですか……?」


 本日の指導担当、ククルが奇怪なものを見る目で私を見る。

 なぜそのような目を向けられるのかてんでわからない。

 貴婦人の身だしなみの世話の仕方を教えると言われて出された道具を前に、使い方がわからないと言っただけだというのに。


「見覚えはないですね」


 仕事中なので今の私はククル相手でも敬語モードだ。


「お姉様、いまおいくつですか」


「二十九」


 何を言わせるのだククルは。見た目十歳だが中身は二十九+αだ。

 そんな世間知らずの子供を見るような目で見つめないで欲しい。


「本当に見たことがないのですか」


「ああ……うむ、化粧道具だというところまでは予想が付いているんですが、使い道がさっぱりわかりません」


 目の前にあるのは、判子に使う朱肉のようなケースと、小さな筆。

 身だしなみで筆ときたら化粧に使うものだとは思いつく。さすがに髪結いにこんな筆を使うとは思えない。

 しかし朱肉である。筆とセットになっているということは、筆を朱肉につけ顔に化粧するのか。

 しかし色は赤である。目元に塗るにもさすがに赤はない。顔に模様を描く? 隈取りか? 歌舞伎役者用の化粧品なのか?


「お姉様、化粧の経験は?」


「ない」


 全くない。化粧で肌を誤魔化さなければならないような肉体年齢ではない。

 私は永遠の瑞々しい肌を持つ幼女なのだ。髪型に凝ることはあっても、顔に手を加える必要などないのだ。

 体に魔法の文様を付ける化粧魔法というものもあるが、専用の魔法道具を用いるため化粧道具とは縁がない。

 というか元日本男児の精神を持つ身としては、女らしい服装だとか女らしい身だしなみだとかに対してどうしても違和感を持ってしまうのだ。今着ている侍女の制服のスカートもすごく落ち着かない。


「はあ……」


 ククルが気落ちしたようにため息をつく。

 なんだなんだ。妹分であるククルにこんな態度を取られるとさすがの私も傷つくぞ。

 むう。これでも私は昔、ククルに外の国のお土産として、アクセサリや魔法の手鏡をプレゼントしたことがある。言うほど女という人種に疎いわけではないはずだ。


「で、結局これはなんなのですか」


 朱肉と筆。謎だらけの道具だ。


「……口紅ですわ。知っていますか、口紅。唇を赤く見せる化粧ですの。市井の若い町娘の方でも知ってる道具ですのに……口紅すら知らないなんて重症ね……」


「口紅くらい知っているわ! いや、これ口紅!? 筆なのに口紅!?」


「筆がなくてどうやって紅を塗るのですか」


「いや、口紅だぞ。……ですよ。口紅といったら……こう……紅を固めて、そう、顔料のようなものにして、棒状になって口に塗るものでしょう」


 私は人差し指を立てて、つつーっと唇をなぞってみせる。

 口紅は使ったことないが、知識にはしっかりとあるぞ。


「そんなものがあるのですか」


「うむ、口紅と言えばスティックですよ」


「使っている方を見たことがありませんね……。どこの国の化粧なのかしら。周辺諸国からの輸入品にも見たことありませんし、世界樹の上の国かしら? 下の国かしら?」


「ああ、私が知ってる口紅は……」


 あれ?

 スティック状の口紅ってこの世界で見たことがないぞ。

 あれは前世の地球の化粧品ではないか。実物を見たのは、前世の子供の頃母親の化粧品をいたずらして、顔に塗りたくったときくらいだ。


「……うん、かなり遠い国の化粧品ですよ。使ったことはありませんが」


「なるほどそうでしたか。大陸の枝が変われば文化も違うのですね」


 納得したのか、ククルは小さく首を縦に動かして頷く。

 異世界の知識だが、私が無知な人間だとは思われずに済んだようだ。


「でも、この筆の口紅は見たことがないのですよね? ということは、白粉も香油もクリームも全部知らなさそうですわね」


「……う、はい」


 ククルが用意した箱の中から次々と取り出される道具。

 そのどれもが見覚えのないものばかり。ゆえに私は無知であることを正直に答えておく。


「では、一通り使ってみるところから始めましょうか。まずは口紅から」


 そう言ってククルは筆を手に取ると、空いたもう片方の手を私に向かって伸ばしてきた。

 ククルの細い指が私の顔の横に当てられ、きゅっと掴まれ私の頭を固定した。


「ぬ? なんだ?」


「はい、じっとしていてくださいねお姉様」


「え、ちょっと待て。化粧の施し方を私が学ぶんだよな。それがなぜククルが私に口紅をすることになるんだ」


「化粧をしたこともない人が、他の人に化粧を施せるわけがないでしょう」


 待て。待ってくれ。

 心の準備が終わっていない。女になった事実はとうの昔に受け入れているが、化粧をする覚悟は急には決められない!


「安心してくださいまし。陛下が見たら一目で後宮入りを決めてしまうくらいの、最高のお姉様に仕立てあげてみせますわ!」


 ストォォーップ!




◆◇◆◇◆




 自分の美しさが怖い。

 女は化粧で化けるとはよく聞く言葉だが、ククルに化粧をほどこされた私は、幼女の顔から傾国の美女の顔に変わった。

 前世の自分がこれを見ていたら、ロリコンの道に目覚めていたかもしれないほどのものだった。

 危険すぎるので、今後自分で化粧をするときはナチュラルメイクに努めよう。永遠の十歳児ボディの貞操が危ない。


 気を取り直して仕事の続きである。

 化粧はおいておいて、貴婦人相手の身だしなみの整え方を練習する。

 行うのは髪結いだ。


 髪結いは得意だ。ククルにも子供時代、何度か髪の手入れをしてあげたことがある。

 そのときのことを覚えているククルも、髪結いの練習台として休憩室の椅子に座って大人しくしている。

 まずはブラッシングだ。彼女の髪は父親ゆずりの黒髪。混じりっけなしの艶やかな黒は、そこらの宝石では比べものにならない美しさと輝きをまとっている。

 ブラシに髪をひっかけないよう優しくとかす。癖のない真っ直ぐな髪は、結ってしまうのが勿体ないくらいだ。

 綺麗に整えたところで、香油の瓶を手に取る。化粧用の香油は知らないが、髪の手入れ用の香油は世界各地のものを知っている。

 瓶から香油を少しの量だけ手にたらし、手の平でこねて延ばす。そして十分に延ばし終えたそれを髪に満遍なくのせていく。

 ここで気をつけなければならないのは、香油はあくまで添えるだけの量に控えるということだ。手の平でのばして髪には薄く被せるだけ。

 べっとり油をつけるとせっかくのさらさらヘアーが台無しだ。結いやすくはなるがてっかてかになってしまい見苦しい。

 油で輝くエンゼルリングなど、美しくない。この世界の天使には丸い輪っかなどないので、エンゼルリングと言っても通じないが。


「化粧は知らないのに、昔から髪結いは得意ですよねキリンお姉様は」


 香油を薄くのせた髪を再度ブラシでとかしている最中、ククルがそんなことを言ってくる。

 そう、私には化粧をする文化はないが、髪の手入れをする文化はあるのだ。


「髪には魔力が宿るんですよ。私は魔女の後継者ですからね。育ての母代わりの魔女に髪の魔法を仕込まれたんです」


 父と共に荒野の旅を続けていた蛮人であった幼い頃の私に、魔女は女としての身の整え方を教えてくれた。

 特に熱心だったのが髪の手入れ。私は超人的な身体を持つ魔人だったので、適当に水洗いさえしていれば髪など勝手に綺麗になってくれた。だがそれでは駄目だと魔女は言った。髪には強い魔力が宿る。そう私に諭した。

 今思えば、元男として自分の身体を乱暴に扱っていた私に対する、魔女なりの子供教育だったのかもしれない。

 ただ魔法的な手順で綺麗に手入れをした髪が魔力を宿すのは本当のこと。金と茶の入り交じった腰まで届く私の髪は、毎朝丁寧に三つ編みにしている。

 おしゃれといえば鎧な今までの私だったが、髪に関しては貴婦人を相手にしても劣っている気はしない。


「お姉様の手は優しいのですよね。他の方にお任せすると痛くてびっくりすることがありますわ」


「引っ張るのはいけないな。完成後の形しか考えずに頭皮を痛めたら、将来抜け毛に悩むことになりますよ」


 不老の身なので抜け毛の悩みとは縁がないが、髪型のために頭皮を引っ張るのはよろしくないと思う。

 見栄えを良くするために苦痛を抱えて日常を過ごすなど、私には理解できない。そういえばこの国にはドレスを着る際のコルセットの文化は無かったな。良いことだ。


 そんなことを考えている間に結い終わりだ。

 ついでに箱に入っていた造花のヘアアクセをつけて完成。手鏡をククルに渡すと、彼女はうっとりと鏡に映る自分の頭を眺めた。

 ククルの髪は相変わらずいじりがいがある。髪質の固い私の髪と違って、さらさらできらきらだ。


「こちらの腕はやはり完璧ですわね。今すぐ王妹殿下の髪結いを任されても問題ないくらいです」


 さすがにそれは褒めすぎではないかね。


「近年の流行の結い髪の手順書がありますので、順番に覚えていきましょうか」


「流行か。他の国で見てきた髪型をやってみせれば、真新しいものとして受け入れられますかね」


「どうでしょう。私で試して頂いて良ければ採用、というのはいかがでしょうか」


「ふむ」


 記憶の中にあるインパクトのある髪型の数々を思い出す。

 と、そんな私の心の中にちょっとしたいたずら心が湧いてくる。やってしまうか。

 いや、いい歳したアラサー幼女が妹分の髪をやってしまうのはどうだろう。いやでも髪を切るわけでもないからすぐに元に戻せる。

 ……よし、やろう。


「ククル、少し魔法を使った髪結いをやりますよ」


「魔法ですか? ……ちょっと楽しみです」


 【加熱】魔法発動。人差し指と中指をヘアアイロンに。

 【熱風】魔法発動。ドライヤー準備完了。

 髪を解いて、整え、上にあげる。指で固めて大きく渦を巻くようにくーるくる。

 数分後、そこには綺麗な黒髪がすべて頭の上でうずまく山となっていた。イメージはソフトクリームだ。造花のアクセを横に添えてと。


「できましたよ、ククル。はい、手鏡」


「どんなのでしょう。……あらこれは」


 遠い異世界の町、歌舞伎町式の髪結い。

 前世にテレビで見た記憶を今持つ知恵と技術で再現した。


「盛り髪です」


「…………」


 ククルが黙った。

 やはり怒らせてしまったか。いくらなんでもいたずらがすぎた。

 前世の記憶だと、中世ヨーロッパの貴族達は歌舞伎町の盛り髪など序の口なもの凄い髪型をしていたようなので、もしかしたらありかなと思ったのだが。

 イギリスのエリザベス一世を扱った映画は、髪もドレスも全部常識をぶっちぎっていたから、剣と魔法のファンタジー世界なこの国でも受け入れられるかもと思ったのだが。

 いや、言い訳だ。単純にいたずら心を抑えきれず少女の髪で遊んでしまっただけだ。いい歳して情けない。


「……キリンお姉様」


「はい、ごめんなさい」


「? なぜ謝るのですか」


「え、そんな髪型にしてしまって申し訳ないなと」


「いえいえ、お姉様。これは斬新ですわ。他の方にも見せてあげませんと!」


「斬新……ああ、斬新だな」


 どうやらありのようだった。


「みなさんに見せてきます! うふ、うふふ!」


 休憩室を出て他の侍女の同僚達に盛り髪を見せびらかしにいくククルを見送りながら、私は久方ぶりの異世界カルチャーショックを味わうのだった。

 ……元が日本の髪型なので異世界カルチャーは違うか。


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[一言] 昇天ペガサスMIX盛り懐かしい…
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