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5.私の余暇

 一日の侍女の仕事が終わると、私達は宿舎に戻って私服に着替える。

 最初にこの宿舎に訪れたときは豪奢な外観と建物のサイズに驚いたものだが、実際に侍女として過ごしてみるとこの王都ホテル並の建物が王城敷地内に建っているのも納得できるようになった。


 侍女の制服を脱いだ仕事終わりの侍女は、宿舎の外に出ることができない。

 王城に住み込む女性の数は多い。そんな女性達が仕事を終えた後に王城内をうろうろすると、警備上の問題が発生してしまうのだ。

 もちろん、個別に割り当てられた休日ならば、私服を着て城の外に遊びに行く権利はある。ただ、日常的に制服を脱いで城の中をうろつくことができないだけだ。


 侍女は終業後の自由時間を宿舎の中で過ごす。そして侍女は皆、それなりの身分をもつ貴女達である。

 ゆえに、身分に合った時間を過ごせるよう、宿舎の設備が充実しているのだ。

 私達はあくまで侍女なので、身の回りの世話をしてくれる担当侍女はいない。が、宿舎担当の下女達が生活を支えてくれている。


 宿舎内の食堂で食事は三食用意されるし、大浴場もある。

 この国の貴族には風呂に入る文化がある。元日本人としては嬉しいことだ。

 他にも暇を過ごすための遊戯施設や茶室、図書室も宿舎内にある。


 王城付きの侍女になった私も仕事を終えた後は、この広い宿舎の中で次の日の朝まで過ごすという生活を送るようになった。

 しかし、これがなかなか窮屈である。仕事終わりに城下町の酒場に繰り出して一杯ひっかけるという、自由人な過ごし方ができない。

 城の外に出るには、侍女長に外出許可届けを出さなければならない。王城なので、人の出入りを管理していて当然である。


 長い自由時間を宿舎の中で潰さなければならないのだが、困ったことに時間を潰せる趣味というものが私にはなかった。

 前世の日本男児時代の趣味は、釣りと登山、アウトドア全般。宿舎の中でできるようなものではない。

 本を読んですごすにも、いまいち気乗りがしない。前世では読書と言えば某有名週刊少年漫画雑誌を読むことだった。この国には漫画文化はない。正確には生まれたばかりの文化だ。

 貴族向けの室内球技があるのだが、私の場合体の性能があまりにも高すぎて、侍女になるような少女達では相手にならない。

 貴族の間でブームとなっている『トレーディングカードゲーム』は魔女の塔に全部置いてきてしまった。まとめて休日が取れたときにでも走って取りにいかなければ。


 そんなわけで、仕事終わりの私は非常に暇なのだ。

 侍女達が私の『庭師』時代の話を聞きたがっているが、一方的に話を語るというのはあまり楽しくない。

 対等な立場で日常会話を楽しめる友は、まだククルとカヤ嬢くらいしかできていない。出自が特殊過ぎて友達作りをするのにも難儀する。

 そんな新米侍女の悩みを私は、同室のカヤ嬢に相談してみることにした。


「あら、でしたら新しい趣味でも作ってみてはいかがですか」


 読みかけの本を横に置いて話を聞いてくれたカヤ嬢は、にっこりと笑ってそんな答えを返してくれた。

 新しい趣味! なるほど!

 しかし宿舎の施設が充実していると言えど、私に向いているものがあるだろうか。

 恥ずかしながら今生に女の身として生まれてからというもの、インドア的な嗜好は魔法の研究くらいしか覚えていない。

 世界を回るため各国の言語を習ったりもしたが、それはあくまで勉強だ。勉強を趣味にするほど私はインテリな人間ではない。むしろ脳筋だ。


「何事も挑戦ですわ」


 う、む。さすがカヤ嬢。良いことを言う。


「それじゃあキリンさん、ちょっと施設へご案内しますわ」


「む、どこへだね」


「裁縫室です」




◆◇◆◇◆




 案内された部屋には、大量の布が置かれていた。

 さらには機織り機がいくつか置かれ、その一つに女性が一人座り織物を作っていた。

 他にも、毛糸を手に編み物をしている少女のグループが、楽しげに談笑している。

 部屋に踏み込んだカヤ嬢と私にその少女達の視線が集まるが、カヤ嬢は涼しげに視線を受け流して部屋の奥へと進んだ。


「刺繍なら、私でも部屋で教えられると思いますの」


「刺繍か」


「はい、こういうものですわ」


 カヤ嬢は部屋の隅に置かれていた箱をあけ、一枚のハンカチを取り出した。

 白いシルク(のような生地)のハンカチには、白い糸で美しい薔薇(のような花)が装飾されていた。


「なるほど、確かに覚えれば時間を有意義に使えそうだ」


「ええ、作ったものは綺麗にできれば、普段身につけることも出来ますしね。キリンさんの場合、香り袋作りなんて良いのではないかしら」


「む、香り袋か……」


「キリンさん、香水もつけていらっしゃらないでしょう?」


「生まれつき嗅覚が鋭く、それを活かす仕事についていたからな。匂いをつける習慣がなかった」


「でも侍女になったからには、やりすぎない程度には香りにも気を配ったほうがいいですわ」


「そういうものか?」


「ええ、やんごとないご婦人の周りに侍ることもありますから」


 会話を続ける最中にも、カヤ嬢は部屋に用意されていた道具を手際よく集めていた。

 彼女はいくつかの安布に、針と糸、それと教本らしい薄い紙の束を用意した。


「自室で始めてみましょうか。このお部屋でやると他の方々が集まってしまって、ここを利用している方に迷惑がかかってしまうでしょうから」


 うむ。カヤ嬢も私のこの宿舎での扱われ方というのをすっかり熟知したようだ。

 しかしよく気がつく子である。

 知れば知るほど青の騎士に嫁に出すのが、本当に惜しくなる子だ。




◆◇◆◇◆




「キリンさん、手先が器用なんですね」


 刺繍を始めて数時間、就寝時間が近づいた頃、カヤ嬢にそんなことを言われた。

 今私がやっているのは、失敗してもいい安い布の切れ端に簡単な縁取りの刺繍を施す作業である。

 針と糸を使った細かい作業。それを私は教本とカヤ嬢の教えに従って、するするとこなしていた。


「うむ、刺繍は初めてだが、裁縫は昔からよくやっているからな。旅先で服が破けたら自分で縫わないと替えが利かない環境にいた。子供サイズの魔法繊維の戦闘服なんて、そうそう手に入るものではないしな」


「なるほど、そうでしたか」


「魔法の道具作りでも細かい作業が多い。針と糸は使わないが、布に魔法陣を刻み込むようなこともやったことがある」


「剣を持って、魔物に立ち向かうだけではないのですね」


「剛力魔人が繊細な作業をできて笑えるかい」


「いえ、そんなことはありませんわ」


 そう答えつつもカヤ嬢の目はわずかに泳いでいる。

 まあ仕方がない。

 私の武勇といえば、虎のような巨獣の首を素手でねじ切っただとか、固く閉ざされた要塞の扉をこじ開けただとか、岩山を剣で両断しただとか、そんなパワーイズジャスティスなものばかりだ。

 繊細な手先とはイメージが結びつかなくて当然だ。

 というか、私の怪力を知る人の中には、私のことを力をセーブできず人に触れるとミンチにしてしまう化物だと思い込んでいる者もいるくらいだ。

 む、もしかして、普段私のことを妙に恐れて、遠巻きに見ている一部の女官の人達はそんな勘違いをしているのか。

 こちとら人外レベルの怪力に付き合って三十年弱だ。今更力の加減を間違えるということはない。恐れずに接して貰いたいものだが。


 侍女の同僚にお近づきの印として私が刺繍した小物をプレゼントすれば、そういったわだかまりもなくなるだろうか。

 そう考えるとやる気が起きる。


「その分ですと、目標の香り袋作りに取りかかれるのもそう遠くはないですね」


 しかし、私よりカヤ嬢の方が嬉しそうなのが不思議だ。

 ククルとはまた違う形でこの子には懐かれている気がする。




◆◇◆◇◆




 刺繍を始めて数日後の終業時間。


「昇り竜!」


 完成した香り袋の刺繍をカヤ嬢に向けて、高々と掲げてみせる。

 昇り竜。前世の日本にいた頭にヤのつく職業の人が背中に彫っていたような、猛々しい幻想の生物である。

 その幻想生物の姿が、香り袋用の分厚い生地に三色の糸で見事に再現されている。

 我ながら素晴らしい出来映えだと思う。こんな才能が私に眠っていたとは。いや、元々裁縫は得意だけれど。


「竜ですか」


 図書室から持ち出した恋愛小説に目を通していたカヤ嬢が、私の掲げる香り袋に目を向けた。


「私の知っている竜の姿とはだいぶ違いますわね」


「うむ、ここでいう竜とは、地を這うあのトカゲもどきとは違う神聖な生き物なのだ」


 私の説明を聞きながら、カヤ嬢は膝の上に本をのせニコニコと笑顔を向けてくる。

 まだ短い同室の付き合いだが、彼女はとても聞き上手な人であると最近理解した。


「竜は川の化身なのだ。ほら、蛇のような細長い体躯をしているだろう。いかにも川を登りそうだろう」


「そうですね。確かに川の幻獣と言われればそう見えますわ」


「竜は元々川をさかのぼる鯉なのだ。……ああ、鯉と言ってもわからないか。大きな川魚だ」


「竜なのに魚なのですか」


「うむ。流れの急な川をさかのぼり、滝を昇り、竜の門と呼ばれる伝説の大河を登りきった鯉は、川の化身として竜に変わるのだ。これになぞらえて、立身出世の道となる難関のことを『登竜門』と呼ぶのだ」


「まあ、初めて聞く言葉ですわ」


「遠い国の故事だよ」


 遠い国どころか遠い世界であるが。

 ちなみにこの世界に鯉はいない。

 旅の食料として川魚を多く捕まえてきたが、この世界の川の生態系は地球とかなり違う。命の危険を感じる大きさの沢ガニとか生物事情はかなりデンジャラスだ。


「立身出世の願がこめられた竜なのですね」


「そうだな。川を登りきって竜となった後には、天に昇っていくんだ。天に向かう竜の姿を昇り竜という」


「翼はどこでしょうか」


「翼はない。神聖な幻獣だからな。翼を使わずとも空を飛べるのだ。もちろん竜としての強力な神通力も有している」


「不思議な竜なのですね」


 そう納得したカヤ嬢は、膝の上にのせた本に栞をはさみ、横の机の上に本をのけた。

 そして、立ち上がって椅子を持ち上げると、私の隣まで椅子を運び、香り袋がよく見える位置まで近づいてきた。

 私は隣に座ったカヤ嬢に昇り竜の生地を手渡して見せた。私的には会心の出来だが、先輩刺繍少女としてはどういう評価を下すだろうか。


「立身出世の猛き幻獣ですか……ね、ね、キリンさん、これどなたに差し上げるの?」


 うむ?


「千人長様かしら? 兵士長様かしら? いえ、まだ高い地位についていない若い騎士様かしら!」


「何を言っているんだカヤ嬢」


「んもう、恥ずかしがらずに教えてくださいな。どんな殿方を狙っていますの?」


「本当に何を言っているんだ」


 いきなり何を言い出すのだこの娘は。

 香り袋の刺繍からどうすれば男の話になるのだ。

 いや、待てよ。カヤ嬢がさっきから熱心に読んでいたのは恋愛小説だ。思春期の少女の脳内でとんでもない変換が行われているかもしれぬ。

 昇り竜。登竜門。立身出世。香り袋。誰に差し上げるのか。

 ……ああ、なるほど。そういうことか。


「カヤ嬢、これは私が自分のために作った生地だよ。他の人に渡す予定はない」


「え?」


「私用だ。別に誰かの出世を願って作ったわけではない。昇り竜にしたのは、単に格好良いからだ」


「……え?」


 何かを考えるようにカヤ嬢の表情が固まる。

 カヤ嬢は香り袋の生地を握って停止し、十秒ほど経過したあたりでようやく動く。


「キリンさん」


「納得いったか」


「これは没収ですわ」


「え?」


 なにがどうなってそうなった。


「んもう、キリンさん、今のご自分を理解していらっしゃらないの? あなたは侍女なのですよ」


 んん?

 それはあれか。侍女の身で立身出世の意味を持つ昇り竜を持つのがまずいということか。


「あなたはもう剣を振り回す武人ではないのですよ。可愛らしい十歳の侍女見習いさんなのです。それがこんな強そうな幻獣など、お姉さん許しません」


「んん!?」


「いいですか、戦いばかりの日常を何十年も過ごして自覚していらっしゃらないかもしれませんが、キリンさんはとても可愛いのです。抱きしめて一緒に眠りたくなるほど愛らしいのです。そんな子が、竜の香り袋などもってのほかです」


 ぷりぷりと怒り出すカヤ嬢。

 いや、私から見れば今の怒っているカヤ嬢の方が可愛らしいぞ。


「キリンさんに似合うのは獣ではなく、可憐な花です。青百合、白詰草、紫陽花。そういう香り袋を常に持ちあるかなければならないのですよ」


 ならないのですよ、と言われても。


「そうですわ、キリンさんには貴女としての情操教育が足りないのです。刺繍だけでは足りませんわ。楽器にダンスもやりましょう。お茶も淹れる側ではなく飲む側になるべきですの。今度のお休みには刺繍のために一緒に薔薇の植物園に参りましょう」


 一気にまくし立てるカヤ嬢が怖い。

 キラキラしていた眼がいつの間にかギラギラに変わっている。

 なんだ、なんだこのプレッシャーは。今まで感じたことのないものだぞ。


「夜会用のドレスも必要ですわ。後宮担当の子に相談して、最高のお針子を紹介して貰いませんと!」


 誰か! 誰かカヤ嬢を止めて!

 このままだと私の中に残ったなけなしの男分が消し去られる気がする!


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― 新着の感想 ―
日本のりゅうは竜でなく龍ではなくって?
幼女「昇竜k」カヤ嬢「めっ!!」
[良い点] >このままだと私の中に残ったなけなしの男分が消し去られる気がする! いいぞもっとやれ
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